第24話 ワイバーン襲来
「チッ! ついてねえな――走れお前ら!」
恐怖の吊り橋を渡っていた最中、さらなる恐怖が訪れた。
中位の魔物、ワイバーン。
最近、目撃されていた厄介者が、あり得ないくらいの厄介なタイミングで現れてしまう。
「何だこのカオスな状況……!?」
「くっ、これはマズイよ……!」
「おい勘弁してくれよい!?」
「ヤバイ! もう一体いたってのかよい!?」
カミラさんの叫びに続き、俺達四人の口から悲鳴染みた声が上がる。
そして走る。全力で。
高くて揺れるから怖い、などとはもう言っていられない。
後方より飛来するワイバーンから逃げるべく、頼りない吊り橋の中央から一斉に走り出した。
――グルァアアアッ!
また聞こえてきた咆哮はさっきよりも大きい。
余裕はないがチラッと振り返れば、もうだいぶ接近してきていて――飛ぶ高度も吊り橋の高さとほぼ一緒だ。
(デカッ!? コイツに追われながら渡るとか冗談だろ……!)
心の中で叫び、俺はひたすら足を回転させる。
空気から伝う魔物独特の圧力――。それを背中に感じながら、長さ二百メートルの吊り橋を走り抜けて――。
バキバキィイ……ッ!
「「「「「!?」」」」」
何とか、本当にギリギリで向こう側まで全員が到達した直後。
すぐ背後から聞こえたのは、派手で嫌な木が裂けるような乾いた音だった。
……この状況だから説明不要。
コイツ、“一本しかない”吊り橋を壊しやがったな!?
「まだだ! このまま森へ入るぜ!」
ここでまたカミラさんの指示が飛び、俺達は足を止めずに目の前の森へ。
後方では大きな崩落音が立て続けに起きたので……完全に吊り橋はなくなったようだ。
――――…………。
そして訪れた、俺達の息遣いだけが響く不気味な静寂。
何とか逃げ切れたか? 木々の合間に逃げ込んでから後ろを振り返って確認すれば、迫ってきていたワイバーンの姿はなし。
次に鬱蒼と茂る森の上を見上げてみると――葉の隙間から巨体の影が飛んでいく姿が。
つまり、危機的状況はとりあえず脱した、というわけだ。
「……いやキッツイな。足というより心臓に悪いぞ……ハァ」
「だ、だね……。さすがにあのタイミングはダメかと思ったよ……ハァ」
『始まりの森』の南西部。森を分かつ『大地の傷』の先にて。
そんな俺達の安堵の声とため息が、森の中に生まれて消えた。
◇
「さあ、気を取り直していくぜ。イサク、臭いはこっちでいいんだよな?」
ワイバーンの脅威はひとまず去った。
いまだ恐怖体験を引きずったままの俺達男衆に向かって、紅一点のカミラさんが森の先を見て言う。
さすがは悪女……じゃなくて班長か。
攻撃を受けても橋から落ちてもジ・エンドだった状況は、もうすでに終わったことのようだ。
「は、はい。もう一体のワイバーンはこっちです。……では案内しますね」
「おう頼む。お前の鼻が頼りだからな」
同じく、少し遅れてイサクも気持ちを切り替えたらしい。
最後に滑り込んだ際についた、道着や毛の土を払い落してから。
自慢の鼻をクンクンさせて、イサクは一方向を力強く指し示した。
「……ふ、二人とも切り替えが早いな。帰りの心配とかなしかよ……」
「んなもん気にしたって仕方ねえさ。とにかくここまできたんだ。まず調査といくぜベル」
と、カミラさんに背中をバシッと叩かれる俺。……あと残りのビビり中だった大福兄弟も。
腰の『灰帯』を締め直し、いつでも技を使えるように構えながら、イサクの案内でより険しくなった森の中を慎重に進んでいく。
――そうして、背丈ほどの深い草むらを越えたところで。
「え?」
「は?」
「何い?」
「ウソだろい?」
イサクを除く四人。俺、カミラさん、トロイ&テッドの大福兄弟の口から。
前方にある“それ”を見たことで、驚きの声が漏れ出てしまう。
なぜか? そりゃ橋を渡る前にワイバーンがいるとは聞いていたが、 “予想を裏切る形”でいたからだ。
「何でコイツ……“死んでる”んだ?」
『大地の傷』の先の調査担当エリアにあったもの。
それはイサクが血の臭いがすると言った通り、血まみれの死体となったワイバーンだった。
てっきりワイバーンが仕留めた獲物の血の臭いかと思ったら、まさかの“本人”が。
一時的に木々が途切れた森の拓けた空間。
そこの大きく窪んだ蟻地獄? みたいな窪地のど真ん中に――血の海を広げて死んでいたのだ。
翡翠色の鱗は何枚か剥がれ落ち、足の鉤爪は一部欠けている。
発達した下顎に生えた牙も抜け落ち、大きな二つの翼は片方の翼膜部分に風穴が空いていた。
「これは……さっきの個体と争ったのかな?」
「いや、違うぜイサク。ワイバーンは本来、仲間意識が強い魔物だ。……何より、あの傷痕をよく見てみろ」
……ふむふむ、たしかに。上から見たらカミラさんの指摘通りだぞ。
硬くてぶ厚そうな鱗に覆われた巨体にある、致命傷と思わしき腹の大きな傷。
どう見ても切り傷でも噛み傷でもない。
まるで硫酸でもかけられたような、酷い“火傷の痕”があったのだ。
事前に聞いていたワイバーン情報では、ドラゴンと違って火は吹かないらしい。
だとするとこれをやったのは、ワイバーン以外の存在ということになる。
……あと、もう一つ。
目の前の大きな窪地を挟んだ、俺達の向こう側。
そこには森の木々がなぎ倒されて、重機で進んだのかと錯覚するほどの“道”ができていた。
「こりゃ“当たり”か。今回の森の異変と関係がありそうだぜ。ワイバーン以外の何かが――ッ!? 離れろお前らッ!」
「「「「!?」」」」
その時だ。
カミラさんの激しい声が響くと同時。
頭上に差した影を受けて、俺の本能が警鐘を鳴らした。
そして間髪入れずに跳ぶ。
ついさっき吊り橋で逃げた時以上に、瞬間的に足に力と魔力を込めて跳んだ。
直後、ドゴォオン! と。
大質量な何かが、勢いよく地面に激突して――周囲に土の塊が弾け飛ぶ。
「ッ……!」
俺は道着越しの背中にそれを浴びつつ、跳んだ勢いのままに窪地の中へ。
ゴロゴロと転がり落ち、死んだワイバーンのそばまでいったところで……やっと止まった。
他の四人も同じ状況だ。
前の窪地に飛び込んで転がり落ち、すぐに体勢を立て直してから、元いた場所を見上げている。
――グルルゥウ……ッ!
「アッハッハ。もう再会かよ。元気にしてたか?」
「いやカミラさん、笑ってる場合じゃ……。これリアルガチでカオスな状況じゃないですか!?」
遥か頭上より、垂直飛行でまた襲撃してきたのは――当然、ワイバーンだ。
体長は優に三メートル超え。その巨体を支える、地面に突き刺さった足の鉤爪を力任せに引き抜き、不気味にノドを鳴らして。
どう見ても敵意満々な目玉二つで、こっちの方を見下ろしているぞ。
……ワイバーン自体は初めて見たが、明らかに怒っている様子だ。
そして、その原因はというと。
おそらく俺達の後ろで転がっている、“もう一体のワイバーン”だろう。
「お、俺達じゃないっての! 犯人は犯行現場に戻るって言うけど……リアルガチで俺達じゃないっての!」
「何言ってんだベル? つうかもう腹を括れ。状況的に選択肢は一つしかねえぜ」
慌てふためく俺に、数秒前まで笑っていたカミラさんが真剣な顔つきで言う。
……まあ、たしかに。
窪地は直径三十メートル以上はあり、なおかつ深い。
ここから駆け上がってまた森に逃げ込むのは……ないな。
低位のゴブリンならまだしも、ワイバーン相手じゃ現実的ではないぞ。
「……仕方ないね。死体に気を取られて、うっかり姿を晒しちゃったんだから」
「油断したツケか。……なら払うしかないかい」
「……ふう。中位の魔物、それも上から数えた方が早い種族はさすがに初めてだぞい」
イサクと大福兄弟も腹を括ったらしい。
もう何度も稽古の時に見た、それぞれの構えを取ってワイバーンを睨み返す。
――通常個体のワイバーンの力は、『灰帯』五人と“同等以上”の力を持つ。
かたやこっちの班は、全員がその『灰帯』で、かつ五人。
班長を務めるカミラさんのみ、ほぼ『茶帯』相当の実力とはいえ……。
「け、計算上だと微妙だなオイ……」
立ち位置的に下だからか、余計に伝わってくる相手の迫力。
感じる魔力もどこか荒々しく、その凶暴性が手に取るように分かってしまう。
リザードマンとかで魔物には慣れたつもりだったが……大型で中位の魔物はまるで別物だぞ。
「やるぜお前ら。こうなりゃ調査は一旦中止だ!」
獰猛に笑ったカミラさんを中心に、俺達は構えたまま横一列に並ぶ。
今度の戦いは一人ではない。
だが、戦力的にはギリギリセーフかギリギリアウトか――どちらにせよ、また厳しい戦いになるのは確実だった。




