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歪んだ物語

続きです。

 部屋の中には・・・・・・盆に乗せられた飲み物と、整えられた高級そうな布団のみ。

無駄なものは何一つ無かった。


 俺からすればそれは気を逸らすものが存在しないということを意味し、不都合でしかない。


 ミコ様はおろおろする俺の様子を気にするでもなく、敷かれた布団の脇に腰を落とした。

そうして視線で俺にも座るように促す。

俺はそれを受けて、手のひらに残ったミコ様の体温を意識から追い出すように頭を横に振り、そしてミコ様からは少し離れた位置に座った。


「そ、それで・・・・・・いったい何を企んでいるんだ? その・・・・・・いいかげん、話してくれたっていいだろ・・・・・・?」


 この部屋の雰囲気に落ち着かなくなっているのを誤魔化すように、平静を装ってミコ様に尋ねる。

ミコ様は盃に注いだ透明な液体をこちらに差し出して笑った。


「あ、いや・・・・・・酒は、その・・・・・・ここに来るまでに散々飲まされて・・・・・・」

「ふふ、でしょうね・・・・・・。けど、緊張しているようでしたから・・・・・・」

「う・・・・・・」


 断りきれず、受け取る。

その際に触れた指が、また俺の手に温かさを残していった。


 ミコ様は盃を受け取った俺を見つめる。

見つめ続ける。

その様子は、どこからどう見ても俺が飲むのを待っていた。

「何か入れられているのではないか?」という疑念はあったものの、その眼差しの魔力に抗えず透き通った液体を胃に流し込む。

味なんて当然分からないし、今日初めて飲酒した時のような胸が熱くなるような感覚ももうなかった。

それはもう既に俺の体が熱くなりきっているせいだろう。


 ミコ様はまるで世間話でも始めるかのように、すんなり話し始める。


「わたしは・・・・・・この館に囲われている身、必要な全ては思うままに与えられ、その代わりに・・・・・・ここから出ることも叶いません。わたしが生きていられるのは、全て猫頭様の寵愛のおかげです」

「・・・・・・」


 いまいち話の流れが掴めず、何も言葉が出てこない。

厄介そうな身の上だとは思うが、俺がハンスケたちの手によってここに連れてこられたこととは繋がらない。

それとも、俺が勘繰っているだけで、ハンスケたちとの繋がりはそんなに濃くないのだろうか。

どの道、今の段階での思索は無駄なので、その言葉の続きを待つ。


「すみませんね・・・・・・こんなところに来てまでこんなことを話されるなんて、思いもしませんよね。けど・・・・・・」


 ミコ様の瞳がどこか遠くを見つめる。

それはこの部屋の外の夜空、いや・・・・・・この外界とは隔てられた風俗街の外側の風景に向けられているのかも知れなかった。


「わたしは、恋焦がれているのです。・・・・・・ふふ、今のナエギ様には信じられないかも知れませんが・・・・・・わたしは、一度はハンスケ様と将来を誓い合った仲なのですよ・・・・・・?」

「へぇ・・・・・・」


 と、一度はそうやって聞き流してしまいそうになったが、すぐに自分耳を疑ってバッと顔を上げる。


「えっ!? は・・・・・・? え、ハンスケと・・・・・・!?」


 一気にハンスケとミコ様を繋ぐ線が濃くなる。

あんな助平男がまさかとは思うが、しかし・・・・・・ミコ様の表情が「ハンスケ」の名を出した瞬間は高嶺の花としてでなく等身大の年相応の少女としてのものに変わっていた。

立場上“演じる”ことが得意であろう彼女だが、それでも演技では出せないであろう自然な表情。

今目の前にいるのは神秘的な「ミコ様」じゃなくて、ただの「ミコ」という名の少女だった。


 ミコは俺の反応を面白がって笑う。

その柔らかな表情に俺の緊張も多少ほぐれ、体からフッと力が抜けた。


「そうですよ。わたしはハンスケ様を・・・・・・その、愛して・・・・・・いますし、ハンスケ様だって・・・・・・きっとわたしを思ってくれているはずです」


 嬉しそうなミコ。

しかし、その言葉には「しかし」と続く。

輝いていた瞳がフッと陰り、耳も力無く垂れた。


「わたしは、猫頭様に気に入られてしまって・・・・・・この館に押し込められてしまったのです。ナエギ様をあの人がここに招き入れたのは・・・・・・そのためなのですよ?」

「えっと・・・・・・それってつまり、俺が連れ出して・・・・・・ここから逃がせってことか・・・・・・?」


 俺の早計な解釈に、ミコは瞳を丸くして慌てて首を横に振る。


「ちち、ちがいますよ! さすがに! そんな無謀なこと・・・・・・誰にもできません。猫頭様を敵に回すということは、この猫の国そのものを敵に回すことに他なりません。そんな危険を、いったい誰が人に背終わることができるのですか・・・・・・」

「そ、そう・・・・・・か・・・・・・。でも、じゃあだったらどうして・・・・・・俺はここに・・・・・・?」


 結局のところ、ずっと分からないままの一番知りたいところ。

どうしてこうまでして、俺をミコに選ばせたのか・・・・・・。


 ミコは笑う。


「なにも・・・・・・そんなに複雑な話ではないのですよ? ごく簡単な、ありふれた理由です。わたしには猫頭様のご意思を断る権利はありませんが、このお店では・・・・・・お客を選ぶ権利、そして・・・・・・誰も選ばない権利すらあります」

「・・・・・・ミコは、もう何日も・・・・・・誰にも視線を向けなかった・・・・・・」


 ハンスケから聞いた話が頭の中に蘇る。

そして今日、ハンスケが選び連れてきた俺が・・・・・・彼女に選ばれたのだ。


「ええ。わたしは誰も選ばない権利を行使し続けることで、わたしの心身を守ってきた。でも・・・・・・あくまでお店である以上、ずっと誰もお客を取らなければ顰蹙を買います。だから・・・・・・ハンスケ様は、わたしの元に信用できる人・・・・・・もっと言えば、ふふ・・・・・・ナエギ様のように、決して目の前の遊女に手を出せないような人を選んで連れてくるのです」

「な・・・・・・」


 ミコにくすりと笑われて、顔が熱くなる。

つまり俺は・・・・・・ハンスケに、そういうある意味では“意気地なし”だと思われて連れて来たのだ。

なんだか勝手に恥をかかされた気分になって、それを誤魔化すつもりで咳払いをした。


「で、でも・・・・・・それなら、よかった・・・・・・。俺は何もしなくていいっていうか・・・・・・何もしないのがハンスケの想定通りなんだよな・・・・・・。ハンスケもハンスケで、それならそうと言えばいいのに・・・・・・」


 俺を連れてくるために、あいつらに奢って、俺を頭が回らないくらい酔わせて・・・・・・いちいち回りくどいんだ。

最初からそうと言ってくれれば俺だって黙って素直に着いて行ったのに・・・・・・。


「まぁまぁ・・・・・・あの人を責めないであげて。知ってるでしょ? 半人前のハンスケ・・・・・・。誰よりも意気地なしで、不器用で、そして優しい人だから・・・・・・そんなふうに呼ばれているんですよ」

「はは、そりゃ確かに・・・・・・」


 とりあえず真実を知ることができて、やっと完成に緊張がほぐれる。

なんだかここまで来てやっと自然な呼吸ができるようになった気さえした。

しかし、それも束の間・・・・・・。


「え、ちょっと・・・・・・み、ミコ、さん? え、は・・・・・・? 何、して・・・・・・???」

「ふふ・・・・・・。ナエギ様、ここを・・・・・・どこだと思っているのですか?」

「だって・・・・・・今の話じゃ! なんでっ、どうしてっ・・・・・・!?」


 ミコが着物をはだけさせ、その華奢な肩を露わにする。

獣人故にその体はふわふわの毛に包まれていて、人間のように肌が直接見えるわけじゃない。

それなのに・・・・・・肩を出しただけでミコはその体つきに似つかわしくないほどの色香を溢れさせる。


 そのままミコは、肉食獣らしく力強く俺の手を引く。

「食われる」と直感した俺は逃げだそうと腰を浮かせるが、間に合わず布団の上まで引き込まれてしまった。


「ちょちょちょちょっ! なんでっ!? マジでなんでっ!?」


 鮮やかで迷いがなさすぎる手つきで、ミコは俺の衣服も剥いていく。

抵抗する間もなく、俺はコムギにしか見られたことのない部分を丸出しにされてしまった。

このニャパンの浴衣とかいう服、あまりにも脱がしやすすぎる。


「なんでっ? なんでっ・・・・・・!?」


 困惑から同じ言葉しか発せなくなる俺の脚の上にミコは押さえつけるかのように跨る。

このやり取りのうちに、ミコの着物も大きく乱れほとんど上半身は裸同然になってしまっていた。


 ミコは身を寄せ、俺の胸を指で撫でる。

触れたミコの体はふわふわで温かくて、脳みそを溶かしていくかのようだった。


 ミコの両目がコムギにも見られたことのない状態になった俺を捉える。

男なのに「もうお嫁にいけない」という気持ちにさせられた。


 ミコは俺の両手を握り、呼吸が鼻先をくすぐる距離まで顔を近づける。


「そうですよ。ハンスケ様の意思では・・・・・・何も起こらないのが正解。だけど・・・・・・どれだけ不合理でも、わたしは待っているの。ハンスケ様がわたしを迎えに来て、ここから連れ出してくれるのを!」

「だ、だってそれは・・・・・・この国を敵に回すってさっき!」

「分かってます。でもわたしは待ってるんです。ずっと、ずっと・・・・・・。だからこれは当てつけ。こんなこと・・・・・・なんにも意味がないって、ナエギ様に伝え続けるのです・・・・・・! こう、やって・・・・・・!」


 ミコが俺の頬に鼻先を触れさせ、そして頬擦りする。

柔らかな毛の感触が頬を撫でて、全身に鳥肌が立った。


「ふふ、ナエギ様に・・・・・・わたしの匂い、つけちゃいました・・・・・・」


 部屋に満ちる、甘い香り。

ミコの体毛から香ってくる、暖かくむずがゆいような太陽の匂い。


「待って・・・・・・! 本当に、それは・・・・・・それだけはっ・・・・・・!」


 こんなことで自分の非力さを思い知る日が来るとは思わなかった。

あるいは酒のせいかも知れないけど、酔わされてしまった時点で俺はもう負けていたのだ。


 あまりにも単純すぎる本能をミコは的確に触発し・・・・・・。


「あっ・・・・・・」


 ミコの体温が、俺を飲み込んだ。

続きます。

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