第4話 定着――ログが「形骸化」する前に
朝、城の廊下に足音が戻っていた。
兵が走る音ではない。
職員が出勤する音だ。
火が弱まった組織は、最初に「平常」を装い始める。平常を装うのは悪いことではない。だが――平常を装う速度が早すぎると、仕組みは形骸化する。
前原誠二は、ログ棚の前で立ち止まった。
提出物は揃っている。提出時間も守られている。
そして、書式は整っている。
整いすぎていた。
勇者班のログは、昨日と同じ文言が並んでいる。
聖女庁の判断理由は、どれも美しい言葉で飾られている。
騎士団の損耗記録は、数字だけが積まれている。
補給は、在庫の数字を貼り付けただけ。
財務は、支出の羅列。
――「書く」ことが目的になっている。
前原は、そこで確信した。
この世界も、現実と同じだ。
制度を入れると、まず“形式だけ守る”フェーズが来る。形式だけ守ると、組織は「やってる感」で満足してしまう。やってる感は、火種を見えなくする。
形骸化する前に、手を打つ。
前原は棚から五つのログを抜き、机に並べた。
そして赤ペン代わりの濃いインクで丸を付けた。
・具体がない
・理由が抽象的
・損耗と戦果の因果がない
・例外の判断理由が短すぎる
・次の手が書かれていない
次の瞬間、前原は札を押さなかった。
女神に報告する前に、現場で潰すべき火種だった。
—
最初に呼び出したのは、補給官ミルドと財務担当オルンだった。
倉庫の端。誰にも見られない場所。
前原は机にログを置き、淡々と切り出す。
「ログが整い始めました。いい傾向です。ただし、形骸化しています」
ミルドの顔が強張る。
「……形骸化?」
「数字を貼るだけになっている。数字は必要ですが、数字だけでは次の手が出ない。あなたが困る」
オルンが小さく頷く。財務は、数字の羅列が一番危険だと知っている。数字が責任を呼ぶからだ。
前原は補給ログの一箇所を指で叩いた。
「在庫:矢 1200。消費:矢 600。――ここまでは良い。問題は“なぜ600消えたか”がない。どの部隊がどの局面で何に使ったか。分からなければ、明日の600の意味が変わる」
ミルドが唇を噛む。
「……そこまで書くと、手間が……」
前原は頷く。手間は増える。だが増やすべき手間と、増やしてはいけない手間がある。
「手間は増やします。ただし増やし方は変える。全部を書くのではなく、火種だけを書く」
前原は紙を一枚出し、短いフォームを作った。
――補給の“詰まり”報告(1日3件まで)
①足りないもの
②足りない理由
③今夜の対処
④明日の対策案
「これを追加します。ログは全量ではなく“詰まり”を見つけるためのものにする」
オルンが息を吐いた。救われた顔だ。
全量を抱えると財務が死ぬ。詰まりに絞れば運用できる。
「そして、詰まりが出たら会議体で処理する。処理されなければ詰まりは消えない。詰まりが消えないログは、ただの処罰道具になる」
ミルドが小さく頷いた。
「……分かりました。詰まりだけなら、現場も書ける」
「書けます。書けない仕組みは回りません」
—
次に呼び出したのは、聖女庁運用責任者セラフィナだった。
彼女はログを見た瞬間、疲れた目で言った。
「……綺麗に書いているでしょう。これ以上、何を求めるの」
前原は否定しない。
綺麗に書くのは、象徴の防御だ。防御を外すには、攻撃ではなく“目的”を示す必要がある。
「綺麗です。だから危険です。綺麗な文章は、判断を隠せます。判断が隠れると、同じ揉め方が再発します」
セラフィナの表情がわずかに歪む。
刺さった。再発が一番怖い。
前原は判断理由の欄を指さした。
「“女神の導きにより優先”と書いてある。これは理由になっていません。導きは否定しない。ただし運用責任者として、現場に説明できる言葉に落とす必要がある」
セラフィナが低い声で言った。
「聖女たちは、説明したくない。説明すると汚れると思っている」
前原は頷く。
「汚れません。むしろ守られる。説明できる判断は、貴族の圧に耐えられる」
前原は、短い基準文を提示した。
――判断理由は、この四つのうち最低二つを含める
①緊急度(今すぐ死ぬか)
②回復可能性(奇跡で戻せるか)
③投入資源(奇跡残量・副作用)
④組織影響(暴動・士気・指揮系統)
「導きは否定しません。導きは“最終判断”として残していい。ただし、その前にこの四軸で説明する。そうすれば、聖女は“基準に従った”と言える。矢面に立たなくて済む」
セラフィナはしばらく黙り、やがて小さく言った。
「……あなたは、聖女を守るのが上手いわね」
「守らないと回りません。守られない象徴は壊れます」
セラフィナが頷いた。
これで、聖女庁側のログが“運用の言葉”になる。
—
最後に呼び出したのは、勇者だった。
前原は、勇者班のログを机に置いた。
戦果は派手だ。だが損耗欄が薄い。理由欄が短い。次の手がない。
勇者はログを見て、眉を寄せる。
「書いた。損耗も書いた。何が不満だ」
前原は淡々と返す。
「書いた。だから次です。損耗が“改善”に繋がっていない」
勇者が苛立ちを見せる。
「改善? 俺は敵を斬る。それが改善だ」
前原はそこで、勇者の言語に切り替えた。
「あなたの強さは武器です。武器は磨けば切れる。磨き方を決めるためにログがある」
勇者の眉が動く。
前原は損耗欄を指さす。
「負傷者:12。薬消費:過多。――ここから改善策を書いてください。負傷が増えた原因は何か。隊形か。補給か。治療の遅れか。敵の種類か。原因が分かれば、次に勝てる」
勇者が唸る。
「……原因は、補給が遅かった」
前原は即座に繋げる。
「なら、補給の詰まり報告に上げる。あなたが“補給が遅い”と書けば、補給官は動ける。財務も動ける。騎士団長も作戦を変えられる」
勇者が黙り、少しだけ視線を落とした。
エースは、自分の言葉で組織が動く体験をすると変わる。今はまだ、その入り口だ。
前原は次の欄を叩いた。
「判断理由が短い。“敵が来たので出撃”。これだと、勝手に出たように見える。あなたの判断を守る言葉にして」
勇者が睨む。
「守る言葉?」
「あなたは合理的な人間です。合理性で説明すれば、権威の衝突を減らせる。例えばこうです」
前原は短く書く。
――敵襲の速度が会議体の決裁期限を上回ったため、騎士団長の事前承認範囲に基づき出撃。
――目的:民の避難完了までの時間稼ぎ。
――損耗:〇〇。改善策:〇〇。
勇者が紙を見て、鼻で笑いかけ、止めた。
「……面倒だ」
「面倒です。でもこれを書くと、あなたの出撃は“勝手”ではなく“承認された特殊運用”になります。あなたの戦果が、あなたの首を絞めなくなる」
勇者は数秒黙り、やがて短く言った。
「……分かった。次からそう書く」
運用が一段、定着した。
—
夕方、会議体が開かれた。
前原は今日の議題を一つに絞る。
「形骸化防止策の導入」
全員の前で、前原は新しいルールを提示した。
1. ログは“詰まり”を三件まで書く
2. 判断理由は四軸で最低二つ
3. 損耗には必ず改善策を一つ添える
4. 例外は“理由が短い”場合、承認が無効になる
王代理レナードが震える声で言った。
「理由が短いと無効……?」
前原は頷く。
「例外は責任です。責任は言語化されないと成立しません。短い理由の例外は、腐敗の入口です」
補給官ミルドが頷き、財務オルンが小さく息を吐く。
聖女庁セラフィナが静かに肯定する。
騎士団長が腕を組み、言った。
「よし。運用する」
勇者は不満げだが、否定しない。
否定しないということは、運用に乗ったということだ。
—
夜。ログ棚の前で前原は立ち止まった。
今日のログは、昨日より汚い。
字が乱れている。急いで書いた跡がある。余白に矢印がある。
だが――具体がある。詰まりがある。改善策がある。
汚いログは、いいログだ。
現場の汗が乗っている。
胸元の札が熱を帯びた。直通。
『どう?』
リュシアの声は、はっきりと軽い。
火勢が落ちると、神の疲労も落ちる。神も残業で削られている。
「定着に入りました。ログが形骸化しかけたので、詰まり報告と判断理由の四軸、損耗→改善策の紐付けを入れた。例外は理由が短いと無効にした」
『好き。形骸化を潰すの、好き』
前原は苦笑した。
「女神がそれを言うの、やっぱり怖いです」
『怖いよ。私は255世界を回してる中間管理職だから。形骸化が一番嫌い』
前原は頷いた。
「形骸化すると、燃えてるのに燃えてないふりが始まる。あれが一番危険です」
『うん。じゃ、打ち上げ。業務』
「了解です。業務なら仕方ない」
札を押すと、執務室へ切り替わった。
リュシアは今日は机に突っ伏していなかった。
ソファに半分崩れて座り、グラスを持っている。完璧な造形のまま、疲れた顔で、少しだけ笑う。
「お疲れ。第27世界、もう“燃え方”が変わった」
前原は椅子に座り、グラスを受け取る。
「延焼は止まりました。あとは再発防止。ログが汚く回っている限り、大火にはならない」
リュシアが頷く。
「ログが汚いのが良い、って言う人は初めて」
「現場は綺麗に書けない。綺麗に書ける現場は、暇か、嘘をついている」
リュシアが笑った。
笑うと、胸元の重さを少しだけ腕で支える仕草をする。完璧な女神が、やけに生活臭い。そこが妙に落ち着く。
「あなた、次も第27世界を続ける?」
前原は一口飲み、静かに答えた。
「第27世界は、あと少しで“離任できる状態”になります。現場調整役が回り始めた。会議体も動いている。例外もログに縛れた」
リュシアの目が少しだけ細くなる。
「離任、好き。任せて帰れる状態、好き」
「任せられない状態で次に行くと、また燃えます。だから離任条件を作る」
前原がそう言うと、リュシアは砂時計を弾いた。
スマホに通知が落ちる。
《第七管理区画・第27世界:火勢:微→安定》
《離任条件:暫定達成》
《次案件候補:第七管理区画・第67世界(火勢:中)》
《受諾期限:未発行》
前原は画面を見て、息を吐いた。
「来ましたね。第67世界」
リュシアが疲れた顔のまま言う。
「ごめん。燃えてる」
前原は苦笑した。
「255世界も担当してたら、燃えますよ」
リュシアが少しだけ真剣な目になる。
「……次も、お願いできる?」
前原は、即答した。
「条件次第です。時給と福利厚生は据え置きでいい。ただし――打ち上げは継続で」
リュシアが一瞬きょとんとして、次に笑った。
「業務だからね」
「業務なら仕方ない」
グラスが触れ合う音が、小さく響いた。
第27世界は、ひとまず燃えなくなった。
次は第67世界。
火の種類が違うだろう。燃え方も違うだろう。だが、やることは同じだ。
“見える化”し、
“例外”を縛り、
“責任”を言語化し、
“職員”に戻す。
前原誠二の空き時間スポットワークは、次の職場へ向かう。
(第1章・第27世界編 了/つづく)




