第36話 月の不死族
「り、リアルガチかよこれ……」
作戦の真っただ中だというのに、俺は呆然と立ち尽くしてしまう。
右半分しかない“狭い視界”。
破裂からの強酸性の液体を受けた俺の左目は、満月の明かりも味方の『属性付与』の炎の輝きも、何一つ映していなかった。
……たしかに、冷静に考えれば当然の結果か。
だが、薄かったとはいえ強力な闇のオーラは纏っていた。
またピケの付き人のスメイアさんに、【回復魔法】をすぐに使ってもらったのだ。
にもかかわらず最悪の結果に、まさか“失明”してしまうとは……。
「おいベル、どしたっ!? 何かやべーのか!」
「……はい。ちょっと左目を……潰されたみたいです」
「何っ!?」
もう左目が完全に利かないので、右目が前になるサウスポースタイルに構えた俺は、
槍状触手を避けていたピケにそう報告すると、ピケは驚いてこっちまで下がってきた。
「……マジかよ。酷ぇー火傷痕だな。こりゃーちっと……」
ゴウゴウと燃える炎を纏った腕で照らし、ピケが俺の顔の状態を確認する。
いつもなら気楽でのん気そうな褐色の顔だが……。
今の俺の残された右目には、明らかに深刻そうな表情に映っていた。
「まったく見えねーのか? 明かりくらいは感じるだろ?」
「いえ、まったくです。自分の闇のオーラで“目隠し”してるのかってレベルで真っ暗ですね」
「……。そうか」
森の深くて不気味な闇夜の中、そう重たい会話をしながら。
ビュオン! と貫通力の上がった槍状触手を回避。
ここぞとばかりに前進してきた不死族スライムの猛攻を何とか凌ぐ。
――正直、この状況はだいぶ心臓に悪いぞ。
片目でも見えやすいように左構えになったものの、慣れていないからか足元がフワフワしている感覚だ。
何より、半分が真っ暗になった視界。
目を見開いても何も見えず、一度ギュッと閉じてから開いても変化なし。
これでは元々あった相手への恐怖心が、軽く十倍以上に膨れ上がってしまっていた。
「どうすっか。さすがに目だとまじーだろ。残念だが作戦は中止に――」
「いえ、やります。やらせてください」
かけられたピケの声に、俺は食い気味に返す。
そしてそのまま、ダン! と前に踏み込む。
月明かりで怪しく光る不死族スライムに、『闇属性』つき【風圧拳】を正面から叩き込む。
生きた災厄の不気味な巨体が、正反対な美しさの夜空に飛ぶ。
手首や肘に返ってくる反動は変わらず重く、以前の半分の五十メートルしか飛んでいない。
「いーのか? やるってんなら止めねーが……次食らったらヤッベーだろ」
「はい。でももう油断しません。さっきの激痛と現在進行形の不安で、リアルガチで目が覚めましたから」
「……そっか。ならもう聞かねーよ。この作戦はお前ありきだ。サポートはしてやっから限界までやり抜いてみな!」
と、心配の後に気合いを入れられ、俺はピケとともに着地した不死族スライムを追う。
……リスクを考えれば止めた方がいいのだろう。
もし残った右目も潰されれば、戦いどころか日常生活に支障をきたすのは間違いない。
それでも、やる。
どれだけ額や背中に嫌な汗をかいても、不思議と俺の中で作戦中止の選択肢はなかった。
「…………、」
元の世界では入社当時だけにあった、“仕事への熱意”とでもいうべきか。
それが心の中に、決して揺れ動かぬたしかなものとして存在していたのだ。
……この作戦を途中で投げ出してしまえば楽だろう。元々、自然消滅するまで“百年放置”の予定だったしな。
だが何となく、その選択をしてしまうと……俺は『魔体流』でもっと上までいけないような気がした。
「必ずやり遂げてみせる――ワッショイッ!」
夜も作戦も、まだまだ長い。
◇
「――【穴熊】ッ!」
作戦は続行となった。
強化されたままの不死族スライムの巨体に、ピケから強烈な一撃が叩き込まれる。
速さこそないが、ただ“ひたすらに重い”右の正拳突き。
わずかに先を視る【心眼】や、高速移動の【閃】と同じだ。
『魔体流』でも高度な技に分類される、以前の剣山での戯れで俺の意識を狩り取った強力な一撃である。
その技を破裂攻撃の寸前に見舞ったピケ。
それによって少しだけ破裂のタイミングを遅らせて――片目となった俺が背中を向けて離れる時間を作ってくれる。
……だが当然、こうなるとピケの方に大きなダメージが。
月で強化されてサイズも飛散量も増えているのだ。
ただでさえ避けられないカオスな散弾攻撃を、ピケはガードの上からまともに受けてしまう。
「大丈夫ですか!? すいません、助かりました!」
「はっ、気にするな。これも先輩門弟の仕事だっつーの!」
ダメージ(火傷)を負っても、炎を纏うピケは白い歯を見せて笑う。
独特のうなずくようなリズムを刻み、不死族スライムと至近距離で対峙する。
――初対面の時は悪い印象で、今回の再会ではアホな印象を受けてしまったが……共闘している今は違う。
めちゃくちゃ頼れる先輩、兄貴、あるいは上司か?
とにかく、黒帯筆頭の実力で未熟な俺を助けてくれるその背中は、俺の中に刻まれた先輩や上司像とはまったく異なるものだった。
「――さあ次だ! その謎でヤッベー黒い拳を見舞っちまえ!」
「はい!」
闇と炎。漆黒と紅蓮。
身につけた技に加えて二つの強力な属性を用いて、俺とピケは不死族スライムを誘導&飛ばし続ける。
そこへ他の魔物が近寄ってこようとすれば、狐人族のイサクの鼻が察知。
邪魔をされる前にカミラ班が素早く処理して、常に二対一の状態を保つ。
夜空に輝く満月の下、半分となった視界の中でも……俺は一人一人のサポートのおかげで動けている、ってわけだ。
「痛ぅ……!」
――ただし、実は心配の種は他にもある。
潰された目と同じ“左”。
肘から先、左腕の内側を中心に少し痛みを覚え始めていた。
同じ技を連発しすぎて、体内にある魔力回路が“焼け気味”に。
戦いながら隣のピケに聞いてみたところ、
「まだ『灰帯』だとそこら辺の強度が高くねーからな」とのことらしい。
だからもっと長い時間をかけて、焦らずじっくりと。
魔力循環といった基本の稽古を重ねていかないとダメなようだ。
「ワッショイ!」
まさに満身創痍。もう疲労だってかなりのものだ。
着ている道着も溶けてボロボロで、草履に関してはもう壊れて裸足状態。
髪や道着には強烈な腐敗臭も移り、相手を飛ばして一時的に離れても臭いまま。
もはや門弟というより浮浪者の様相だが……それでも、やはり拳も足も止めない。
キツくてしんどくて、油断できない危険な状況だというのに。
俺はここにきて、どこか“楽しい”とさえ感じ始めていた。
――――――………………。
それから、どれだけの時間が経っただろうか。
時計もないので時間も気にせず、魔力を消費し汗を流して、一心不乱に不死族スライムと向き合い続けていたら――。
「むっ」
雨が上がって月が出てから、ずっと重くなっていた反動が徐々に軽くなる。
また反撃の中心である槍状触手の攻撃も、先端の鋭さがなくなって元に戻り、
最も厄介な破裂攻撃も、一つ一つのサイズと飛散量が――時間が経つにつれて目に見えて減っていく。
なぜか? 理由は当然、“夜の勢い”がなくなってきたからに他ならない。
日が落ちてからずっと隣で灯り役を担っていたピケ。
その紅蓮の炎のサポートがもう必要ないほどに、空が白んできていたのだ。
……そして、静かでも確実に秘境の森の時は進み――。
「待ちに待ったぞ! こんなにありがたいと思った朝は人生初だ!」
「うははっ! 奇遇だなベル、俺っちも右に同じだっつーの!」
ドムッ! と、黒の存在感を取り戻した『闇属性』つき【風圧拳】を打ち込み、敵の巨体が空を飛ぶ最中に。
緑に染まる森の地平線の先から――ついに太陽が顔を出す。
完全に失明してしまった左目には、もうその光や景色が届くことはないが……。
残された右目には、百メートル先まで飛んだ不死族スライムの姿が。
その周囲には頼れる仲間達と、先に追いかける先輩の背中が眩しく見える。
「あと少し。あと少しで……徹夜仕事の終わりだ」
長くて恐ろしい悪夢のような夜が――ついに明けた。




