10 そして四年が経ちました
1/24 桐花の婚期を修正しました
2020/8/28 ちょっと修正しています
兄上の立太子の礼の日取りが決まった。
立太子の礼というのは、正式に王太子にするよ! という儀式のことです。
そこでようやく明かされた兄上の出生の真実。兄上は自分が不義の子だと思っていた誤解がようやく解けた。
つまり、兄上は正妃の子ではなく、側妃になろうとしていたカガヤ様が母親であることを知っていた。そして、カガヤ様が正式に側妃となる前に兄上を宿していたことを。
父上はてっきり、兄上が正妃の子でないことを知って遠慮なさっているのだと思っていたみたい。父上はご自分がしでかしたことだから、兄上が自分の子であることは、ちゃんと認識していたわけよね。
「しかし陛下、私の母親は側妃として召し上げられる前に妊娠していたと聞いています」
兄上は真っ向から切り込んで来た。確か……この展開はゲームではなかったはず。
ゲームにはなかった展開に驚くわたしと、違う意味で驚く桐花姉上。そして気まずそうな父上と、苦笑する母上。
しどろもどろな父上に代わって、淡々と事実を告げることによって兄上の誤解を解いた母上は正直カッコよかったです。
わたしたち姉妹の中で母上の株は上がる一方、カガヤ様が正式に側妃になるのを待ちきれず、お手つきをしてしまった父上の株は下がってしまったわけだけど……。
長年の誤解が解けた兄上は、気が抜けたように苦い笑いを浮かべていた。
「あの遠慮の塊みたいな兄上が、父上にああ切り込んで行くとは思わなかったわ」
桐花姉上は白湯で満たされた湯呑み茶碗を手にしながら、ふわりと微笑んだ。
三年前の春、姉上は華堂路公爵家の幾雲様の元へ嫁がれた。
わたしが前世の記憶を取り戻した時点で、すでに姉上は華堂路家での花嫁修業で、ほとんど王城にはいないようなものだったのだけれども。後から聞くと、花嫁修業という名の語学修業だったらしい。
元々華堂路家は国内で呉服商としても業績を伸ばしていたけれど、ここ最近は貿易商としても、さらなる成長を遂げている。
義兄の幾雲様は桐花姉上との仲も良好だ。
海外への取引ですら姉上を連れて行く。なるほど、このための花嫁修業だならぬ語学修業だったわけだ。
海外はビジネスの場で妻を伴って行くのが当たり前らしいからと姉上は言うけれど、元々二人は幼馴染みで仲もよかった。わたしも幾雲様には妹みたいに可愛がって貰った記憶がある……ん?
ふと思い出したけれど、華堂路幾雲って、攻略キャラだったよね? それに、桐花姉上が結婚されたのは、辺境を領地に持つ華族のご子息様だった……はず。
不意に攻略キャラ、華堂路幾雲に関するゲームの設定を思い出した。
* * *
華堂路 幾雲
25歳。自国の公爵家の次期後継ぎ。主人公の兄的存在。物静かで優しく寡黙な青年。第三王女、桐花の元婚約者。
* * *
ゲームで桐花姉上とのエピソードがないのも納得だ。
彼のために身を引いたのに、結局妹の王配候補になってしまうなんて……あんまりな展開だ。恨まれても仕方がないくらいだ。
ちょっと長いけど説明させてもらいます。
本来的なら上の二人の姉上が王位継承順位が高いのだけれども、他国の、しかも王家に嫁いでしまったから、今更呼び戻して王位に付くのは難しい。
だから王太子候補には兄上と共に、第三王女の姉上が上がっていた。
桐花姉上と彼の結婚はずっと前から決まっていた。それは、王太子候補に決まっても変わらなかった。何故なら姉上の相手は華堂寺家の幾雲様。王配に相応しい相手だからだ。
でも幾雲様は自らの目で異国の文化を目にし、事業を拡げていくことを希望していた。もし自分が女王となってしまったら、王配となった彼にはそれが叶わない。
幾雲様の夢を摘まないため、桐花姉上は彼との婚約を破棄し、ふさぎ込んで心の病に掛かってしまう。
そして、辺境にある静養地に移り、その地を治める華族のご子息様との婚姻を結ぶことになるけれど、姉上が望まない結婚であることは間違いない。
残る兄上が王太子と決まったものの、密かに第四王女の此花を推す声が上がり、水面下では派閥同士の争いもあったという。
そして第四王女の十六歳の誕生日、成人となった祝いの席に兄上は姿を現すことがなかった。出奔した兄上に代わり、第四王女が王太子に任命されることとなる。
そして、ゲームが幕を開く……わけなのだけど。現在、ずいぶんと状況が違っている。
まず、桐人兄上が王太子になることは確定だ。兄上は積極的に帝王学を始め、諸国の歴史経済や外交についても学んでいる。その努力と姿勢は周囲にも認められ、順調に次期王への道を着実に歩んでいる。
そして桐花姉上は、無事婚約者である幾雲様と結婚して、おしどり夫婦の代名詞となるくらいだ。
攻略キャラが一人減り、わたしが王太子になることはまず無さそうだ。王配候補の攻略キャラたちとの恋愛ゲームは始まることもない。
あとはカイとの仲を深めて、王籍を捨てて降嫁する。
そのためにまずしたことは、畑をひとつ用意してもらうこと。カイとの仲を深めつつ、自給自足ができるのだと、庭師妻としてやっていけるアピールである。
優秀な庭師たちの指導のもと、わたしの園芸の腕は上がった。花を育てるよりも、薬草や野菜を育てる方が熱が入った。最近力を入れているのは堆肥を作ること。
これがなかなか評判が良く、王城内ではもちろん、孤児院や養老院の畑作りにに役立って貰っている。
孤児院や養老院での慰問でも、一緒に畑に入ったり、厨房を借りて収穫した野菜を色々手伝わせて貰ったり。お陰で家事スキルも上がりました。
庭師の妻になる準備は整いつつある。後はカイとの恋愛を進展させれば何の問題もない……はずだったが。
甘かった。わたしの考えは激甘だったのだ。
もうすぐ十六歳を迎えようとするわたしの前には、最大の難関が立ちはだかっていたのです。
* * * *
王城の庭師カイは残念ながら攻略キャラではない。攻略キャラではないけれど、彼は主人公の此花に優しかった。
いつも此花を気遣い、たとえ此花がどんな状況に陥ろうと、カイは変わらず優しかった。
此花のために造った白いバラの鉢を差し出すスチルは、最高に癒しだった。
癒しだったのに……これは誰?
「……臭い」
わたしの顔を見た途端、カイがのたまった第一声だった。
「え……?」
彼に向かって駆け寄ったわたしは、その言葉に固まる。
「臭い?」
何が臭いのだろうかと、探ってみたもののわからない。小首を傾げていると、カイはずばりと告げる。
「姫様が、臭いのです」
「えええ?!」
服の袖を嗅いでみる。ちゃんと手や顔に付いた汚れは落としてきたつもりだったんだけど……自分だとわからない。
必死に匂いの原因を探っていると、そんなわたしを見てカイは溜息を吐いた。
「堆肥づくり頑張ってましたから……仕方がないですね」
「……」
はい堆肥。確かに堆肥を頑張って仕込んでいました。今仕込んでいるのはバラ用の堆肥。バラには馬糞が良いと教えてくれたのはカイですからね!
「ちゃんと手袋もしていたし、終わってからちゃんと手も顔も洗ってきたのよ?」
「服や髪に匂いが染みついてしまったのでしょう」
「……そうね」
ううう、この場から消えたい! 穴があったら入りたい!
とにかく臭い自分を、カイの前から消してしまいたい!
でも、少しでもカイの側にいたい。矛盾した気持ちを抱えながら、羞恥に打ち震えていた。
「今日はもう戻ったほうがいいですね。風呂に入ってしっかり匂いを落としてください」
「…………はい」
客間に飾る花を選ぶのは、彼に任せよう。そしてわたしはこのまま退散しよう。
「では、お先に失礼するわ」
好きな人に臭うと言われるのは、かなりのショックだ。猛ダッシュでこの場から立ち去りたいけれど、放心状態で走れそうにない。ふらふらと歩き出した途端、転けた。
「姫様?!」
「いたた……」
何故平面で転けるかな。
しかも、足首捻ったかも。情けない。とほほな気分で立ち上がろうとした時、カイがわたしの足元にしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか? 頼みますから一人で行動しないでください」
「でも、臭いからさっさと退散した方がいいかと思って……」
「お送りしますから早まらないでください」
「大丈夫よ、一人で戻れるわ」
「足、痛めましたよね」
「大丈夫よ」
「侍女殿に受け渡すまでが、俺の仕事です」
「受け渡すって、物みたいに」
「似たようなものです」
きっぱりと告げられ、マンガみたいに「ガーン」と頭の中で音がなった。
臭い上に、物扱い……。
ゲームでは、カイは主人公に対していつも優しかった。くだけた敬語はかわらないけれど、もっとこう丁寧に扱ってくれていた。
今のカイは、なんだかんだ優しいけれど……ちょっとわたしに対する扱いが雑な気がする。
ゲームでのカイは、落ち込んだ時は綺麗な花を送ってくれたり、話を聞いてくれたり、控えめな笑顔も素敵だった。
ニヤリ、なんて意地悪な笑顔なんてしなかったはずよ?
バラを差し出すカイのスチル。モブキャラだから一枚しかなかったけれど、あとはわたしにとっては宝物だった。
一体、何がいけなかったのだろう……。
本来なら、今頃カイは此花に淡い恋心を抱いているはずなのに、そんなものは欠片も抱いている気配がない。
ゲームでの主人公は一緒に庭園の手入れもしなかったし、堆肥を作ったりもしなかった。もしかすると、カイとの距離を縮めようと努力したつもりだったけれど、むしろ余計な努力だったのかもしれない。
ま、よく考えたら糞も掴めて雑草や害虫駆除もする姫君なんて、普通いないよね!
わたし的には、結婚したら一緒に庭師の仕事が出来たらなって思っていたからさ。仕事も覚えたかったし、できるんですよアピールというのも密かにあった。
なのに、すべて裏目に出てしまったなんて絶望しかない。
「姫様、足は痛みますか?」
小さく頭を振る。
頼むから情けは掛けないで。情けは無用です。期待してしまうから本当に。
カイはわたしの顔をしばらく見つめ、やれやれとため息を吐く。そして、くるりと背を向けた。
「無理しなくていいですよ。ほら、庭園を出るまでおぶって差し上げます」
おぶってくれるですって?! 嬉しい申し出だけれど。
「……でも、わたし臭いのでしょう?」
「もう鼻が慣れましたから平気です」
「臭いと言われて、おぶってもらうほど神経太くありません」
「早く帰らないと侍女殿に叱られるのは俺なんです。早くしてください」
背を向けたまま、告げるカイの声は厳しい。
「……わかったわ」
こういうところは変わらない。ちょっと扱いは雑になったけれど、根本的にカイは優しい人なのだ。
わたしは……どう振る舞えばよかったのだろう?
そもそも、攻略キャラ以外の好きになるなんて駄目だったのかな?
「……臭いのに、ごめんなさい」
あまりくっつかないように、控えめに肩に手を沿える。カイの背中に身を預けるなんて、心臓が口から飛び出してしまいそう。
「姫様、しっかり掴まってください。落ちますよ」
「はいぃ……」
すみません、臭くて。失礼します!
心の中で謝ってから、そっと彼の首に腕を絡める。短くなった紅茶色の髪からは、ふわりとお日様の匂いがする。
それに比べて、わたしは糞尿の臭いとは……ここは乙女ゲームの世界じゃなかったの?!
よいしょ、と掛け声と共にカイは立ち上がる。
「重たい?」
「ジロハチよりは軽いですよ」
ジロハチとは、庭番をしている秋田犬という大型犬です。
そっかあ、ジロハチよりは軽いのね。
トホホな気持ちのまま、カイに背負われる。不安のない足取りは頼もしい。
「カイは力持ちね」
「普段から姫様より重たいものを運んでいますからね」
一見細く見えるのに、触れるとしっかり筋肉が付いていて素敵だ。細身なのに筋肉質、細マッチョ最高ですね……はあ。
カイの背中に居るのが辛い。嬉しいけど辛い。一刻も早く自分の部屋にたどり着くことを祈るばかりです。
息を潜めてじっとしていると、珍しくカイの方から話し掛けてきた。
「いよいよ立太子の儀ですね」
「ええ……そうね」
そう。とうとうここまで漕ぎ着けたのです。
いよいよ桐人兄上が王太子になる。もう間違いない決定事項だというのに、当日を無事迎えるまでは過る不安は拭えない。
もう桐人兄上が出奔する必要もないし理由もない。けれど、桐人兄上が無事に王太子になった姿を見届けるまでは安心できない。
「兄上が王太子になった姿を……早く目にしたいわ」
その姿を見れば、きっと安心できるだろう。
「姫様」
「……なあに?」
「何か……欲しいものはありますか?」
「欲しいもの?」
それは、あなたです!
なーんてね。そんなこと言えるわけがない。
欲しいものかぁ……。
ぱっと思いつくのは、やっぱりカイがわたしを好きになってくれることなんだけどね。頼んだから好きになってくれるわけじゃないし、そもそも無理に決まっている。
それにしても、どうしてそんなことを聞くのだろう?
もしかして……わたしに何かプレゼントをしてくれる、とか?
いやいや! そんなおこがましいことを考えてはいけないわ。
「ええと……質のいい馬糞かしら」
恐らくこの庭に必要なものを訊ねているのだろうと思い答えるが。
「却下です」
却下なんだ……。
カイから言い出したというのに、検討の余地もないなんて。
うーんと再び考える。道具はまだ使える状態だし、薔薇の苗もすでに発注済みだ。これから夏に向けて収穫できる野菜の種とかどうだろう。
「私、西瓜の栽培に挑戦してみたいわ」
「だから、そうじゃなく……」
珍しくカイは言葉を詰まらせた後、脱力したように溜め息を吐いてしまう。
「わかりました。西瓜の苗を用意しておきます」
「ありがとう。皆で西瓜割でもしましょう」
「すいかわり? 何ですかそれは」
そっか。この世界の人は西瓜割知らないのか。
「それは西瓜が出来てからのお楽しみよ」
「はあ……」
あまり楽しみじゃなさそうね。確かにせっかく熟れた西瓜を棒で割ってしまうわけだからね。たまに「これは食べられないな……」っていうレベルで粉々になってしまうこともあるし。
「ですが、姫様。西瓜の栽培は難しいですよ」
「そうね……苦労して作った西瓜は、やっぱりちゃんといただきましょう」
「まあ……頑張ってください」
「もちろんよ」
よーし。兄上が王太子になった後の目標が出来たわ。
西瓜作りに成功したら、少しはカイも見直してくれるかしら?
夏に向けて、西瓜作りを頑張ろう!




