ナエギの恐怖
続きです。
店はいつものように閑古鳥が鳴いている。
照明の明るさだけが、不釣り合いなほどに暖かく壁に影を落としていた。
今日は・・・・・・客が居ないだけじゃなくて、妹も居ない。
ただでさえ寂しい店内が、いよいよもって静寂に包まれていた。
「・・・・・・今日はもう、閉めるか・・・・・・」
どうせ待っていたって客も来やしない。
俺自身、もうそういう気分ではいられなくなってしまった。
俺でもそうなのだから・・・・・・コムギはもっと・・・・・・。
脳裏に、コムギがこちらに向けた眼差しが蘇る。
冷たく、鋭く、まるで胸に氷柱を突き立てられたかのような痛みをもたらした、あの目。
分かっている。
コムギが冒険者になりたいことなんて、分かってる。
けど、俺はやっぱり・・・・・・それを受け入れられない。
あの決闘は茶番なんかじゃなかった。
正真正銘、コムギが実力でもぎ取った勝利だった。
俺は・・・・・・兄として、その栄光を称賛するべきだったのだろう。
だが、それと同時に・・・・・・俺は兄として、コムギの憧れを認めるわけにはいかなかった。
あるいは・・・・・・俺は、臆病なのかもしれない。
あまりにも、あまりにも明らかに・・・・・・悪いのは俺だ。
もう、俺自身・・・・・・自分を正当化できなくなってきている。
俺は、最悪の兄だ。
だが、だからといって・・・・・・どう受け入れろというのか・・・・・・。
今でも脳裏に焼き付いている、俺の冒険者としての記憶。
それは闇であり、血であり、恐怖そのものだ。
あの底知れない闇の中で、血の海の中で・・・・・・コムギの火は、輝きを失わずにいられるだろうか。
あの少女たち・・・・・・コーラルとラヴィも例外ではない。
彼女たちに、あの恐怖に満ちた世界は無理だ。
彼女たちはあまりにも幼すぎる。
世界の残酷さをまだ知らない。
過保護だと言われようが、臆病だと言われようが、あんな冷え切った眼差しを向けられようが・・・・・・俺は絶対に、コムギだけは闇に紛れる牙や爪、その悪意から守り抜くと決めたのだ。
帰り道の途中で別れたコムギ。
未だ帰って来そうな気配は微塵も無い。
どこで何をしているのか。
他に頼れる誰かも居ないはずだ。
今まで数えきれないほど喧嘩はしてきたが、これほど深い溝を、心の隔たりを感じたのは今日が初めてだ。
コムギは、喧嘩して・・・・・・ここに居づらくなるとしばらくどこかをふらつく。
それはいつものことなのに。
今日ばかりは、ちゃんと戻って来てくれる確証が持てなかった。
それこそ、もしかしたら・・・・・・俺のところを離れて冒険者として一人生きていくとか、そういう考えを持っても不思議では・・・・・・。
焦燥感。
あるいは脅迫観念。
まさか・・・・・・とは思うが、その可能性がほんの少しでも頭の片隅にちらついてしまった瞬間、それは取り除き難いしこりとなる。
コムギは、もうここに戻って来ないんじゃないか?
「いや、違う・・・・・・! 俺はコムギを! 守りたくて!」
守りたくて、繋ぎ止めようとして・・・・・・。
そしてその束縛は・・・・・・きっとあまりにもきつくて、コムギに痛みをもたらし続け・・・・・・。
ずっと、俺は何がしたいのだろう。
どうすれば・・・・・・どうすれば俺とコムギは救われる?
焦りに駆り立てられて、いてもたってもいられなくなる。
コムギを、見つけないと。
探しに出て、見つけて、謝って・・・・・・そして、その後・・・・・・。
その後、俺はどうする・・・・・・?
コムギを死と恐怖の世界に送り込む?
また、このちっぽけなパン屋に、縛りつける?
「っ・・・・・・!」
今は・・・・・・今はそんなことを言っている場合じゃない。
この焦燥感を言い訳に、思考を手放す。
店の看板を「close」にひっくり返して、いくつかの“種”を持って店を飛び出す。
「冒険者・・・・・・なら、ギルド・・・・・・か?」
一瞬コーラルとラヴィの元へ向かった可能性もよぎったが、俺もコムギも彼女たちの家を知らない。
だから十中八九ギルド。
コムギはギルドを目指している。
もちろん、コムギが冒険者になって俺を振り切ろうとしていることが前提になるが。
ギルドへの道は・・・・・・一応知っている。
知らなくたって、迷えばわかる。
朧気な記憶を頼りに、街の喧騒の方へつま先を向ける。
衝動的に、何かに追われるように、なんの確証も無いまま走り出した。
ああ・・・・・・そうだ・・・・・・。
やっぱり俺は・・・・・・どうしようもない、臆病者なのだ。
続きます。




