第45話
「皆、邪魔をしたな!最後まで楽しんでくれ!では我々も退場するとしよう」
殿下は笑顔で会場の皆に声を掛けた。隣のミリアンヌ様に腕を差し出すと、彼女は微笑んでその腕を取る。こんな騒動の中でも、彼女の微笑みは崩れる事なく美しいままだった事に、私は感心していた。
「最後まで楽しめって言われても……難しいわよね」
アイーダ様は肩を竦めた。
その言葉を象徴する様に、誰もホールで踊る者はなく、先程起こった婚約解消劇を口々に噂している様だった。
その面々を見渡すと、ステファニー様の取り巻きだったご令嬢達が、真っ青な顔をしているのが見える。そう……ステファニー様と共に学園のサロンで私に意見していたあのご令嬢達だ。
彼女達は、ステファニー様が王太子妃、そして王妃になる事を見越してゴマをすっていたに違いない。その恩恵が受けられなくなるかもしれない……いや、それ以上に先程の殿下の話から自分達も不利な立場に立たされるかもしれないという恐怖で体も固まってしまっている様だ。
「ステファニー様はどうなるのでしょう……」
私の呟きに、アイーダ様は、
「心配してるの?あんな女を?貴女、人が良すぎるわよ」
と呆れた様に言った。
「いえ……心配というより……何と表現したら良いのか分かりませんが、何となくモヤモヤするというか、心が晴れないというか……不穏な感じというか……」
私が今の感情を何とか言葉にしようと必死になっていると、ジェフリー様が私に賛同する様に頷いた。
「同意見だ。このまま何事もなく……ってのは難しい気がする。もう一波乱起きそうだ」
そしてそのジェフリー様の言葉は、卒業式の二日後、私の教師採用試験の前日に現実のものとなってしまった。
私が自室で明日の試験に向けた最終確認をしている時に、その知らせはもたらされた。
「メグ!大変よ!」
母が転がる様に部屋へと飛び込んで来た。文字通りの転がる様なスピードに、私は驚き、心臓の辺りを押さえる。
「お、お母様!驚かせないで!」
「そんな事を言ってる場合じゃないのよ!!アンダーソン公爵が……公爵が……!!」
「さ、宰相が?どうかなさったの?」
二日前のあの事件を思い出す。フェリックス様は『こんな派手な演出をして……殿下にも困ったものだ』と溜め息を吐いていた。
翌日、ステファニー様との婚約解消とミリアンヌ様との婚約成立が正式に発表された。
あの会場に居た貴族達以外にも既に発表前にこのことが周知されていたのは、あの派手な婚約解消劇から当然の結果といえた。
「ステファニー様の新しい婚約者にフェリックス様を指名したわ!」
母の慌てふためいた様子に呆気に取られていた私は、その言葉の意味が一瞬理解出来なくて、キョトンとしてしまった。
「メグ!ショックかもしれないけれど、しっかりなさい!!」
母の言葉で我に返る。
「は……はい。あの、ショックというかビックリしてしまって……」
「分かるわ……でも、アンダーソン公爵が発表してしまって……流石にハウエル侯爵もそれを断るのは難しいかもしれないし……」
母の表情はどんどんと曇っていく。せっかく娘が婚約者との関係を修復したというのに、此処に来て全てをひっくり返す様な爆弾が投下されてしまった。
私はここ数週間のフェリックス様とのやり取りを思い出す。
蔑ろにされていた理由は分かった。それが殿下との約束だった事も。確かに理不尽な扱いをされていたと思う。フェリックス様に愛想を尽かしていた事も本当だ。だけど……今のフェリックス様は違う。彼は彼なりに不器用ながらも愛を伝えようとしてくれていると思う。私も彼の団長になりたいという思いを、出来れば側で支えたいと思う様になっていた。
目の前にそっとハンカチが差し出された。差し出した母はとても悲しそうな顔をしている。
「今まで……冷たくあしらわれていた間も貴女の涙は見た事なかったわ……」
そう言われて初めて、私は自分が涙を流していた事に気付いた。
頬を指でそっと触れる。温かな涙が頬を濡らしていた。
私はハンカチを受け取って、涙を拭う。フェリックス様と一緒に生きていく事が出来なくなるかもしれない……何度も何度も覚悟していた事だというのに、今の私には受け入れ難い事なのだと、私は自分の気持ちを理解した。
母は私の手をハンカチごとグッと握って力強く言った。
「戦うわ!アンダーソン公爵なんてクソ喰らえよ!」
こんな言葉を使う母を初めて見た私は驚きと共に涙が止まる。
「お、お母様?」
「メグ、負けちゃだめよ。ステファニー様は王太子妃として相応しくないとレッテルを貼られたわ。正直、この国で相手を探すとなると難しい事は間違いない。だから、親戚筋でもあるハウエル侯爵を頼ったのでしょうけど……貴女に悪いところはないわ。戦いましょう!」
「た、戦うってどうやって?」
「そ、それは今から考えるわ。お父様とも相談しなければ!」
「でも……うちは伯爵よ?公爵に楯突くなんて……そんな」
王宮で働く父の立場を考えると宰相に楯突くなど許される事ではない。
「それでも!!貴女の涙を見て……決心したわ。それに……少なくともこの結果は殿下がステファニー様を捨てたからよね?ならば責任を取ってもらいましょう!」
そんな母の勢いに押され、私は頷くしかなかった。




