第37話 ラスト1キロ
前半は第三者視点です。
(――っとに、夢でも見てるってーのか?)
太陽が顔を出し、不死族スライムの異様な姿が鮮明となった中。
『魔体流』黒帯筆頭、拳聖の孫でもあるピケ=ジュライムは、一人の門弟に見入っていた。
本来なら眼中にもない、三階級も下の『灰帯』。
『完全オリジナル技』を使い、『異端者』という二つ名までついた――入門たった数カ月の新人だ。
(……面白え。あり得ねーくらい面っ白えヤツだ)
ピケは笑う。
炎を纏って不死族スライムを誘導し、夜が明けて“弱体化”した触手攻撃を避けながら。
今やベルへの興味は頂点にまで達していた。
元から噂を聞いて興味を持ち、森の調査ついでに会いには行ったが……。
黒帯筆頭以上に許された、『拳聖の庭』での“属性獲得”。
生息する強力な魔物を乗り越え、ようやく『属性付与』は使えるようになる。
――しかし、目の前にはその常識を破った者が。
『帯なし』と『白帯』の『魔体流』最初のステージ。
ただの『始まりの森』でなぜか属性を、それも稀少な『闇属性』を獲得していたのだ。
(んで、やったら“強力”だしな。何だこの恨みつらみが煮詰まったよーなドス黒いオーラは? しかもすでに手足みてーに扱えてっとか……)
興味を持つと同時、経験豊富なピケでさえも――わずかに恐怖すら覚えていた。
属性は強力なものとはいえ、鍛え上げた技には及ばず。
あくまで表面的な強さで、深くものにするのならば、技と同じく稽古が必要だ。
にもかかわらず、異常なまでの“威力と練度”。
属性自体の強さだけなら断言できる。
ベルの『闇属性』は、ピケでさえ“怪物”だと思う自分の祖父、『魔体流』の頂点に立つ拳聖よりも上だと。
「ワッショイ!」
朝を迎えた森の中に、まだ力強さが残るベルの声が響く。
と同時に漆黒一色の【風圧拳】が決まる。
抵抗できない不死族スライムは、明るくなった空を軽々と飛んでいった。
(もうボロボロだっつーのに……想像以上の素材だなこりゃ)
破裂からの強酸性の雨で左目を潰され、触手攻撃も何度も掠めているというのに。
恐れを知らないのか? あるいはバカか、吹っ切れただけか。
ピケの耳にはベルの声が、どこか弾んでいるように聞こえていた。
「こんな状態と帯の色で何つー蛮勇だよ。相手はスライムでも歴とした不死ぞ――んあっ!?」
その時だった。
いまだ強烈な腐敗臭を漂わせる不死族スライム。
その黒ずんだ紫の巨体を飛ばしたベルとともに、木々がなぎ倒された道を進もうとして――。
走り出そうとしたピケの足が止まる。
すでに敵を挟んで後ろにいたベルは、ピケを追い抜いて不死族スライムを追っていた。
「どうしましたピケ様? もうベルさんは先に行って……?」
その突然の静止を見て。
近くに控えていた付き人のスメイアが、もしやと『魔仁丸』をマジックバックから出しながら聞く。
対して、ピケは燃える片手で彼女を制すると……何とも言えない表情を浮かべたまま、
「……いや、ちっと差した朝日のせーでな。アイツの帯が……高弟連中の『銀帯』に見えちまってさ」
「え? 『銀帯』……ですか?」
予想外なピケの言葉に、スメイアは目をぱちくりさせる。
そんな彼女の反応も見ず、ピケは一転、白い歯を露わにして大きく笑った。
「うはっ! 『灰帯』のくせして銀に見せるとか……。一瞬の錯覚だろーと、俺っちより上とか生意気だが――うっかり“似合ってた”じゃねーの!」
叫び、先行したベルを追ってピケも移動を開始。
高等技の【閃】をいとも簡単に連続発動し、
「悪ぃー悪ぃ」と軽く謝ってから、またベルの強力な闇の一撃を見届ける。
「踏ん張れ、あと少しだ。この作戦をやり遂げりゃ、ぜってーじっちゃんから褒美が出っぞ!」
「はい! 何とかここまできたんです。必ずや!」
失明した左目も何のその、ピケの声にベルが威勢よく返す。
そのベルの提案から始まった、前代未聞で突拍子もない夜通しの大作戦。
言い出した時は面白がってはいても、さすがのピケも不安と疑いの目が少しはあったが……。
三十キロ以上を進み、残りはもう、たった一キロ。
あまりに過酷で長い危険すぎる作戦は――ついに終わりを迎えようとしていた。
◇
「――さあ、カウントダウンに入ったぞ!」
眩しい朝日を正面に浴びて、俺は弱体化した不死族スライムを飛ばす。
元の飛距離(約百メートル)を取り戻し、最後の追い込みとばかりに距離を出していく。
……ただし、だからと言って最後まで油断はできない。
敵は相手というよりも、“己の中”にあるのだから。
ここまでの大きな疲労に加えて、さすがに眠気も少しはある。
反撃はあるのに集中を切ってしまえば、また取り返しのつかない傷を負わされてしまうだろう。
「ベル! あと少しで『大地の傷』だぜ! 男を見せろ!」
「残りは五百メートルくらいだよ! 頑張ってベル君!」
離れた前方、着地点にいるカミラさんとイサクから声が飛ぶ。
二人はトロイ&テッドの大福兄弟とともに打撃を見舞う。
カミラ班は昨日からずっと俺が追いつくまで囮となり、また邪魔な魔物の乱入も防ぐなど、フル回転し続けてくれている。
この皆の頑張りのためにも――絶対リアルガチで作戦を成功させねば。
さっきピケが、拳聖から褒美が出ると言っていたが……。
ここは異世界の秘境、元の世界での嫌な仕事ではないからな。
別に何もなくても、俺の高まったモチベーションに影響はない。
「残り五百メートル、か。ならあと六発か! ――ワッショイッ!」
もう左腕はズキズキと痛み始めている。
繰り返しの技で魔力回路が焼けて、こっちのダメージもあるが――顔をしかめるだけに留めて、打つ。
――オォオオオオ……!
「!」
と、ここで不死族スライムから強風にも似た威圧のオーラが。
破裂攻撃も触手攻撃も弱体化したまま。
それでも、何だかやたら忙しなく動き出したのは気のせいではない。
「やっと自分の運命を悟ったか? 大自然の奈落はすぐそこだからな……!」
目に見えて暴れ始めた不死族スライム。
だがもう月はない。また漆黒は漆黒でも、あるのは夜ではなく俺を包む闇のオーラだ。
俺は『闇属性』と魔力を込めて吹き飛ばし、追いかける。
そうして標的が三度目に着地したのは――何の因果か“あの窪地の中”。
いまだ残る三体のワイバーンの死体に、彼らを引き寄せた元凶のカオスな巨体が入り混じる。
「あと一発……いや二発ってーところか。まだ終わっちゃいねーけど、よくやったベル」
「まさか本当に夜の森を越えちまうとは……。ったく、お前には毎度毎度驚かされるぜ」
その光景を窪地の上から見て、合流したピケとカミラさんが言う。
イサクと大福兄弟は何も言わずに親指を立て、スメイアさんはコクリとうなずく。
……たしかに、まだ終わってはいない。それでも皆、分かっている。
この日を跨いでの、無理ゲーだと思われた大移動作戦は成功する。
今いる窪地から少しの森を挟めば、あとはもう深い奈落、『大地の傷』しかないのだから。
「…………、」
俺は一拍、置いてから、今度はピケとともに再びの窪地の中へ。
ワイバーンに追い込まれて『闇属性』を獲得したその場所に、ザザッと滑り下りていく。
そして、自分で仕留めたワイバーンの死体を通り過ぎてから。
窪地の底で不気味に蠢く不死族スライムの前に立つ。
瞬間、待ってましたとばかりに襲ってきた破裂攻撃。
無数のブツブツから飛び散った強酸性の雨を背中で受けて、すぐに振り返った俺は、
「痛ぅ……! っち、最後まで厄介だなお前は!」
やられたらやり返す。
疲労と痛みを力に変えて、突き上げ気味の軌道で『闇属性』つき【風圧拳】を叩き込む。
明るくなった空に不死族スライムが打ち上がり、俺から見て前方の森を越えていく。
直後、皆が一斉に窪地を突っ切って走り出す。
疲れていない者など一人もいない。なのに皆の足が躍動しているのは……終わりが見えているからだろう。
「! やっぱり少し足りなかったか。――けどまあ、どっちでも同じだ!」
少しの森を抜けた俺達の前に現れたのは、久しぶりの『大地の傷』。
相変わらずの異世界版グランドキャニオンだ。
息を飲むような赤土の大自然の威容が、夜通しで頑張った俺達を迎えてくれる。
その絶景に加えて、残った右目に映るのは、十メートルほど手前にいる不死族スライム。
ここまで飛ばしてきた距離を考えれば、まさに崖っぷちの状況だ。
「よっし決めちまえ! 『異端者』ベル=ベールマン!」
そんなピケの声を背中に受けて、俺一人だけ足を止めずに走り寄る。
――だが、それと同時。明確な異変が起きた。
「!?」
あと一発。トドメのための接近中に、不死族スライムが急激に『膨張』。
表面の気持ちの悪い無数のブツブツではなく、黒ずんだ紫の“体そのもの”が、だ。
おいおい! 何だよ最後の最後に!?
ただでさえ巨大な体がさらに風船のように膨らみ、逆にその体に内包する魔力は、圧縮されていく感覚が伝わってくる。
この異変の最後に待つのは……絶対に強酸性の液体だろう。
それもサイズ的に考えて、今までのものとは比較にならない大量のそれが――。
「まさか『自爆』か!?」
もしそうなら、こっちの被害は甚大なものになる。
特に俺はもう数メートルのところまで詰めているから、下手したら纏う闇のオーラごと溶かされるかもしれない。
なら、どうするか? ――ここで中途半端に離れるなんざあり得ない。
このまま突っ込むのみ。
最後の抵抗の自爆攻撃の前に、『闇属性』つき【風圧拳】を届かせるのだ。
間に合うか? いや、意地でも間に合わせてやる。
俺は全速力で走り寄り、迫る恐怖を闇のオーラで飲み込み、狙いをしっかりと定めて――。
「お前にゃ、地の底がお似合いだ! ――ワッショイ!」
お祭りな『魔体流』の掛け声も叫び、トドメの一発を発動。
それは深刻な破裂を起こす前にヒット。
倍近く膨れ上がった黒ずんだ紫の巨体を、朝日が昇った空へと打ち上げる。
瞬間。力ずくで引き千切ったような奇怪な音とともに。
亜種とか通常種とかいう次元ではない、魔物の枠から外れた生きる災厄がついに破裂。
崖から百メートルの空中にて、花火のごとく途方もない強酸性の雨を全方位に飛び散らせる。
「……ッ!」
放たれたその雨を、頭からつま先まで闇のオーラ全開で防御。
数十メートル後ろにいる皆の無事を祈りながら、地獄の数秒間、何とか耐えきった俺は漆黒の防御を解いて空を見る。
――その視線の先にあったのは、変わり果てた強敵の姿。
すでに落下し始めていた人間サイズにまで縮小したそれは――――深くて暗い『大地の傷』へと消えていった。




