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9 わたしらしく

「ずいぶん侍女姿が板に付いてきたね」


 多くて週に一度、変則的に侍女にふんして兄上とお茶をするのが習慣になっていた。

 兄上も「ハナ」の姿である時の方が気楽なのか、普段より気さくに接してくれるのが嬉しい。

 自分の分もお茶を注ぎ、兄上の隣に座って楽しく談笑している時だった。

 コンコン。部屋の扉がノックされる。

 慌てて席から立ち上がると、すばやくワゴンの隣に立つ。わたしが侍女のポジションに戻るのを見届けてから、兄上は扉の外へと声を掛けた。


「どうぞ」

「失礼致します」


 この声は……侍女頭のキヨウだ。

 彼女は母親くらいの年齢の女性だ。躾や日頃のお世話は、ほぼキヨウにお任せだったせいもあり、王妃である此花(このはな)の母親よりも、母親に近い存在だ。


 幼い頃から世話になっている彼女には、この変装が通用しないかもしれない。キヨウが入ってくる気配を察すると、角度四十度程度の会釈をする。目線はキヨウのスカートの裾が目に入る角度のうつむき加減。


 この角度ならば、顔の造作を確認しにくいだろうと思う……多分ね。

 キヨウは足音を立てずに室内に入ると、兄上に向かって深い礼を取る。


「ご寛ぎのお時間をお邪魔してしまい、大変申し訳ございません。殿下」

 キヨウの低く落ち着いた声が耳朶を打つ。

「構いません。どうしました?」


 兄上が柔らかい声で促すと、キヨウがちらりとこちらに目を向けた。


「最近、見慣れない侍女が殿下のお部屋によく伺っていると耳にしたものでして、確認に参りました」


 どきっ! わ、わたしのこと……だよね?!

 キヨウの視線が、ジリジリと頭を焦がすほど感じる。わたしは顔を上げるどころか、身動きひとつできない。


「アヤメが付いているようなので、危険人物ではないとは思っておりましたが……私の予感は当たっていたようですね」

 軽い溜め息を吐くと、痛いほど感じていた視線が緩む。

「このことは、殿下もご存じであらせられたのですね」


 質問ではなく、確認だ。兄上も彼女に隠しても無断だと悟ったようで、「キヨウには敵わないな」と苦笑する。その様子をあわあわしながら見守っていると、キヨウの視線がこちらに向いた。

 銀縁眼鏡の向こうにあるグレーの瞳が、不意に和らぐ。


「姫様、とてもお似合いです」

 ああ、やっぱりバレていたのだと確信する。

「あ、ありがとう……」


 ここはお礼を言うべきなのかな? 自分の発言に疑問を抱く。


「ずいぶんと印象が違うので、最初は気付かれにくいかもしれません。ですが、姫様だと気付かれるのは時間の問題です」

「そ、う?」

「はい。ですからお遊びはこれくらいにしてくださいまし。警護する者のことも、少し心に留めていただければと思います」

「はい……わかりました」


 あらら、警護もしっかりされていたようだ。厳しく諫められたわけではないが、少なからずとも周囲に迷惑を掛けていたのだと知ってしまうと、申し訳なさが勝ってしまう。


「ごめんなさい」


 でも、侍女に扮しないと兄上とお茶ができなくなってしまう。


「少し遊びが過ぎてしまったね。今度は此花このはなとしておいで。また美味しいお茶を教えて貰えると嬉しいな」

 わたしの心配を察したかのように、兄上が微笑んだ。

「はい……ぜひ!」


 心から嬉しいと思う気持ちと、頭の片隅で「女王即位回避!」と小躍りする自分。

 我ながら浅ましいな。

 ここはゲームの世界だと割り切ればいいのだろうけれど、割り切れない気持ちが心を重たくするのだった。


* * * *


 侍女をやめてからも、時折兄上と話をする機会も増えた。元々侍女に扮したのは兄上に会いに行くのが目的だったから、もう必要ない。


 でも……。

 侍女姿だと気負わない態度のカイと会えるのも嬉しかった。もう侍女のハナにはなれないから、カイともしばらく会っていない。


 カイに会いたい。なんて本音は言えるわけもない。だからアヤメに「気分転換がしたい」と庭園に行きたいのだとねだると、思いの他快く頷いてくれた。


「私も同行致します」

「お願いするわ、アヤメ」


 はい、と礼を取るとアヤメは思い出したように笑う……と言っても微かに口元を弛める。


「どうしたの?」

「いえ、以前に姫様がお一人で庭園に行かれた時のことを思い出しただけです」

「うう……忘れて」


 木から降りれなくてカイに助けて貰ったのよね。でも、後でアヤメにもキヨウにも迷惑を掛けてしまって……深く反省しています。


「姫様、いらしていたのですか」


 アヤメと一緒に庭園に足を運ぶと、庭師のサイが慌てたように飛んできた。


「こんにちは、サイ。ちょっと散歩がしたくて……お邪魔だったかしら?」


 姫様スマイルを浮かべば、サイは「とんでもございません」と頭を振った。


「ゆっくりお過ごしください。ああそうだ。今カイが薔薇の世話をしております。もしご希望のものがあれば切らせますが、いかがですか?」


 え! カイが!?

 もちろん行きます! 行きますよ!!


「薔薇は大好きよ。お願いしたいわ」


 心の声とは裏腹に、姫君らしい落ち着いた態度で微笑むわたし。うーん、なんだか詐欺師にでもなった気分だわ。


 サイに案内されて、綺麗に駆られた緑の回廊を進んでいく。微かに甘い匂いを感じる。その匂いを辿るように進んでいくと、緑の壁が終わりを告げ、視界が一気に開けた。


「わあ……」


 色とりどりの薔薇が咲き乱れ、甘く芳しい香りに包まれていた。

 その向こうには一面の薔薇。赤やピンク、ピンクでも濃いものや淡いもの、オレンジかがったもの。他にも純白やクリームのような白、カスタードクリームのような淡い黄に、目の覚めるような鮮やかな黄と、まるで色の洪水だ。


 それでもうるさく感じないのは、まるで野原のような雰囲気のせいだろう。性質に合わせて育てられている薔薇たちは、生き生きと枝を伸ばし、葉を広げ、花開いている。


「去年よりお花が元気になったみたい」


 暖かな気候だから、この国では花はほほ一年中何かしら咲いている。でも今年は特に状態が良さそうだ。葉の隅々まで、花びらの一枚一枚まで瑞々しく感じる。


「お気づきになりましたか? 実は堆肥を改良してみたのです」

「堆肥?」

 確か肥料と同じようなものだっけ?

「あそこで、今カイがしている作業。土に堆肥を混ぜているのです」


 カイの紅茶色の頭が葉の陰からのぞいている。背後に歩み寄ると、掘り返した地面に、ふんわりした土を混ぜているところだった。


「こんにちは、カイ。新しい苗木を植えているのかしら?」


 彼の傍らには、まだ裸の苗木が用意されていた。しかし、カイは返事をするでもなく、ゆっくりとこちらを振り返った。そして。


「……どうも」


 素っ気なさ過ぎる挨拶だけを返してきた。


「こらカイ! 姫様に失礼な態度を取るんじゃない。申し訳ございません姫様」

「いいのよ。わたくしの方がお仕事中にお邪魔しているのだから」


 ああ、これじゃあハナの時の方が友好的だわ。平気なふりをしているけれど、やっぱり凹みます。


「カイ、きちんと姫様のご要望にお答えするんだぞ」

「……わかりました」


 仕方がなさそうに、カイは返事をする。


「姫様、私は少し席を外しますが、あとはカイがお相手をします。では失礼致します」


 ええっ! サイ行っちゃうの?

 明らかに好意的ではないカイに相手をしてもらうのは、はっきり言って辛いわ!

 引き留める言葉も見つからず、一礼してから去っていくサイを見守るしかできない。唯一の救いはアヤメが居ることだ。

 すると、アヤメまでこう言い出したのです。


「姫様、只今お茶の支度をして参ります」


 ええっ! 今度はアヤメまで?


「カイ、姫様を頼みましたよ」

「はいはい」


 ああ、わたしの相手が面倒くさいって顔に書いてある。さすがにね、さすがに泣きたくなってくる。


「アヤメ、お茶は部屋に戻ってからで」

「この先にある東屋がございます。そこからの眺めは素晴らしいと桐人(きりと)殿下がおっしゃっておりました」

「そうだけど……」


 お願い、置いていかないで!

 一所懸命アヤメに目で訴えかける。しかし。


「それでは、すぐ戻ります」


 通じていないし! だから! 置いていかないで……!

 アヤメの背中に向かって叫ぶわけにもいかず、ただ見送る羽目になってしまった。


「……」


 カイと二人きりになってしまった。彼は黙々と土を掘り返しては堆肥を混ぜ込むという作業を続けている。

 本当なら嬉しいシチュエーションのはずなのに、いや嬉しいんだけどね、相手が嫌がっているのにと思うとですね、胸が痛くなるのです。


「今度は、木を伝って来たわけではないようですね」


 不意に話し掛けられてドキッとする。まさかカイから話し掛けられるとは思っていなかったから意外だった。


「……皆に迷惑を掛けてしまったから。あの時はごめんなさい」


 もっとうまい言葉が出てこないものかな。咄嗟のこともあり、まるで幼い子供みたいなことしか言えなかった。

 すると、カイは小さな溜め息を吐いた。


「違いますよ、姫様」

「え……」


 あああ、しまった。やっぱり姫君らしくない発言だったもんね。二人きりになったことや、嫌われたくないとか、そんなことばかり考えていたし。

 不安になってカイの後ろ姿を見つめていると、彼は作業の手を止めて立ち上がった。

 振り返ったカイと目が合う。淡い空色がかった灰色の、雨上がりの空を思わせる瞳が、優しくわたしを見つめる。


「迷惑をじゃなくて心配ですよ」

「心配?」

「そう。あなたは自分が大切にされているのだと自覚した方がいい」


 大事にされているに決まっている。なぜならわたしは王女なのだから。

 でも、彼が言っているのはそういうことではないのだと、何となくわかってしまった。

 わたしは……大切にされているのかしら。

 必要とされているのかしら。王女としてではなくて、ひとりの人間として。


 だって此花は、王位継承権から遠い王女。いてもいなくても関係ないような存在だった。周囲からも、家族からも必要とされなかった王女が、突然王位を継ぐ羽目になり、愛するパートナーを見つけるというゲームの主人公なのだから。


 カイは「自覚しろ」って言うけれど、どう考えても王女であること以外では、大切にされる理由はない気がする。

 じゃあ、カイは? わたしを大切に思ってくれているの?

 なんて、とてもじゃないけれど聞けない。

 

「……ええ、そうね」

 肯定でも否定でもない、曖昧な返事しか返せなかった。

「あとは、謝られるのは、あまり好きではありません」


 一瞬、どういう意味か混乱したが、ややあって気が付いた。


「……じゃあ、ありがとうは?」

「もったいないお言葉です」


 どうやら正解のようだ。冗談めかして笑う彼を見ていたらわかる。


「カイにはたくさん助けて貰ったわ。あとね、兄上ともずいぶんとお話する機会が増えたの。あのお茶のお陰よ。本当にありがとう、カイ」


 しまった。じわじわと嬉しくなって、つい全開の笑顔になってしまった。ほら、カイが面食らっているじゃない。姫君スマイルはどうした! ああ、もうダメだなぁ……恥ずかしい。


「……ごめんなさい。少しお喋りが過ぎてしまったわ」

 慌てて口元を両手で覆う。

「たまにはいいと思いますよ」


 素っ気ない口調とは裏腹に、気恥ずかしそうにカイは目を逸らす。

 何!? いい! この表情!!

 心のアルバムに収めようと、まじまじと見入ってしまう。邪念にまみれた視線に気付いた彼は、すぐさま背を向けて作業に戻ってしまった。うう、残念。

 でもめげない! せっかくカイと二人きりなんだもの。


「あの、姫様」

「は、はいっ?」


 小さくガッツポーズをとっていたものだから驚いた。握り拳を引っ込めながらカイの言葉を待つ。


「ハナという見習い侍女をご存じですか?」


 心臓が大きく跳ね上がる。なぜならハナはわたしだから。


「……ハナ? ええ、確か……アヤメが面倒をみていた侍女だったわよね」


 心臓がバクバクいってる。心臓が口から飛び出てしまいそう。ちゃんと何気無い風に話しているかしら……。


「だった、と言うことは、もう辞めてしまったのですか?」


 え、えええっ!? どうしよう?

 ハナの姿でいる時、カイから話し掛けてくれることがよくあった。美味しい甘味をわけてくれたりもした。いっそのこと、ハナとして生きるのもいいなあ……なんてバカなことを考えてしまうこともあった。

 もしハナが辞めてしまったら、もうあんな風に気さくに接して貰えないのよね。それは、とてももったいない。


「……ハナは、お祖父様がご病気で、しばらくお休みなさるみたい。だから、辞めてはいないと思うわ」


 うわあ、もう侍女姿はやめるって言ったばかりなのに! 舌の根も乾かぬうちに……ってやつだわ。


「そうか、よかった……」


 カイの嬉しそうな呟きを耳にした途端、やっぱりこれでよかったのだと思う一方、チクリと胸が痛くなった。

 何をやっているの、わたし。ハナとして近づけたとしても、それはわたしじゃない。ちゃんと此花このはなとして彼に近づかないと、意味なんかないのに。

 カイに近づける方法って何だろう? ゲームの此花このはなは、どうやってカイに好かれたんだろう?

 やっぱり中身が本物の姫君じゃないから、ゲームみたいにはいかないのかもしれない。


 姫君らしく振舞おうと思えば振る舞うこともできる。一応、生まれた時から王女として教育を受けてきたのだから、身体にちゃんと染みついている。

 でもカイと一緒だと、前世のミーハー心がね、姫君らしさを半減させているような気がするんだよね……。


 作業を続けているカイの後ろ姿。こんなに近くにいるのに、遠い。どうやったら、彼の隣りに当たり前のようにいることができるのだろう?

 ゲームの此花このはなだったら、難なく彼の隣りに立てたのだろうか。彼のことを思わなくても、彼の方から思われるのだろうか。


 でも、わたしだって此花このはなだ。本来の此花このはなとは違うけれど、わたしはわたし。ゲームの此花このはなと違って当たり前だ。

 だったら、今の此花わたしのやり方で、カイに近づいてみせる。


「あの、カイ。お願いがあるの」


 ある決意を固めたわたしは、彼の背中に一歩近づく。


「ああ、薬草茶ですか?」

「いいえ。わたしも、自分で薔薇を、花や野菜を育ててみたいの」

 勇気を出して言ったものの、カイからの反応はない。

「……あの、カイ?」

「姫様、両手をお椀のようにして差し出してください」


 振り返ったカイが突然いうので、咄嗟に言われたとおりに両手をくっつけてお椀の形にする。途端、ぽすっと手のひらに乗せられたのは、カイがさっきまで地面に混ぜていた堆肥だ。


「根元に堆肥を混ぜてやると、水はけがよくなってバラの成長を助けてくれるのです」

 カイの解説に、ふんふんと聞き入る。

「なんだかふわふわしているわね」

 細かく刻んだ麦わらのような感じだ。匂いはほとんどない。

「これ、何から作るかわかりますか?」


 にやり、とカイは少し意地悪な笑顔を浮かべる。何だろう、嫌な予感がする。


「麦わらをほぐしたもの?」

「馬の糞です」

「馬の糞?!」


 驚きのあまり、手のひらのそれを取り落しそうになってしまう。そんなわたしを見て、カイは身体をくの字に曲げて笑いを押し殺している。


「その堆肥を、手で掴めるくらいじゃないと、庭師の仕事は無理ですよ」

 えーい! 負けるもんですか!

「大丈夫よ! 堆肥くらい平気よ」

「じゃあ、これはいかがです?」


 ぽん、と手のひらの堆肥の上に、カイが追加したものは……それは。白いぷにぷにとした塊だった。

 知ってる。知っているわよこれ。


「カブトムシの……幼虫ね」


 辛うじて悲鳴を飲み込んだわたしは、にっこりと、にっこりとしたかったけれど引き攣った笑顔を浮かべる。しかし、我慢が出来たのはここまで。その白いぷにぷにの塊が動いたのだ!


「ひゃあ! カイ! 取って! お願い! 早く! お願いだから~!!」


 両手を伸ばして、できるだけ自分から遠く堆肥と幼虫を離す。カイはニヤリと笑い、ひょいとカブトムシの幼虫を摘まみ上げた。


「少なくとも、虫にも触れるようにならないと難しいですね」


 ううう。なんか悔しい!

 負ける、ものですか!!

 絶対カイに、近づいてみせるんだから!

ご拝読ありがとうございます( *´艸`)

次話から、ようやく四年後に突入です。

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