14 恋の告白
無理……と思ったけれど、お願いするなら今しかない。
カイにお願いしなければ、このまま亜蓮様ルートまっしぐらなのは確実なのだから。
よ、よし……!
あくまで事務的に話す。感情を交えないように心掛けること。そのポイントを踏まえて、わたしは思わず唾を飲み込んだ。
「あのね、カイ」
「はい」
雨上がりの空の色をした瞳が、「さあ、何を言い出すつもりだ?」と語らんばかりに、わたしを見つめる。
ううう、言いづらい。でも、言う!
「実は困ったことがありまして……」
「はい」
「あなたに協力して欲しいの」
「…………」
う、返事が無い。カイの真っ直ぐな視線に耐えられず、しおしおと俯いてしまう。
「……あの、嫌なら、無理にとは」
「姫様」
びくっと、思わず肩が跳ねてしまう。そんなわたしを、彼はやれやれといった風に苦笑する。
「で、何ですか? その協力とやらは」
「え、でも……」
「さっさと言ってください、俺の気が変わる前に」
「え、ええ……ありがとう」
いかにも面倒くさいって感じなのに、その目は優しい。
あーもう……カイ、好き過ぎる……。
心の中でじたばたと悶える。
人のことを荷物だとか、金魚の糞だとか、言葉は結構酷いものの、わたしの我が儘を面倒くさそうな顔をしながらも聞き入れてくれる。
でも、さすがに今回のは無理かも。
一呼吸置いてから、用意していた言葉を口にしようとして、踏みとどまる。
待て待て! その前に確認だった。
「……その前に、鳳凰院伯爵ってご存知かしら?」
「ああ、最近爵位を継いだっていう、女性関係でお盛んと有名な方ですよね」
おお、さすがは亜蓮様。ゴシップに興味のないカイですら知っているとはすごい人だ。
それなら話は早い。
「まだ内々みたいなのだけど、実はその鳳凰院伯爵が婚約者候補に挙がっているらしいの」
「どなたのですか?」
「わたくしの、です」
「……姫様の?」
「はい」
さすがにカイも驚いたようだ。
そうよね、女性関係がお盛んな相手が、こんなお子ちゃまと婚約だなんて。
「どこからそんな話が出てきたのです?」
「ご本人、からです」
「本人……伯爵から?」
小さく頷くと、カイは無表情のまま腕組みをする。
「……難儀な相手ですね」
「でしょう?!」
よかった! おめでとうなんて言われなくて!
「女性との噂が絶えないということ以外は有能な方のようですが……あの方を夫にしたら気苦労が絶えないことでしょうね」
うん、わたしもそう思う!
「あの方は母君が異国の方だと聞いています。鳳凰院家は他の華族に比べると、まだ歴史が浅い。その上、父君の病状も思わしくない。ですから、手っ取り早く王族の姫を妻に迎えて、この国での地位を磐石なものになさりたいのでしょう」
なんと言うか……ものすごい亜蓮様通だ。
「……ずいぶん詳しいわね」
「嫌でも耳に入ってきますからね」
あっさりと言う。
もしかして、使用人の中に情報通でもいるのかしら?
「それで、俺に協力して貰いたいこととは、どういったことでしょう?」
ききき、来た!
だよね、協力して欲しいって言ったんだもの。じゃあ何って思うわよ。
よし! 心の準備だ! まずは……えーと、何ていう予定だっけ?
ううう、ダメだ。こうなったら、まず深呼吸!
脳内のわたしの指示に従って、大きく深呼吸をする。
「……まだ正式に決まった訳ではないと思うのだけど、鳳凰院伯爵との婚約話を、白紙にしたいの」
「姫様は……伯爵との婚約を望んでいないのですか?」
真顔で訊ねてくるカイに、思わず茫然となる。
ええっ! 亜蓮様が女ったらしということまで知っているのに、なんでそう思うかな!? 夫にしたら気苦労に絶えないとも言ったよね?
「望んでいません! だって……」
わたしは、カイが好きなのに。この鈍感!
「だって、何ですか?」
え、ちょっと! そこに食いつきますか?
絶対にカイに言えない。いや、むしろ言うべき?
「だって……婚約を望んでいたら、あなたに相談しないでしょう?」
「まあ、確かに……その通りですね」
曖昧に頷くカイを見て、納得してもらえたか、いささか不安です。
「それで、俺は何を協力すれば?」
よし……ここまできたら、腹を括ろう。括るしか道はない!
「カイに協力というのは……あの」
「はい」
「その前に、実は……伯爵に将来を誓い合った人がいるって、言ってしまったの」
「そんな相手が居たのですか?」
カイは驚かないどころか、呆れたように目を見開く。
うう……ちょっとは驚いて欲しかった。
「居ません……」
「どうして、見え透いた嘘などを」
「だって。断る理由がそれしか思い浮かばなかったのだもの……」
ほら、言わなきゃ。その「将来を誓い合った仲」の振りをしてくださいって。
わたしが内心焦る中、カイは不意に苦い笑みを浮かべる。
「姫様、大丈夫です。相手は鳳凰院伯爵だけではありません。候補ということは、他にもまだ候補の方がいるはずですから。姉君がすでに有力な家に嫁いでおられますし、兄君も王太子に即位されました。姫様がお嫌なら、無理に縁組みされることはないと思います」
そっか、必ずしも亜蓮様が婚約者になる訳じゃないんだ。
でも、他にも候補がいるとしても、きっと元王配候補たちだろうし。幾雲様以外に、あとどんな人がいたっけかな?
でも! わたしがこの世界に転生したのは、カイと幸せになるためなんだから。他の人じゃ嫌だ。
テーブルに乗せられたカイの手に、自分の手を重ね、勢いに任せて言いはなった。
「他の方でも駄目なのです……!」
カイが驚いたように、目をまんまるにしている。可愛いその表情を堪能する余裕がないのが残念で堪らない。温かくて骨張った手を、ぎゅっと握る。顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。
「お願い、カイ。わたしの『将来を誓い合った人』になってください」
言った。とうとう言ってしまった……!
心臓が、痛いくらいにバックバックと跳ねている。小刻みに震える手で、カイの大きな手をしっかりと握り締めようと努力する。
固唾を飲んでカイの反応を待つ、が。
「……?」
カイは淡い空色の瞳を見開いて、わたしを穴が空くほど見つめるものの、反応がない。
予想では「はあ? 何寝惚けたこと言っているんですか」って反応だったから、意外といえば意外だった。しかも、カイの手を握った状態でこの状況だから、恥ずかしさはMAXです。それでも、先に目を逸らしたら負けだと思って、必死に雨上がりの空色を見つめ返す。
しかし、その睨めっこは、そう長くは持たなかった。
負けました。カイの目力に。亜蓮様も相当でしたが、やっぱり相手が好きな人だとレベルが違う。
しおしおと視線が下に落ちてしまう。カイの手をそっと離した時だった。
カイの手が追い掛けて、わたしの手を逃すまいと握り締める。はっとなって顔を上げると、カイの真っ直ぐな目がわたしを捉える。
「姫様」
「な、なあに」
カイの甘さの欠片も感じられない真剣な眼差し。それを目の当たりにして気付いてしまった。
これは……お断りパターンだ。
仕方がない。どう考えたって、この世界のカイは此花に恋愛感情は持っていないのだから。
いくら相手が姫だとはいえ、いきなり「将来を誓い合った仲になってください」はないよね。
……あれ? ちょっと待って。わたしってば、将来を誓い合った仲の「振りをして欲しい」を言うのを忘れていない?
ということは……恋の告白になってしまっているんじゃないの?
「あの! 待って!」
唐突に大声を上げたわたしを、カイは怪訝に目を細める。
「何ですか?」
「違うの! 振りでいいの、振りで」
「ふり?」
「そう。亜蓮様、じゃなかった鳳凰院伯爵や、他の方が納得してくださるよう、ふりでいいの」
だから安心して? という意味を込めて微笑んでみせる。するとカイは、一瞬呆けたように瞬きをする。そして気が抜けたように、そっと息を吐いた。
「あー……なるほど」
妙に納得したように頷くと、わたしの手をぱっと解放した。
そして何が面白いのか、肩を震わせて笑い出す。今のやり取りに、どこに笑いのツボがあったんだろう?
カイの反応がわからず困惑していると、彼は頬杖を付いて、もう一度息を吐き出した。
「親父殿の入れ知恵ですか?」
ゴウの入れ知恵? どうしてここで、彼の養父であるゴウの名前が出てくるのだろう?
「……誰の入れ知恵でもないわ。わたしが、考えたの」
「ですが姫様。俺は一介の庭師ですよ? そしてあなたは一応王女です」
一応ってどういう意味だろう?
「どう考えても、身分が釣り合うとは思えません。なのに、どうして俺なのですか」
「そ、それは……」
再び心臓が早鐘のように打ち出した。
それは、あなたが好きだから。
前世から好きだけど、今世の塩対応のカイだって好きだから。
でも、そんなこと言ったら引くよね? ドン引きだよね?
返答に窮するわたしを見て、カイは薄く笑う。
「もし俺がその話を引き受けたとしましょう。第四王女は庶民に降嫁するという醜聞は、瞬く間に広がるはずです。もし後から取り消したとしても、あなたの名に傷がつく」
「どうして、醜聞になるの?」
「当たり前でしょう。相手が王城の庭師だと知れればなおのこと。ありもしないことを、面白おかしく言われるだけです。間違いなく貞操が疑われる」
「て、貞操……」
意味を理解した途端、再び頬が熱くなる。
相手がカイなら喜んで! やだ、想像しようとしただけで、鼻血が出そう……。
「恐らく今後の縁談にも響くでしょう。せいぜい寡になった華族の後家くらいしか嫁ぎ先が来なくなります。もしくは豪商あたりの後家ですかね」
「後家……」
そのままカイが貰ってくれれば最高なんだけど、そういうわけにはいかないわよね。
「それでも、俺に頼みますか?」
試すように、わたしに訊ねる。
「……頼まれて、くれるの?」
カイは瞠目すると、擦れた声でもう一度訊ねる。
「それでも……俺に頼むんですか?」
頼みたい。一時でもカイと恋人同士になれるのなら生涯独身でもいい。
辺境の離宮に引き籠って、荒れ放題の庭園を美しい庭園にすることをライフワークにするのも悪くない。
ただの思いつきだけど、そんな人生も悪くない、はず。
「それでも、お願いしたいの」
渾身の勇気を振り絞って、お願いしますの握手を求める。
するとカイは心底嫌そうに目を細めると、苦々しく溜息を吐いた。そして、差し出したわたしの手を、そっと握り込む。
「……わかりました。恨みますよ、姫様」
最後に呟いた不穏な言葉に、思わず息を呑み込んだ。




