暴漢
修復師一行がバルツァー城を後にして、しばらくたった頃だった。
「またオスカー・ギーゼン様を思い出しているの?」
バルツァーの城で伯爵夫人がフロレンティーナに声を掛けた。
「素敵な方だったわね」と伯爵夫人が微笑む。
「ええ。本当に」
フロレンティーナの頬が少し赤らむ。
伯爵夫人はフロレンティーナに一通の封筒を差し出した。
それは差し出し主にバルタザール・ギーゼン伯爵とあった。
次のオスカーの休暇に合わせてのギーゼン城への招待状である。
「これは、お見合いパーティね」
伯爵夫人が微笑む。
「お仕事でこちらにいらした事をギーゼン伯爵はご存じなのでしょうか」
夫人は手紙をフロレンティーナから受け取ると中を再度改める。
「恐らくご存じなのでしょうね」
「わたくし、オスカー様の妹であるアガーテ様をよく存じ上げています。王都の学園で、同じ領地経営のコースを取っておりますから」
フロレンティーナは才気活発なアガーテを思い出していた。領主に嫁ぐために補佐としての知識を得ようと領地経営コースを取っているフロレンティーナとは違って、彼女は自分が領地を経営するつもりで頑張っていたのを思い出す。
「妹のアガーテ様は、オスカー様は修復師を続ける為、自分が領地を継ぐのだと仰っておられたのですが」
「そうね。社交界でもそのように聞いています。ですが、ギーゼン伯爵はオスカー様に継いでもらいたいと思われているようね。あなたは家格も合うし、年の頃も丁度良い。何より領主の娘で領地経営を勉強している」
「わたくしがご招待をお受けすると、お勉強を頑張っておられるアガーテ様に申し訳なく思うのです」
だが、夫人は紅茶を一口飲んでフロレンティーナに諭した。
「あなたは領主夫人になろうとお勉強を頑張っているわね」
フロレンティーナは頷いた。
「ええ、お母様」
「修復師に嫁ぐと、全く違った世界に身を置く事となります。その覚悟があるのなら、アガーテ様にそのようにお伝えすれば良いのではないかしら」
「騎士や修復師の方の妻はわたくしには務まらないと思っておりました。今までは……」
「……今は?」
「……オスカー様であれば、領主でも、修復師でも、お支えしたいと思います」
夫人は再び微笑んだ。
「ギーゼン城のご招待をお受けしましょう」
***
ギーゼン城には何人かの娘たちが招かれていた。フロレンティーナも侍女を一人伴ってギーゼン城に到着する。アガーテが出迎えてくれた。
オスカーの到着は翌日との事であった。フロレンティーナは夜にゆっくりアガーテと久しぶりのお喋りを楽しんだ。アガーテはフロレンティーナを歓迎してくれた。
「兄が領地を継ぐにせよ、修復師を続けるにせよ、義姉がフロレンティーナ様なのはとても嬉しいですわ」
「ギーゼン伯爵さまには申し訳ありませんが、わたくしはオスカー様がお好きな道を進まれるのが良いと思います。ただ、修復師はとても危険を伴うお仕事ですから、それだけは心配ですが」
アガーテは瞠目した。
「今からそれほど兄を思っていてくださるなんて、妹としては是非あなたに義姉になっていただきたいわ」
フロレンティーナは少し赤くなって俯いた。
翌日、オスカーが城に到着する。
フロレンティーナ達は城の大広間にそれぞれの侍女を伴ってオスカーを待っていた。
オスカーが伯爵と共に大広間に現れたが、フロレンティーナ達を見ると少し眉を顰めたように見えた。
「父上、またですか」
「お客人に失礼は許さぬ」
フロレンティーナの隣にいた娘が、呼ばれてもいないのに前に進み出た。
「オスカー様、ご無沙汰しております。またお会いできて嬉しゅうございますわ」
金髪の豪奢な巻き毛が揺れる派手な美しい娘だった。確かカサンドラ・シュタートと名乗っていたとフロレンティーナは思い出す。シュタート家はギーゼン領の南隣の領地だったと思う。所謂、幼馴染なのだろう。
「お仕事ご活躍の旨、社交界でも話題になっておりましてよ。先だってはバルツァー領まで吹雪の中お出ましになられたとか」
フロレンティーナは話を振られてしまったので、仕方なく一歩進み出ると、美しく挨拶をした。
「フロレンティーナ・バルツァーでございます。先日は我が領地をお救い下さいまして心より感謝申し上げます」
オスカーはフロレンティーナがそこに居る事に気付いたようだった。難しい顔だったのが少し緩む。
「バルツァー伯爵令嬢、その節は大変お世話になりました」
「とんでもございません。本当にささやかなお礼しかできず、まだ心苦しく思っております」
「色々、修復師の仲間が失礼をいたしました」
フロレンティーナは修復師の一人に侍女が困り果てていたことを思い出した。若い少年の修復師が何をしても起きてこなかったのだ。
「お仲間の方はお疲れだったのでしょう。お疲れを取る方が勿論大事でございますから、お気になさる必要はございませんわ」
「オスカー様、雪の中は大変だったのではございませんか?北の辺境の地は遠くて、凍える土地と伺っておりますわ」
話に割り込んできた隣のカサンドラ嬢がきつい目線をフロレンティーナに寄越した。北の辺境と言われてもその通りなのでフロレンティーナは反論の余地が無い。
すると、オスカーが助け舟を出した。
「北ではありますが、バルツァー城では実に快適に過ごさせていただきました。寒さが部屋に入らないあの数々の工夫は素晴らしいものでしたよ」
カサンドラの目が釣り上がるのをフロレンティーナは感じ取る。
オスカーはそれぞれの令嬢たちに一通り挨拶をすると、伯爵が留めるのも聞かずに部屋へ帰ってしまった。その日の晩餐でもオスカーは聞かれた事にしか答えない。三日ほど経つと、フロレンティーナは初めにオスカーが自分と会話した事が実に稀有な現象だったのだという事に気付いた。
カサンドラ以外の令嬢たちと話すうちにそう言ったことが分かって来たのである。令嬢達は毎回集められるものの親に言われてやって来るが、何の期待もしていないらしい事が分かって来た。
カサンドラはフロレンティーナに対しては無言を貫いていた。
フロレンティーナは時々背筋が寒くなる。余りにその視線が冷たく、恐ろしいのである。
オスカーが休暇を切り上げ、帰ったと侍女から聞いた。令嬢達から聞いていた通りである。その途端にカサンドラも予定を早めて帰った。実にあからさまである。
フロレンティーナは当初の予定通り城に滞在し、アガーテと存分に語り合った。学期が始まったら再開しようと言い合ってから、城を後にした。
***
「お嬢様、馬車の様子が変ですわ」
ギーゼン領を出てしばらく走った辺りだった。侍女のヘラが馬車の窓から外を伺う。
「どうしたの?」
「こんな所で速度を上げるなんて」
確かに窓の外は峠近くで道幅も狭いように見えた。馬車が跳ねる。御者の叫び声が聞こえて来た。
「お嬢様、後ろから変な馬車に付けられていますんで、振り切ります!護衛が何とか踏ん張ってくれているうちに逃げます!」
後ろの小窓からそっと覗くと、小さめの真っ黒に塗られた馬車が猛然と距離を詰めて来ていた。馬で道中をずっと護衛してくれていたバルツァー領軍の騎士二人が迎え撃っている。
「お嬢様、舌を噛まないように、ハンカチでも噛んでいてくださいませ」
ヘラに言われてハンカチを出す。フロレンティーナの心臓は早鐘を打ち出した。盗賊だろうか。この辺りは治安が良いと聞いているのに。
フロレンティーナの馬車の馬たちは寒さに強い種で、残念ながら足は決して速くない。怖々再び窓から後ろを除くと、護衛二人が落馬させられて切りつけられているのが見えてギョッとする。そして、後ろの黒毛の馬に引かれた馬車にあっという間に追いつかれてしまった。
馬車の鍵はしっかり掛けてあるが、前から御者の叫び声が聞こえて来た。ヘラと抱き合って震える。御者の声は断末魔の叫びの様で、馬車は停止した。そして扉を何かで叩かれる。窓が鋭い音を立てて割れた。
フロレンティーナになす術は何も無かったのである。
***
休暇明け、オスカーに届いた手紙に皆が言葉を失った。
バルツァー伯爵令嬢が暴漢に襲われ、亡くなったとの知らせだったのだ。
「信じられん……休暇中に会ったばかりだったのに」
「ギーゼン城に彼女いたの?」
班長の問いにオスカーが頷く。
「父が招待を出したようで、令嬢たちの中にいました……うちから帰る途中を襲われただと……」
「ギーゼンからバルツァーの辺りにそんなに治安が悪い場所あったっけねぇ」
「少なくとも俺が知る限りは有りません」
私はあの優しそうな微笑みの伯爵令嬢が既にいないという事を聞いた時に一瞬ホッとした感情が湧いたのに自分で気づいた。
パアン!
班長がこっちを向いた。私は両手で自分の頬を張ったのだ。
「何してるのリリーちゃん」
「訓練してきます!」
私は部屋を飛び出した。
何だ、これ。人の死にホッとする?あんなに優しいお嬢様が亡くなったのに?それも暴漢に襲われて。
私って最低!
余りの最低っぷりに涙が出て来た。
夕食も摂らずにずっと走り込んだ。班長が迎えに来てくれるまでずっと走っていた。
「リリーちゃん、そろそろ戻ろうか」
班長の優しい目を見ているとポロポロと泣けて来た。
「よしよし、本当に君は良い子だね」
「違います、こんな私、最低です」
班長は何も言わずに私の頭を撫でてくれた。
何日か経ったが、結局暴漢は捕らえられなかった。バルツァーの護衛も御者も侍女も亡くなったのである。付近の目撃証言もなく、魔術師団が出向いて過去見をしたが、何かそれにも対策が取られていたようで、何も見えなかったらしい。
オスカーは普段通りに戻った。とてもお似合いに見えたから、オスカーの方も伯爵令嬢を憎からず思っていると考えていたのだが、どうも違ったらしい。私の方がよっぽどダメージ喰らっていた。
「そんなに伯爵令嬢の事を気に入っていたのか?」
オスカーが不思議そうに尋ねて来る。
「単なる自己嫌悪」
オスカーには分からないだろうけど。
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