王都
次の休暇で、オスカーと私は王都のドレスショップへ来ていた。ヴェルゲの街にある服屋では駄目なのだろうかとオスカーに言うと、レベルが全然違うからとニッコリ言われた。
オスカーは一体いくら払うつもりなんだろう……
想像するだけで背筋が凍るので、考えない事にした。
王都へ来たのは生まれて初めてである。西駐屯地のヴェルゲは大きい街だと思っていたが、まるで比較にならなかった。王都はぐるりを全て城壁で囲まれているのはヴェルゲの街と同じだが、面積はヴェルゲが十個以上入りそうな巨大な都市だった。おまけに城壁から結界がキラキラと上空へ伸びていて、一体この結界をどうやって維持しているのか見当もつかなかった。
「魔石を使って維持してるんだよ。魔石が高く売れるのはこのせいだな」
「ほええ」
宿に着くと荷物を下ろして着替える。エルマ姉さんにくれぐれも騎士服でドレスショップへ行くなと厳命されたのである。
先日購入したワンピースを着て、頭を四苦八苦して結い上げた。そばかすは随分薄くなっている。軽く紅を引いた。これもエルマ姉さんの命令である。
オスカーとは別の部屋だ。そのあたり至ってマジメなオスカーである。うちの父親の信頼も絶大だ。
エルマ姉さんはどうやら不満らしいが。
支度を整えた頃オスカーが部屋をノックした。
「リリー、出掛けようか……」
と言って、私を見ると固まった。前と同じ反応だ。
「変かな?」
「いや……似合っている」
またオスカーの耳が赤くなっている。
「エルマ姉さんが、ドレスショップに騎士服で行くなって」
「そうだな……日傘も買うか。折角肌が白くなってきているし」
「どっちみち訓練でまた焼けるよ?」
「良い日焼け止めもここならあるかもしれないな」
ドレスショップでは私にドレスの価格を一切知られないように事が進み、デザインを決め、散りばめる宝石を選び、採寸を終えた。
「母が、自分の嫁入りの時のヴェールを使ってほしいと言ってるんだが、もし嫌なら断るが」
「え?使わせて頂いていいの?……なんか凄く嬉しい」
私を認めて貰ったという事だろうか。ありがたく使わせてもらいたいと思った。
オスカーは持ってきたヴェールを店に預ける。色合いなどをドレスと合わせる必要があるらしい。
店を出ると、化粧品店に行く。目が回るほどの商品点数である。
店員さんに勧められるままにオスカーが購入していく。
「私が払うよ、私のだし」
「リリーは使わずに貯めとけばいい」
何を買ってもこれである。私は両手に荷物を入れた袋を下げていた。オスカーの両手ももちろん私の荷物で塞がっている。
王都の石畳は広い。真ん中は馬車道で、両脇に歩道がある。その周りは煌びやかな店が立ち並ぶ。
「他に欲しいものがあれば、言ってくれ」
いい加減、この私の守銭奴疑惑を払拭しなければ、と決意した時だった。
ざわり
肌が粟立った。
私はオスカーと顔を見合わせた。
「まさか、王都で?」
「しかし、これは間違いなく」
亀裂の気配。
「方向が分かるか?」
「……あっち」
私が指さす方向にオスカーが目を向ける。
「騎士団本部の辺りか」
騎士団が居るなら酷い事にはならないだろうか?
「急ぐぞ」
手に持っていた袋を道端に置くと、偶々通っていた辻馬車から馬を借りる。
「すまん!請求は騎士団へしてくれ!修復師のオスカー・ギーゼンと言う!」
御者は目を丸くした。
「へ、へい、しかし鞍が」
「ハーネスがあるから大丈夫だ」
私とオスカーはその馬に乗る。私はワンピースを着てきたことを後悔した。横乗りは慣れないので怖いが、オスカーに必死で掴まる。馬を亀裂の方角へ走らせていると、空に魔獣が飛び始めた。街の人々が見上げて悲鳴を上げる。
「どうして魔獣が!」
「城壁の結界はどうした!」
人々が口々に叫ぶ。
結界の内部に亀裂が発生する事なんか想定していなかったんだろうな、と私は思った。
「オスカー、あんなのが通れるなんて、かなりのサイズの亀裂?!」
「騎士団が抑えきれていないのか?」
「王都にも修復師いらっしゃるのよね」
「筆頭修復師のエーリヒ師だな。ご高齢だが」
「ひとり?!」
「他にも何人かはいる筈だが、王都で亀裂が発生したことは今まで一度も無いんだ」
王都の騎士団本部に着いた。中から濃密な魔物の気配がする。中は混乱を極めているようだ。
門兵が私たちを止めた。
「入れません!今魔物が出現しています!」
「西駐屯地の修復師のオスカー・ギーゼンだ。こっちも修復師のリリー。偶然居合わせた。修復の手伝いをするから通るぞ!」
返事も待たずに中に馬で駆けこんだ。
馬を降りる。
中から騎士が逃げ出してきた。
「お前たちが逃げてどうする!」
「ま、魔獣の数も強さも桁が違う!あんた達も逃げろ!あの中へ入るなど死にに行くようなもんだ!」
「お前達が逃げて、王都は誰が守るんだ!」
「み、見ればお前だって逃げたくなる!」
ちっとオスカーが舌打ちをする。
「剣を借りるぞ!逃げるなら要らんだろう!」
「あたしも貸して!」
もう一人逃げて来た騎士の剣をぶん捕った。
ああもう、ワンピースなんて着てくるんじゃなかった。
建物の中に入る。
亀裂の気配が建物の中にあるのだ。
中は阿鼻叫喚だった。
魔物と騎士があちこちで戦っている。
逃げ出す者もいるし、向かっていく者もいる。
オスカーが叫んだ。
「みんな伏せろ!」
そして刀身に白い光を纏わせて、一気に横に払う。
前方の魔物たちが一斉に上下真っ二つに割れた。魔素が薄いこちらの世界だが、オスカーは空間切りをずっと磨いて、刀身を伸ばすことに成功していた。
騎士たちは伏せながらこちらを振り返る。何が起こったのか今一つ理解が追い付かないようだった。
「リリー、亀裂はどっちだ」
「まだまっすぐ向こう!」
左手から壁が割れる凄まじい音と共に巨大な竜がのそりとこちらに入って来た。
「うわああぁあぁっ」
左手にいた騎士が一人その竜に咥えられる。
ほぼ同時に私はその竜の首を斬る。
騎士ごと竜の首がどさりと落ちた。騎士は竜の顎を両手で広げてなんとか這い出してきた。
竜の体液が残った体から噴き出して、私のワンピースが黒く濡れるが、構っていられない。オスカーに続いて奥の部屋へと急ぐ。
扉を抜けるとそこは大きなホールだった。周りに結界らしきものの残骸が見える。その奥に亀裂はあった。
大きなバッテン形をした亀裂。
そこから湧き出す魔物。
ホールには大勢の呻き声と魔獣の雄叫び、床や壁が破壊される音で満ちていた。天井に大きな穴が一つ。先ほど空にいた魔物が穿ったものに違いない。
ホールの中には戦えそうな騎士が残っていない。殆どが瀕死か、既にこと切れているようだった。
「オスカー、どうする?」
「魔物を結界布で全部一度に押さえられるか?」
先日のゴロツキをとらえた時のように布に粘着性を持たせて、床と接着できるかと言う意味だろう。
「大きさは大丈夫。床下へ抜けられると困るけど」
「時間は稼げるだろう。頼む」
私は巨大な術布を魔物たちの上に展開する。それを上から床に一瞬で留めた。
「よし」
二人で術布の上を駆ける。奥の亀裂から新たな魔物が出て来ようとしていた。
オスカーが亀裂に突っ込んでいった。
上から剣を滑らせる。
亀裂から出て来ようとしていた魔物の手と首がころんと落ちた。そのままオスカーの剣は亀裂をなぞり、煌めいて亀裂は消え失せた。
「す、すごい」
入り口で見ていた騎士達が口々に言う。
私は振り返った。
「まだこの下に魔物がいるから離れて!」
ズズン、と部屋が揺れた。
「下から抜けたか」
「そうみたい」
魔物の気配が床下を伝っていく。
「そっちから出てくる!気を付けて!」
ホールの扉を出たところの床が盛り上がった。
私は空間切りの力を刀に乗せる。
「みんな退いてえええぇっ!」
そして、縦に刀を振り下ろした。
床がざっくり切れた。
その下の魔獣も切れた。
「リリー!術布のこっち側だけ開けろ!」
「了解!」
私はオスカー側の術布を床から剥がすよう念じた。
オスカーがそこを捲り上げて、逃げ出てくる魔獣を片っ端から切り捨てていく。
私は魔獣の気配を探る。
かなり減ったがまだいる。
「術布解除していい!この中は空にした!」
「了解!」
オスカーが駆け戻って来る。
「あとは……この建物内に二匹いるな」
「オスカーも分かるようになった?」
「あっちに落ちてからコツを掴んだようだ。まだ使えるという事は、魔素量には関係ないみたいだな」
「空を飛んだ奴が気になるんだけど」
「まず建物内を片付けよう」
数名の騎士が私たちに付いて来た。逃げ出さず、魔物に立ち向かっていた騎士達だ。
「凄い修復術です。これほどのは初めて見ました」
「西駐屯地のオスカー・ギーゼンだ」
「同じく、リリーです」
「ああ、あなた方が、あの……」
魔物の気配へ向かって走りながら言葉を交わす。
「そもそもどうして亀裂がこんな所に?」
「あの亀裂、ベニグノの亀裂とそっくりなんだけど」
騎士が首を振った。
「分かりません。魔術師団の研究者が中に居た筈なのですが」
魔物の気配が近くなった。
「オスカー、前の部屋の中!扉裏にいる!」
「扉ごと行くぞ」
「分かった!」
オスカーが扉をさっくりと切る。扉が壊れて外れた。だが、魔物は驚いて飛び退った為か、傷は付いていない。魔物は私たちをギロリと見ると、形勢不利と見たか逃げようと踵を返した。
私は布を細く長く出して一気に巻く。マルクのリボンの見よう見まねだが、上手く魔物に巻き付いた。魔物はこちらを再びギロリと睨むと今度は一気に距離を詰めて来た。
オスカーの剣が一閃して、魔物が二つに裂けた。
魔物に襲われそうになっていた事務官らしき人が部屋の隅で腰を抜かしていた。
「オスカー!もう一匹上の階にいるみたい!」
「すまん、あの人の手当を頼む!」
騎士に事務官を任せ、私たちは上の階へ急ぐ。
部屋に飛び込むと、魔物が窓を割って外へ出ようとしていた。
私はさっきの要領で布を細く長く出して魔物の足に絡みつけた。オスカーがその布を強く引いて魔物を引き寄せるとその胴に剣を一閃させる。
魔物は真っ二つに分かれた。
事務官を助けた騎士が上がって来たが、入れ違いに私たちは階段を駆け下りる。
「魔物はどうなったんですか?」
騎士が慌てて振り向いて叫ぶ。
「ここは終わった!事後処理頼む!俺たちは外へ出た一匹を追う!」
「終わったって……もう?」
騎士は唖然として私たちを見送った。
私たちは魔物の気配を追って街に飛び出した。
「どこだ?」
「あっち……嘘、お城の方?」
「まずいな」
火を吐くタイプの飛竜種らしい。そこここで火災が起こっている。
王城の城門で門兵に止められる。
「許可の無いものを入れられない!帯刀など以ての外だ!」
「そんな事言ってる場合か!飛竜種が入り込んだぞ!」
「そんな通達は来ていない」
「馬鹿!あの火事が見えないの!」
「動乱の最中に王城に忍び込む輩か!排除!」
私は切れた。
術布を広く展開して門兵を魔物のように一網打尽にしてしまった。
「後でいくらでも説明するから!」
ついでにあの術布で包んでおけば、魔物の攻撃にも耐えられるから良しとしよう。
「やっぱりその布は便利だな」
「剣だとこうはいかないもんね」
走りながら魔物の気配を探す。
奥の方でガラスが割れる音、人々の叫び声が聞こえて来た。
「急ごう」




