プルーム
続きです。
部屋に充満する甘い香りで目が覚める。
やけにボーっとして頭が働かない。
ボクは、ボクは今・・・・・・どうしていたのだろうか・・・・・・。
飲酒したわけでもないのに前後の記憶があやふやで、どうしてこの部屋で寝ているのか分からない。
それどころか、この部屋がどこなのかもさっぱり検討がつかなかった。
妙な気だるさ、あるいは心地よさが全身に絡みついて体を起こす気にはなれない。
首だけ動かして部屋の内装を見渡した。
広いとも狭いとも言いがたい、木造の一室。
生活感がないことから、おそらくどこかの宿の部屋だと思われる。
ベッド以外には鏡と机があるだけで、人が寝泊まりするのに最低限の要件を満たしただけといった感じだ。
そのくせベッドの品質は、おそらく良質。
長時間同じ姿勢で横たわっていても体にほとんど負担は無いだろう。
とにかく、少なくともボクの部屋ではない。
初めて訪れる場所・・・・・・のはずだが、妙に既視感があるというか、もう何度もここに来ているような感覚があった。
だが、その全ては些事に過ぎない。
「キミは・・・・・・確か・・・・・・」
ボクの横たわるベッドの脇、おそらくは机付属の丸椅子に腰掛けた少女がこちらを覗いていた。
やや目じりの下がった眠たげですらある温厚そうな瞳。
緩くウェーブのかかったピンク色の髪。
ややオーバサイズなベージュのセーターを肩を出す形で身に纏い、ボクの視線にほんの少し首を傾げていた。
「あ、起きちゃった? やっぱりプルーム様って催眠が効きづらい・・・・・・」
ボクはこの少女を知っている。
この街で、ボクを慕う女の子たちの・・・・・・その一人だ。
明らかになんらかの意図をもってボクをここに連れ込んだようだけど、不思議と危機感だとか警戒心が形にならない。
たぶんそれは、彼女の言う催眠の影響なのだろう。
「プルーム様、わたしが誰だか・・・・・・分かる?」
「キミ、は・・・・・・コトリ・・・・・・だね・・・・・・」
「そ、正解。よくできました! わたしはコトリ・ヒューガナツ。こうしてここに連れ出すのは・・・・・・もう四回、いや・・・・・・五回目かな?」
「ご、五回・・・・・・? ちょっと待って、キミはいったい・・・・・・?」
尋ねるが、再び意識が溶け出してしまう。
甘い香りが頭の中に流れ込み、あらゆる思考をほどいていく。
ボクの目は未だ彼女の姿を映しているが、それを意味のある情報として受け取れないほど思考能力が落ちていた。
「心配しなくても、わたしはプルーム様の助けになりたいだけだよ。大丈夫、今までだって上手くいってきたから。あなたは・・・・・・また長い夢に落ちる。それは優しいものかもしれないし、苦しいものかもしれない。けど大丈夫、わたしもついていくから。そして・・・・・・これだけは忘れないで。プルーム様を救えるのは・・・・・・プルーム様自身だけ、だから」
「待って・・・・・・何を言って・・・・・・」
コトリの指が、ボクの顔に迫る。
その手のひらはボクの視界を塞ぎ、そして撫でるようにして瞼を閉じさせた。
耳元で、コトリの囁くような声だけが響く。
「おやすみなさい、プルーム様」
その声は甘く脳に染み込み、瞼の裏の暗闇を掻き回していく。
体内から麻痺していくように感覚が希薄になり、そしてボクの意識は現実から夢にするりと落ちていった。
※ ※ ※
一人の少年が居た。
ある貴族の男と、その使用人の不義の子。
その名は・・・・・・プルーム。
少年は貴族の姓を名乗ることも許されず、また母の姓を知ることはついぞ無かった。
「これは・・・・・・」
断片的な記憶が、まるで映像のようになって流れる。
忘れもしない、見覚えのある屋敷に・・・・・・そして幼いボク。
その姿をボクと・・・・・・それからコトリは、どこからともなく見下ろしていた。
「これはプルーム様の夢。そして、プルーム様の心に根を張る腫瘍、もしくは・・・・・・穴だよ」
「コトリ・・・・・・いったいキミは・・・・・・?」
「別に・・・・・・ほんとに悪巧みとかはしてないよ。ただ、プルーム様ずっとどこか辛そうな顔してるから・・・・・・みんな何も言わないけど、結構心配してるんだよ?」
「・・・・・・そ、っか・・・・・・。それは・・・・・・すまないね・・・・・・」
なんとなく、思い出してくる。
そうだ、確かにこの感じは初めてのことじゃない。
たぶんもう何度も、この夢を通じてコトリと言葉を交わしている。
コトリのコードは、夢覗き。
他人の夢を覗き、そして介入することができる能力だ。
もちろん本当なら無闇に他人に使うことは禁じられているが・・・・・・。
「あの・・・・・・これ、ボクは頼んだのかな? なんか・・・・・・その、覚えがないんだけど・・・・・・」
「いいからいいから! 細かいことは気にしない! 今はプルーム様自身の心と向き合う時間だよ。そのために何回も催眠かけてわたしに会いに来るようにしてるんだから」
「なるほど・・・・・・どうりで・・・・・・」
思えばここのところどうにも朝帰りが多かったわけだ。
その上、なんで朝帰りになったのかを思い出そうとするとどうしても記憶が抜け落ちている。
あれらは全て、コトリの・・・・・・いわば夢カウンセリングの押し売りに関係していたわけだ。
「その・・・・・・コトリには悪いけど、ボクはもう大丈夫だよ。心配してくれるのは嬉しいけど、ほら・・・・・・見ての通りボクは健康そのものさ」
コトリに向かって、いつものように笑って見せる。
実際、ボクはもう・・・・・・過去のことなど気にしていないし、引きずっていない。
何せボクにはもう家がある。
本当に、心配することなどもう何もないのだ。
しかしコトリは・・・・・・。
「・・・・・・嘘。プルーム様は優しいから、いつもそうやってわたしたちに大丈夫だよ、とか心配ないよってやってくれるけど・・・・・・結構みんな分かってるよ、作り笑いだって。プルーム様がちゃんと、本当の意味で笑ってるのって、ダンさんとかシュルームさんとか・・・・・・あとコーラルちゃんとか、あの子たちの前でだけ」
「そ、そんなことないさ! ボクはキミたちのこともちゃんと大切に思ってるし、キミたちがボクのことを好きでいてくれるのは嬉しいと思ってる。だから・・・・・・」
「うーん・・・・・・とね。それはわたしたちも分かってるよ。プルーム様の優しさは、ちゃんとみんなに伝わってる。だから心配しないで。でもね・・・・・・プルーム様のそういうふうに思ってくれる気持ちと同じで、わたしたちも・・・・・・本気でプルーム様を大切に思ってるんだよ。だからさ、怖がらないで・・・・・・ね?」
「こ、怖がる・・・・・・なんて・・・・・・」
いったいボクが何を怖がっているというのか。
もちろんボクだって彼女たちからの気持ちに疑いを持ったことなんてない。
ちゃんとお互いが信頼できて、安心できる繋がりだ。
だからそんな・・・・・・怖い、だなんて・・・・・・。
「・・・・・・」
怖くなんか・・・・・・。
「プルーム様。夢って不思議で、プルーム様自身が自覚してないこと、見ないフリをしてることもしっかり映し出すの。今のプルーム様、まるで別人のことを見るみたいに自分の過去を三人称の視点で見てる。これも、本当は普通じゃないことなんだよ。プルーム様自身が、この過去から距離を置こうとしてることの表れ。でもね、心の傷って自然には治らない。だから、こうやって痛いところに触りに行かなくちゃいけないの」
「ボク、は・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫、わたしも居るから。ね? ゆっくり、この夢に潜っていこ」
手のひらが震えているのに気づく。
だけどボクの心は波立たない。
何故こんなに震えているのか、自分が分からない。
コトリが背後からボクを抱きしめるように身を寄せる。
ボクの震えは、コトリにもストレートに伝わるだろう。
それに言い訳の一つでも言おうとしたが、喉につかえていつものような軽口は出てこなかった。
夢に落ちる前のコトリの声が頭の中で反響する。
「プルーム様を救えるのは、プルーム様自身だけ」
夢の中の幼いボクは、一人蹲っていた。
涙は流さず・・・・・・けれど、泣いていた。
続きます。




