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気配感知

 私たちは魔物の掃討には参加しない。修復が終われば引き上げである。第三隊に護衛されながらゲルプ集落を後にする事になった。

 けれど、私は何か、言葉にしにくいが、胸がざわざわしていた。亀裂がある訳では無い。そういう感覚ではないのだが、それに近い気持ち悪さがどうしても消えないのだ。

 亀裂があった方向を振り返ってみても何も見えない。


「どうしたの、リリーちゃん」

 フェリクス班長が目ざとく気づいてくれた。


「……何か分からないんですけど、気持ち悪さが残ってるんです」

 私は馬に乗るのを躊躇っていた。このまま帰って良いのだろうか?

「亀裂は無さそうだけどねぇ」

 オスカーも近づいて来た。

「どうした?」

「何か……気持ち悪くない?」

「何の事だ?」

 するとマルクが頷いたのだ。

「……うん、ボクも気持ち悪い……」

 オスカーの表情が一気に厳しくなった。素早く騎士隊に振り向いた。

「カルステン隊長!周囲にまだ何かあるようです!最大級の警戒をお願いします!」

 カルステン隊長と同時に騎士達が一気に警戒の色を濃くする。

 回復術師のロフスは目を見開いた。

「な、何っすか?いきなり」

 オスカーが剣を抜きながら私とマルクに尋ねる。

「方向は分からないか?」

 マルクは首を振ったが、私はさらに集中した。

 ぼんやりとした嫌な気配が段々大きくなってくる。

 私も剣を抜いた。オスカーが剣を構える。

 私は目を瞑る。

 嫌な気配の方向が形になる。


 見つけた!


 目を開くと、そのすぐそばにロフスがいた。


「ロフスさん!伏せて!」

 ロフスが咄嗟にしゃがみ込む。


 私はその上を剣で横薙ぎに払った。


 何かを斬った手ごたえがあった。


 そこから赤黒い液体が噴き出してきて、見えなかったモノの輪郭がその液体で可視化されたのである。


 その瞬間、それが私に飛びかかって来た。

 私は剣を突き立てる。

 向こうからオスカーがそれを縦に切り裂いた。


 けれど、私の腕に激痛が走った。



 地面に落ちたソレは徐々に形が見えてきたが、それは悍ましい姿をしていた。中央は私とオスカーに切られてパックリ割れている。それから何本もの触手が生えていた。その触手の一本が私の左腕に深く突き刺さっていたのだ。


「リリー!」

 オスカーが崩れ落ちそうになる私を抱き留めてくれた。

 触手を抜こうとするが、ロフスが大声を出した。

「オスカーさん!触手に返しがついてるっす!自分がやるっす!」


 その時、マルクがいきなりリボンを四方八方に展開した。

「……まだ気持ち悪い……何か残ってるよ……」

 リボンの一本が見えない魔物に絡みついた。リボンによってその形が露わになる。

 カルステン隊長がソレをぶった切った。


「どう、マルク君、残りはもういないかな?」

 フェリクス班長の言葉にマルクが頷いた。

「……気持ち悪さ、消えたよ……今のが最後じゃないかな……」


 私はオスカーに抱えられたまま、ロフスに激痛の走る左腕を差し出す。腕には魔物から切り落とされた触手が刺さったままである。

 ロフスは私の騎士服の袖部分を潔く切り取った。

「感覚麻痺の呪文使っても、痛むかもしれないっす」

 ロフスが何かを唱えた途端、私の腕の周りが薄緑色の光に包れて、腕の感覚が遠くなり、痛みがかなり軽減された。ロフスは自分の腰から外科手術用のナイフを取り出し、何かで拭っている。

「すんません、リリーさん押さえておいてください」

 ロフスがオスカーに言う。

 

「これ噛んで、こっち向いてろ」と、オスカーは私の口に布切れを押し込んで、私をがっちりと押さえる。

 怖い!あのナイフで私の腕を切り開くんだ!

 私は左腕から目を逸らしてオスカーの胸に頭を埋めた。

 次の瞬間、鋭い痛みが私を貫いた。

 口の布切れが無かったら、舌を噛んでいたに違いない。反射で動く私の体と左腕をオスカーが微動だにしないように固定してくれている。

 痛みに涙がボロボロ出て来た。

「終わったぞ」

 オスカーが私に声を掛けてくれた。ロフスは呪文を唱えている。私の左腕はじんじんと痺れているが痛みと同時に少し残っている感覚も一気に無くなって来た。

 恐る恐る左腕を見る。

 縦に裂かれた傷がみるみるうちに塞がっていく。

 ロフスが私の腕の血を拭って、私の顔色を見た。

「ちょっと毒もあったみたいっすね。解毒するっす」

 そう言って、解毒の呪文を唱えている。口調は訛ってるけど、呪文は訛らないんだろうか、等と取り留めも無く考える。でも、このロフス、腕は相当に良さそうである。見る間に腕も体も楽になって来たのだ。


 まだ私を固定してくれているオスカーがようやくホッと息を吐きだした。

「今日はリリーを動かさない方がいいか?」

「そうっすね。一晩くらいは安静にして様子見てほしいっす」

「まだ痛むか?」

 オスカーが私を固定したまま、心配そうに私を覗き込む。

 う、顔が近い。

 私はバクバクする心臓を何とか宥める。

「殆ど痛まなくなったけど、感覚も全く無いよ」

 私の左腕はだらんと下がっている。動かそうと思っても動かない。

「感覚麻痺の呪文だからな」

 ロフスが私の腕に包帯を巻き終わると、オスカーが固定を解除してくれた。そして、自分の騎士服の上着を脱いで私に掛けてくれた。

「ごめん、ありがとう」

「……肝が冷えたぞ」

 ロフスが私にペコリと頭を下げた。

「自分なんか助けて貰って恐縮っす」

「ううん、こっちこそ、手当ありがとう」

「今夜は熱が出るかもしれないっす」


 カルステン隊長が周囲の警戒をしながら私の方にやって来た。

「守り切れず申し訳なかった」

 そう言って私に頭を下げる。

 私は慌ててかぶりを振った。

「気配も全く無かったし、仕方ないです」

「だが、君は気づけたのだろう?」

 私は曖昧に頷いた。

「気持ち悪さを感じて……亀裂を感じるのと近いんですけど、ちょっと違う感覚で」

「……ボクにも微かに感じられた……」

 後ろからマルクの声が聞こえたので振り向くと、フェリクス班長とマルクが近寄って来ていた。

 カルステン隊長が首をひねる。

「向こうの魔物独特の気配を感じ取れるという事か?それは凄い事だ。今までは無かったのか?」

「あったような気もしますけど、見えたら退治しちゃうし、余り気にしていなかったというか、見えなかったから気持ち悪さだけ感じたのかも……マルクはどう思う?」

「……二匹目を倒した途端に消えたから、多分魔物を感じ取ったんだと思う……いつも魔物が見えてる時にも、そう言えば、気持ち悪かったような気もする……」

 私は二匹目の時は腕の痛みで些細な感覚に神経を集中させるなど、全く無理な状態だった。だから、その感覚が消えうせたのにも気づかなかった。

「オスカー君は感じなかったの?」

 フェリクス班長の言葉にオスカーはムッとしたようだった。

「こんな天才どもと一緒にしないでください」

 私は目を丸くした。

 オスカーが私とマルクを天才って?

 なんか、嬉しい。顔がにやける。

「その感覚、忘れずに研ぎ澄まして、使い物になるようにしろ。生存確率が格段に上がるぞ」

 オスカーが私とマルクに言う。

 天才発言嬉しいと思ったの、撤回。そんなに簡単に無茶を言わないでほしい。


「リリーちゃん、ケガの具合どう?」と班長に尋ねられた。

「ロフスさんに治してもらいましたので、大丈夫です」

 だがロフスが首を振った。

「今夜、熱が出るかもしれないっす」

「今日はもう宿営だね。みんな用意しようか。リリーちゃんの分はオスカー君、やってあげて」


 騎士隊も皆、宿営である。辺りを警戒する騎士を何人か残して、順番に天幕を立て、焚火を起こし、各々宿営準備を始めた。

 私の天幕はオスカーが手早く立ててくれた。私は中に潜り込む。体が怠い。寒気がし始めた。

「熱が出て来たな」

 オスカーが私の額に掌を当てる。

 その熱は傷のせいなのか、単にオスカーに触れられているから熱くなってるのか、私には判別つかない。


 日が暮れると、特務隊と第一、第二隊が戻って来た。辺りの魔物の掃討が一通り終わったらしい。魔物の大好物と言われる鳩を放して確認を取るそうだ。

 第二隊所属のコルネリアが、私の負傷を聞きつけてやって来た。

「リリーちゃん、大丈夫?」

 コルネリアが私の天幕の中を覗き込んで囁く。

「ありがとう、コルネリアさん。……あんまり大丈夫じゃないです」

「何か食べた?」

「少しだけ食べました」

 オスカーが携帯食を食べやすいように砕いてスープでふやかして持って来てくれたのだ。味も良かったのだが、少ししか食べられなかったのだ。熱のせいだろう。

 オスカーは、コルネリアが来ているのを見つけて、こちらへやって来たようだった。

「コルネリア、ちょっといいか」と言って、コルネリアを天幕の外へ呼び出した。

 天幕の外での話し声が聞こえて来る。

「オスカー君、あなたが付いていたのに、どうしたのよ」

「返す言葉も無いな」

「何持ってるの?」

「湯でおしぼりを作って来た。コルネリア、リリーの清拭をしてやってくれないか?」

「それ、私が来るのを待ってたの?」

「呼びに行こうかと思っていた。お前以外には頼みにくい」

「でしょうね。了解」


 コルネリアが天幕に入って来た。

「聞こえてた?体拭くよ」

「コルネリアさん、自分で拭きます」

「寒気がするようなら後にするから遠慮なく言いなさいよ」

 熱は上がり切ったようで、体中から嫌な汗が噴き出していた。正直、体を拭きたかった。コルネリアが私の衣服を緩めるのを手伝ってくれた。右手だけでは中々上手く服を脱げないのだ。左手は包帯が巻かれているし動かそうにも感覚が無くて動かないのである。

 私は諦めてコルネリアに体をゆだねた。

「大変だったね。良く頑張ったねぇ」

 事の顛末を聞きながら、コルネリアは私の体を優しく拭いてくれた。

「明日の朝も来るね。服を着るの手伝うわ」

「助かります、ありがとう」

 正直、オスカーに手伝ってもらう事を想像するだけで心臓が持たない。コルネリアが今回一緒の行動だったのが不幸中の幸いだった。

 コルネリアが私に寝具代わりの上着を掛けようとして、それがオスカーの物なのに気づいた。

「これ、オスカー君のじゃない」

「私の騎士服、袖を切ってしまったので、貸してくれたんです」

 コルネリアがニヤリと笑う。

「オスカー君の匂いに包まれてお眠りなさい。良かったね」

「コルネリアさん!」

 真っ赤な私を残してコルネリアはさっさと天幕から出て行ってしまった。


***


 翌朝、熱はかなり下がった。夜の間もロフスが何度か様子を見つつ、回復術を掛けに来てくれた。

 そして全員で撤収することになった。

 私はメリー号に荷物を括るところから躓いた。左手がまだ思うように動かないのだ。もたもたしていると、班長がオスカーを呼んだ。

「オスカー君、リリーちゃんを連れて帰ってあげてね。片手でおまけに病み上がりじゃ、とても一人で馬には乗せられないからねぇ」

 

 という事で、私はオスカーの馬に相乗りである。荷物は二人分をメリーに載せた。

「後ろに乗るよ」と言うのに、強引に前に乗せられた。

 オスカーの両腕に囲まれ、胸にもたれ掛かる格好になってしまった。

「リリーは、小柄だから十分前は見える」

「どうせ私はお子様ですよ」

「自覚あるのか」

 そう言ってオスカーは笑う。


 帰るまでの三時間、ずっとドキドキしていたように思う。

 食堂で避けられてから、心の底にあったモヤモヤが消えていく。


「昨日、食堂で一緒だったのって誰?」

 つい尋ねてしまった。

「は?」

「騎士団の女の人」

 コルネリアがオスカー狙いの筆頭だと言っていた女性である。

「名乗ってたが、憶えていないな。しかし、良く見てたな」

「だって私、無視されたと思って、悲しかったんだもん」

 オスカーが少し言葉に詰まった。

「……すまん。嫌がらせの手紙が来ていただろう?食堂のような目立つ場所では一緒にいない方がリリーに迷惑が掛からないかと思ったんだ」

 あ、そう言う事なんだ。

 やっと胸のモヤモヤが無くなった。

「これからもリリーに敢えてみんなの前できつく当たったりすると思う。へこまないでくれると有難い」

「え、それは前からでは……」

 私の言葉にオスカーが詰まった。

「……嫌なら、別の方法を考えるが」

「どんな?」

「故郷に婚約者が居る事にするとか」

 わたしは何故だかゾクリとした。

「そんな事しなくても、私にきつく当たればいいよ。言われっぱなしにはならないから」

 オスカーが笑った。

「だな。言い返して来い」




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