第58話
「先生!ここがわかんないんだよなぁ~」
「メグ先生、メグ先生、課題のここなんだけど……」
お昼休み、中庭のベンチでランチのサンドイッチを広げた私に、生徒たちが群がる。
春から無事、学園で教師として働き始めた私を『先生』と呼ぶ生徒たちが可愛くて仕方ない。
しかし……これではお昼が食べられない……。私は半ば昼食を諦めて、生徒たちからの質問に答える。
「ここはね……」
そんな生徒たちの輪の外から、
「おい。昼休みぐらい解放してあげたらどうだ?」
と声がした。
生徒たちは一斉にそちらに顔を向ける。
「会長……」
そこにはこの学園の生徒会長を務めるジェフリー様が立っていた。
生徒たちは少しバツが悪そうにしながらも、
「仕方ない……じゃあ、先生放課後!」
と言いながら、私の周りから去って行った。ジェフリー様の存在感は半端ないらしい。
皆が去った後、ゆっくりとジェフリー様は私の隣に腰掛けた。
「人気者ですね」
「ジェフリー様のお陰で、サンドイッチが食べられそうです」
私はそう言いながら眼鏡を外してレンズをハンカチで拭いた。
「『様』は必要ないですよ。ここでは私は生徒の一人だ」
「でも……宰相の補佐もされているのでしょう?ジェフリー……さんもお忙しいですね」
『様』を付けない生活に慣れない。教師になって困った事の一つだ。
「父は根っから領地経営が好きな人間でしてね。宰相の仕事は端から嫌々でしたし……仕方なく手伝っているだけです。しかし、まだ学生の私にこき使われるなど、父の部下も嫌なはずですから、陰からのサポートに徹していますけど」
「フフフ。優秀すぎるのも大変ですね。まだ最高学年でもないのに、生徒会長まで」
「成手が無かっただけですよ」
軽やかに笑うジェフリー様だが、彼の出来が良すぎて対抗馬すら現れなかったのが本当の所だ。
「どうですか?教師の仕事は」
「楽しいです。とはいえ侯爵夫人となった時に、本当に私に両立出来るか……心配ですが」
「きっと……その時はフェリックス殿が奮起されるでしょう。心配は要らない。そういえば後二ヶ月で結婚式ですね」
ジェフリー様はそう笑った。
「はい。準備も順調ですし、後はお天気に恵まれると良いなと思っています」
「ガーデンパーティーでしたね」
「ええ。晴れれば。あ!次は特別授業でした!」
私は慌てて残りのサンドイッチを口に押し込む。中々口の中からいなくなってくれないパン達をお茶で流し込んだ。そんな私に、ジェフリー様は苦笑いだ。
「あまり急ぐと喉に詰まりますよ。……ミリアンヌ様に歴史を教えているんですよね」
私の言う『特別授業』がミリアンヌ様へのものだとジェフリー様は理解していた。
「ええ。この国の歴史を学びたいからと。とても優秀な生徒で、教える事がないくらいですが」
「殿下にも本当に困ったものですね。わがままでミリアンヌ様を特待生としてここに入れてしまった。殿下が国王になったら……今以上に周りの者が苦労しそうです」
その内の一人であるジェフリー様の言葉は重みが違った。
ランチボックスを片付けた私がベンチから立ち上がると、ジェフリー様は見送ってくれた。
私の背中に、
「男子生徒にモテモテな姿を見たら……フェリックス殿は発狂するな」
というジェフリー様の声が微かに聞こえた気がしたが、内容が内容なだけに、私は聞き違いだと思いそのまま中庭を後にした。
「先生!さようなら」
「先生、明日また質問に来ても良いですか?」
授業も終わり、私が帰り支度をしていると、次々に生徒達が私に挨拶に来る。
自分が学園に居た時……ってまだ卒業してから然程経っていないけれど、私はこんな風に笑顔で此処に居ただろうか?
『本の虫令嬢』と呼ばれ、友と呼べる存在は図書館に居たデービス様と……最後に仲良くして下さったアイーダ様だけだった。
本さえ読んでいれば幸せだった……いや、そう思っていたあの頃の私。そういえば、いつも俯き加減で、堂々と前を向いてはいなかった。
「暗かったのね……私」
そう呟いて、独り苦笑した。
デービス様は今頃どうしているだろう。少し前に貰った手紙には海の見える国に居ると書いてあった。自国に戻り、お父様とのお別れを済ませたデービス様。手紙にはスッキリしたと書いてあったっけ。
さて帰ろう。私は馬車停まりに向かい歩き始めた。
すると、女子生徒二人が小走りで駆け寄って来る。
「メグ先生!物凄い美丈夫が先生を校門で待ってるわ!!」
一人の生徒が興奮した様子で私にそう言った。
「美丈夫……?あぁ……」
きっとフェリックス様だ。最近の私はちゃんとフェリックス様が美丈夫である事を認識している。
もう一人が、
「先生、あれ誰なんです?」
と興味津々に尋ねる。
「多分、私の婚約者よ。今日仕事が早く終われば迎えに来ると言っていたから」
デービス様を思い出した私は、何となく図書館に寄って帰ろうかと思っていたのだが、フェリックス様が迎えに来たのなら仕方ない。図書館は……諦めよう。
「あれって近衛の騎士服ですよね?先生の婚約者って近衛騎士なんだ!かっこ良い!!」
幼い頃の私は騎士より魔法使いがかっこ良いなんて思っていたが、この子達はちゃんと騎士=かっこ良いの図式が出来上がっている様だった。
いや……魔法使いが現実には居ないからか?
女子生徒は私の答えに満足したのか、
「早く行ってあげて下さいね~」
と二人で手を振ってくれた。私も足早に校門へと向かう。
「メグ先生、今日の課題なんだけど……」
最高学年のライト侯爵のご子息であるカイザー様が後ろから走り寄って来た。彼はよく私に質問に来る生徒の一人だ。
「自分が興味のあるテーマで良いの。あまり堅く考えないで。歴史は面白いものだって、皆に知って欲しい。そのきっかけ作りの為だもの」
私はカイザー様と隣に並び歩きながらそう話した。
「僕は歴史に苦手意識があったけど、最近……メグ先生の授業を受ける様になってから、少しずつ考えが変わってきたんだ」
「それは良い方に?もしそうならば嬉しいわ」
「もちろん!授業が楽しみなんて……初めてだ」
カイザー様がはにかんだ様にそう言った。
嬉しい……私が笑顔を我慢出来ずニヤニヤしていると、女子生徒の『キャー!素敵!』『かっこ良い』なんて声が聞こえてきた。
実は私の隣を歩くカイザー様。女子生徒からの人気が半端ない。きっとカイザー様を見た生徒が黄色い声を上げたのだろうと思っていたが、女子生徒達の視線は学園の外……校門の方を向いていた。彼女達の視線の先には……腕を組んで柱にもたれ掛かる様に立つフェリックス様の姿。
あらら……どうも彼女達が色めき立っているのはフェリックス様の存在らしい。そんな視線に気づいたのか、フェリックス様がゆっくりとこちらの方に顔を向けた。
ふと、私と目が合う。その途端、フェリックス様の顔が一気に曇り始めた。




