光の中へ
続きです。
血が流れるにつれ、全身が冷えていく。
ふつふつと煮えたぎる怒りは、しかしもうどこに向いているのか分からなかった。
「こ、ろす・・・・・・殺して・・・・・・やる」
左腕はもう使い物にならない。
あの泉の謎の攻撃でピンポイントで神経をやられてしまったのかもしれない。
痺れるような痛みに加え、筋肉が意思に反して収縮していた。
残った右腕に剣を引きずって、コムギ・イーストににじり寄る。
もう先程のような激しい応酬はできない。
右腕もまた・・・・・・最低限動きはするだけだった。
俺の接近に、コムギは真剣に構える。
その体はまだ傷だらけだ。
戦闘の最中に新しく出来た傷、再び開いた傷が巻かれた包帯や衣服に血を滲ませている。
対して俺は、目立った大きな傷は無い。
なのに・・・・・・そのはずなのに、俺の腕は間違いなくコムギのそれ以上に機能を欠いていた。
「くっ・・・・・・」
止まれるか。
今更止まれるものか。
怒りと悲しみが俺を奮い立たせる。
そうだ、これは運命への反逆だ。
俺から母さんとカニバルを奪った世界に、傷跡を残すのだ。
思いのままに、理性を捨てて・・・・・・ただ感情のみに突き動かされて、走る・・・・・・。
剣を振り上げて、コムギのその命に食らいつくように牙を剥く。
しかしコムギは・・・・・・どこまでも俺を見下したように、憐れんでさえいるような眼差しで静かにこちらを見つめる。
そうだ・・・・・・その目だ。
そういう目が・・・・・・俺は大嫌いなんだ。
母さんを見るたび、カニバルを見るたび、そんな俺たちを見るたび・・・・・・誰もがこうやって俺たちを馬鹿にする。
「かわいそうに」って嘲笑っていく。
違う、違う違う違う・・・・・・!
お前たちなんかに何が分かる。
俺たちの痛みの一つも理解できていない。
俺たちの幸福の一つも理解できていない。
そんな目で、俺を見るなよ。
母さんが死んでからも、ずっとそうだ。
誰もが俺を哀れな狂人だと思っている。
「舐めやがって・・・・・・舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって舐めやがって・・・・・・!!」
涙で視界が塞がる。
間合いも分からないまま、剣を振り抜く。
視界には“剣聖”の淡い水色の光が閃いた。
俺の剣は何にもかすらず、その水色の刃のみが・・・・・・俺の骨を断ち肉を切り裂く。
通常、金属の刃は冷たいが・・・・・・プラヌラで形作られた剣聖の刃はほのかに暖かい。
まるで人肌のように、その刃を受け止める者への最後の慈悲のように、染み渡るような暖かさを残していく。
「・・・・・・ふぅ、ぐっ・・・・・・はっ・・・・・・」
血が溢れ、傷口から臓物がこぼれる。
止めどなく黒ずんだ血液が流れ出すたびに、体は冷えていった。
さぞ悍ましい光景だろうに、まるで目を逸らさないのが斬った者の責任だとでも語るように、コムギはそれを見続ける。
「く・・・・・・そ、だからお前らみたいなのは嫌いなんだよ・・・・・・」
このまま俺は、死ぬ・・・・・・のだろう。
いや・・・・・・本当に死ぬのか?
俺が・・・・・・?
そもそも死なんてもの、本当にあるのか・・・・・・?
いや、そうか・・・・・・。
・・・・・・死ぬ、のか・・・・・・。
もはや痛みすら感じない。
あるいはすでに死んでいるのかも分からない。
ふと、母さんのことを思い出して・・・・・・母さんに会いたくなって、コムギとさえすれ違って森の出口を目指した。
コムギは俺の方に一度振り向くが、それきりナエギに駆け寄っていく。
頭の中に、今も過去もぐちゃぐちゃに、整合性なく記憶が混じり合う。
母さんは、優しかった。
ずっと・・・・・・貧しいのを俺たちに謝りながら、それでも何とか俺たちだけは生きていけるように・・・・・・いつも無理をしてた。
母さんは、ほとんど家にいない。
俺たちを養うには、それだけ働く必要があったからだ。
昼も夜も、俺にカニバルを任せて・・・・・・俺たちの知らないところへ行ってしまった。
ほんの短な家に居る時間・・・・・・たった数時間の早朝も、母さんが気にかけるのはカニバルばかり・・・・・・。
カニバルは手のかかる子どもだったし、俺は「お兄ちゃん」だから、仕方なかった。
それにその当時納得していたかは・・・・・・もう思い出せない。
でも、きっと・・・・・・母さんは、そんな利口な「お兄ちゃん」の方が好きだったはずだ。
だから俺は、お兄ちゃんをした。
俺は、カニバルのお兄ちゃんをするために、なんでも捧げた。
食べ物も、時間も、母さんの愛も・・・・・・俺が貰えたかもしれないもの全て、カニバルに譲った。
だって、そうしたら・・・・・・母さんが褒めてくれると思ったから。
悲しそうな顔ばかりしてる母さんが、笑ってくれると思ったから。
けど結局・・・・・・母さんの眼差しが俺に向くことはなかった。
そして・・・・・・母さんは死んだ。
その日だった・・・・・・初めてカニバルが、人を食ったのは・・・・・・。
いつもなら少しの食べ物を持って来てくれる母さんが、しかしいつまで経っても何もくれない。
その頃のカニバルには、死が理解できていなかった。
そして、空腹に耐えかねたカニバルは・・・・・・動かなくなった母さんを、母さんとも分からなくなって・・・・・・食べた。
あの時ばかりは、あの時ばかりは俺・・・・・・僕は「今まで何をしてきたのだろう」と思った。
僕は何のために、全てをカニバルに捧げてきたのだろう。
いつか僕に向いて、僕を抱き寄せて、僕に笑ってくれるはずだった母さんは・・・・・・カニバルに食われている。
「やめてよ!」
そう叫んだ。
初めて、そのとき初めて僕はカニバルに手を上げたんだ。
カニバルは僕の言葉を理解しない。
ただそうやって僕の全てを奪っていく。
僕は、カニバルが大嫌いだ。
「いや、違う・・・・・・そんなはず・・・・・・」
違う。
カニバルは俺の全てだ。
母さんの残したカニバル。
母さんが幸せにしたかったカニバル。
母さんが愛したものは俺も愛さなきゃ。
俺はそして・・・・・・。
そして、カニバルも死んだ。
正真正銘、俺からは全てが消え去った。
空っぽ、俺を空っぽにしたのは誰?
僕を空っぽにしたのは・・・・・・俺?
僕から全部奪い去って、勝手に死んでいったカニバル。
母さんが死んでなお、全てをカニバルに捧げ続けたのは・・・・・・俺。
希望も、尊厳も、愛も・・・・・・得られたかもしれないその全て・・・・・・。
俺は捨ててしまったのか・・・・・・?
だから、そう・・・・・・空っぽだったから俺はカニバルにだけは死なれちゃならなかった。
俺は・・・・・・俺の欲しかった全てを奪っていったカニバルが・・・・・・嫌い・・・・・・?
「なんだよ・・・・・・なんでだよ・・・・・・」
俺はカニバルが大嫌い。
返してよ、今からでも・・・・・・。
取り戻させてよ、やり直させてよ・・・・・・。
こんなのが、俺の運命なの・・・・・・?
「いや、違う・・・・・・。そうだ。そうだった・・・・・・俺はこれから母さんに会いに行くんだ・・・・・・」
もう俺、お兄ちゃんなんかやめたから・・・・・・それで母さんに叱ってもらうんだ。
今までやって来たことも、全部。
「母さん・・・・・・ああ、母さん・・・・・・」
森の出口の光が見えてくる。
そこにはきっと母さんが待っていて、俺だけのために待っていて・・・・・・。
しかし、光の前に立ち塞がるように・・・・・・人影がそこに現れる。
「どこに行くつもりだい? 指名手配犯。まだ、何か弄せる策があるのかい?」
男の声。
赤い鎧を纏った一人の青年が立ち塞がっていた。
「どけ・・・・・・。俺には行かなきゃならない場所があるんだ・・・・・・」
「とても・・・・・・どこかへ向かえそうな状態には見えないけど? 君のしでかしたことは、もうそこら中に知れ渡っている。そんな状態の君を、誰も放っておかないだろうね。分からないかい? 君はもう・・・・・・どこにも行けない」
青年はマントを翻し、プラヌラで形成された刃を構える。
「ちっ、また剣聖かよ・・・・・・」
「そう、剣聖。君はよく知っているだろう?」
青白い刃が、視界で揺れる。
しかし・・・・・・俺の目は、小さな違和感を無視できなかった。
何とは言えないが、何かが違う。
「剣聖、じゃない・・・・・・?」
俺のうわごとのような声に、青年は意外そうな表情を浮かべる。
「驚いた。今までバレてしまったことなんてなかったんだけどね・・・・・・。まぁいい、じゃあ僕の秘密を手土産にするといい」
青年は軽く剣を振る。
その切先は俺に届かない・・・・・・はずなのに、その剣の軌跡がそのまま三日月型の刃となりこちらに向かってくる。
プラヌラの輝きが、斬撃波となって俺を飲み込まんと迫る。
「僕のコードは・・・・・・エラーコード『勇者』。剣聖に似てるから誤魔化してたんだけどね、まさか仕掛ける前に見破られるとは。君も、ただものではなかったみたいだ」
放たれた瞬間より、そのエネルギーを増大させ、何倍にも膨れ上がった斬撃。
その光が俺を飲み込んでいく。
咄嗟に受け止めようと剣を構えるが、一瞬でその剣は真っ二つになって光の中へ塵も残さず消えていった。
そしてその輝きは俺すらも飲み込み・・・・・・。
「母、さん・・・・・・」
一瞬見えた甘い幻覚ごと、存在をかき消した。
続きます。




