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オスカーの事情

「オスカー、お前も二十二歳だ。もういい加減騎士団を辞めて、領主の仕事を覚えてくれ」

「父上、何度も申し上げましたが、私は領主を継ぐつもりはありません。アガーテに継がせてください。彼女は私より領主の仕事を勉強しています」

 オスカーは父を見据えた。

 一般的には息子が家を継ぐのだろうが、自分には修復師という仕事がある。領主の仕事は妹が出来る。その為に勉強もしている。

 そしてアガーテは非常に優秀だと聞いている。

 だが、父親の頭は石のように固い。女に領主が務まるものかと言うのが彼の持論なのだ。

「お前は領主の仕事より平民でもできる修復師を一生の仕事とするというのか?」

「修復師は貴族でも才能が無ければ務めることはできません。何度申し上げてもお忘れになるようですが、私は国王陛下に認められて修復師になっています。領主にはなりません」


 オスカーは父が修復師を軽く見ているのが腹に据えかねていた。修復師を魔術師や騎士より下に見ている。ただの技術職だと思っているのだ。冗談ではない。修復師は王国で五十名にも満たない。そのうち巨大な亀裂を修復できるのはたったの十名弱。オスカーもそこに入る。東駐屯地のメーア、レギオン、カスパル、王都中央のエーリヒ師。西駐屯地の中では二班のヤーコブ、そして一班のマルクとリリー。

 特にリリーはここ数年で非常に伸びた。伸び方が半端ではない。まだやっと十七歳だ。まだまだ伸びる。中央のエーリヒ師がかなりの高齢になっていることを思うと、今後の修復師のトップに立つのはリリーでほぼ間違いが無い。


 そう言えば、この休暇中にリリーは十七になるんだったな、とオスカーは思い出した。家族で過ごせる誕生日か。喜ぶだろう様が目に見えるようだ。


「シュタート伯爵令嬢カサンドラ嬢はどうなのだ」

 オスカーは眉を顰めた。

「またその話ですか」

「小さな頃は一緒に仲良く遊んでいたではないか」

「何年前の話をされるのです」

「美しい令嬢だ。シュタート伯爵は中央にも顔が広い。うちと縁続きになるのはギーゼン領としても利点が大きい。領主の妻としての教養も教育も十分に受けている。何よりお前を一途に慕ってくれているではないか」

 オスカーは眉間に皺を寄せた。

「何度言われてもお断りします。アガーテは私の代わりに領主になるべく、勉強しているのですよ?」

「うちの領はお前が継ぐのだ」

 オスカーは父と睨み合う。

「では、廃嫡にしてください」

「オスカー!」

「騎士爵はありますし、俸禄も十分頂いています。これ以上私に介入する気なら国王陛下に願い出て独立します。お話がこれならもう失礼します」

 踵を返すと部屋を退出しようとした。

「待て!貴族の結婚は家が決めるものだ!家督相続も義務だ!」

 オスカーは振り返ると父を一瞥した。

「私は私の誇りに懸けて修復師で在り続けます」

 父が呟いた。

「女でもいるのか」

「馬鹿馬鹿しい」


 オスカーは部屋を足早に後にした。


「オスカー様、いつもとご様子が違いますが?」

 自室で鞄の中身を詰めていると執事が慌ててやって来た。休暇を切り上げるのは毎度の事だが、違うものを感じ取ったらしい。

「父と決裂した。悪いがもう帰って来ない」

 オスカーはぐるりと自室を見回す。持って出たいものが余りに無い。生活拠点が騎士団だと改めて実感した。あの一班の自室は狭いが自分の全てが詰まっていた。

「長い間世話になったな。体に気を付けて、達者でな」

「オスカー様、お考え直しを。それに奥様に何と言われるのです?」

 オスカーは少し眉を顰めたが、それだけだった。

「母には手紙でも書く」

「オスカー様を慕う者は大勢おります」

「こんなに滅多に帰ってこない人間を?」

「皆、オスカー様を誇りに思っているのです」

「気持ちだけ貰っておく」


「お兄さま」

 扉を見ると妹のアガーテがこちらを見つめていた。

「アガーテ」

「お兄さま。わたくしの事を気遣って下さるのならば、それは不要ですわ。領主に戻りたいのなら私に構わずお戻りください」

 オスカーは少し笑んだ。

「アガーテ、俺は修復師だ。領主には戻らない。アガーテがいてくれて、本当に助かっている」 

 アガーテは肩をすくめた。

「わたくしにお父様と戦えと仰るのね」

「すまん」

「気を変えたりなさらない?後からやっぱり領主を継ぐとか仰るとわたくしが困ります」

「心配するな」

「それって同僚の方に関係あるのかしら?」

 オスカーは眉を顰めた。言外にリリーの事を言っているのは間違いが無い。

「考えすぎだ。ただの同僚だ」

「そう?ならいいのですけど」

「何故だ?」

「お父様たちはそう思ってらっしゃるみたいだから。まさか強硬手段には出ないと思うけど、気を付けて」

 オスカーは瞠目した。

「……情報感謝する。あの人に伝えておいてくれ。彼女を害することは一級修復師を害することとなる。国家転覆並みの犯罪行為と捉えられるとね」

「伝えます。修復師がどれだけ大切かは王都の学園では常識なのだけど、お父様は今一つ分かっていらっしゃらないみたい。出来るだけわたくしも手は打つわ」

「出来た妹で助かるよ」

「わたくし自身の為ですからね」

 アガーテは笑んだ。


 オスカーは屋敷を出て馬を走らせながら苦笑いしていた。


 俺が領主にならないのはあの人にはリリーのせいに見えるのか。

 違うと主張できないところが悔しいな……


***


 オスカーは伯爵家の長男として生まれた。四歳の時妹アガーテが生まれるが、その頃はずっと跡取り息子だと言われて育っていた。

 オスカーの父の治める伯爵領は裕福だったが、八歳の時、次元の大きな亀裂が領内に出来て、魔物に蹂躙された。オスカーの乳兄弟で兄のように慕っていたダミアンがオスカーを庇って亡くなった。

 オスカーはその光景を未だに忘れることができない。

 時々夜中に飛び起きる事がある。


 オスカーは次元の裂け目が出来た瞬間に自室で嫌な肌が粟立つような感覚を感じたのだが、当時はそれが何か分からなかった。裂け目が修復された頃に消え失せたので、その感覚が裂け目に反応している事を悟った。それを両親に告げたが、取り合ってはもらえなかった。

 あの時、自分がそれを知っていたらダミアンが死ぬことは無かったと、今でも後悔している。


 そして十二歳の時、再び肌が粟立つ感覚に見舞われた。

 ……前と同じ感覚。近くに次元の裂け目が出来たに違いない。


 今度こそオスカーは伯爵にその話をして、渋る伯爵を説得し、領軍を動員してもらい、裂け目は大きく拡がりきる前に発見された。一匹ずつ出てくる魔物を領軍が総がかりで倒して時間を稼いでいるうちに、王都から修復師が派遣されて来て、ただちに裂け目は修復された。

 その時に城に労いに招かれた筆頭修復師のエーリヒ師と話す機会があり、亀裂を感じ取ったオスカーには修復師としての才能があることを見いだされる。

 修復師になりたいかと問われて、なりたいと即答した。

 二度とダミアンの時のような後悔をしたくない、とオスカーは強く思った。


「ギーゼン伯爵、御子息には類稀な修復師の才能がおありです」

「エーリヒ卿、息子は領主になるのです」

「修復師になりたい者を何人も妨げてはならない、これが王命です」

「それは平民の話でしょう?」

「いえ、例え王子殿下であろうと同じなのです」

「有り得ませんな!」

 言い放つ伯爵にエーリヒ師は根気強く言葉を重ねる。

「それほど稀有な才能なのです。私はこの事を国王陛下に報告する義務があります。オスカー殿、あなたは優れた修復師になれます。あなたは大勢の人々を救う事が出来るのです」


 オスカーは前回の亀裂が出来た時にダミアンの他にもどれだけの領民が犠牲になり、農地を荒らされ、建物を破壊され、領地全体がガタガタになったのかを思い出し歯噛みした。領民が何人も涙しているのを見た。どれほど後悔に苛まれたか。

「修復師になります。もう二度と後悔したくありません」

「オスカー!」

 ギーゼン伯爵は激昂したが、オスカーの決心は揺るがなかった。

 誰にでも出来る仕事ではないのだ。才能があるならその仕事につかないのは卑怯者に思えた。

「許さん!」

 伯爵にとって、妹がいるとは言え、長男がいるのに領主を継がないなど、己の常識には有り得ない事であった。

 

 だが、王宮に呼ばれ、国王陛下から直接、オスカーを修復師として召し上げると命ぜられると、ギーゼン伯爵は黙るしかなかった。才能がそれほど無ければ領地に返される事もあるし、修復師として一人息子を差し出した領地としてギーゼン領の地位を侯爵領と同じに格上げし、中央からの歳費を増額すると宰相に言われ、渋々領地に戻ったのである。


 オスカーはすぐに見習い期間を終えると、精鋭と言われる一班に抜擢された。一班のひとりが魔獣にやられて、引退したらしいのだ。

 入ってみると、三十二歳のフェリクス班長、二十五歳のヤーコブ、そしてオスカーの三人だった。そのうちにヤーコブが二班の班長に異動になり、十歳のマルクが二班から異動で入って来た。オスカーはその時十四歳だった。


 マルクはとにかく怠け者だった。なのに、どう考えても天才だった。マルクは術具を自分で出せる。オスカーは悔しくて、自分でもやってみようと思ったが、どうしても出来ない。

 マルクは努力が嫌いな天才。

 マルクを見る度にオスカーは自分が否定されているような気がした。


 オスカーが十五歳の時に今度はリリーが入って来た。

 班長から指導を押し付けられる。

 これがまた、マルク以上と思われる天才だった。大体術具を無から展開できるなんて、国の修復師の中でも片手で数えるほどしかいないのにとオスカーは少し苦い思いをする。

 だが、マルクとリリーは決定的に違った。リリーは努力する。

 実にひたむきに努力する。


 班長がリリーを可愛がるので、自分まで可愛がるとリリーと言う人間を駄目にしそうで、オスカーは敢えてきつく当たるようにした。


 修復師になった経緯を聞いた時にはオスカーは絶句した。

 家族の為に自分が稼がなければならないという責任感。

 オスカーはなんだか、自分の甘えを突き付けられたように感じた。


 オスカーはリリーを何年も同じ班で見ていたが、やはりずっと努力を怠らない。

 初め苦手だった体術系も随分上達した。

 馬を丁寧に世話するから、馬も存分に走り、よく言う事を聞く。

 勉強も進み、国中の地理や、外国の言語、歴史などもよく理解している。


 天才が努力を怠らないとここまで成長するのか、と目を瞠るくらいだった。

 本人は意識していないだろうが、どう考えても国一番の修復師に育っているとオスカーは思う。

 何といっても素直で可愛い。リリーに比べると、貴族の令嬢はどれもこれもオスカーには霞んで見えた。


 いつの間に惹かれていたのだろう。


 自分で自覚する前に班長に気付かれていたのがオスカーには腹立たしかった。

「色々頑張れ」と励まされたのか呆れられたのか分からないが、禁止はされなかった。

 自覚すると、彼女がいつも近くにいるのが嬉しいような、苦しいような気分になる。

 オスカーはこの気持ちをいっそ告げてしまいたいという誘惑にかられることがあった。


 だが、オスカーは自分に問いかける。

 ……告げてどうする。拒否されたら同じ班で気まずい思いを抱える事になるが、まあそれは耐えられるだろう。だが反対に、もし受け入れて貰えたとしても、それからどうするというのか。父の理解はまず得られない。自分が貴族なのが腹立たしい。貴族の結婚に親の承諾は必須なのだ。廃嫡も親の一方的権限だ。独立を王家に願い出ているが、道のりは遠い。そうして、結婚も出来ないただの恋人の立場にリリーを繋ぎとめるのか?それが彼女の幸せか?

 彼女は修復師が天職だ。本人もそう考えているし、周りも認めている。


 いつもオスカーの考えはここで止まる。それにもう一つオスカーの心に刺さる棘がある。

 

 ……果たして、修復師として俺は彼女に釣り合うのだろうか?


 オスカーは頭を振ると、堂々巡りの考えから抜け出した。


 ……今は、出来ることを誠実にするだけだ。自分を高める。そして同じ一班で一番近くからリリーを守る。


 オスカーにとって、今はそれしか考えられなかった。




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