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13 将来を誓い合った仲?

「姫様……!」


 亜蓮(あれん)様にエスコートされて、無事宴の場に戻ってきたわたしを見るなり、アヤメが駆けよってきた。貴婦人のドレスに身を包んでいたので、一瞬誰だかわからなかった。


「申し訳ございません……わたしが付いていながら」

 耳元で小声で囁く。


「アヤメ……?」

 その女性がアヤメだと気付いた途端、かくんと足の力が抜けてしまう。


「姫様?!」

「大丈夫よ、大丈夫」


 安心してもらおうと微笑んでみたが、どうやら無理をしていると受け取ってしまったようだ。へたり込んだわたしを支える亜蓮(あれん)様に、敵意を孕んだ目を向ける。


「庭園をご案内していただけ、本当よ」


 ダメよー! あからさまにそんな目を向けちゃ!

 視界を遮るように間に入って、アヤメをそっといさめる。

 一方、亜蓮(あれん)様は、アヤメの鋭い視線をものともせず、軽やかに微笑んだ。


「心配無用ですよ、レディ。殿下ご自慢の苺を見せていただいただけです」

「苺?」


 ね? と同意を求めるような視線を向けられ、わたしは大きく頷いた。


「ええ本当よ。鳳凰院(ほうおういん)伯爵は、わたしの趣味をご存知でしたの」

「途中、殿下のご気分が優れないようなので、お供させていただいた次第です」

「まあ……」


 本当に? と言わんばかりの目線を、亜蓮(あれん)様に向けるのはやめましょうね、アヤメ。

 彼にされたのは、婚約者候補だと告げられたことと、名前で呼ぶことを求められたことだけなのだから。

 手へのキスは……ご挨拶だということにしておこう。うん。

 もし具合が悪そうに見えるなら、それは亜蓮(あれん)様に迫られたことよりも、彼に与えられたプレッシャーのせいだ。


「殿下、こちらへお座りください」


 亜蓮(あれん)様は、素早く椅子を手配すると、冷たい飲物を自ら取りに行ってくれる。背もたれの大きな椅子に身を預けると、よく冷えた果汁を差し出された。


「お飲物はいかがですか」

「……いただきます」


 おお、意外とマメな人なんだな。もしかして、こういうところも女性に人気がある要素のひとつだったりするのかしら?


「お気遣いありがとうございます、伯爵」

「いいえ。殿下こそご自愛ください。近い内に招待状をお届けします」

「…………」


 いりません、と言えるはずもないので、一応微笑んでおきました。

 亜蓮(あれん)様のご自宅に、カイと一緒に来いですって? しかも、将来を誓い合った相手を……嘘でしょう?


「姫様?」

 アヤメが心配そうに、わたしの顔を覗き込む。


「ええ、大丈夫よ。ありがとう」


 なんて、全然大丈夫じゃない。

 ああ、本当にどうしよう……。


 * * * *


 鳳凰院伯爵との婚約を回避するために、将来を誓い合った仲だと口裏を合わせて欲しい。


 カイにお願いするにあたって、自分なりに踏まえるポイントを考えてみた。あくまで事務的に話す。感情を交えないように心掛けること。

 まず、簡潔に要望を伝えてから、理由を補足する。


 理由1 なぜ婚約を回避したいか。

 亜蓮あれん様の恋愛遍歴は社交界では有名だから、その素行の悪さは王城に出入りしているカイの耳にも届いてはいるだろう。

 ……結婚相手としてはよろしくない相手と、判断して貰えることを祈るばかりだ。


 理由2 なぜ将来を誓い合った仲の相手がいると偽ったのか。

 咄嗟に婚約を断る理由が、これしか思いつかなかったから。相手がなぜカイなのかは、年齢が見合う上、頼める相手が彼しかいないから。

 ……これで納得してもらえることを祈るばかりだ。


 散々悩んだ割りに、たどり着いた考えはごく普通のものでした。凡人には、所詮凡庸な考えしかできないのです。こればっかりは相談できそうにない案件なので、誰かの知恵をお借りするのは諦めた。


 一瞬アヤメの顔がよぎったけれども、彼女はカイのことを快く思っていない。カイの人柄がどうこうと言うわけではなく、単にわたしがカイになついているのが原因なのだけど。

 つまりアヤメに相談しても、庭師と結婚だなんて馬鹿を言うくらいなら、少々女癖が悪くても亜蓮(あれん)様と結婚したほうがましだと言われるに違いない。


 あと問題なのは、カイが引き受けてくれるかどうかである。




「姫様。そこにいたら、毛虫が降ってきますよ」

「ええ、今どくわ」


 カイはただ今、桜の木の剪定をしている。王宮へ延びる道の一部は桜並木になっている。今はもう花の盛りは過ぎ、すっかり葉桜となり、青々とした葉が繁っていた。

 ぱらぱらと落ちてくる枝に付いた葉には、黒っぽい毛虫がくっついている。そろそろと毛虫から距離を取りつつ、脚立の上で作業をしているカイを盗み見る。


 な、なんて切り出そうかな。

『カイ、ちょっと話があるの。この後少し時間貰っていいかしら?』

 うん、話の切りだしはこんな感じで問題ないはず。問題はその後だ。

『実は縁談があるみたいで、相手はあの鳳凰院ほうおういん伯爵なの』


 うんうん、こんな感じ。

 でも待てよ、もしカイが亜蓮あれん様のことを知らなかったら「あの鳳凰院伯爵」なんて言われても、誰ですか? ってなってしまうわよね。

『カイは鳳凰院伯爵って知っている?』


 うん。まずは確認だ。

 知っていれば、縁談の話を始めればいい。知らなければ、亜蓮様の人となりを、華麗な女性遍歴を披露すればいい。ここで亜蓮様が女性の敵であると匂わせて、本題に入る……。


「どうしました、姫様?」

「っ!」


 どうやらすでに剪定は終わったらしい。大きな麻袋と脚立を抱えたカイが、傍らに立っていた。


「どうしました。ボーっとして」

「あ、えと、あの……わたくしも手伝うわ」


 脚立はかなり重たそうなので、せめて持てそうな麻袋に手を伸ばす。


「いいですよ。俺ひとりで持てますから」

「でも」

「さっきの毛虫が入っていますよ」

「…………」


 無意識のうちに、手が麻袋から遠のいてしまう。すると、カイは小さく笑った。


「俺はこれを片付けてくるので、今日はサイに送らせます」


 いつも庭仕事の後はカイが王宮まで送ってくれるから、その道すがら話そうかと思っていたけれど。


「そう、ありがとう」


 今日は諦めたほうがよさそうだ。

 がっかりしたような、ほっとしたような。小さく安堵の息を吐いた。


「姫様」

「なあに」

「やっぱり、手伝ってください」

「え」


 そう言うや否や、担いでいた麻袋を押し付けてきた。つい受け取ったものの、この中には切り落とした葉や枝の他に、毛むくじゃらのアレが蠢いているかと思うと、鳥肌が立ちそうだ。

 今すぐ放り出してしまいたいところだが、中身を地面にばら蒔いて面倒なことになるのはわかっている。


「あの、カイ……毛虫」

「手伝って貰えると助かります」


 そう言われてしまうと、手伝わないわけにはいかないじゃない。ええい、惚れた弱味だ。粗く織られた麻布の隙間から見え隠れしているが、わたし頑張るわ。


「ええ、任せておいて」

「頼もしいです」


 その後、麻袋から飛び出た枝を伝ってきた毛虫に、何度か声にならない悲鳴を上げる羽目になった。


「姫様、ありがとうございました」

「どういたしまして……」


 庭師の小屋に戻ると、疲労困憊したわたしはテーブルに突っ伏した。

 以前はもっと簡易的な造りだったこの小屋も、わたしが入り浸るようになったせいで、ずいぶんと修繕がされている。

 さすがに猫脚のテーブルなんて実用的じゃないから却下されたけど、このテーブルセットも簡素なデザインながらも上質な木材が使われている。だから、テーブルに頬を擦りつけても、ささくれ立った木が刺さることもない。


「だいぶお疲れのようですね」

「ううん、疲れたわけじゃないの……」


 毛虫のせいで心が削られました、とはさすがに言えない。せっかく無理を言ってやらせてもらっている庭仕事なのに、虫が苦手だなんて言ったら……辞めさせられてしまいそう。

 よし、もっと虫と仲良くなろう。毛虫に頬ずりできるくらいには。


「さあ、どうぞ」


 ことり、とテーブルに何かが置かれた。ほぼ同時に、ふわりと清涼な香りが鼻を掠める。顔を上げると、ほんのりと緑がかったお茶で満たされたマグカップが置かれていた。

 マグカップも宮廷御用達の職人の手による一点ものだ。最初はみんなおっかなびっくり使っていたけれど、今はすっかり普段使いに慣れているようだ。

 

「……ありがとう、いただくわ」


 のろのろと顔を上げて、そっとマグカップを手に取った。まだ熱いので、ふうふうと息を吹きかけながら、そろりと口に含む。

 それはいわゆるミントティーだった。恐らくカイがブレンドしてくれているのだろうそれは、ほのかな清涼感と優しい甘味を口の中に残した。


「美味しい」

「それは、よかったです」


 清々しい風味のお陰で、主に毛虫のお蔭で削がれたライフポイントが復活した気分です。ふう、と思わず息を吐く。

 お茶を啜りつつ、何気なく周囲を見渡した。そういえば、いつもはいるサイとゴウの姿が無い。わたしの視線で気付いたのか、カイが説明をしてくれる。


「サイはもう帰りました。親父殿は今日は非番です」


 ……ん? ということは、今、カイと二人きり?

 現状に気付いた途端、心臓がばっくばっくと音を立てて鳴りだした。

 ああ、でも緊張したところで、カイと素敵な展開になるわけもない。落ち着け、わたし!

 わたしの心臓が壊れそうなんて知らないカイは、真正面の椅子に腰を降ろすと、大きく身を乗り出した。

 ちちち、近い!


「姫様」

「なあに」


 声がうわずる。空を思わせる瞳が真っ直ぐにわたしを見つめる。恥ずかしいのに、その目を逸らすことができない。


「何か言いたいことがあるなら、遠慮なく話してください」

「……どうして」


 どうして、わかったの?

 驚いて、言葉が出ない。固まってしまったわたしを見てカイは苦笑する。


「姫様は昔から、話を聞いて欲しいことがあると、何か言いたげな顔をして金魚の糞みたいにくっついて来るんですよね」


 金魚の、糞!

 呆然としているわたしの目をじいっと覗き込むと、滲むような笑顔を向ける。


「で、どうしました? 姫様」


 カイの笑顔は心の奥が温かくなるように優しくて、勝手に心臓がドキドキしてくる。

 でもね、それはまるで愛犬を愛でるような眼差しで、とても恋する相手を見つめる視線ではない。


 この色気も欠片もない状況で「将来を誓い合った仲の振りをして」って、頼むの? え? 嘘でしょう?


 む、無理だぁ……!

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