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16 決めていたこと

 どうやら端から見ても逢い引き、つまりデートに見えるらしい。嬉しいと思うと同時に、複雑な思いも浮上する。


 第四王女(わたし)の恋人役を引き受けてくれたのに。

 ハナは此花(わたし)であるけれど、カイにとっては見習い侍女のハナであるはず。つまり、此花(わたし)じゃない。

 カイ……あまり親しくもない女の子の手を繋ぐ人なの?


「あの、カイさん」

「なに?」

「あの、手が」

「ごめん、嫌だろけど我慢して。人混みで迷子になりそうだから」


 カイは背を向けたまま告げる。

 まさか迷子対策だったとは。どうやら、カイにとって此花でもハナでも小さな子供に過ぎないらしい。


 なーんだ。そっか。

 我慢どころか、わたしとしては、ずっとこのままで大歓迎なんだけどな。手を引くカイの後ろ姿を見上げると、ごくりと息を飲んだ。


「でも、カイさんの恋人が誤解したら……」

「いないから」

「いない、のですか?」

「そんなに驚くこと?」 


 どうやら、驚きがそのまま声に出てしまったらしい。


「だって、カイさんモテそうだから」

「そりゃ、どうも」


 カイは乾いた笑いを漏らす。

 カイの恋人存在説は消えたといって構わないだろうか。

 でも、わたしは気付いてしまった。彼がどうでもいいような笑い声を立てる時は、大抵なにかを誤魔化す時だもの。


 カイ……いるんだ、好きな人。

 心臓が痛い。さっきまでとは違う意味で鼓動が速く、息をするのも苦しくなる。

 いくら亜蓮(あれん)様との婚約を回避したいとはいえ、カイに嫌われたら本末転倒だ。じゃあ、わたしはどうしたらいいのだろう? 

 

 本当は、わかっている。いい加減、直視すべきなのだと。ここは確かにゲームの世界に酷似しているけれど、皆それぞれの意志をもって生きている現実世界なのだと。


 * * *


「ここは……」


 まさかと思って、お店の建物を上から下まで何度も見直す。

 こじんまりとした青い屋根と、くるくる回る風見鶏。蔦の絡まる煉瓦の洋風建築の前に立った時、もしやと思っていた。が、中に入ってそれは確信となる。


 このお店は侍女さんたちが「行きたいお店第一位」と話していた風見鶏という喫茶店ではないかしら?

 真っ青な瓦屋根と蔦の絡まる煉瓦の壁。何よりも鶏を模した鉄製の飾り……風見鶏が何よりの目印だ。

 人気があるのは、まだ珍しい珈琲と、季節の果物がふんだんに使われたタルトであります。


「ここですか?」

「気に、入らない?」


 少し自信無げに訊ねるカイに、ぶんぶんと頭を振った。


「いいえ! とんでもないです!」

 するとカイは、ほっと目元を緩める。

「よかった」

「っ!」


 ちょっと子供っぽい笑顔だった。褒められて嬉しそうな、小さな男の子みたいな表情。

 やだもう今の表情、可愛い……!

 地面を転げたくなる衝動を堪えて、心を落ち着かせる。


「よし、行こうか」

「はい」


 手をつないだまま、二人揃って店内に足を踏み入れる。


 途端、珈琲の甘くほろ苦い香りが鼻をくすぐる。店内はほの暗く、落ち着いた雰囲気だ。すでに席の半分以上が埋まっているのに、不思議と騒がしさはない。

 二人席や四人席は空きがなかったので、中央の大テーブルに案内される。それでも隣の席との間隔は余裕があるので、相席でもあまり隣りが気にならない。


 散々迷った挙句、お店おすすめのブレンドと、季節の果物タルトを頼んだ。カイもどうやら初めてらしくて、わたしと同じものを頼んでいた。

 実はコーヒーをブラックで飲むの、結構好きだったんだよね……。

 でも今は此花このはなだし、この子コーヒーなんて飲んだことないだろうし。


「お待たせいたしました」


 給仕さんが、香り立つ珈琲を運んできた。わくわくしながら、目の前に置かれるのを待つ。

 

「いい香りですね」

「ああ」


 久しぶりのコーヒー、もとい珈琲です。心高鳴らせながら最初の一口。


「…………苦い」


 美味しいとは思うけれど、きっと此花の舌は刺激物に慣れていないのだろう。苦い、とてつもなく苦い。

 それを見ていたカイは、小さく盗み笑いをしている。

 前世では中学生の頃からブラックを飲んでいたんだから! なんてことは言えないので、ぐっと悔しさを飲み込むしかない。そうして一口珈琲を口にしたカイも、一瞬顔を歪めたのを見てしまった。


「カイさん?」

「……結構苦い」


 どうやらカイもお子様舌だったようだ。つい、小さく吹き出してしまうと、ちょっと決まり悪そうな面持ちで、ぐいっと珈琲を飲んだ。

 無理しなくてもいいのに。でも、そんなところも。


「かわいいなあ」


 ぴた、とカイの動きが止まった。

 途端、わたしが心に浮かんだことを、そのまま口にしてしまったのだと気が付いた。


「あ、ああの! このカップ、かわいいですね!」


 カップを掲げて、にっこり笑う。

 わたしの使うカップ&ソーサーは、バラの花が描かれたものだ。素朴な絵柄で、カップとソーサーに一輪ずつ描かれている。カップが可愛いのは本当だ。


「ああ……カップね。まあ、そうだな」


 苦笑いをするカイを見て、まあ一応誤魔化せたかなと思うことにする。


 ああもう。

 カイが他の女の子とデートしているという状況はいただけないけれど、お陰で普段は見られないカイが見れて……うう、堪りません!

 普段仕様のカイを堪能していると、季節の果物タルトが届いた。


「わあ、きれい……」


 携帯電話があれば、写真を撮りたいところです。でもこの世界には携帯電話なんて存在しないので、心にしっかりと焼き付けておこう。


 今は春だから、ベリー類が宝石のようにキラキラとちりばめられているタルトだった。

 ストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、ブラックカラント、クランベリー、グースベリーと、様々なフルーツが山盛りになっている。

 ベリーの下にはこっくりと甘いカスタードクリームと、ミルク感溢れる生クリームがたっぷりと敷き詰められていた。下のタルト生地はさっくりしていて、クリームを吸ったところは、口の中でほろりと崩れていく。


「美味しいです……」

「うん。思ったよりさっぱりしていて美味い」


 タルトと一緒に、相変わらずブラックの珈琲を飲むのはカイ。わたしの方は、お店の人が持ってきてくれたミルクとお砂糖がたっぷり入っている。

 カイは頑なにミルクも砂糖も入れようとしなかった。苦いのに慣れたのか、可愛いと言われたのを根に持っているのか。どっちなのか気になるけれど、本当に美味しくて堪らない。侍女さんたちが行きたいと言っているわけだ。


「カイさん、素敵なお店に連れてきてくださってありがとうございます。実は侍女さんたちの話を聞いて、前から来てみたかったんです」

「へえ、そうだったんだ。そんなに話題になっているんだ」

 あれ? カイも侍女さんたちの話を聞いて知っていたんじゃないのかな?

「実は、知り合いが行きたがっていた店でさ。俺も実は始めて来たんだ。喜んで貰えてよかった」


 ふっと、柔らかく目を細める。

 まさか……カイの好きな人が、行きたいって言っていたとか?

 さっきまで浮き立っていた心が、急に沈み込んでいく。


「実家に帰って、後はどうするの?」


 不意に質問されて、返答に困ってしまう。

 今まで、家族の体調不良で休みがちということにしていたから、その設定を続けないとおかしいよね。


「……うちの家族、皆病気がちなので、実家に近い場所で働こうと思います。ほら、何かあってもすぐに駆けつけられますし、お城で働いていたっていう実績もありますから、すぐに仕事も見つかると思うんです」


 我ながら苦しい。設定がザルだから、色々突っ込まれたら何も返せない。

 どうか、カイがこれ以上突っ込みを入れませんように。

 祈るような気持ちで、カイの反応を待つ。待つしかない。


「そっか、頑張れよ」

「は、いっ」


 カイの手が、わたしの頭をぽんぽんと叩く。

 ……よかった。突っ込まれなかった。どうやら神に祈りは届いたようだ。

 ありがとう、神様!


 心の中でステップを踏みたくなる。そんな時だった。

 カイはカップに視線を落とすと、ぽつりと呟いた。


「俺もさ、近々ここの庭師を辞めるつもりなんだ」

「……え」


 一瞬耳を疑った。

 カイが、王城の庭師を辞める? 嘘、そんなの聞いていない。


「えっと、どちらへ行かれるのですか?」

「ああ、他の屋敷に仕えるってわけじゃないんだ。親父の仕事を継ごうかなって思ってて、だから」

「そう、ですか」


 頭か真っ白だった。

 カイが辞める? どうして? まさか、わたしがあんなことを頼んだから?

 親父、ゴウの後を継ぐなら王城の庭師の頭っていうことになる。でも彼は王城の庭師を辞めると言っているし、他の屋敷の庭師になるわけでもない。

 何? どういう意味なの? 全然意味がわからない。


「カイさんが辞めてしまったら……お城も、寂しくなりますね」

「そうかな……」

「そうです!」

 口調に、つい力が入ってしまう。

「ありがとう。そう言って貰えるだけで嬉しい」


 優しい声に、思わず目を上げる。わたしを見つめるカイの瞳は、静かで優しい。


 ああ、もう彼の心は決まってしまっているんだ。彼は昨日の今日決めたのではない。ずっと以前から考えていたのだ。わたしのお願いが原因などではない。

 そう気が付いて、何も言葉が出てこなかった。


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