第35話 夜通しの作業
「くそっ、昨日よりもやっぱり暗いな……!」
夜になった。
ぶ厚い雨雲でただでさえ薄暗かった森が、月も出ていないので完全な闇と化している。
――ここからが最も危険な時間帯だ。
かなりの距離を飛ばしてきたが……先はまだ遠く。
目標の『大地の傷』から離れているため、朝まで集中してやるしかない。
「たしかに暗えーな。ベルお前、オリジナル【心眼】とか使えねーのか?」
「んな便利なものないですよ。……だから灯りをお願いしますよ!」
“隣の”ピケからの問いに対して。
俺は伸びてきた触手攻撃を、上体を軽く振って避けながら答える。
……森はリアルガチで真っ暗だからな。
不死族スライムの前で誘導をしていたピケには、今は横で灯り役になってもらっていた。
でないと、とてもじゃないが攻撃を避けられないのだ。
ピケ自身は【心眼】で楽々回避。
かたや俺はピケの『属性付与』の炎がないと、手元すら見えずに喰らってしまうのだ。
「ワッショイ!」
そんな中で、炎に照らされた不死族スライムに一発。
もう数えきれないほどの回数を飛ばし、雨が降り続く夜空へとまた打ち上げる。
――ちなみに、着地場所の約百メートル先にカミラさん達の姿はない。
森の王者のジャイアントナーガと遭遇し、敗北を喫して帰らぬ人に……なんてことはなく。
あの後、無事に討伐して再合流。
しばらくはまた、飛ばした先に待機してもらっていたのだが……。
ついさっき、作戦中にまた新たな障害が。
大蛇の次はウル○ァリンみたいな爪を持った“大熊”。
ジャイアントナーガに次ぐ『始まりの森』第二位の魔物、キラーベアが闇の中から襲ってきたのだ。
「雨は強まる一方だし、蛇が出たり熊が出たり……! 異世界キン○ボンビーかよお前!」
さすがは“災厄”と呼ばれるだけはある。
次々と悪いことが起こり、飛ばせばいいだけのシンプルなものではなかった。
……ただ、周囲の状況に困らせられても、俺自身については問題なし。
背中や足は破裂からの強酸性の雨で、毎回は避けられずに火傷しまくり。
闇のオーラを急いで纏っても、わずかに抜けてきてしまうのだ。
しかし、そこで頼れるスメイアさんの登場である。
【回復魔法】で逐一、治してもらい、溶けた道着に穴があいているだけ。
だから多くの火傷痕が残っていても、ダメージはほぼない。
魔力に関しても『魔仁丸』を補給しているからな。
あるのは走り続けている脚に溜まった乳酸、つまり疲労だけだ。
「つうかピケさん! もう二人で何粒も飲んでますけど、まだ余裕はあるんですか?」
「心配いらねーよ。たしかざっと “二百粒”は貯め込んでっな」
「え、そんなに!? ありがたいけど持ちすぎでしょう!」
と、走りながら知らされる衝撃&安心の事実。
【回復魔法】を使うスメイアさんもたまに飲んでいるが――どうやらリアルガチで魔力切れの心配は無用らしい。
「――ワッショイ!」
そうして追いついた俺は、再び『闇属性』つき【風圧拳】を見舞う。
暗闇と闇のオーラが混じって、ピケの炎に照らされても区別がつかないが……まあいいか。
とにもかくにも、魔力をケチらずに夜通しで打ち込んでいくだけだ!
◇
「おっ、これはツイてるぞ……!」
いつもならとっくに寝ているだろう頃。
夜がさらに深まってきたところで――ついに状況が“好転”する。
――ずばり、月だ。
強くなる一方だった雨がパタッと止み、見る見るうちに厚い雲が晴れて、
鬱陶しい大粒の雨に取って代わるように、唯一の光源である月が顔を出した。
あとついでに、満天の星空も。
こっちは明るさには関係ないが、頭上でキレイに輝いている。
「けど、まだ暗えーな。朝まで灯りは続けっか」
「お願いします。ただ火力は少し落としても大丈夫そうですね」
木々がなぎ倒された道の上に遮るものは何もない。だから月が出ていれば明るさは全然違う。
それでも夜は夜、しかも“秘境の夜”だ。
視界的には完全ではないので、引き続きピケには『属性付与』し続けてもらう。
「ワッショ――え?」
その時だった。
雨が上がって月も出て星空まで見えて、カオスな災厄を前にラッキーが起こったと思ったら。
ズズゥン、と。
両手打ちの『闇属性』つき【風圧拳】を打ち込んだ瞬間、これまで以上の“重い感触”が。
そして、それは飛距離として現れた。
ここまで百発以上、常に百メートル近く飛ばしていたのに。
なぜか今の一撃で飛んでいった不死族スライムは――その半分程度の地点に落ちたのだ。
暗闇の中、キラーベアを倒して戻ったカミラさん達のもとまで全然、届いていない。
「? どーしたベル。魔力操作でもミスったか?」
「い、いやそのはずは……。むしろ繰り返し打ちまくって、より正確になってるはずで……?」
……何だ急にどうした?
ピケからの疑問に続き、自分自身に俺は問う。
魔力操作は完璧だった。打ち込んだ掌底の角度も文句なし。
であるならば、問題は俺ではなく相手の方で――。
「「!?」」
そう疑問に思いながら、飛ばした巨体に追いついた直後。
不死族スライムの表面にある、気持ち悪さの原因である無数のブツブツ。
それが今までの“数倍以上”に膨らんで――音を立てて破裂した。
瞬間、あの強酸性の雨が周囲に撒き散らされる。
それは明らかに一つ一つがサイズアップし、より凶悪なものとなって襲ってきた。
「チッ! さすがにこりゃっ――!?」
「ピケ様!」
ジュワァア! と、周囲の木々や草、さらには俺の背中とピケの体からも溶解音が。
スメイアさんの叫びも聞くに、俺だけでなくついに【心眼】を使うピケにも当たったらしい。
背中に走った今日一番の痛みとともに、今の破裂攻撃のヤバさが瞬時に分かった。
「何、でこんな急に!? 重くなって反撃も強力になったりって……!」
回避のために転がっていた俺は即座に立ち上がる。
――その途中、視界に映ったのは月だ。
元の世界、地球の時と比べれば少しだけ大きい満月。
いつもならキレイなだけのその月が……なぜか今、“怪しく輝いている”ように見えてしまう。
「ま、まさか……?」
ふと、頭の中に一つの仮説がよぎった。
相手は不死族とはいえスライム。
だからどう転んでも、決して“狼男”ではない――のだが。
「みてーだな。つうか、それしか今までと違いがねーぞ」
見上げた俺の視線に気づいたピケが、隣で顔をしかめて言う。
避け切れずにガードしたのだろう。
一番酷い両腕を含め、道着の上の若草色の羽織にも溶けてあいた穴が複数あった。
「不死族ってこんな能力があったんですか!? “月明かりでパワーアップ”とか……」
「いや違ーよ、コイツだけだ。そんな話はじっちゃんからも聞いたことねーぞ」
不死族スライムの突然のパワーアップに困惑する俺とピケ。
ここで前方にいるカミラさん達から「大丈夫か!?」と心配の声が届いたので、
追撃の触手攻撃(こっちも先端が槍状になって強化されている)は確実に避けつつ、手を上げて大丈夫だと知らせておく。
……くそっ、リアルガチで冗談キツイぞ。
月が出て明るくなってラッキーだと思ったら、実は向こうにとっての大ラッキーだったとは。
ずぶ濡れになった後にまさかのコレ。……逆なら恵みの雨だと思えたのに。
「ったく、しんどいな。こっちは疲労が溜まってるってのに!」
そう泣き事を言ってしまうも、動き続ける。
重くて飛ばしにくくなり、攻撃の威力まで上がっても今さら引けるか。
俺はまたドス黒く染めた【風圧拳】を打ち込み、半分の五十メートルでもいいから確実に飛ばす。
とりあえずは仕方ない。このまま何とか耐えて、日が昇れば元の重さと強さに戻るだろう。
そこまでいけば、魔力の心配がないこっちが勝ったも同然だ。
――だが、相手は災厄。……そう上手くはいかなかった。
不死族スライムが月で強化され、四回目にきた破裂攻撃。
いつもよりわずかに間隔が早く、飛び散った強酸性の雨がちょうど【風圧拳】を打ち込む寸前で起きてしまい――。
「! っぐああぁあ……ッ!?」
ジュワァア! という音と同時に走った激痛。
今まさに技を使おうとしたため、寸での回避は間に合わず。
両腕に纏っていた闇のオーラも、急いで全身を覆うべく動かすも――薄くて不十分だった。
受けたのは左の顔半分。
あまりの痛みに地面に倒れ、俺は顔を抑えてのたうち回ってしまう。
「やっべ……おいベル! 大丈夫か!?」
「ベルさん!」
激痛からの叫びに、ピケとスメイアさんの焦った声が飛ぶ。
本当ならば、全然平気だと答えたいところだが……。
打撃とは違う独特な焼ける痛みに、俺はしばらく動けなくなってしまう。
その間、すぐ近くでドンパチとやり合う音が。
俺が抜けてしまったことで……“格好の的”となった俺の前で、ピケが盾となって戦ってくれているようだ。
「今すぐに! 大丈夫ですからベルさん!」
さらには、スメイアさんも。
うずくまり大量の脂汗をかいた俺の後ろから近づき、急いで【回復魔法】をかけてくれる。
脇腹の時以上の酷い痛みが、奥底からスーッと引いていく。
だがさすがに完治とはいかず、まだ少し顔の表面がジンジンと痛む。
……くっ、何十何百とやって攻撃に前のめりになりすぎたか?
あるいは長く続く作戦で注意力が落ちていたかもしれない。
「た、助かりましたスメイアさん……」
――治療を受けて、やっと何とか立ち上がる。
そうして、反応もガードも遅れて強酸性の雨を喰らった俺は、一人で戦うピケに加勢しようとして――。
「う、そだろオイ……」
そこで俺を待っていたのは、予想外な景色だった。
左半分の景色が“真っ暗”に。
右の目だけしか利かない、いつもの半分となった視界だった。
つまりは“失明”。
ピケの炎や月明かりがあるため、夜の森でもまったく見えないわけがない。
当たった瞬間、嫌な予感はしていたが――俺の左目は、火傷で完全に見えなくなっていた。




