胞子の脅威
続きです。
キノコが放出した黄色っぽい粉塵で視界が埋め尽くされる。
咄嗟に息でも止めればよかったかもしれないが、すでに手遅れ。
もう大量の胞子を吸い込んでしまっている。
ただ、どちらにせよ風通しの悪い場所だからどの道この運命は避けられなかっただろう。
「ぅげほ、げほっ・・・・・・。シュルーム、大丈夫・・・・・・?」
「大丈夫・・・・・・って、あんたね・・・・・・。ほんと・・・・・・やってくれましたね・・・・・・」
と、言いつつも、現状まだ症状らしきものは見られない。
ともかく、何かよくないことが起きる前にみんなに見つけてもらわないと・・・・・・。
ヨタヨタ起き上がりながらシュルームが言う。
「いいですか? まずこれだけ派手に胞子が飛べば、りぃだぁたちも気づいてるはずです。向こうにはサチも居ますし、そっちの心配は要らないでしょう。だから・・・・・・今はわたしたちです。今となっては幻覚だったと明らかになっているわけですが・・・・・・ヌシに遭遇したという人の口から、この胞子について言及されていたことはありません。つまり視認できないほどの微量の胞子を吸っただけでそれだけの症状を引き起こしたということになります。ですから・・・・・・コーラル、最悪の場合・・・・・・死を覚悟しないとかも・・・・・・」
「えっ・・・・・・そんなっ!?」
これって、もしかして・・・・・・思ったよりマズい状況なのだろうか。
だとしたらわたし、とんでもない場面でとんでもないミスを・・・・・・。
今更ながら自分のしでかしたことの重大さに気づき、慌てふためく。
だが、いくら慌てようが吸い込む胞子の量が増えるだけだった。
「大丈夫です、今は落ち着いてください。わたしが居る限りコーラルたちをキノコで死なせたりしませんよ。たぶん・・・・・・じきにわたしたちも例に漏れず幻覚を見始めるはずです。そのことを念頭に置いておいてください。何を見ても、慌てないで。理性で幻覚に対抗するの・・・・・・」
「う、うん・・・・・・」
実際、こうなってしまった以上もう幻覚を見る覚悟はある。
ヌシが幻だと暴かれた今、わたしが何を見ることになるのかは分からない。
ものすごく恐ろしいものかもしれないし、その逆でものすごく感動的なものかもしれない。
ただ、精神を集中させてしのぎ切るのだ。
「集中、集中・・・・・・」
何を見ても幻だ。
それは現実じゃない。
「集中、集中・・・・・・」
・・・・・・?
なんだか・・・・・・体の芯からあったかく・・・・・・。
「集中、しゅうちゅ・・・・・・」
脳がぬるま湯に浮かんでいるみたいにふわふわする。
それに伴って足元もおぼつかなくなり・・・・・・。
「あっ・・・・・・」
「大丈夫ですか・・・・・・? いや・・・・・・これはちょっとマズいかも・・・・・・」
平衡感覚がおかしくなって、地面を異様に柔らかく感じる。
踏ん張りが効かない。
いよいよ立っていられなくなって、わたしたちはその場に座り込んだ。
そのくらいの重心移動さえ満足にいかなくて、ほとんど転倒と同義だった。
「・・・・・・う、ふぅ・・・・・・」
座り込んだにも関わらず、頭の中がぐるぐるしてくる。
この場所は薄暗いはずなのにやけに眩しく感じる。
全身の感覚が痺れたみたいに希薄になって、力が入らなくなる。
まどろみにも似た心地よさが染み渡り、それでも鈍った感覚以外は研ぎ澄まされ、意識は混沌としながらも明瞭だった。
これが・・・・・・酔うということなのだろうか。
浮いているような、柔らかい布団に包まれているような、なんとも言えない心地よさ。
いや、違う・・・・・・。
そうだった、わたしは・・・・・・そう、布団の中に居て・・・・・・それから・・・・・・。
「あれ? ラヴィ・・・・・・? どうしてこんなところに・・・・・・? ていうか、ここ・・・・・・どこだっけ・・・・・・???」
さっきまで、どこで何をしていただろう。
でもそんなこと・・・・・・。
「どーでも、いいや・・・・・・」
柔らかな布団で、ラヴィと身を寄せ合う。
こんなふうにくっついたら暑いはずなのに、不思議と暑くなかった。
いや、暑いのかもしれないけど・・・・・・それに伴う不快感がなかった。
ラヴィの指先が背筋をなぞる。
しっとりとした肌が微妙な距離感で触れ合う。
意識はどんどん眩しさに沈んでいき、しかし心地よさは広がり・・・・・・わたしたちを包み込み・・・・・・わたしはその快感を甘受した。
とろけ、絡み、曖昧に・・・・・・。
ただ、気持ちいい・・・・・・。
※ ※ ※
「気をつけてください、足元・・・・・・そこ、不安定です・・・・・・!」
コーラルとシュルームが落ちてから・・・・・・その何秒か後、同じ位置から大量の粉塵が吹き上がった。
サチが言うにはまず例のキノコの胞子で間違いないということで、俺とプルームは少し離れて胞子が晴れるのを待っていたのだ。
としてもどれくらいかは影響がある可能性が高いだろうという話だが・・・・・・。
ともかく、一旦様子が落ち着いたようなので今は救出に向かっているところだった。
「ったく・・・・・・大丈夫なんだろうな・・・・・・?」
「サチの言うことを信じよう。二人ともケガはないはずだよ」
プルームの言うように、俺だってサチの言うことは信じている。
ただ、結局のところこの“心配”というのは別問題というか、例え“無事らしい”という事実があったとしてもその上でやっぱり心配なのだ。
サチの声に従いながらも先陣をきってコーラルたちの落ちた陥没後に滑り込む。
そう派手に高低差がある感じでもなく、まぁどれくらい打ちどころが悪くても軽微な骨折くらいで済むだろう。
サチの話ではケガは無いということだし・・・・・・。
「大丈夫? ボクも手を貸した方がいいかい?」
上側から覗き込むようにして、プルームが俺に言葉を投げ落とす。
俺はそれに手を軽く挙げて応えた。
「ああ。だがまだだ。二人の様子と、周りの安全が確認できてからお前も降りてきてくれ」
「りょーかい」
プルームの返事を背に、二人の姿を探す。
と言っても、探すまでもなかった。
見たところケガもないし、その・・・・・・まぁ元気そうだ。
元気、な・・・・・・。
「な、なんれすかぁ・・・・・・こりぇ? 見たことないキノコがいっぱい・・・・・・。ぜんぶ、ぜんぶしらへなきゃ・・・・・・」
シュルームはいつも持ってる手帳に向かって一心不乱に何やらを書き綴っている。
その視線は特定の何かに集中することなく、例のキノコも俺もコーラルも・・・・・・その全てに目を走らせるながら虚ろなニヤケ面をしていた。
そしてコーラルはというと・・・・・・。
「・・・・・・ら、ゔぃ・・・・・・。なにして・・・・・・」
完全に地面に伸びてしまっていた。
ほとんど寝てるみたいな状態なのに目だけはかっ開いて俺には見えない何かを追っている。
やがて、どんな幻覚を見ているのかシュルームの手がコーラルの服の裾に伸びる。
「おっ、と・・・・・・」
その手は大胆にもコーラルの服を喉元まで捲り上げ、健康的な肌色を日の元に晒した。
「なるほろぉ・・・・・・傘の下はこうなってんれすねぇ・・・・・・。じゃちょっと身を割いて・・・・・・」
「あっ、ちょっ・・・・・・おい!」
シュルームの“身を割く”という言葉に嫌な予感がして叫ぶが、その声は酩酊しているシュルームには届かない。
だが・・・・・・結局のところ刃物とかを取り出すでもなく、コーラルのヘソを指で広げただけだった。
考えてもみれば、キノコを割くのに刃物なんか要らないか・・・・・・。
「・・・・・・ついでに味もみておこう・・・・・・」
「ゃ、あん・・・・・・らびぃ・・・・・・ほんなとこなめちゃ・・・・・・」
シュルームがコーラルの腹を舐める。
それにコーラルは艶っぽいんだかどうだかも分からないような声を上げた。
いったいそれで何が分かるのか、シュルームの味見は続く。
「はぁ・・・・・・見てられんな・・・・・・」
まぁ、この様子なら・・・・・・危険ってほどの危険もないはずだ。
厄介な酔っ払いが二人いると思えばいい。
首根っこを掴んでシュルームをコーラルから引き剥がし、いつまでも丸出しでいられると少なくとも俺は困るのでコーラルの服をきちんと直す。
そして上に居る二人に向かって声を張り上げた。
「おーい! 手伝ってくれ! そんでもう今日は・・・・・・」
シュルームとコーラルの様子を一瞥。
この“酔い”はもうしばらく抜けなさそうだ。
「はぁ・・・・・・今日はもう、帰るぞ・・・・・・」
この様子だと・・・・・・帰ってもしばらくは大変そうだ・・・・・・。
面倒くさいことになってる二人を見ただけで、今日ここに来たことを十分後悔できた。
続きます。




