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バルツァー伯爵令嬢

 バルツァー城のふかふかのベッドで熟睡し、翌朝目覚めた時、外は暗かった。

 ぐっすり寝たのに、まだ暗い時間なのかな?とカーテンを捲ると、猛吹雪だった。窓は二重になっているらしく、外の音も寒さも中には届かないようだ。しかし、今日はヴェルゲへ帰る予定だったのだが。


 うわぁ、この中帰るんだろうか?

 死ぬんじゃない?

 いくらフリーダさんに温めて貰っても……


 私が起きた気配を察したのか、侍女が入室して来た。

「おはようございます。お着替えをお持ちしました」

 渡してもらった洗面具を隣のバスルームで使う。

 しかし、客室ごとのバスルーム、客室ごと担当の侍女。お貴族様のお城って、凄いとつくづく思う。

 着替えはまたもドレスだった。昨夜のものよりは若干装飾が控えめであるが、やはり可愛らしい。

「あの、私の騎士服は……」

「只今手入れをしております」

 魔物の返り血でドロドロだったもんね。とっても有難いけど、今日帰らなくていいんだろうか?

 正直、吹雪の中を帰りたくないから、嬉しいけど。


 朝食は昨夜とは違う大きな部屋に案内された。食卓は幾つも配置され、一つの卓に一人で、ゆったりと食事できるようになっていた。

 どうやら皆で一斉に食べる訳では無いらしく、席に着いたら給仕してもらえるらしい。私が入った時にはオスカーは既に殆ど食べ終えていたし、班長は暖かいスープを注いで貰っている。マルクは当然だが、いない。絶対まだ寝ている。皆、騎士服では無く、城で用意された服を着ているようだ。騎士服以外の姿をあまり目にしないので新鮮だったりする。

 オスカーの私服はもちろん知っているが、いつもは至ってシンプルな服で過ごしているので、こういういかにも貴族然とした服装のオスカーは今回初めて見た。

 昨夜も今朝も、その服装が自然に似合っている。

 やっぱり伯爵令息なのだ。

 ツキリと、胸が痛んだ。


 オスカーの近くに案内された。オスカーが食後の紅茶を飲みながら、私に尋ねてきた。

「眠れたか?」

「それはもう、ぐっすりと」

「順応力が高いな」

「鈍感でスミマセンね」

「素直に受け取れ」

 ニコリともしないで言われても、嫌味にしか聞こえません。

 私の後ろに特務隊のブルーノがやって来た。

「リリーさん、今日も可愛らしいですね」

「あ、ありがとうございます」

 ブルーノはオスカーとは対照的に実ににこやかである。

 絶対リップサービスだ。本気にするもんか。

 何故かオスカーがブルーノを睨んでいる気がする。気のせい?


「フェリクス班長、酷い天気ですね。どうされます?」

 ブルーノがフェリクスに尋ねた。

「そうだよねぇ。亀裂がある訳じゃなし、危ない橋を渡るのもねぇ。伯爵はいつまででも滞在して良いと仰っておられたし、今日はお言葉に甘えようか」


 昨夜の応接室は私たちが自由に使っていいとの事で、朝食が終わるとそこで皆寛ぐ事になった。

 マルクはまだ来ない。

 お城の人も困るだろうなぁと思う。きっとマルクが起きるのをずっと待っている人がいるに違いないのに。

 

 特務隊や魔術師達とじっくり話をする機会なんてめったに無いので、私はいつも疑問に思っていた事とか、魔術の基礎理論とかの話を聞いたりしていると、あっという間に時間が過ぎていく。

「リリーちゃんて、本当に勉強熱心ねぇ」

 フリーダが褒めてくれた。

 ブルーノからは修復の方法を尋ねられて、必死で説明するが、分かってもらえない。オスカーが口を挟む。

「リリーとマルクは感性で動くから、説明はハッキリ言って下手だな」

 私はムッとする。

「じゃ、オスカーは説明できるの?」

 オスカーは理論立ててブルーノにすらすら説明した。フリーダがうんうんと頷く。

 なんか、悔しい。


 昼食も頂いた。いつもの騎士団での生活は朝食と夕食の一日二食なので、食べ過ぎの気がする。貴族はこういう生活だそうな。

 食べ終えて、また応接室に戻ってくると、そこには伯爵と傍らに女性が二人立っていた。私たちが入ると、伯爵は二人を紹介してくれた。

「妻のヴィルヘルミーネと、娘のフロレンティーナだ」

 二人は美しい所作で挨拶をしてくれた。背筋を伸ばしたまま、スカートを軽く摘まんで、腰を落とし、軽く目を伏せる。

 班長が私たちを紹介してくれる。まず貴族のブルーノとランベルト、オスカーを紹介し、フリーダ、ロフスと続く。

 フリーダがドレスで美しく同じように挨拶をしたので私もあれをしないといけない。習ったよ。習ったけど。使うとは思わないじゃん。

 名を言われたのでフリーダに倣ってスカートを軽く摘まんで腰を落として挨拶する。

 あああ、緊張する。出来たと思うけど。

 班長が私ににっこり微笑んでくれたので、合格だったのだろうか。

 で、マルクはやはりいない。まだ寝てるんだろうか。

 改めていつもマルクを叩き起こせるオスカーの偉大さを認識する。


「この吹雪ではお慰めできるものも大してありませんのでな。妻と娘の音楽でも聴いていただければとおもいましてな」

 伯爵にいざなわれて、皆で応接室を後にする。そしてひとつ上の階の階段を上がったところにホールがあった。このホールも外の吹雪が嘘のように暖かい。天井があんなに高いのにどうやって暖かさを保っているのか不思議で仕方がない。何か魔術を使っているのだろう。

 私たちはホールにある肘掛け椅子を勧められたので皆腰掛けた。

 今朝がたはカバーのかかっていたチェンバロが開けられている。伯爵夫人がチェンバロの前に座り、その前にフロレンティーナが立った。

 伯爵夫人の指が転がるように動き出し、とても軽やかで美しい旋律が流れ始めた。そして令嬢がすう、と息を吸うと、とても響く、澄んだ歌声がホールの高い天井に響き渡った。

 私は音楽とは無縁だった。育った村にはいくつか音楽があったが、うちは貧乏だったので、祭りの時に聴くだけだった。騎士団に入ってからも、様々な勉強をさせて貰えたが、さすがに音楽の勉強は無かった。

 休養日に時々「教養だ」と言って、オスカーが劇場とか音楽堂とかに連れて行ってくれたが、途中で寝た。


 でも、今、目の前で歌う伯爵令嬢の紡ぎ出す響きは、私に深く染み渡った。歌詞は悲恋を歌ったもので、するりと私の中に入って来た。

 気がついたら涙が出ていた。

 班長がぽんぽんと私の頭を撫でてくれた。


 曲が終わると私は必死で拍手した。

 令嬢が私に微笑みかけてくれた。


 次の曲も素敵だった。春を待ちわびる恋人たちの曲で、今は辛くても耐えていればきっと結ばれる、みたいな曲だった。


 ***


 私たちはまた応接室に戻っていた。こんどは伯爵夫人と令嬢も一緒である。

 夫人が手ずから紅茶を淹れて振舞ってくれた。

 伯爵令嬢が私の近くにやって来て、声を掛けてくれた。

「お楽しみいただけましたかしら」

 私はまだ少し瞳がうるうるとしていた。

「感動しました。本当に素敵な歌声ですし、歌もとても素敵でした」

 伯爵令嬢は少し顔を赤らめた。

「実はわたくしが作った曲なのです」

「えっ」

 と、はしたなくも声を上げてしまった。

「申し訳ありません、その、こういう場に慣れてなくて、わたし、きっと言葉遣いも酷いかと思います」

 私がまごまごとしていると、令嬢は優しく微笑んでくれた。

「まあ、言葉遣いなどお気になさらないでください。一級修復師とお伺いしておりますわ。言葉遣いなど二の次でございましょう?どうぞそのまま楽になさってくださいまし」

「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えます」

 私は少しホッとした。気難しい人たちだったらどうしようと思ったのだ。

「その、先ほどの曲をご自分で作られたのですか?」

「ええ。手慰みですが」

「悲恋の歌だったと思うのですが」

 令嬢は微笑んだ。

「物語を読んで、その主人公の気持ちを歌にしたのです。わたくしの話ではありませんけれど」

 あ、そうなのか。

「でも、とても気持ちがこもっていると言うか、私泣けてしまいました」

「歌っているわたくしもつられて泣きそうになるところでしたわ。」

 そう言って令嬢はくすくすと笑った。

 素敵なひとだな、と素直に思った。


「歌を聞いて泣くなんて、可愛らしいじゃないか」

 ブルーノが私に話しかけてきた。この人にも見られたんだろうか。

「恥ずかしいです。柄じゃないですから……」

「魔獣を切りまくっている姿からは想像できなかったな」

「……私は普通の女の子のつもりなんですけど。仕事なので、仕方なく倒してるんです」

 ブルーノと私が話し始めたので、令嬢は向こうのソファーの方へ行った。向こう側には班長やオスカーがいる。

「修復師じゃなくて騎士としても立派にやっていける腕前になってるけどな」

「特務隊の方にそう言っていただけるのは光栄ですけど」

「毎日訓練してるの知っているよ。かなり頑張り屋さんだね」

 私は目を丸くした。

「よく見ておられるんですね」

 横からフリーダが口を挟む。

「女性は全員把握しているんですよね、ブルーノさん」

「全員って訳じゃないよ。可愛い子だけだよ」

「リリーちゃん、こういうのに引っかかっちゃ絶対駄目よ」

「フリーダ。あっち行ってろ」

「嫌です。リリーちゃんを毒牙から守らなきゃ」

 すると、ロフスまでもがやって来た。

「守らなきゃ、っすよね」

「どいつもこいつも……」

 私は笑いながらふと向こうのソファーを見た。

 

 オスカーの隣に伯爵令嬢が座って微笑んでいる。オスカーがいつもの仏頂面を外して、にこやかに談笑していた。


 お似合い、とはこういうことを言うのだと瞬時に分かってしまった。

 どちらも伯爵家だから、家格とやらも釣り合うだろうし。年の頃もぴったり。

 柔らかい微笑みの美少女。性格も良さそう。


 私は鉛を飲み込んだ気分になってしまった。

 目の前でフリーダやロフスがブルーノと言い合いをしているのが殆ど耳に入らない。


***


 その日の晩餐には伯爵が夫人と令嬢を伴って来た。

 食事中の会話は和やかに進む。夫人も令嬢も私たちの話を聞きだすのが上手い。平民に対する偏見も感じさせず、私たちをもてなしてくれた。

 流石のマルクがやっと食事に出て来た。

 私の隣にどさっと腰掛ける。

「ずっと寝てたの?」

「……それ以外にする事ない……」

 なのにまた机に突っ伏そうとする。

 班長が吹雪が止みそうなので、明日朝には立つと言った。夫人と令嬢はもう少し滞在くださいと引き留めたが、仕事があるからと固辞した。


 翌朝は晴れた。

 澄んだ空は昨日の吹雪が嘘のようである。

 でも、この空とは対照的に、私の心には昨日の重りがまだ確かに残っていた。


 私たちは丁寧に手入れしてもらった騎士服に着替え、同様に世話をしてもらっていた馬に乗る。また三日かけてヴェルゲの街に戻るのだ。

 早く戻りたい。

 私はどうしてだか分からないけど、そんな気持ちでいっぱいだった。


 道中もオスカーと話す機会はいくらでもあったのに、伯爵令嬢と何を話していたのかは、怖くて聞けなかった。


***


 ヴェルゲ西駐屯地での日常が戻ってくる。

 しばらくして、ランベルトとコルネリアが付き合いだしたのを聞いた。頓死する騎士が大量発生したらしい。


 私の心の中にはずっと、澱のようにあの日の光景が淀んでいた。

 そして三か月ごとの連休がやって来た。

 私はペトラ村へ帰り、思いっきり両親に甘えた。うん、大分元気になった!


 そして英気を養ってヴェルゲの街へ帰って来たのだが。





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