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12 亜蓮ルート突入の危機!

 ゲームならまだしも、鳳凰院亜蓮(ほうおういんあれん)のような人が現実にいたら、お付き合いは全力でお断りだ。でも、実際にいるわけがないし、もしいたとしても自分には縁も所縁もない人に違いない。


 そもそも前世のわたしは、ごくごく普通の一般庶民だったし、彼はゲームのキャラクターだった。実際お付き合いなんて、できるわけがないのだから。

 でも今は。


「殿下、ご自慢の庭園を見せていただますか?」

「まあ、庭園にご興味がおありですの?」

「殿下のご趣味は園芸と伺っております。殿下の育てた花々を、ぜひ拝見したい」


 第四王女わたしの庭仕事の話題は、社交界でも知れ渡っているようだ。自慢の庭園ではあるけれど、最近わたしが手掛けているのはお花じゃないんだよなあ。

 とはいえ、亜蓮あれん様は、本当に庭園が見たいわけじゃない。第四王女わたしの興味に合わせて話題を持っていっただけ。

 わかっているけど、自慢の庭園を見たいなんて言われたら、ちょっと嬉しくなってしまう。もちろん社交辞令だってわかっているけれど、自分が好きなことを興味を持って貰えるって嬉しいもの。


「伯爵は、園芸にご興味はおありですか?」

「ええ、もちろんです」


 ふわり、と彼が微笑んだ途端、背後に白い薔薇の幻影が見えました。

 やっぱりイケメンってすごい……。女ったらしだってわかっていても、嘘だってわかっていても、目の前で微笑まれただけで、何もかも赦してしまえそうよ。


「でも……」


 今すぐ庭園を見せたい!

 ようやく実を付けてきた苺も見てもらいたい!

 やっぱり誰かに見てもらいたい。そんな欲望が、むくむくと首をもたげる。


 でも、兄上は「この場でだったら」とおしゃっていたし、亜蓮様と二人っきりになる状況は良くないことだとわかっている。だからアヤメだって、こうして見張っているのだし。


「今の季節は、どんな花を育っていらっしゃるのですか?」


 どうしたものかと迷っていると、亜蓮様がそっと手を取り訊ねてきた。

 おお、なんて綺麗な手!

 思わず亜蓮様の手を観察してしまう。

 彼の白く滑らかな肌には、傷もシミもない。大きな手。細く長い指。爪だってピカピカに磨かれて、桜色に輝いています。それでも決して華奢ではない、男の人の手をしている。


「私の手が、どうかしましたか?」

「あ、失礼致しました……」


 我に返って、慌てて手を引っ込める。

 男性に手を握られて、恥じらうどころかガン見するなんて。淑女レディらしからぬ態度を取ってしまった。


「あまりに綺麗な手で、思わず見とれてしまいました。庭仕事をしているせいか、私の手はお見せできるような状態ではなくて……」


 庭仕事のせいにして荒れ放題な自分の手と比べてしまう。

 うん、酷い手だわ。アヤメが頑張ってお手入れしてくれているのに、爪なんかボロボロよ。


「そうでしょうか?」


 そう言うや否や、手袋をするりと外されてしまう。

 突然のことに、わたしの腕や手がむき出しになってしまうのを他人事のように眺めていた。


「美しい手をしていらっしゃる」

「え、あの!」


 うわ、嘘! せっかく手袋で隠しているんだから、勝手に外さないでください!


「あの、今は……花は育てていないのです」


 両手を背後に隠しながら飛びす去る。悔やまれるのは、姫君らしからぬ大声を上げてしまったこと。慌てて王女スマイルを浮かべてみるが、恐らく失敗しているだろう。


「では、何を育てていらっしゃるのですか?」


 何事もなかったように、亜蓮様は涼しい顔をしている。あたふたしている自分が情けない。

 頑張って、此花! 

 発酵中の堆肥でもご披露して、ど肝を抜いてさしあげようかと思ったけれど。


「苺です」


 さすがに発酵中の堆肥の山をお見せしするわけにもいかないと、理性が働いてしまった。とっさに無難な苺の名を叫んでいた。


「苺……ですか?」


 きょとんと目を瞬く亜蓮(あれん)様。

 あら、なんですか、ちょっと可愛いいんですけど!

 美形は何をしても絵になるのですね。危うく心奪われそうになってしまう。


「はい。そろそろ実が色付いているかもしれません。鳳凰院(ほうおういん)伯爵は、苺はお好きですか?」

亜蓮(あれん)と」

「?」

亜蓮あれんとお呼びください、殿下」

「……」


 親しくもない相手を、お名前で呼ぶなどできません……ときっぱり言えばいいのだろう。

 でも、少し切なげな声で囁かれると、強く突っぱねるのは難しい。


「よろしければ、あなた様のことを此花このはな様と、お呼びしても構わないでしょうか?」


 いつの間にか手を引かれ、亜蓮あれん様との距離が縮まる。わたしの目を覗き込む空色の瞳は、まるで宝石のように美しくて、縁取る睫毛もなんて長いのでしょう。そして何といっても、目力が強い。


 むむむ……目力に負けてなるものですか。

 恋愛経験のない小娘なら簡単に手懐けられると思っているのだろう。

 小娘だからって馬鹿にしないで!

 一度は亜蓮(あれん)ルートを攻略して、あなたの手口は知っているんだから。


「苺はお好きですか? 鳳凰院(ほうおういん)伯爵」


 あなたを名前で呼ばないし、わたしの名を呼ぶことも許しませんよ。

 そう意味を込めて王女の威厳を少しでも感じさせるように微笑む。

 まさか小娘に拒絶されるとは思わなかったのだろう。亜蓮様は一瞬目を瞠ると、甘いお顔に苦い笑みを浮かべる。


「……苺は好きですよ。王女殿下」


 よし!

 心の中で握りこぶしを振り上げたガッツポーズ。


 しかし、わたしは馬鹿でした。百戦錬磨の魔の手を退けたという妙な自信が、心の隙をを生んでしまったようです。

 もっと警戒心を持たねばならないのに、わたしの頭の中は苺のことでいっぱいでした。


「では、苺畑をご案内しますわ」


 必死に目配せをするアヤメに気付かず、亜蓮様を庭園へと案内した。

 宴の喧騒から離れ、人の気配のない園庭に二人きり。でも、アヤメが見ていてくれるだろうし、園庭は慣れた場所でもあったから油断していた。

 後から付いてくるだろうと思っていたアヤメは、鳳凰院(ほうおういん)家の家臣たちに足留めを食らっていたことに気付かなかった。


* * *


「みんな……いないのかしら」

「どうされましたか?」

「庭師の方々を探しているのですが……」


 見当たらないのです、と続ける前に亜蓮(あれん)様が遮った。


「今日は祝いの日。使用人も休暇が与えられたのでしょう」


 そっかあ、今日立太子の儀。国を挙げてのお祝いだものね。

 ここに生まれ変わってから、日曜祝日はお休みとは縁のない生活を送っているせいか忘れていた。むしろ休日の方が忙しいかもしれないくらいだし。


 でも、返ってよかったのかもしれない。

 婚約者候補の亜蓮(あれん)様を見て、カイがどんな反応をするかなんて想像してみてください。真顔で「姫様と結婚しようなんて、どんな物好きですか」とか「貰ってくれる方がいてよかったですね」って言われるに決まっている。


 嫌だあ。絶対に嫌だあ。

 ああ、考えただけで凹む。せっかく女王の道から外れたのに、結局カイの心を掴めないまま婚約者候補が現れてしまった。


 ああ、カイとの仲が深まっていれば、元攻略相手が現れようと怖いものなんてなかったのに。


「殿下、どうされましたか?」

 亜蓮(あれん)様の声で我に返る。


「いいえ……ごめんなさい、少し考えごとをしてしまっただけです」


 曖昧に微笑む。すると、亜蓮(あれん)様は空色の瞳を少し翳らせ、長く優美な指が優しくわたしの手を包み込む。


「何か、悩みごとですか?」

「いいえ、悩みというほどではありませんわ」


 そうよ、カイに相手にされていないなんて、今更だもの。悩みの内にも入らないわ。

 でも、亜蓮様は引き下がらなかった。


「もしよろしければ、私にお聞かせください」

「ですが、本当に大したことではないのです」

「大したことではないとおっしゃいますが、心の内を言葉に変えただけでも、少しは軽くなるものですよ。試してはみませんか?」


 とは言われても……。

 好きな人に、他の男性と一緒にいるところを見られても、嫉妬どころか祝福されそうで落ち込んでいました。なんて言えない。


 どうしたら、この話題をスルーできるだろう?

 瞬時に考える。

 うん、これは……うやむやにするしかない。


「……ありがとうございます。伯爵はお優しいのですね」


 にっこり笑えば、このままうやむやになるはず。


「誰にでも優しいわけじゃありませんよ。王女殿下」


 はずなのに…うやむやにならなかった。

 不意にお世辞にも綺麗とは言いがたいわたしの手を取ると、なめからな指先でそっと撫でる。

 途端、背筋になんともいいがたいこそばゆさが走る。


「……あなただから、優しくしたいのです」


 亜蓮(あれん)様は、二度目の口付けを、わたしの手に落とす。

 しかも、わたしを優しく見つめながら……腰が砕けるかと思いまさした。

 

 ま、不味い……なんか不味い気がする。

 手を引き抜こうとするけれど、がっちり握り込まれているからびくともしない。

 王女を相手に、いきなりご無体はなさらないだろうけれど、亜蓮様の目力という名の魔法のせいなのかしら。綺麗な青い瞳から目が離せない。


 吸い込まれそうで……なんだか良い匂いまでするっ!

 ほのかに薔薇のような甘い香り、それ以上に糖蜜級の甘い瞳、そして。


「姫君」


 こっ、声も甘い。甘過ぎる!

 もう砂糖の海に溺れ死んでしまいそうだ。いやその前に糖尿になりそうな危険を孕んでいる。

 離してっ、離れてっ! 脳が砂糖付けになる前に!


「あ、あの……!」

「どうされましたか? 姫君」


 憂いを含んだ甘い眼差しは……いやもう、すごい威力です。

 今までも数多の女性がこの方の垂れ流す甘い雰囲気にコロリとなってしまったのがわかる気がする。


 不味い、不味いってば!


 相手は乙女ゲームのメイン攻略キャラクター。一方わたしは、いくら外見は乙女ゲームの主人公でも、中身は引きこもりの喪女ですよ?!

 いくらこの人のルートを攻略していたとしても、所詮はモニタ越しでのこと。生身の超絶イケメンを目の前にしただけでも卒倒しそうなのに、その人の体温を感じるほど接近だなんて想像してみてください。失神どころか昇天してしまいそうです!


 この場を回避しなければ、このままズルズルと亜蓮(あれん)様ルートに突入になってしまう。しかし、恋愛スキルもコミュ力も低いわたしには、上手い回避方法なんて思い付かない。いや、上手い方法なんて考えずに、ベタでもいいからこの場を切り抜けられればいい。


 ええい! ダメ元だ!

 咄嗟に、頭に浮かんだ台詞を口にしていた。

 

「実は……わたくしには心に決めた方がいるのです」


 わあ、我ながら嘘臭い……。

 もっと信憑性がある嘘を付けばいいのに、残念なわたしの頭ではこれくらいしか思い付かなかった。


「心に決めた方?」


 亜蓮あれん様は気づいているのだろう。苦し紛れの出まかせだって。小娘の浅知恵なんてお見通しだと言わんばかりの余裕の表情である。

 でも、亜蓮様ルートを脱するには、嘘を吐きとおすしかない!


「それはどの家の方ですか?」

「それは……その」


 それは間違いなくカイだけど!

 わたしが勝手に心に決めているだけだから、彼の名を出すわけにいかない。


「あの……ええと……」


 亜蓮様がクスリと微笑む。

 小馬鹿にするような笑みに、悔しさと悲しさが込み上げる。


「その方とは相思相愛なのですか?」

「も、ちろんですっ」


 残念ながら、相思相愛どころか恋愛対象にも入っておりません。


「その方のことは、陛下はご存知ではないようですね」

「はい……ですが、わたくしも成人を迎えたので、そろそろ打ち明けようと思っておりました。鳳凰院ほうおういん伯爵にはご迷惑をお掛けして申し訳なく思っております」


 不意に亜蓮あれん様が小さく息を吐き出す。どうやらそれは、堪えていた笑いを漏らしてしまっただけのようだ。


「……鳳凰院ほうおういん伯爵?」


 ようやく拘束が解けたことに気付いて、彼の手から逃れる。

 しかし彼は、そんなことなど気にも留めていないようだ。くすくすと、控えめだが声を立てて笑う亜蓮あれん様を茫然と見上げる。

 亜蓮様は薄く浮かんだ涙を指先で拭うと、ニヤリとほくそ笑んだ。


 え?! 何? 爽やか超美形が、悪役超美形になった感じ。どっちみち美形には変わらないのだけれども、彼の本性が垣間見えた感じで怖いです。


「どうせ吐くなら、もう少しましな嘘を考えてはいかがですか。姫君」

「嘘ではありません」


 願望です! と心の中で付け加える。

 そう。見え透いた嘘だ。でも、ここで嘘だと白状してしまったら、このまま亜蓮あれん様ルート突入じゃないですか。

 せっかく女王の道から抜け出せたのに、このまま諦めることなんてできないし、したくない。


「わたくしは……彼と一緒になれるのなら、平民になってもいいと思っています」


 嘘偽りのない本当の気持ちだ。

 ただ問題なのは、カイの心が、わたしに無いことだけです。


「ほう、お相手は市井の者ですか」

「え、ええ……」

「深窓の姫君が、どうやって市井の者と会う機会があるというのです?」

「それは……」


 その相手が庭師だから。

 でも、そこまで言ってしまったら、ある程度特定できてしまう。

 駄目駄目、無理無理。言えないってば。


「それは、その……」


 ちらり、と亜蓮様の様子を伺うと……その澄んだ青い瞳には勝ち誇ったような色が浮かんでいる。

 ああ、言いたい! カイと両想いだと、言ってやりたい!


「王族の姫君で、降嫁された方は過去にいらっしゃいます。中には持参金欲しさに婚姻を結び、不遇な結婚生活を送られた姫君も」

「カイは、そんな方じゃありません!」

「ほう。その男はカイというのですか」


 し、しまった……。

 脳内彼氏をカイに変換して考えていたから、うっかり口が滑ってしまった。口を押えたところで、すでに発言した言葉は取り消せやしない。


「では、そのカイとやらと見定めて差し上げましょう」

「いいえ、遠慮いたします」

「ぜひお二人で、我が館へお越しください」


 ちょっと! 人の話を聞いて!


 憤るわたしの手に、何かを握らせる。それは、さっき脱がされた手袋だった。そして耳元に唇を寄せると、脳内を浸食するような甘い声で囁いた。


「お待ちしていますよ、此花(このはな)様」


 ちょっと待って。名前呼び、まだ許可していませんよ!

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