夢カウンセリング
続きです。
まだ幼いボクは、大人たちに混ざって屋敷の中を忙しく駆け回っている。
使用人たちの最も基本的な仕事である清掃、その作業にボクも駆り出されていたのだ。
「これは・・・・・・?」
こうして一緒に眺めているのだから、ある程度推察はできるだろうに・・・・・・それでもコトリはボクに説明を求める。
その意図は明らかで・・・・・・彼女にとって重要なのは真実を知ることではないのだ。
彼女はあくまで、ボクの口からボク自身について語らせようとしている。
正直、このことについて語るのはそう難しいことではない。
ボクにはそのことに、痛みは伴わない。
「ボクはここ・・・・・・グリフィス家の不義の子だ。母親は他の使用人の中の誰か。もちろんボクにグリフィスの血が流れてることは伏せられ、ボクには姓が与えられず・・・・・・どこかに放り出して口を滑らせられるのも困るってことで、屋敷で使用人として使われることになった」
夢のボクは、ただ従順に文句の一つもなく真面目に働いている。
ボクが何者かについて、はっきりと誰かに聞かされたわけではなかったが、なんとなく・・・・・・腫れ物だっていうのは理解していた。
誰も口にはしないが、屋敷の者たちは皆・・・・・・ボクが何者なのかは分かっていたと思う。
「・・・・・・当然、居心地が良かったと言えば・・・・・・それは嘘になる。けど、ボクにはここしか居場所が無かった。だから、働いた。逆らわず、言われるままに。ここの人たちに嫌われたら・・・・・・おしまいだと思ってた・・・・・・」
必死だった。
無茶をした。
けどボクはボク自身にまるで価値のないことを知っていたから、そうするしかなかった。
そうして・・・・・・数年間、孤独なまま過ごした。
「・・・・・・っと、時間が飛ぶね・・・・・・」
夢の景色が崩れ、水に絵の具を垂らしたみたいに新しい色が滲む。
それはまた、別の日の・・・・・・屋敷の別の一角を映していた。
ボクを壁際に追い込むように、三人の使用人が立っている。
いずれも若い女性で、その表情はどこか乾いていた。
その使用人たちはボソボソと何かボクに語りかけ、そして掃除用具やその他諸々仕事道具の置いてある物置部屋にボクを連れ込んでいった。
「おや・・・・・・これは・・・・・・?」
「はは・・・・・・まいったな・・・・・・。あんまり・・・・・・面白いものじゃないと思うよ・・・・・・これから見る景色は・・・・・・」
ある程度歳を重ねると、ボクは・・・・・・自分で語るのもなんだが、容姿端麗になっていった。
元来グリフィス家の血というのがそういうものなのだ。
そして、そんなボクは・・・・・・退屈な生活を送っている使用人たちにとっては・・・・・・甘い毒だった。
噂によれば自分たちをこき使ってるお偉いの息子で、しかも容姿端麗ときた。
そして従順、誰にも逆らえない。
当然の結果として・・・・・・そうなったのだ。
「・・・・・・」
コトリが目を伏せる。
だがボクは自分自身の過去の“惨状”を目にしても、それほどの拒否感はなかった。
もちろん当時のボクは恐怖しただろう。
嫌悪しただろう。
しかし・・・・・・何度も繰り返すうちに、ボクは理解した。
これは・・・・・・人を狂わせるボクの“美”は武器であると・・・・・・。
そして・・・・・・。
「プルーム様は・・・・・・自分の“使い方”を学んだ・・・・・・ってことね・・・・・・」
コトリは悔しそうな表情をする。
そういう表情、あの使用人たちはしなかった表情だ。
だからボクにはちゃんとコトリたちは、あの使用人たちとは“違う”と分かる。
分かっているはずなんだけどな・・・・・・。
こうして自分の顔と身体、器用な言葉の使い方を学んでから・・・・・・屋敷での居心地はだいぶ変わった。
その変化を良いと捉えるか、悪いと捉えるかは・・・・・・人によるかもしれないが、少なくともボクにとっては良い変化だった。
使用人たちはボクが「好き」と言えば「好き」と返すし、もう腫れ物を見るような視線はなくなった。
ずっと居場所のなかったボクにとっては、それが初めての・・・・・・ボクの居てもいい場所だった。
無価値だったボクに価値が生まれ、そうすればボクは必要とされる。
ボクと、そして使用人たちの口にする軽薄な「好き」がボクの命綱だったのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
「嫌いになったかい・・・・・・ボクのこと?」
言葉を失ったコトリの表情を窺う。
コトリは、そんなボクの顔を見て、さらにその表情を暗くした。
「プルーム様・・・・・・今自分がどんな顔してるか、分かってる・・・・・・?」
「え・・・・・・・・・・・・?」
コトリの表情は嫌悪ではない。
そのことにひとまず安堵する。
しかしコトリは・・・・・・酷く悲しそうな顔をしていた。
「プルーム様・・・・・・今もまだそうなんだ・・・・・・。ずっと・・・・・・自分の感情に無関心・・・・・・」
「いや、そんなことはないと思うけど・・・・・・?」
気が抜けていたか、と焦って表情を作ろうとするが、どうしてか口角が上手く上がらなかった。
引き攣ったように筋肉が震えるだけで、いつものような笑顔にならない。
「プルーム様・・・・・・わたし、見えてるよ。全部。ねぇ? アナライザーの子も・・・・・・きっと見たはずだよ。プルーム様のこと」
「アナライザー・・・・・・って・・・・・・」
アナライザーの知り合いは一人じゃない。
だが何故か、コトリの言うアナライザーが・・・・・・サチだと言うことがはっきりと分かる。
そうボクが判断した根拠がちゃんとあるはずなのに、ボク自身にそれがなんなのか分からなかった。
また少し、夢の時間が進む。
ボクはボク自身の武器によって、ボクの居場所を作り上げた。
守られていると感じていた。
この場所は安全だと、そう思えた。
しかしそれも長くは続かない。
一人の使用人が、ある一つの失敗を犯した。
あるいはなんらかの意図があったのかも分からないが、それはもう知る由もない。
ボクを除けば、最も若かった使用人。
彼女が、子を身籠った。
ボクの子を。
ボクはそのときいくつだったろうか。
ともかくその使用人は・・・・・・ボクの出生に特殊な事情があったこともあり、大いに焦った。
当然そんな大事が隠匿しきれるはずもなく、それは使用人全体の問題となり・・・・・・グリフィス家当主・・・・・・つまり、ボクの血縁上の父親の耳にも入った。
ある一人の使用人と、当主が日当たりのいい一室で口論を繰り広げる。
ボクはそれを・・・・・・扉の外で聞いていた。
もちろん口論の内容はボクのこと。
しかし・・・・・・それだけでもなかった。
それは始まりの始まり。
そもそものことの発端。
ボクの出生の秘密、つまり・・・・・・当主と使用人の不義についての話だった。
「・・・・・・つまり、あの二人が・・・・・・プルーム様の・・・・・・ご両親・・・・・・」
父の顔ははっきりと覚えている。
鏡を見るたびに何度も思い出す。
ボクと同じ髪の色に、ボクと同じ目の色。
ボクと似たような・・・・・・人を食ったような眼差し・・・・・・。
対象的に・・・・・・母の顔は思い出せなかった。
それが夢にも反映されているようで、その顔がはっきり見えない。
やがて母に呼ばれ、ボクは父の部屋に立ち入る。
ボクを見た父は、眉ひとつ動かすことなく・・・・・・剣を抜き言い放った。
——やはり、生かしておくべきではなかった。
そして・・・・・・。
「・・・・・・っ!!」
ギラリと輝く剣尖と、飛び散る血飛沫にコトリが目を背ける。
「・・・・・・そうして、ボクは・・・・・・父を殺した・・・・・・」
丁度この日、この瞬間に、ボクはコードに目覚めたのだ。
けれども、これで・・・・・・ボクにはどこにも居場所がなくなった。
ボクはすぐに屋敷から逃げ出した。
血に塗れたまま。
これがきっかけとなってか・・・・・・グリフィス家は絶え、今はもう無い。
そして・・・・・・。
「ボクは、ダンたちと出会った。そこからは、あとは似たようなことの繰り返し。ボクはこの手段しか知らなかったからね」
ボクにはダンたちには無い器用さがあった。
盗みを働き、どことも知れない場所で夜を明かすしかなかった彼らに、ボクは正当な取り引きの元にその日の食事と泊まる家を提供してみせた。
「・・・・・・その交渉材料は、プルーム様自身・・・・・・」
「まぁ・・・・・・そういうこと・・・・・・」
華奢で中性的だったのもあって、ボクを代価とみなしてくれる人物は女性だけではなかった。
そういう人を頼って、ボクは自分を差し出す。
そうすることで、ボクは再び手に入れた居場所を守ることができる。
ボクに価値があるから、必要としてくれる。
場合によっては殴られることさえあったけど、別にそれでよかった。
「一度ボクだけじゃ飽き足らず・・・・・・よりによってまだガキだったボクより、さらに2歳下のコーラルが襲われそうになったこともあって・・・・・・その時、また人を傷つけた。今度は殺してしまうようなことはなかったけどね・・・・・・」
ふっ、と乾いた笑いが漏れる。
何を笑ってるのか、自分にもよく分からなかった。
コトリは・・・・・・ずっと俯くように目を伏せている。
その表情を覗く勇気は・・・・・・ボクにはなかった。
また、景色が変わる。
「お、これは・・・・・・懐かしい、な・・・・・・」
なんだか少し鼻が垂れてきそうになって、思わず鼻を啜る。
それもそのはず、これは寒い冬の記憶だ。
季節で言えば寒かったが・・・・・・しかし、過去の中では数少ない暖かな記憶だったと言えるだろう。
思えばこれは、兆しだったのかも知れない・・・・・・。
このときからやっと、ボクの運命は回り出した。
吹雪が針葉樹の葉を揺らす厳しい冬。
そんな森の中に、ポツンと一軒の家が建っていた。
柔らかくゆらめく暖炉の炎に、ボクとダンたちは手をかざしていた。
「・・・・・・この人は・・・・・・?」
その中に、コトリは知らない姿を見つけてボクに尋ねる。
コトリの指すその男は、右目の位置に大きな傷を残した大男だった。
髪と髭はすっかり白くなって、しかしその体つきは筋肉質で逞しい。
「ほんとに・・・・・・懐かしいな・・・・・・。この人は・・・・・・ウィングス。ダンたちとあちこち転々としてたとき見ての通り厳しい吹雪に遭ってね。なんとかこれをしのげないかって彷徨ってたところを見つけてもらったんだ。この家には・・・・・・この冬が明けるまで居ることになる」
「・・・・・・よかった。プルーム様・・・・・・やっと明るい表情してる。この人は・・・・・・いい人なんだね」
「え・・・・・・いやぁ、ボクは・・・・・・このおじさんは苦手、だったかなぁ・・・・・・。それに今まで泊めてくれてた人たちも、別に悪い人ってわけじゃないさ」
ウィングスおじさん。
彼については、ダンもシュルームもコーラルも・・・・・・言うまでもなくボクも、忘れることはないだろう。
特に・・・・・・捨て子だったのもあって、コーラルは初めての信頼に足る大人によく懐いていた。
けど、ボクは苦手だった。
この男、いつもの手・・・・・・つまり、ボクの武器が通用しないのだ。
いや・・・・・・もちろんそういった手が通用しない相手は今までだって少なからず居た。
だがそういう人物は決して家の戸を二度とは開かないのだ。
けどウィングスは違った。
今夢で見ているように、ボクたちをその家に招き入れたのだ。
しかもこの冬が終わるまで。
「ボクらは今こうやって冒険者やってるわけだけど・・・・・・そういう生き方を教えてくれたのも、そういう生き方に必要な知恵を仕込んでくれたのもこの人。変なおじさんだったよ」
「・・・・・・それなのに、プルーム様は苦手だったの?」
「ああ、まぁね・・・・・・」
この男はボクたちに与え続けた。
人と人の繋がりの基本はギブアンドテイクだ。
だがこの男は、決してボクらに何かを支払わせなかった。
だから・・・・・・苦手だった。
こうなると、ボクはどうしていいのか分からないのだ。
結局、最後まで・・・・・・ボクはこの男が分からないまま、この家を後にした。
「そしてそこからは・・・・・・パシフィカ、だね・・・・・・」
「そう。これがボクの過去の全て。見せたいか見せたくないかで言ったら・・・・・・まぁ当然、見せたくは、ないよね・・・・・・」
「そ、それについては・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
「いや、いいんだ。別に、責めてるわけじゃない・・・・・・」
コトリが気まずそうに視線を外す。
ただボク自身も、もうボクの全てを知ってしまった人間の顔など怖くて見られないのだった。
何がボクにとって怖いのか。
何を恐れているのか、それでやっと理解する。
不安で不安で仕方ない。
膨らんだ恐怖が胸のうちから湧き出してくる。
ずっと閉じ込めていた分、激しく。
「・・・・・・今日は、ここまでにしようね・・・・・・。大丈夫、あとは穏やかな眠りを約束するよ」
すぅっと、コトリの姿が薄くなる。
コトリの力の補助によって明晰だった意識が輪郭を失い、夢に溶けていく。
「待っ、て・・・・・・」
コトリに何かを言おうとして手を伸ばすが、もうその先には誰もいなくて・・・・・・ボク自身の手も・・・・・・形を失っていた。
※ ※ ※
宿の一室。
ランプの炎が揺れている。
プルームはその部屋で子どものように涙を流しながら眠っていた。
眠ったまま、その乾いた唇がボソボソと言葉を漏らす。
「・・・・・・嫌いに、なら・・・・・・ないで・・・・・・。ボクを・・・・・・嫌いに・・・・・・」
コトリは静かにプルームの頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫・・・・・・。夢の国は・・・・・・誰も拒まない。ゆっくり、ぐっすり・・・・・・おやすみなさい、プルーム様・・・・・・」
髪を掻き分け、コトリはプルームの額に口づけをする。
ランプを消して、全てを柔らかな闇の中に放した。
続きます。




