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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

うわさの地蔵

作者: 雨宮ヤスミ
掲載日:2024/07/07

「おはよう! なあ、LINE見た?」

「いや、エグくない?」

「ていうかさ、アレって確か……」

「見た見た! ヤベェよな!」

「誰だよ、あんなことやったの」

「やったやつ停学かな?」

「あんなことするやつがこの学校にいるなんてなあ……」

「絶対外部犯だって。やるはずないでしょう、我が校の生徒があ!」

「おはよ。何? 何の話?」

「あ、おはよ」

「教頭、絶対言うやつー、それー!」

「器物損壊ってとこの方がよくないでしょ。犯罪だよ」

「そもそも学校の備品なん、あれ?」

「聞いた話だと、OB会有志が建てたとか」

「あれでしょ、いつぞやの理事長が祟られた、みたいな」

「似てるっしょ? 自信あるんだ、教頭モノマネ」

「そんな祟りなんてあるわけないだろ、バカバカしい!」

「実際やるやついないよな。だってみんな知ってるでしょ、あのウワサ」

「2組の内田(うちだ)とか怪しくね? 何か小学校の頃悪かったとか」

「お、ビビってんのかよソノちゃん?」

「……で、確かさ、戦争の時に亡くなった人の」

「なんか、その理事長が交通事故で死んだんでしょ?」

「え、何? 何の話してんの?」

「ビビってるわけないだろ、こんなことで!」

「不安だよね。わたしも今朝から寒気がしてる……」

「えー、そうなん? 何か学校できる時になんか色々あってじゃないの?」

「それそれ。お地蔵さんのお堂を建てなかったから、って」

「それに、不審者の目撃もあったし」

「フカしだろ。あのチキンにゃできねーよ」

「わたしも、ちょっと頭痛くて」

「知ってる、変なおっさんがハンマーもってうろうろしてたんでしょ?」

「そうだっけ? 何かのせいであんな隅っこに追いやられてんだよね?」

「霊障だよ。揺らいでる、学校が……」

「声デッカ。上ずってんじゃん」

「でもヤバいよな」

「え、だから何の話?」

「じゃあ、やっぱり祟りは……」

「生徒がやったと思う?」

「本当だと思う。というか、祟りはもう起こってるのよ」

「祟り? それとも、地蔵壊すとかいう倫理観のなさ?」

「いや、祟りじゃなくてさ。問題は損壊だよ、器物損壊」

「犯人は結構意外な奴なんだよ、こういうパターンは」

「わたしが聞いたのは、四つん這いの女に追いかけられるって話だけど……」

「何が起こるんだろう? わたしたち、無事で済むのかな……?」

「半々じゃない? 不審者の目撃情報もあるみたいだし」

「それはガチ怪談じゃ……」

「パターンってなんだよ」

「いや、パワー」

「そうだっけ? 何かのせいであんな隅っこに追いやられてんだよね?」

「四つん這いで、ってそんなの速度出んの?」

「意外とこのクラスのヤツだったりしてな」

「一応、パワーストーンはあるから、ここにいるみんなだけでも助かるように」

「パワー!?」

「ないない。そんな度胸あるやついないでしょ」

「燃えてるらしいから速いって」

「それは知ってるけど、どうやって校内に?」

「実際パワーはヤバいだろ。首なくなってんだぞ、地蔵の」

「度胸って問題か?」

「デグッちゃん、クラスLINE見てないの?」

「西の塀のとこ、入れる場所あるって先輩から聞いた」

「効果あるの?」

「燃えてるってことはあれかな? 昔この学校であったっていう火事の……」

「石だもんな。普通無理だろ。何使ったんだよ」

「信じるなら効果あるよ。信じて、祈ればいい」

「だよね、不審者が入ってきてる方があり得るわ」

「スマホもってないから……」

「祟り? じゃあやっぱ地蔵絡みじゃん」

「何に祈るの? お地蔵さんの祟りなんでしょ……?」

「決まってんじゃん。素手だよ」

「ヤッベ、祟りとかよりそっちの方が怖くね?」

「とにかく、持ってた方がいいよ、貸してあげるから」

「なわけねぇだろ! もっとバカバカしいわ!」

「あ、そっか。ごめんごめん。何かね、校舎の西のお地蔵さんが……」



「しっかし、頭がなくなってんのが謎ってか――、不気味だよな」



 教室のあちこちに出来上がった輪、そこからさざめく話し声は、明るい声音とは裏腹に、どこか暗い影を落とし沈殿していくようだった。


 尾花(おばな)カレンは、どの輪の中にも入らず一人席に座っていた。ざわめきの中から、音をすくい上げるように、そっと耳を澄まして。


 人知れず、カレンは机に突っ伏した。その背は震え、抑えきれない何かを堪えているようにも見えた。


 やがて予鈴が鳴り、担任教師の庄田が入ってくると、教室の各所にできていた輪はバラバラとなり、皆自分の席へと戻っていった。


 当たり前の、昨日と同じ学校生活が始まっていく合図であったかのように。



 N学園R高等学校附属中学は、郊外に建つ私立の中高一貫校だ。


 山と田んぼが目立つ立地に構えた広大な校地の、東半分を高校、西半分を中学が使っている。


 国立大学や有名私大への進学率が高く、この地域では名の知れた名門校でもある。近年にはスポーツにも力を入れており、高校にはスポーツ特進クラスが併設されている。


 この校地の西の端、すなわち中学側には、小さな地蔵が立っていた。


 高さ50センチの程の石造りの地蔵で、コンクリートブロックで作られた簡素なお堂の中に安置されている。その表情は、穏やかにも無表情にも見えた。


 この地蔵の謂れについては諸説あり、その正しいところを知る者はいない。


 ある生徒に聞けば、この地蔵は戦時中に空襲で焼け死んだ人たちの霊を祀ったものだ、という。


 別の生徒に尋ねれば、この地蔵は学校を工事中に事故が相次いだことから建てられたものだ、という。


 また違う生徒の話によれば、かつてこの学校で生徒の首つり自殺があり、その自殺した生徒の霊を慰めるために有志が置いたものだ、という。


 しかし、入り乱れるうわさの中であっても、ある一点だけは共通していた。



 ――地蔵は学校を守っている。この地蔵が壊れた時、学校に祟りが降りかかる。



「尾花」


 昼休み、廊下を歩くカレンの背に声をかけてきたものがいた。


 カレンは一瞬ぎくりとなり、気まずそうに振り返る。


「聞きたいことがあるんだが……」


 なんですか、とカレンはびくついたことを誤魔化すように、つっけんどんな口調で言い返す。


 カレンを呼び止めたのは、50がらみの男性教師だった。社会科の担当の梨木(なしき)というこの教師は、「いやなあ」とどこかばつが悪そうに切り出した。


「お前、唐橋(からはし)のこと、何か聞いてないか?」


 唐橋、の名を聞いてカレンの眉間にしわが寄った。


「何か、聞いてないか、って……?」


 おうむ返しにそう尋ねられ、「そう」と梨木はうなずく。


「ほら、唐橋って最近学校に来れてないだろ? 聞けばお前、仲が良かったんだってな。去年の担任の田島(たじま)先生から聞いたよ。だから前もクラスが違うのに一緒に……」

「知りません」


 ぴしゃりと言って、カレンは梨木に背を向けた。


「おい、待てよ尾花。おーい」


 呼びかける声を無視して、カレンはどんどん廊下を歩いた。すれ違う生徒がギョッとしたように振り返るが、構わず歩みを進めた。


 今更「何か聞いてないか」だなんて。握りしめた拳の中で、爪がギュッと食い込んだ。


 何でそんなのんきなことが言えるんだ、担任のくせに。まるっきり他人事じゃないか。


 そんなんだからマコトは、学校に来られなくなっちゃうんだよ。


 心の中でぐるぐると怒りが渦巻いて、胸が燃えるように熱くなってきた。


 こんな学校、ホントに祟りで潰れてしまえばいいんだ。



 その日の五時限目のことであった。


「つまり、このthatは関係代名詞の主格と目的格の代わりに区別なく使え――」


 授業も中盤に差し掛かったころ、突如として「パタパタパタパタ……」と足音が響いた。


 廊下からだ。何人かの人間が連れ立って走っているような音だ。


 クラス担任でもある英語教師の庄田(しょうだ)は、怪訝な顔を廊下の方へ向けた。


「――何だ? 誰が走ってるんだ?」


 授業中であるので、当然生徒が通るとは考えにくい。見回りの教員が廊下を歩くことはあるが、それは通常一人で行うから複数聞こえるのはおかしい。


 再び、足音がした。


 先ほどとは逆方向、廊下を東から西へ何人もが駆けていくような音だった。


「騒々しいな……、ちょっと見てくる」


 庄田はそう言いおき、教壇から降りて教室の戸を開け放った。


「……うん?」


 廊下を見回して首をひねり、庄田は教室の方へ向き直る。


「うーん、気のせいか……。すまん、授業に戻ろう」


 そう言った時だった。


 三度(みたび)、足音が駆け抜けた。はっきりと、開いたままだった戸の向こうからそれは聞こえた。


「きゃあっ!?」


 廊下側から二番目、その列の一番前の席に座る女子生徒が大きな悲鳴を上げた。


「どうした?」


 廊下を指さし、片手で口を押えて震える彼女に、庄田が駆け寄る。


「い、今……、こ、こ、く、く、く……」


 庄田は再び廊下の方に顔を向ける。近くに座る生徒たちもつられてそちらを見た。長方形に切り取られた廊下へ視線が注がれる。


「首のない、こ、子どもが、走って……」


 四度目の足音がして、教室中が騒然とした。


「み、み、み、見えた!」

「お、俺も……!」

「く、首のない子……」

「たくさんいた……、四人……?」


 見たものを確認し合う声。泣き出す声。悲鳴。悲鳴。悲鳴。狂ったように叫ぶ声。


「祟りよ! お地蔵さまの祟り! お地蔵さまの首が壊されたから!」

「落ち着け! 静かに、静かに――!」

「首がなくなったから! 探してるんだわ……!」

「こら、教室を出るな!」


 教師の制止が虚しく響く中、どよめきは加速していく。


 混乱のるつぼとなった教室の中、カレンはただクラスメイトたちを見ていた。


 泣き叫ぶような真似も、廊下を確認するようなこともしなかった。


 ただ、慌てふためくクラスメイトと担任を、見下すような目で見つめていた。


 そうだ、祟られてどんどん壊れてしまえばいい――。



「聞いたか、昨日の?」

「あれだろ、三年がバスケの授業中に……」

「何それ知らん」

「うちのクラス以外でも、廊下の子ども見た人いっぱいいるらしいよ」

「やっぱ地蔵の祟りじゃないの?」

「音楽室の方でもなんかあったらしい」

「ヤバない?」

「放課後に図書室で出たんだって」

「先輩が見たって言ってたよ」

「ボールが生首になったとかで」

「こんな幽霊ばっか出てるだけの祟りって、どうなん?」

「知らん女が柱をかじってたって」

「青白い赤ん坊が床を這ってたとか」

「いよいよ霊障が本格化してきたわね……」

「まあ実害がないよな」

「四つん這いの女出たらしいぞ、夜」

「どうなってんだろ、この学校」

「誰か動画撮ってバズれよ。万行くだろ、万」

「吐いたやつもいたらしい」

「手洗い場の水、変な色のが出たってさ……」

「保健室、昨日いっぱいだったって」

「スマホの電源つけるの禁止だろ」

「3メートルぐらいあって、天井近くの柱かじってて……」

「えー、どこの手洗い場?」

「赤ん坊はスーッと消えたって」

「先生らも混乱してるみたいだし、バレんて」

「外の道路だろ? どっかのおっさんが見て腰抜かしたとか」

「大変! 来て! 渡り廊下!」

「天井に足跡がびっしりって!」

「あれ……? 何か電源入らん……」

「マジ? ……あ、俺のもだわ」


 予鈴が鳴り、担任の庄田教諭が入ってきても、今日は収まらなかった。


「おい、席つけよ。ホームルーム始めるぞ」

「先生、どうなってるんですか、この学校。さっきも渡り廊下に……」

「ん……? ああ、あれは誰かのいたずらだろうって話だ。いいから席つけ」

「いたずら、って……。でも、昨日の五限だって首のない子が廊下を」

「先生だって見たでしょ? あの場にいたんだから」


 あのなあ、と庄田は大袈裟にため息をついて見せた。


「お前らなんか騒いでたけど、そんな首のない子どもなんていなかったぞ」


 えー、と当惑したような、失望も多分に含まれた波が庄田に打ち寄せた。


「いやいやいや、めっちゃ通ってたじゃないですか!」

「足音は聞こえてたんでしょ!?」

「そういうおとぼけいいって、ホント」

「あれ、大人には見えないのかも……」


 いい加減にしろ、と庄田はいつもよりも大きめの声を出した。


「いいか、お前らナーバスになってるんだよ。ちょっとは落ち着け。変なうわさがある地蔵が壊されて、みんな不安になってるのは先生たちも把握してるよ」


 不安な気持ちがおかしなものを見せているんだ、と庄田は断言した。


「じゃあ、足音はどう説明するんですか。先生だってそれで廊下のぞいたわけだし」

「そんなのは空耳ともなんとでも説明がつくよ。むしろ、あれは俺が悪かったと思ってる。あんなことを言ってしまったせいで、みんなの不安を刺激してしまった」


 すまなかった、と庄田は詫びた。


「みんながそんなに不安になってるなんて、昨日の時点では分かっていなかったんだ」


 担任にそう頭を下げられては、追及の矛先も鈍ってしまう。何となく、挙げた拳のやり場を失ったかのような、気まずい空気が生徒らの間で流れた。


「とにかく、今回のことは先生たちも調査してるから……」

「お地蔵さんを壊した人のことも、調査してるんですか?」


 そうだ、と庄田はうなずく。


「この怪奇現象っていうの? これがいたずらだったら……」

「地蔵壊したやつが犯人の可能性があるよな」


 それまでじっと身を固くしていたカレンであったが、そんなことを言っている男子生徒らの方にちらりと目をやってしまう。


「そう決まったわけじゃないから、お前たちの間で犯人探しなんてするんじゃないぞ」

「地蔵壊したやつって、やっぱ停学ですか?」

「それは……、今俺の口からはどうとも言えんな」


 とにかくホームルームだ、と庄田は無理やり話を切り上げて、出席を取り始めた。



 カレンの属する2年3組は、庄田がまとめたお陰か、落ち着きを取り戻していた。


 うちのクラスって、基本的にいい子ちゃんが多いんだよな。カレンは内心毒づきつつも、どこか安心していた。


 あの梨木が担任の2年6組などは収拾がつかず、泣き出す女子や早退するものまで出たらしい。


 担任の力量の差だろうか。授業中、ふとカレンはそんなことを考える。


 庄田は40前で、R中学の教師陣の中では若い部類だ。「可もなく不可もなく、フツー」なんて揶揄される向きはあるが、意外と信頼されているようだ。


 梨木は年齢こそベテランで、学年主任ということだが、ひょろっとしていて今一つ頼りない。ホームルームでも、不安を煽るようなことを言ってしまったようだ。


 ガチャだ。担任教師ガチャ。


 あたしはまだ当たりの方を引いたけど、マコトはそうじゃなかった。


 だから学校に来れなくなった。あんな頼りない担任じゃ、いじめられても相談なんてできっこないじゃないか。


 だけどそんな運だけで、学校生活が決まってしまっていいのか。


 ちょっと運が悪かったってだけで、勉強する機会が取り上げられてしまうなんて、そんなの間違ってる。


 やっぱりこんな学校なんて、壊れてしまえばいい。


 これじゃあ何のために私立に来たのか分かったものじゃない。



 事件はその日の昼休みに起こった。


「おい、6組が大変なことになってるぞ!」


 昼休みも半ばを過ぎた頃、お調子者の男子の一人が駆け込んできて、教室中の注目を集めた。


「何か、気絶したやつがいるって!」


 廊下の西側、校舎の端にある6組の教室の方が、確かに騒がしいようだ。


「え、ユウちゃんとか大丈夫かな……?」

「ちょ、行ってみようぜ」

「6組……。レイコにもパワーストーンを渡しておくべきだったか……」

「バカ、やめとけって!」

「ソノちゃんやっぱビビってんじゃん」

「ビビってねえよ! うっせぇな!」

「え、何? 何があったん?」

「そこまでは知らんけど」

「知らんのかよ!」

「騒ぐなって言われてんじゃん! そう言ってんの!」

「おばあさん! おばあさんが教室に紛れてて……」

「何それ、怖ッッ!?」

「老婆……、去年のオリエンテーションキャンプで出たのと同じ……?」


 いい気味だ、とカレンはにやける顔を隠すために下を向いた。


 6組なんて、とりわけしょうもない連中が固まってるクラスだ。どんどん混乱して、壊れていけばいい。


 しょうもない連中が、学校に来られなくなったら、マコトももしかしたら戻ってこられるかもしれない。


「おい、エグいことなってんぞ、6組!」


 様子を見に行った連中が駆け込んできた。


「吐いたやつとか、ヒーヒー言ってる女子とかいて」

「保健の先生が来てた!」

「マジかよ、ヤッベぇぞコレ……!」

「あと、野次馬は帰れって怒られた」

「担任が頼んないおっさんだからこういうことなるんだよ。教育が悪い、教育が」

「そりゃそうだろ」

「そうか? 梨木もそんな悪くなくね? ゆるいし」

「ゆるいってとこが頼りないんだって」

「庄田さんは締める時は締めるもんな。セージツっていうか」


 興奮したような浮ついた雰囲気の教室は、どこか現実ではないようで。


 そういう騒ぎをカレンはガラスを隔てた向こう側から見つめているような気分だった。


 やがて、救急車のサイレンが聞こえてきた。あまりにも不調を訴える生徒が多いので、養護教諭が呼んだらしい。


「4台も来てんな、救急車」

「何か、他の学年でも騒ぎがあったらしい」

「これ、午後の授業なくなるんじゃね……?」


 その予想は正しかった。


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っても、五限目の担当教諭は現れず、代わりに放送で教室待機が呼びかけられた。


 五限目の半分が過ぎた頃に、ようやく庄田が顔を見せ、午後の授業が中止になったことが告げられた。


「そういうわけだから、気をつけて帰るように。寄り道はせず、できるだけ帰る方向が同じもの同士固まって帰りなさい」

「先生、結局何があったんですか?」

「言った通りだ。全校的に不調の生徒が多く、授業を行うのが困難と判断された」


 不調の原因は、という問いに「それは分からん」と庄田は首を横に振るばかりだった。



 早めに帰れてせいせいした。


 帰宅後、カバンを投げ出すように置いて、カレンは自室のベッドに寝転がった。


 本当にバカばっかりだ。ちょっと地蔵が壊れただけで右往左往して。祟りなんてことを信じ込んじゃってるバカが多すぎる。


 まあ、それはあたしも同じか。


 歳に似合わない自嘲気味な笑みをカレンは浮かべた。


 ボーッとするのも程々にして、勉強しよう。こういう時間の使い方が、ゆくゆく大きな差になってくるんだから。


 カレンは大きく伸びをすると、起き上がって机に向かうことにした。


 とりあえず五限目でやるはずだった歴史の教科書を開く。


 歴史の担当は梨木だ。あの顔を見なくて済んだのも大きい。あんな眠い教科書朗読授業なんかより、自分で読んだ方がよっぽどためになるんじゃないか?


 そうは思いつつも、今一つ集中できずにだらだらとページをめくっていると、出し抜けにスマートフォンが鳴り響く。


 珍しい、とカレンはスマホを置いたベッドの方を振り返る。中学に上がった時に持たされたスマホには、ほとんど番号が登録されていない。両親と祖父母、それから……。


 ディスプレイに表示された着信元の名前を見て、カレンはすぐさまそれを拾い上げた。


「……もしもし!」

『カレンちゃん?』


 電話越しの、少し舌っ足らずの懐かしい声に、カレンは震える思いだった。一年生の時は、よくこうして長電話したっけ。


『わたし、マコトです』


 唐橋マコト。彼女が学校に来れなくなってから一週間、初めての着信だった。


「マコト、どうしたの……」


 ずっと電話に出なかったくせに、と非難めいた言葉をカレンはなんとか飲み込んだ。


『ごめんね。学校の人と話すの、なんだか、しんどくって……』


 わたし相手なのに? わたしも、しょうもない学校の連中と同じだってこと?


 苛立ちと同時にそうぶちまけたかったが、それも何とか堪える。


『ママ……、お母さんから聞いたの。学校で、何だかおかしなことが起こってるって』


 R中高には、保護者用のメーリングリストがある。個人情報保護などで何かとうるさくなった連絡網に代わり、こちらで連絡が取られている。


 どうやら、昨日今日の事態を受けて緊急の保護者会が開催されるらしい。そのメールの内容を、マコトは自分の母親から聞いたらしかった。


『お地蔵さまが、壊されたんだって? それで、よくないことが起こってるんでしょ……?』


 連絡メールにはそんなことまで書いてあったのか、とカレンは目を瞬かせた。


『ううん、それはわたしの推測。学校の備品が壊され、生徒に不安が、みたいな内容で、お地蔵さまのことは書いてなかったよ』


 推測、という言葉がカレンの胸に突き刺さるようだった。


『それでね、思ったの。お地蔵さまが壊されたんだとしたら』


 カレンは息を飲んだ。


『多分……、それを壊したのって、カレンちゃん、なんじゃないかな、って……』


 だから電話したの。


 ねちっこい、少ししつこいくらいに甘ったるいお菓子のようなマコトの声音が、カレンの耳に絡みつくようだった。



  ◆ ◇ ◆



 カレンとマコトの関係は、小学校のころに遡る。


 二人は同じ進学塾の生徒で、第一志望も同じR中学だったことから親しくなった。


 マコトは、カレンから見ると頼りないお嬢様という感じの少女だった。


 いつも綺麗に切り揃えられた髪、有名なブランドの子供服、年齢にしては幼い口調、世間知らずでともすれば鈍臭いところ、そして人を疑わない純真な性質。


 どれもがカレンが持っていないもので、どこか苛立たしい、そんな風にマコトのことを見ていた。


 一年生で同じクラスになった二人は、ずっと一緒に過ごした。他に親しい友達は作らず、二人の間ですべてを完結させていた。


(思ってたよりずっとレベルが低い)


 入学してからずっと、カレンは周囲を評してそう言っていた。


(知ってる? 校舎の西の方にある地蔵)


(うん。時々手を合わせてるよ)


 迷信深いんだから、とカレンは呆れたようにため息をついた。


(あれを壊したら祟りがある、ってみんな大真面目に信じてんのよ? おかしくない?)

(そうなんだ。お地蔵さまを壊すのは、よくないよね)


 その通り、とカレンは鼻を鳴らす。信仰の対象を破壊するなんて野蛮、といつだったかニュース番組でコメンテーターが言っていたことをカレンは真似た。


(野蛮ってことは、知能が低いってことよ。まず、壊すなんて発想が出てくるなんて、信じられない)


 公立にしか行けないバカどもじゃないんだから。


 カレンの脳裏に思い浮かぶのは小学校の頃の同級生の男子だった。「やんちゃ」というオブラートに包まれた評価を破り捨てれば、「野蛮人」の本質が容易く出てくる。


 ああいう連中と一緒にいたくないから、無理を言って中学受験をさせてもらったのだった。


(ホントにあの試験を突破してきたの? って思っちゃうくらい)

(でも、カレンちゃん定期テストの点、学年で真ん中くらいだったじゃない)


 うっさい、そういうことじゃない、とカレンは苛立った。


(程度の話だよ、人間の。勉強じゃなくて。そもそも勉強だって、すぐに追い越せるし)


 その「すぐ」は未だ訪れてはいないが、マコトは「そうなんだ」とふわふわ笑った。


(カレンちゃんはすごいなあ。しっかりしてて。わたし、カレンちゃんといたら何でも平気だなあ、って思うの)


 一年生の頃、カレンはマコトにつれられて、たまに校地の西端を訪れた。


 草に埋もれた簡素な祠の中の地蔵は小さく、頼りなさげで、学校全部を守ってくれているようには、到底見えなかった。


(かわいらしいよね)


 屈んで手を合わせ、マコトは屈託ない笑顔でカレンを振り返った。


(こうして拝んでたら、悪いことなんて起きないみたいに思えちゃうよ)


 手を合わせる振りさえも、カレンは一度もしなかった。ただ、マコトの背中と地蔵を見下ろしているばかりだった。


 もしも、本当に地蔵に力があるんなら。


 あたしなんかじゃなくって、マコトみたいな子を助けてあげてほしい。


 赤い夕焼けの差す中で、カレンが抱くのはそんな祈りだった。


 二年生になって、二人はクラスが分かれた。


 カレンは上がってこない自分の成績に苛立ち、人当たりはますます悪くなる。周囲はそんな彼女に近づかなかった。


 一方、マコトの方は6組で新しい友達ができたらしい。


 二年生に上がった当初、マコトは嬉しそうに新しい「友達」のことをカレンに報告したものだ。


(そうなの、みんなとっても面白い子たちでね。カレンちゃんともきっと気が合うと思う)


 カレンはその度に「やめろ」と話を遮った。


(そんな連中とつるんでちゃダメ。堕落の道。勉強しにきたんだから、友達なんていらないでしょ)


 様相が変わったのは、一学期の中間考査が終わった頃だった。


(カレンちゃん、友達って、友達じゃなかったみたい……)


 中学に入り少しつまづいたカレンとは対照的に、マコトは学年でも上位の成績を修めていた。小学生の時に言われたことを今も素直に守り、授業をしっかり聞いてノートをとり、予習復習を欠かさない。それが当たり前にできることが、斜に構えることが増えたカレンには眩しかった。


 一方、マコトの新しい「友達」たちは、必ずしもそうではなかった。授業中は寝ていたり、よそごとをしている。そのくせテスト前になり、マコトに「ノートを見せて」と言うのである。


(休んでたなら仕方ないよ。だけど、出てたのに自分でノートを取ってない人には貸せないよ。そう言ったの)


 前にカレンちゃんが言っていたみたいに。電話口でギクリとしたカレンの様子に気づくわけもなく、マコトは続ける。


(そしたら、ノートなくなっちゃって……)


 移動教室で席を離れた時に、机やカバンに入れていた主要五科目のノートが全てなくなっていたという。


(あの子たち、ノートのコピー持ってたんだけど、それわたしの書いたノートで……)


 返してほしい、とマコトは彼女らに訴えた。すると、突き返されたノートは、ビリビリに破かれ、あるいは黒く塗られていた。


 担任に言え、とカレンは意気込んで言った。あたしも一緒に言ってやる。明白な証拠があるんだから、間違いなくやれる。あんな連中、学校にいられなくなってしまえばいいのだ。


 しかし、マコトの担任、梨木の反応は芳しくなかった。


(あの子らがやったっていう証拠はないだろ。聞けば、ノートがなくなったという話を聞いて、探して見つけたんだって。いい友達じゃないか)


 ノートのコピーを持ってるはずだ、とカレンは身を乗り出した。梨木は「まあまあ」とヘラヘラした様子でこう応じた。


(そのコピーが、唐橋のものだっていう証拠もないじゃないか。元のノートがそんな状態なんだ、確認できないよ)


 事を大袈裟にするなよ、と梨木は迷惑そうでさえあった。


 その次の日から、マコトは学校に来なくなった。カレンの電話にも、出てくれなくなったのだ。



  ◆ ◇ ◆



『カレンちゃんは、わたしのためにやってくれたんだね……』


 バカな連中が信じている、バカげたバカげた迷信。


 祟りなんてあるわけないけど、教師が学校が頼りにならないんなら、それで大騒ぎになるんなら、地蔵の一つや二つぶっ壊したっていい。野蛮な連中を倒すには、こっちも野蛮に手を染めなくちゃならないんだ。


 そもそもだ、学校を守ってるっていうくせに、マコトのことを守らなかった。たまにでも手を合わせてた子のことを守らなくって、何がお地蔵さまか。


 役立たずのデクノボーめ。守ることもできないんならせめて、学校に祟りでも何でも降ろしてこい。


 車いじりが趣味の父親の大きな工具を通学鞄に忍ばせて、あの日カレンは地蔵に相対した。


 いつだったかみたいな、きれいな夕日の差す中で、カレンは震える手に無骨な工具を握り、思い切り振り下ろしたのだった。


 思ったよりも、衝撃はなかった。まるで初めからそうなることが決まっていたみたいに、地蔵の首はごとりと落ちた。


 首は草むらの中に転がり込んで、見えなくなった。


 カバンに工具を押し込んで、カレンは走ってその場を去った。


「……案の定」


 自分で思ったよりも声が震えていた。カレンは唇を湿らせ、努めてはっきり声を出そうとした。


「案の定、バカどもは、バカみたいな幻を見て大慌て。お笑い種よ、ホント」


 マコトは何も言わない。カレンは話を続けた。


「何が祟りだ。何が首のない子が走り回ってるだ。何がお婆さんが教室に紛れてる、だ。何でそんな空虚なことを恐れて、自分のバカさ加減を恐れない? 本当に恐れるべきは、愚かで、どうしようもない自分じゃないの?」


 言葉がとどめなく溢れて、同時に堪えきれなくなったものがカレンの頬を伝った。


「何で、何でそのことが分からないの。そこまで愚かな人間ばっかり集めて、そいつらがのさばってるんなら、学校なんて、受験なんて何の意味もないじゃない!」


 カレンちゃん。すすり泣くカレンを労わるようなマコトの声も、涙声だった。


『お地蔵さまのこと、残念な気持ちもあるけど、カレンちゃんの気持ちがうれしいようにも思っちゃう。やっぱり強いよね、カレンちゃんは。わたしはもう、あそこでやっていく自信がないから……』


「あんたが、あんたが出て行く必要なんてないよ。あいつらが、ホントはあいつらが異常なんだ。異常なあいつらが、出て行くべきなのよ。あんたが、諦めることなんて一つもないのに……」


 悔しい。カレンは拳を握った。この大騒ぎだって、ずっと続くわけがない。いつかみんな慣れてしまって、きっと当たり前の日常が帰ってきてしまうだろう。


 何かやった気になって、みんながうわさする中得意になってほくそ笑んで、だけど、その実何も為せていない。


 何も、解決していないのだ。


「全部、全部が、無意味よ……。何にもできない、変わってない」


 会おう。マコトは小さな声で、しかしはっきりと言った。


『直接会って、話したい。わたし、カレンちゃんに会いたい……』



 その夜、カレンは家を抜け出して学校へ向かった。


 校門の方には何台もの車が並んでいるのが見えた。緊急の保護者会が体育館で開かれるらしい。


 マコトと待ち合わせたのは、校地の西側の外塀の前だった。校地を囲む塀の向こう側に、ちょうど地蔵がある辺りだ。


「久しぶり……」


 夕焼けの切れ端がまだ少し残った午後7時、現れたマコトは少しはにかんだ様子でそう言った。


 痩せたかな。10日ぶりの友人の顔を見て、カレンはそんな感想を抱く。


「この辺は、四つん這いの女の人が出るんだって」

「知ってる。あと、ハンマー持ったおじさんが職質されたって」


 地蔵壊したのそのおじさんかもって、とカレンが言うと、マコトはおかしそうに笑った。


「じゃあもう、その人のせいにしちゃったらいいよ」

「無理でしょ。どうやってここから中に入るのよ」


 カレンは塀を見上げた。高さ3メートルほどのコンクリート製のそれの上には有刺鉄線が張り巡らされており、乗り越えるのは容易いことではない。


「何かね、塀が途切れてることがあるんだって」

「『ことがある』って何?」


 塀が動くとでもいうのか、とカレンは肩をすくめる。


「あの人たちが言ってたよ。そしたら簡単に学校抜け出せるのに、って」

「抜け出すくらいなら来んなよ」


 吐き捨てたカレンに、「ねー」とマコトは本当におかしそうに笑った。


「……パパがね、もっと先生たちと話してみるって」

「そんなの、変わんないでしょ」


 決めつけるのはよくないよ、とマコトはかぶりを振った。


「梨木先生じゃなくて、もっと上。そういう人たちと話してみるって」

「いじめなんて、認めないでしょ。『そんなことするわけないでしょ、我が校の生徒がー!』って、教頭逆ギレするんじゃないの?」


 雑なカレンの口真似に、マコトはまた笑った。


「うち、パパもここの卒業生だから。OB会を巻き込んでもやる、って言ってて」


 え、とカレンは口元を押さえた。そんなこと、初耳だった。


「大事になっちゃうなあ、ってちょっと心配だけど、いい方向に動いてくれたらいいなあ、って思うの」


 何よそれ、とカレンは思わずへたり込んだ。


「カレンちゃん!?」

「あたしが地蔵壊したの、完っ全っに意味ないんじゃん……」


 う、うん、結構意味ないよ。言いにくそうに、しかしマコトははっきりと言った。


「もー! 先言えよ! そしたら、こんなことしなかったってのに……」

「だけど、嬉しかったよ、本当に。カレンちゃんは、わたしの味方してくれるんだって」


 座り込んだカレンに寄り添うようにして、マコトはその背を撫でた。


「お地蔵さまと言えば、パパが言ってたんだけど」


 そう言えば、というふうにマコトは塀の方に目を向ける。


「パパが卒業した20年前には、なかったんだって」

「え、そうなんだ……」


 地蔵の言い伝えの多くは、学校の創立当初から存在するというものだった。マコトの父親の言が確かなら、そのほとんどが否定されてしまうことになる。


「空襲があったんじゃないの、って聞いたら、『この辺はむしろ疎開先だった』って。工事中の事故もいじめで自殺した子も、理事長が死んじゃった話も、全然聞いたことないって」

「じゃあ、何だったのあの地蔵って……」


 さあ……? 首を傾げるマコトの横顔に、カレンは眉根を寄せて考える。


 ならばいつ、誰が何のためにあの地蔵を設置した? そんなもののうわさを、どうして学校中の生徒が知り、信じ込んでいた? あまつさえ、幽霊の幻を見るほどに……。


 カレンは塀の方へ目をやった。


「は……?」


 そしてその目を丸くした。


 すっかり闇に満ちた視界の中、塀がなくなっていたのだ。


 代わりに見えるのは、こちらに背を向けて立つ小さな地蔵の姿だった。周囲を囲んでいるはずの粗末なお堂もなく、草の中にぽつんと立っている。


 地蔵には、首があった。確かにあの時、カレンがその手で落とした首が。


 軋むような音をした。


 地蔵の首が動いているのだ。


 ゆっくりと、こちらを向いたそれは――


「が、ガイコツ……?」


 人間の髑髏だった。


 カレンと目が合うと、髑髏はその像を歪ませる。


 ノイズのようなものが走り、髑髏は知らない老婆の顔になった。


(おばあさんが教室に紛れてて)


 6組で起こったという怪異のことがカレンの頭をよぎる。


 老婆の顔は歪み、ぬるりと姿を変えた。


 今度は逆さまの女の顔だった。


(四つん這いの女が出るって)


 その像もまたすぐに変わってしまう。


(当時の理事長が亡くなって)


(空襲で死んだ人たちの霊を慰めるために)


(自殺した生徒がいたらしくって)


 青白い男の顔に、防空頭巾をかぶった子供の顔に、中学生くらいの少女の顔に。


 うわさで語られたモノどもの姿に、首はその像をめまぐるしく変えていく。


 ぶよぶよと膨れた醜い赤ん坊の顔に、髪を切り揃えた日本人形のような顔に、乱れた髪の目の大きな女の顔に。


 定まった形を持たない煙か霧か靄のように、ゆらゆらと揺らぎ、変わっていく。


 やがて、その変化は目的地にたどり着いたかのように、止まる。


「――ッッ!?」


 カレンは息を呑んだ。


 止まったその形は、カレンが見知った者の顔だったから。


「な……」


 梨木だ。


 見たくもない、あの男。頼りない、マコトのクラスのへらへらした担任教師。


 青白い顔をした梨木は、その虚ろな瞳でカレンをぼうっと見つめている。


 ――お、ま、え、が


 色を失った唇が、そう動いたように見えた。


 ――こ、わ、し、た、か、ら


 口角が吊り上がって歪む。


 ――で、ら、れ、た


「カレンちゃん!」


 マコトの声で、カレンは我に返った。弾かれたように立ち上がり、周囲を見回した。


 学校の塀は、厳然とそこにそびえている。消えてなくなったりなどするはずもない。


 ならば、 今のは、一体……?


「どうしたの? 顔が、真っ青……」

「塀が……」


 心配そうに見上げるマコトを振り返り、カレンはクラクラする頭を押さえる。


「塀が、なくなってて、それで……」


 見えたもののことを話すと、マコトは口元を押さえる。


「え? それって、どういう……?」


 当惑する二人の少女たちは、この時知らなかった。


 目の前の学校、その体育館の中で騒ぎが起きていたことを。



 緊急で開かれた保護者会は、金曜日ということも手伝ってか、二年生の父兄を中心に200人ほどが集まっていた。


 体育館に突貫で並べられたパイプ椅子はほぼすべてが埋まり、集まった保護者らはめいめい挨拶をかわし、学校で起きた事件について様々な憶測をささやき合った。


「どういうことが起きたら、生徒が倒れて救急搬送なんてことになるんでしょうね」

「生徒の誰かのいたずらじゃないかしら」

「集団ヒステリーというのもありますからなあ」

「まあ、そうなんですの、エリカさんが病院に……」

「義母が付き添ってくれていますけれど、一体何があったのやら……」

「聞きました? お地蔵様が壊されたんですって!」

「そんな野蛮なマネをする生徒が、この学校にいたなんて!」

「不審者の目撃情報もあったというし、心配で……」

「倒れたのは二年生が多いとか……」

「あの学年は平年より入試の平均点が低いと聞きます。それも関係あるんじゃないですか?」

「程度が低い、と?」

「おかしなことをするのはあの学年ですよ。そうに決まっている」

「しっ、二年生の父兄の方も多いのだから……」

「だけど、そんなのが高校に入っても一学年上にいるんですよ? 転校させようかしら……」


 ある種の異様な雰囲気の中、保護者会は始まった。


「皆さま、本日はお忙しい中ご足労いただき、誠にありがとうございます……」


 校長が型通りの挨拶を行い、次いで壇上に上がったのは2年6組の担任である梨木であった。


 学年主任も務める梨木は、今回起こった事象の説明を任されていた。


「2年生の学年主任の梨木です。昨日、そして本日起こりました事象につきまして、教職員の把握しておりますことを説明いたします……」


 まず、と梨木は切り出した。


 だが、次の言葉が出てこない。


 どうした、とざわめく保護者と教職員たちの目が、壇上に集中する。


「あ……」


 突然、梨木が震えた声を上げた。


「あ、あ……、あ……っっ!」


 目を見開き2、3歩後ずさる。明らかに様子がおかしい。司会を務める教頭が、声をかけようとしたその時だった。


 鈍い音が、体育館に響き渡った。


 舞台の上に設けられた演壇、その上に赤黒い液体が溢れ、流れ落ちていく。


 演壇にうつぶせに倒れた、梨木の頭から流れ出た血であった。


 その頭は、ぐしゃりと潰れてしまっていた。


 暫時、静まり返っていた体育館に大きな悲鳴が上がる。


 それが合図になったかのように、止まっていた時間が動き出す。


 呼応するように悲鳴を上げる保護者、壇上に駆け寄る教員、立ち上がり状況を確認しようとする保護者、卒倒する教頭とそれを慌てて受け止める教員、隣近所と目を見合わせ何が起こったのか把握しようとする保護者……。


 動かないのは、壇上で倒れた梨木だけだった。


 大人の拳二つ分ほどの大きさの、丸い石に頭を押しつぶされて。


 及び腰ながらも、体育科の男性教員が梨木に近づく。


 そして、演壇の上に載った血まみれの石に目を見開いた。


 それは紛れもなく、校地の西に佇んでいたあの地蔵の首だったから。




  ◆ ◇ ◆




 保護者会とは面倒くさいことになったものだ。


 社会科教師の梨木はげっそりとため息をつき、椅子の背もたれに身を預ける。


 さっきの職員会議では、ずいぶんと庄田の小僧に詰められた。学年副主任になったからか、最近妙に態度がでかい。主任は梨木の方だというのに、主と副が逆転してしまっている。


 やれ、「先生がはっきり言ってやらないからだ」だの「不安を煽るようなことを言ったと聞いているが本当か」だの、よくもまあ正義ヅラできるものだ。


 そういうあいつの態度が学級のガキどもにも伝染しているんだろう、先々週も庄田のクラスの尾花が、いじめだなんだと騒ぎ立ててやってきていたな。


 しかし、うちの唐橋の父親が、まさかOB会の役員だったとは迂闊なことをした。


 ついつい尾花がうざったくて、適当にあしらってしまったじゃないか。


 唐橋が父親に余計なことを言っていないか探りを入れようとしたが、尾花は取り付く島もない様子だし、これも庄田の差し金のようにさえ思えてくる。


 大体において、教育になんて興味がない。梨木は本当は、民俗学の研究者になりたかったのだ。


 博士課程にまで進んだが、大学内のポジション争いについていけず、仕方なく母校で教師をする道を選んだ。


 教師になって20年以上経つが、この仕事にどうにもやりがいは感じられない。


 唯一面白いと思えるのは、ガキどもがする「うわさ」だけだ。


 うわさ、風聞というのはなかなかバカにできない。事実無根のものでも人間の心理をコントロールし、どんなに愚かしい道も選ばせてしまう。


 例えば、特定の商品を売り切れにさせたり、バカげた主張を掲げる政治家を躍進させたり、あまつさえ国家を戦争の道に進ませることだってあるのだ。


 15年ほど前、うわさの検証のために、梨木は校内にある仕掛けを施した。


 校地の西端の原っぱ、塀があるばかりのそこに、こっそりと地蔵を置いたのだ。


 そこから数年後、卒業と入学によって生徒が入れ替わったのを見計らい、顧問をしている地歴部の部員などを通じて、「地蔵の謂れ」を吹き込んだ。


 「この学校ができる前、空襲にあった人たちの霊を慰める慰霊碑がここには建っていた。学校を作るにあたってそれを移設したのが、この地蔵なんだよ」と。


 そして、この話が変化する様を見守った。


 すると、「うわさ」は梨木の想像を超える変化を遂げていった。


 「建設中に事故が相次いだことで、祟りを恐れて」「学校で自殺した生徒がいて、その霊を慰めるために」「理事長が代替わりしたときに一度取り壊したら、その理事長が祟りで死んだ」……、様々なエピソードが出来上がって行くのは興味深かった。


 この変化をまとめて論文を発表すれば、と一瞬夢も見たが、忙しい日々にそれはすぐ断念した。


 しかし、引っかかることもある。


 どうしてすべての「うわさ」に、「地蔵は学校を守っている。地蔵を壊すと学校に祟りが降りかかる」なんてものが付け加わったのだろうか。


 最初に流した話には、そんな要素は一切なかったというのに。原因譚がそのような形を取りやすいとはいえ、すべてがそこに収束していくのには、ゾッとしないでもない。


 それにしても、そんな地蔵を壊す輩が現れるとは。


 地蔵はある意味信仰を集めている。そんなものを壊すだなんて、野蛮人の所業だ。生徒の心が荒れている証左だろう。暴力事件を起こすようなものはめっきりいなくなったが、別の方向で今のガキどもは荒んでいるようだ。


 まあ、それは今はいい。考えねばならないのは、と梨木は凝りをほぐすように肩を回す。


 かったるいことに、保護者会での騒動の説明役を押し付けられてしまっていた。


 自分の学級でたくさん生徒が倒れた上に、学年主任をしているからだが、はっきり言って知ったことではない。


 今回の祟り騒動は、梨木にとっても当然関心のあるものだった。


 もっと広がれ、という気持ちがなかったと言えば嘘になる。ホームルームで不安を少し煽ったのは事実だ。もちろん、そんなことは到底話せるものではないが。


 今の教職員で梨木が地蔵を置いたことを知っている者はいない。当時の校長には許可を取ったが、その校長も去年亡くなっている。


 もし知れれば、あの庄田の小僧辺りに「原因を作った」と糾弾されることだろう。


 まったく、面倒くさいことばかりだ。


「梨木先生、準備はよろしいですか?」


 不意に教頭に声をかけられ、「ええ、まあ、何とか」と梨木は曖昧に応じる。


「お願いしますよ。お地蔵さまを壊すなんて、そんなこと我が校の生徒がするわけがない!」


 生徒にモノマネされていたそのままを教頭が言ったので、梨木は笑いを堪えるのに苦労した。


「……と保護者の皆さんに安心していただかなくてはいけませんからね」

「はい、はい。それはもう、大丈夫ですよ」


 万事において大袈裟なのだ。こんな集まりを開かなくとも、少ししたら何事もなく騒動は収まるに決まっている。


 こんな「うわさ」なんていう何の重みもない、実体のないふわふわしたものに振り回されるなんて、何とも無意味なことだ。梨木は内心でそう吐き捨てた。




〈うわさの地蔵 了〉

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