31 そのルートは存在しません
「最初から気づいていました」
「最初から?」
変装は完璧だったはず。一目で気付いたのは、桐人兄上くらいだったのに。気付かれていないと思って、初対面のよいに振る舞っていた自分が恥ずかしい。
「だったら、早く言ってくれたらよかったのに」
「それは……」
カイは口籠る。何だか後ろめたそうな気配がする。何事もはっきりと言うカイには珍しい。
「……それは」
気持ちを落ち着かせるかのように、軽く息を吸う。そんなカイの一連の様子が、密着していると手に取るようにわかってしまうので申し訳ない。カイの胸から聞こえる鼓動が速いから、わたしまで緊張してしまう。
「普通の女の子として、姫様と接することができる機会を……手放したくなかったのです」
予想していなかった理由に、わたしは思わず息を呑んだ。きっとカイも気付いているだろう。
もしかして……期待してもいいのかしら。
こうして体温を、胸の鼓動を感じるほどに寄り添い、期待しない方が無理というもの。わたしに触れるカイの手に力が籠ると、それに応えたくて温かい胸に頬をすり寄せる。
このまま時間が止まればいいのに。こんな幸せな時間が、ずっと続けばいいのに。
夢見心地って、こういう気分をいうのだろう。ぼうっとして、ふわふわして、ドキドキするのに心地い。
このまま甘い展開に……な、なるの?
ふと、どこか冷めた自分が居たりする。夢見心地のまま、浸っていればいいのに、それが出来ない元非リア充の喪女の性。
ダメだわ……これ以上甘い雰囲気なんて、想像を絶して想像できない。
せっかく夢にまで見た状況だけれど、自分が置かれた状況が恥ずかしすぎるといいますか、わたしがこんな状況に居て良いの? っていいますか、何て言いますか、相手がわたしで申し訳ないっていいますか、あーうー!
「あの……どうして気付いたの? 変装、かなり自信があったのよ」
どうしてこんな時に、色気のない話題を振っちゃうかな。ここは「カイ、好き……」とか呟くとこだよね。
するとカイは、ふっと笑うように息を吐く。わたしの場違いな質問に、もしかして呆れてしまったかしら。
「髪の色が変わったくらいで、気付かないはずがないでしょう」
いつものカイの、軽口のような口調。そこで、さっきまで彼も緊張していたのだと改めて気付いてしまった。だから、つい余計なことを口走ってしまう。
「そ、そうね。髪の色くらいじゃダメね。目の色を変えたり、人相も変えた方がよかったかもしれないわ。あと声も」
「変装を極めようとか、馬鹿なことを考えないでください」
「……はい」
叱られてしまったわ。しょんぼりしていると、わたしの後頭部に回されていた彼の手が、そっとはわたしの頬を包み込み、上向きになるように促す。
わたしと目を合わせると、名残惜しそうに目を細める。
「姫様が変装を極めたとしても、姫様は姫様です。すぐに見抜ける自信があります。ですが」
わたしの銀色の髪を一筋、指先でそっと掬う。
「姫様の日に透ける葉のような瞳の色も、月の光のような柔らかな色の髪も、鈴を振るような優しい声色も……できれば変えないでいただきたい」
指先で掬ったわたしの髪に、そっと唇を落とす。
その一連の様はまるで映画のワンシーンを観ているかのようで。自分の身に起きたことだということが信じがたくて、ただただぼうっと見惚れていた。
「姫様の、姫君らしからぬ人懐っこさや行動力も。市井の者にも分け隔てなく思いやりを持って接する姿も。堆肥づくりに掛ける並みならぬ熱意も、周囲を驚かす無鉄砲さも」
「それは、いいところなのかしら……」
「もちろんです。そのようなすべてが好きなのですから」
「え、」
気付いたら、再びその胸に引き寄せられていた。
「姫様が好きです。心から」
振り絞るように、苦し気な告白。カイもわたしを想ってくれていたのだという喜びよりも、その声が持つ悲愴さに言葉が出てこない。
「心からお慕いしております…………ですが」
カイの口から、驚くべき言葉が告げられた。
「王女と庭師が結ばれる道は、存在しないのです」




