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妙な亀裂


 その亀裂はキスケ村と言う寂れた集落のはずれに現れた。

 普通の亀裂と違い、魔物が出てくるわけではない。

 樽が出てくるのである。


「樽?亀裂から?」

「はい、三班が修復した後も、また亀裂が復活して、樽が出てくるらしいのです」

「出てきた樽はどこにある?」

「現地で保管しています。不用意に開けられないので、専門家に見てもらいたいとの事です」


 修復師達の班長会議で議題に上がり、我々一班と王都から来た魔術師団の研究者チームで現地調査に向かう事になった。研究者たちは「研究二組」と名乗った。


「班長、樽って、誰かが作ったんですよね。私、向こう側の世界にいるのって魔獣だけかと思ってました」

 私が質問するとフェリクスが答える。

「人間かもしれないし、魔族とか、鬼とか、伝承で伝わる知性のある魔物かもしれないねぇ」

「いずれにせよ、あちら側には意図的に亀裂を作れる奴がいるという事だろう」

 オスカーの声は明らかに怒っている。

「ええぇ、それでボク達の仕事が増えてるのか……面倒くさい」

 この人だけは何が起こっても変わらないなぁ……と私はマルクにある意味感心してしまう。

「少なくとも、樽に入っている物は、ロクなものじゃない事だけは確かだな」

 

 キスケ村に到着すると、住人に案内された。


 そこには私では抱えられない位の大きさの樽が十個以上並べられていた。


「何か、いやな気配がするねぇ」フェリクスが樽をそっとつつく。

 王都の研究二組の魔術師たちが色々な術具を出し始め、樽を一つだけ運ぶ。その一つをまず調べるらしい。


 オスカーが振り向いた。

「リリー、術布を残りの樽を全部覆う形で出せるか?」

「うん。出すよ」

 今、術布に求められているのは結界の役割である。

 シーツ何枚分もの大きさに広げた術布を出すと、オスカーが向こう側を持つ。樽にふわりと覆いかぶせ、四方をオスカーが白い光を纏わせた剣で地面に縫い留めていく。

 これくらいの大きさなら眠る迄は維持できる。しかし、どう使うと効果的か、などは専らオスカー任せである。

 

 魔術師三人が樽を囲んで議論をしている。どうやら開けてみることになったようだ。

「樽を開けるの?ちょっと待ってくれないかなぁ」

 班長が慌てて魔術師に声を掛ける。

「何が出て来るか分からないものをここで不用意に開けるのはどうかと思うが」

 オスカーが魔術師に言う。だが、魔術師達は頭を振った。

「王都へ持って帰る途中に樽が壊れても困る」

 この村に被害が出たらどうするのよ。この村は小さいから良いってか?

 私はムッとした。

「中を調べるには樽を開けないとどうしようもないだろう」

 この男はソワソワしていて、中を知りたくて仕方がない様な顔をしている。

「これだから亀裂の修復しか能の無い奴らは困る」

 最後の男は私たちを見下したように話した。


 はあぁ?

 何言ってくれてるのよ、こいつら。


「開けるにしても、少し待ってもらえないかなぁ」


 班長は何とか魔術師たちを説得した。そして、騎士と打ち合わせを行い、村人を避難させ馬も遠ざけさせた。私たちも下がる。


「早くしてくれ」

 魔術師がイライラしている。

「平民どもの都合など後回しで良いではないか」


 ようやく避難が終わったとの連絡を受け、さっそく魔術師の一人が樽の蓋にキリで小さな穴を穿つ。


 プシューーーーーッ


 その瞬間、そこから黒い煙のようなものが勢いよく噴出した。


「まずい!瘴気だ!リリー、布たのむ!」

 オスカーが叫んだ。

「言わんこっちゃない!」

 私は咄嗟に大きな布を出した。オスカーが端を持って樽の向こうに回りこむ。フェリクス班長が魔術師を二人の襟首をひっつかんで布の下から引っ張り出す。マルクのリボンが最後の魔術師の足にくるくると絡みつき、同様に引きずり出した。

 オスカーが布を樽に被せきり、端から白い炎を纏わせた剣で地面に留めていく。こちら側もフェリクスがコテで縫い留めていく。

 だが、その間も黒い瘴気が布と地面の隙間から吹き出していく。

 作業が全部終わり、何とか瘴気の吹き出しは止まった。


 だが、皆瘴気をたっぷり浴びてしまった。周りの草木も茶色に変色してしまっている。


 全員が咳き込み、魔術師たちは草むらに這いつくばって、呻き声を上げている。

 私も息がつらい。咳き込みながらその場にへたり込んだ。目の前が暗くなりかける。でも意識を失う訳にはいかない。術布を維持しなければいけないのだ。

 

 退避していた騎士達が駆け寄って来た。中に治癒師ロフスが見えた。

 ロフスは白目を剥いてぐったりしている魔術師から治癒を始めた。


「げほ、ごほ、……えらい目に会ったねぇ」

 フェリクス班長が皆を確認している。

 オスカーが咳き込みながら近づいてきた。

「リリー、大丈夫か?」

「余り大丈夫じゃない……オスカーは?」

「かなりキツイな。くそ、あいつら……」

 オスカーは魔術師達を一瞥した後、班長に向き直った。

「ゴホ、班長、この樽、埋めるしかないと思います」

「だよねぇ。リリーちゃんの術布も、ゴホ、こんな体調じゃいつ消えてもおかしく無いしねぇ、ゲホゲホ」

 やって来た騎士に班長が指示を出し、騎士達は走って戻っていった。


「リリー、あっちの布は取り敢えず消していい」

「うん、わかった」

 瘴気を出していない残りの樽の布を消して、意識を目の前の樽の術布に集中させた。目の前が時々ぼやける。その度に頭を振って、集中を切らさないようにする。


 オスカーは治癒師ロフスのもとに行くと、何かをロフスの耳元で言っている。するとロフスは魔術師を置いて私のところにやって来た。魔術師が咽ながら何か喚いているのがちらと聞こえた。何か、平民がどうのと言ってるみたいに聞こえる。


 確かに、症状はあちらの方が重篤なのだ。

「……私は直撃を食らってないから後回しで大丈夫です」

「や、現状の瘴気の噴出を止めてるリリーさんを優先するっす」

 そう言ってロフスは私に治癒の光を注いでくれた。

 苦しさが減ってくると、自分がかなり無理をしていたことに今更気付いた。


 ……オスカーの方が私より私の事良く分かってるみたいだ


 農作業具を持った騎士やキスケ村の人たちが大挙してやって来た。皆口を布で覆って後ろで縛っている。そして一か所で土を掘り始め、私の術布の上から厚くその土を掛けていく。すっぽりと分厚く私の術布が土で覆われた時点で、術布を消し、さらに土を足す。こんもりと盛り上がった土の山が出来た。風で土が吹き飛ばされないように、上から天幕を被せ、周囲を固定した。

 その土を掘り出した穴に他の樽を埋めていく。全ての樽を埋め終わった頃には日はとっぷりと暮れていた。


「リリー、どうだ?大丈夫か?」

 私は念の為にまだ草地で体を休めていた。緑の健康な草地である。オスカーがやって来て、気遣ってくれた。

「うん、ロフスさん、腕確かだから。オスカーこそ、もろに瘴気を浴びてたけど」

「基礎体力の差だな。息を止めていられる時間がリリーより長い」

 うん、少し腹が立つ。次は肺活量を鍛えよう。

「班長も大丈夫かな」

 後ろに班長がいた。

「僕は大丈夫じゃないなぁ、ゴホ」

「お年ですからね」

「オスカー君、相変わらず刺さる言葉を選ぶねぇ」

 私は笑いながら、ちらと向こうの天幕を見る。その中に魔術師三人が寝かされている筈だった。

「あっちは大丈夫なのかな?」

「魔術師どもへの回復は手を抜くように言っておいた」

 うそー。

 オスカーがマジ切れしている。

 オスカーたちは既にロフスに回復してもらったようだった。マルクはほんの少ししか瘴気を吸わなかったらしい。自分の口に咄嗟にリボンを巻いたとか。あの一瞬に良くやる。


 私たちと騎士団はその集落に天幕を張って、一週間留まっていた。様子を見ていたが、樽の崩壊などは今のところ起こっていないようだ。その間に全員の体調は回復した。魔術師たちも何とか回復したようだ。


「結局、樽には瘴気、あるいは瘴気を出す元が詰まっていたわけだ」

「何の意図だろうねぇ」

「毒をこちらに送って寄越す意図など、侵略に決まっている」オスカーの怒りは収まらない。

「その割には一週間、向こうから何の音沙汰ないよね」と私は返す。

 マルクがふわぁと欠伸をした。

「ゴミ捨てじゃないの?」


「「「ゴミ?」」」

 私たちはマルクの意見に目を丸くした。


「向こうでも処理に困ったんじゃないのかなぁ……ボクなら穴を開けてポイする気持ちは良く分かる……」


 オスカーが歯噛みをしている。

「亀裂を人為的に作れるなら、そういう考えになるのか?」

「なるかもねぇ。良い着眼点だと思うよ、マルク君」

 私は嫌なことを思いついてしまった。

「ねえ、亀裂を人為的に作れるなら、あっちで魔物が溢れそうになったら、そこに大きな亀裂を作れば」

 オスカーが瞠目した。そして、苦々しげに顔をゆがめた。

「こっちでスタンピードって訳か。この間のはそれが原因か?馬鹿にしてくれる」


 先日のスタンピードを思い出す。変な形の亀裂じゃなかったっけ?

「この間の亀裂の形、人為的だとすると、有り得るんじゃない?」

 大きくバッテンに開いた亀裂から、大量の魔物が亀裂を押し広げて出てきた例の件である。騎士団、魔術師団にも一般人にもかなりの犠牲者が出た事件となった。巾着袋で魔力を使い果たして、オスカーに融通してもらう羽目になった。おかげで、未だにオスカーと私はお互いの場所が筒抜け状態である。


「空間を切っている現場を押さえられれば、切っている術具を奪い取るなり、術者を引きずり出すなり出来るんじゃないか?」

 オスカーの言葉にみんな考え込む。

「空間が裂けるときの感覚が一番鋭敏なのはリリーちゃんだよね」フェリクスが言った。

「そうですか?」

 オスカーも否定しない。

「俺もそう思う。それに、方向が分かるのは国でもリリーだけじゃないか?」

「嘘?他にもいるでしょ?」

「聞いたことは無いねぇ」班長も頷く。

「そうなの?」

 マルクがひとつ欠伸をした。

「……樽がこのあたりに固まって出てくるって言う事は、この辺りのあちら側に瘴気の発生源を樽に詰める場所があるってことかなぁ。ボクなら危ないものを遠くまで運んだりしないし……」

「マルク、お前今日は冴えてるじゃないか。毎日瘴気吸った方がいいんじゃないか?」

「ずっと寝てていいんなら吸う……」

 マルクの頭に拳骨を落としながら、オスカーがこちらを向いた。

「樽の現れた間隔から言うと次は一ヵ月は後だろうとキスケ村の人が言ってたな。あと三週間ある。一旦引き上げて作戦を考えよう」

「えええ、また来るのに……面倒くさい……」

「オスカー君、やっぱり班長君に譲るよ」

 ニコニコしながら班長がオスカーに言った。オスカーが目を剥く。

「断固、きっぱり、これ以上なく、お断りします!」



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