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15 カイの恋人

 無事、カイに無謀なお願いを聞き入れて貰ったまではいいけれど、どうやら怨みまで買ってしまったようです。


 恨みますよ、姫様。


 恨むほど嫌ならば、いっそ断ってくれたらいいのに。

 やっぱりわたしが一応王族だから、お願いを断れなかったのだろうか。


 でも…てん前に馬糞を運ぶのを頼んだ時は断っていたよね。

 公務で外せなかったからカイにお願いしたのに。お陰で質のいい馬糞を入手し損ねて悔しい思いをしたのを、今でもしっかり覚えている。


 主に堆肥に関することについて、カイはことごとくお願いを断っていた気がする。まあ気持ちはわからないでもない。いくら庭師と言えども、堆肥を育てるのが苦手な人もいる。ましてや堆肥になる前の糞ならば、好き好む人の方が少ない。

 カイでも、ごくたまに馬糞の入手は手伝ってくれたけど、牛糞は全力で拒否されたしね。その昔は人糞も使っていたと聞くけれど、さすがのわたしでも人糞は遠慮したい。


 じゃあ、どうしてだろう……あ。

 ふと、今になってある可能性を考えていなかったことに気が付いた。


 どうして、どうして気付かなかったの?!


 動揺したわたしは、思わずティーカップをソーサーに置き損ねてしまった。がしゃん、と派手な音を立てて、テーブルにお茶を溢してしまう。


「あ!」

「! お怪我はありませんか、姫様」

「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい」

「お気になさらないでください。すぐに片付けます」


 布巾を手にしたアヤメは、素早くテーブルから流れ落ちようとするお茶を塞き止めると、残ったお茶だまりに新たな布巾を投入する。

 二次被害を防いだ次は、わたしの手や腕、袂や袖に帯と一通り確認を終えると、今度はお茶が掛かっていないか、火傷はないかを丹念に調べる。


 素早いアヤメの仕事ぶりを眺めながらも、初めて気が付いた可能性のことで頭がいっぱいになっていた。


 カイに恋人がいるかもしれないって、今までどうして思わなかったの?


 前に侍女たちが「この職場で誰が格好良いか」という話で盛り上がっていたことがある。

 わたしは「入ったばかりで、まだよくわからない」とお茶を濁したけれど、カイのことをあげていた人がいて、賛同する人が何人かいたはず。


 その時は「そうよ、カイは格好いいんだから」と、むしろ誇らしげに聞いていたけど、よく考えたら喜んでいる場合じゃなかった。

 ライバルが、いっぱいってことよね?!


 ゲームのカイは此花(このはな)に一途な思いを抱いていたから、恋人はいなかったかもしれない。

 でも、今のカイは違う。此花(わたし)に恋心の欠片もない。どちらかというと、彼にとっては面倒ばかり掛ける近所のガキんちょくらいのポジションだ。


 それに、カイはあんなに格好いいのだもの。恋人がいたっておかしくない。

 ううん、いないほうがおかしい!


 わたしのお願いが原因で、恋人と別れることになってしまったら、確かに恨まれても仕方がない。

 ん? でもカイなら牛糞の調達を断った時みたいに、スパッと断りそうなものなのに。あの時初めて「ああ、とりつく島もないってこういうことか」と思ったくらいだもの。

 

 もしかして、人には言えない理由があるのかもしれない。例えば、内緒にしないといけない相手とか。深窓のご令嬢とか、すでに相手がいる道ならぬ恋とか……?

 でも本人に聞いたところで、きっと訳を話してくれるとは思えない。


 よし、これは確認しないといけないわ。


「アヤメ」

「はい、姫様」

「久々に侍女のハナになるわ」


 アヤメは、ピタリと片付けの手を止める。その表情には、ありありと拒絶が浮かんでいる。


「まだやるおつもりですか……」

「もうこれで終わりにするわ。でも、あと一度だけ! お願いアヤメ」

「これで終わりは、もう何回目ですか……」


 ゴメンなさい。もう五回目です。

 祖父母が危篤だとか父母が急病だとか兄弟が大怪我をしたとか、長期休暇ばかりの侍女なんて迷惑なだけだ。いい加減周囲も信じてくれないだろう。


「本当に今回で終わりにするわ。お休みばかりで周りの方たちにも申し訳ないし……」

「あら、気付いていらっしゃったのですか」

「え、ええ……」


 うわあ、だんだん使用人の皆さんの目が冷ややかになっていたのは気のせいじゃなかったんだ。

 改めて思い知って落ち込んだ。ろくに仕事もしない侍女見習いなんて迷惑だったろうな。

 退職するとご挨拶をして、菓子折りもちゃんと用意しておこう……。カイの恋人情報ゲットどころではない。


「もう止めておいたらどうですか」

 アヤメの言葉はもっともです。でも。

「……せめて菓子折りだけでも持っていかせて」


 アヤメは苦笑まじりの溜め息を吐くと「本当に最後ですからね」と念を押す。


「わかったわ……本当にこれで最後にするわ」

「菓子折りは、こちらで用意致しますからお任せください。それで、いつハナになるのですか?」

「できれば明日にでも……いいかしら?」

「かしこまりました」


 やれやれと肩を竦めると、新しいカップを用意してお茶を淹れ直してくれた。

 いつもアヤメには面倒ばかり掛けてしまって、頭が上がりません……。


* * *


「……そのようなわけで、本日をもって退職致します。皆さまにはご迷惑ばかりお掛けしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。ささやかではありますが、よろしかったら召し上がってください」


 黒髪眼鏡の見習い侍女に扮した此花(わたし)は、お世話になった侍女の皆さまに、菓子折りを差し出し、深々と頭を下げた。

 傍らでは、アヤメが何とも言えない表情を浮かべているけれど、今のわたしは侍女見習いなのて、皆さんに頭を下げるくらい目をつぶっていて欲しい。


「あなたも、ご家庭の看病頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」


 アヤメが用意してくれた菓子折りを差し出すと、侍女の皆様が目を見張る。


「まあ……これ、金獅子屋の」

「はい」


 わたしが用意したのはチョコレートだった。

 金獅子屋は王家が贔屓にしている老舗の菓子屋です。この店の人気商品は艶やかで濃厚な甘味の練羊羹。練羊羹の人気は今も不動ではあるが、今の若い店主に代替わりしてからは、西洋の菓子も手掛け始めたのです。

 まだ洋菓子はまだ珍しいものの、侍女の皆様は大抵は華族のお嬢様方だ。流行に敏感で舌が肥えている方々ばかり。


 うん、なかなかいい反応だ。ナイスなチョイス、ありがとうアヤメ。


「お心遣いありがとう。皆でいただくわ」

「はい。お世話になりました」


 古株のカエデさんに手渡すと、深々と一礼した。


 ご挨拶が終わると、早々に詰所を出るしかなかった。何故なら皆仕事がある。いつまでも辞めると言っている人間の相手なんてしている暇はないのだ。

 一緒に付いてきてくれたアヤメだってそう。兄上と交流を作る切っ掛けや、家事を覚えるために侍女職をやっているわけではない。これが彼女らの仕事なのだ。


 ああ、でも。せっかくここまで来たのだから、少しでもカイの噂話とか、恋バナとか、誰かしていないかなあ。

 最後の悪あがきと、休憩所の中を扉の隙間から覗いてみる。でもまだお昼前のせいもあり、人の姿はまばらだ。

 きゃっきゃっと噂話に花を咲かせる集団がいることを期待していたけれど、残念ながらいらっしゃらない。


 ……うん、帰ろう。


 このままじゃ不審者だ。誰かに見つかる前に帰ってしまおう。

 扉を閉じようと、取っ手を引こうとするが、背後から延びてきた手に遮られた。

 え? と振り返るよりも早く、ぽすんと頭上に手が乗っかってきた。


「久しぶり」

「カイ、さん?」


 頭の上から降ってきた声はカイのものだった。

 心臓の鼓動が早い。でも今のわたしはハナだ。此花このはなではないから、きっと平気。


「元気だったか?」

「は、はい!」


 そろりと見上げる。目が合った途端、カイは破顔した。

 うお! なんだこの顔!

 こんな開け放ったような笑顔、見たことが無かった。貴重な笑顔が見れたという嬉しさと、此花わたしの前では見せてくれたことがないと気付いて、ちくりと胸に痛みが走る。


「中に入らないの?」

「あの、ええと……ちょっと考え中でして」


 カイに関する情報を耳にできないかと思ってきたものの、まさか本人が登場するとは思っていなかった。じゃあ、本人に恋人の有無を聞けば? ともうひとりのわたしが囁くが……御免であります。


「今休憩中なんだろう?」

「いえ、あの、わたし、今日で辞めて実家に帰るんです。なのでご挨拶に参った次第です」


 すると驚いたように目を見張る。


「…………そうか」

「短い間でしたし、お仕事であまり関わることもありませんでしたが、お世話になりました」

「確かに。仕事ではほぼ関わらなかったな」


 そう。この姿でカイと接触していたらバレるのは時間の問題だ。極力会わないようにしていたけれど、たまに休憩所で言葉を交わすことはあった。


「そうか……」


 ふむ、とカイは少し考えるように宙を睨むと、わたしの背中をポンと叩いた。


「よし。餞別に何か美味いものでも奢ってやろう」

「え、えええ? でも、これからお仕事なのでは」

「大丈夫。休憩時間内で行ける場所にするから」


 行くぞ、とカイはわたしの手を取ると勢いよく歩き出した。


 え! えええ?!

 カイの背中と、握った手を交互に見る。

 今、何が起こっているの! 


 手が、手が! わたし、今、カイと手を繋いでいますっ!

 カイの早足に必死に付いて行きつつ、彼の手の感触が胸の鼓動をさらに速くする。

 

「どこへ、行くのですか?」

 ずり落ちる伊達眼鏡を引き上げ、息絶え絶えになりながら訊ねる。

「城下」

 息が上がっていることに気付いてくれたのか、歩く速度が緩やかになる。

「お城の外、ですか?」

「そ。飯と甘味、どっちがいい?」

「甘味がいいです」

「わかった」

 即答だったせいか、笑いを含んだ声が返ってきた。


 なんなの、この状況は!


 使用人や業者たちが行き来する通用門。様々な人達とすれ違う。しかし、わたしが王女だと気付く人はいない。誰にも注目されずに外を歩くのは、普段と違っていて少し不安になる。

 無意識にカイの手を握り締めてしまう。すると、カイが優しく握り返してくれる。


 うわ、うわあ……!

 心臓が、心臓がもたないっ……!

 

 なんだか、ものすごくデートっぽい気がする。いやいや、それはないない、自惚れ過ぎだ。きっと周囲からは連行されているようにしか見えないはず!


「よ、カイ、仕事中に逢い引きか?」


 顔見知りらしい門番の青年が、からかうように声を掛ける。

 逢い引きですって!

 そんな風に見えるのかしら? ふとカイと目が合った途端、顔面の温度が急上昇する。


 カイはなんて答えるのだろう。

 ドキドキしながら待っていると、カイはたった一言を放った。


「さあ?」


 カイは、はぐらかすように、ニヤリと笑っただけだった。

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