第55話
ステファニー様は首を傾げて、
「猫……?」
と呟いた。どうも心当たりはないようだ。
「そうか……記憶にないか。お前にとっては些細な事、いや気にも留めない出来事だったってわけだ」
殿下の言葉にステファニー様はますます訳がわからないといった風に眉間に皺を寄せた。
「何の事を仰っているのか分かりません」
ステファニー様は少しイライラしている様だ。
「お前が生まれ……私にはその時から婚約者が出来た。王族にとって結婚は損得で計れるものだ。私もそう思っていた。
しかし妃陛下はこう考えた。『婚約者だからと心が通わない結婚は辛いだけ。子どもの頃から仲良くさせましょう』と。……きっと自分と陛下との関係に重ねて……良かれと思っての事だったのだろう。私もそれについて異論は無かった。
ステファニーとのお茶会、それに将来の社交に役立つ様にと、子どもの頃はよく同年代の子どもたちと交流をもつ機会も多かった」
昔を思い出すかの様に少し上を見ながら話す殿下。しかし、それとは裏腹にステファニー様のイライラは募る。
「ですから、何を……!」
「おっと。昔話をしている場合ではなかったな。では単刀直入に言おう。お前……王宮の裏庭にある噴水に白い猫を投げ入れたな?」
「な……何を……」
ステファニー様はそう呟いた瞬間、何かを思い出した様にハッとした。しかし、彼女はそれを否定した。
「な、何の事を仰っているのか、私には心当たりは御座いませんわ。誰かとお間違えなのでは?」
「あの当時も……そう言われた令嬢がいた。ずぶ濡れの白い子猫をその子もずぶ濡れになりながら抱えていて『ステファニー様が猫を噴水に投げたの』って真っ赤な顔をして怒ってた。
しかし、それを言われた大人たちは皆揃って『ステファニーがそんな事をする訳がない』とその子に言っていたな。お前は昔から猫を被るのが上手だった」
私はアイーダ様の言葉を思い出していた。ステファニー様が陰で猫や鳥を虐めていたって言ってた事を。
「では、その子が犯人なのでは?私は記憶にありませんけど、少なくとも私はそんな事をするわけ……」
「私はその時言ったんだ『僕も見たよ。王宮の廊下の窓から、ステファニーが猫を噴水の近くに連れて行っているのを』ってね」
殿下はステファニー様の言葉を遮る様にそう言った。
「殿下は別に私が投げ入れた所は見ていないのですよね?きっと、猫が誤って落ちたのでは……?」
「そうなんだ。私は決定的瞬間を見ていなかった。お前が猫を噴水に連れて行っているのを見て、すぐにその場へと駆け出していたからな。その日私は必死に探していたんだよ。……自分の白い子猫を」
「殿下の……ね、こ……?」
若干、ステファニー様の顔色が悪くなった。
「そうだ。私の大切な友達でね。令嬢達とのお茶会の準備が出来たと私の部屋をメイドが開けた隙に外へと遊びに行ってしまった。……必死に探している時に、お前が私の猫の首の後ろを摘んで噴水に近付いているのを見た。走ってそこに向かった時には、既に猫はびしょ濡れであるご令嬢に温める様に抱き締められている所だった。……噴水の水はきっと冷たかっただろう……私がそのご令嬢の言い分に乗っかった時……お前は泣き出した『疑うなんて酷い!』とね。結局、そのせいでその件は有耶無耶に。真相は闇の中だ。だが、私は今でもそのご令嬢の言い分を信じてる。犯人はお前だ」
「証拠もないのに……酷いですわ」
動揺しながらもステファニー様は酷いと繰り返した。
「その時からだ。私はお前に嫌悪感を持つ様になった。証拠はないが、確信していたからな」
「何度も言いますが、そのご令嬢が嘘をついているとは言えませんか?」
「そのご令嬢が嘘をつくメリットがあると思うか?」
「殿下の婚約者であった私を追い落としたかったのでしょう」
ステファニー様は『そうに違いない』と言わんばかりに頷いてそう言った。
その答えに殿下は口を少し歪めて『フッ』と笑った。
「今から私とのお茶会だというのに、そのご令嬢は綺麗なワンピースが濡れる事も厭わず、冷たい噴水の中に入ってその猫を助けてくれた。震える子猫を自分の腕に抱え、何度も何度も自分の袖で拭きながら温めていた。それが全て演技だと?」
「そうなのではないですか?きっと私に負けた事が悔しかったのでしょう」
「負けた?誰が?誰に?」
「そのご令嬢が私に、です。きっと殿下の婚約者の座が欲しかったのですわ」
この話も何だか聞き覚えが……。私にはそのご令嬢が誰なのか、何となく分かってしまった。
「なるほど……。それは違うな。私は振られたんだよ、そのご令嬢に」
殿下は少し寂しそうにそう言った。
「な、何を?」
ステファニー様が動揺している。
「今言った通りだ。元々……お前の幼い頃からの虚栄心の高さに、私は苦手意識を持っていた。そんな中……彼女に出会ったんだ。妃陛下の催すお茶会やガーデンパーティーで。
私はその彼女のはっきりとした物言いが好きでね。ある日言ったんだ『君が僕の婚約者だったら良かったのに』って。彼女は言った『王族に嫁ぐのは荷が重い。それに自分には素敵な婚約者が居る』とね。あっさり振られたよ。そんな彼女がお前のやった子猫への仕打ちに対して顔を真っ赤にして怒っていた。私の大切な子猫を救うためにびしょ濡れになりながらね。その時に思ったんだ。
『僕は自分が大切だと思えるものを同じ様に大切だと言ってくれる人と共にありたい』とね。それはステファニー、お前では無かったんだ。私はその晩、陛下にその気持ちを伝えたよ。陛下は言った『周りの反発をねじ伏せる事が出来る相手を自分で見つけてきたら、婚約を解消しても良い』ってね」
……殿下の留学の真の目的って……まさかコレ?




