第19話 炎の拳
「――“あと二人”。さあお前らどーすっよ?」
……あっという間だった。
トロイが蹴り一発で倒されて、一対三となってすぐ。
うなずくような独特なリズムを取る、黒ローブの男の小さな体が消えたと思いきや、ズドン、と。
見るからに重い、打ったまま戻さない正拳突き。
その一撃を腹にもらい、成す術なく大福弟のテッドが崩れ落ちて意識を失ってしまう。
「くそ……ッ!」
もちろん、その間に反撃はした。
だが俺の拳もイサクの脚も黒ローブの男――破門された元門弟からなる『漆黒の餓狼』には届いていない。
おそらくは『黒帯』――。
この短い手合わせだけでも、『魔体流』で“一流”の位置にいたと容易に推測できる。
……あるいは、“その上”も。
免許皆伝を受けた、まだ見ぬ『銀帯』と『銅帯』。
いわゆる高弟だった可能性もあるわけで……もしそうなら余計に救いようがないぞ。
「ど、どうすれば……!」
俺以上に理解している、隣で構えるイサクにも余裕はなし。
この状況で大福兄弟を抱えて逃げ出せるはずもなく、かといって援軍も望めない。
というか、そもそもだ。
同じ階級の『灰帯』が束になろうと、まだ本気を出していない黒ローブの男に勝てる気がしない。
「つっても、コイツを倒すしか他に手は……」
「そのとーり。もっとシャキッとしろよ。いよいよヤッベエ状況だぞ?」
俺の口から漏れた言葉に、黒ローブの男がふざけた調子で返してくる。
くそっ! 完全に楽しんでやがるぞコイツ!?
まるでお遊び感覚で、黒ローブを纏った小さな体を揺らしている。
――にもかかわらず、微塵の隙もない。
どこに何を打っても、フェイントを織り交ぜようとも。
避けられるか叩き落とされるか、当たらないイメージしかできなかった。
「……残された道は一つだね。いくよ、ベル君」
「……おう。もうワケ分からん超カオスだけど……腹は括ったぞ」
それでも動く。
連携など稽古ではやっていないが、即席で二人の同時攻撃だ。
体術的に上手のイサクに合わせてもらい、
「「ワッショイ!」」と、【空爆拳】と【前蹴り】を同じタイミングで発動。
とにかく確実に当てるべく、避けづらい体の正中線を狙う。
「あっくびが出るなー」
――が、しかし。
そんなのん気な声を発して、黒ローブを纏った小さな体が消える。
舞い上がった土埃だけを残し、どこに消えたかと思えば――。
「「!!」」
刹那、背中に寒気を感じてとっさに横へとダイブする。
同じくイサクも反対側にダイブしたようで、誰もいなくなったところに、ビュオン! と。
放たれた蹴りが、強烈に空を切る音が響き渡った。
「おっ、今のを避けっか! 【閃】からの【海蛇】は得意の繋ぎなんだが……。『灰帯』にしちゃカンがいーねえ!」
すぐに体勢を整えて振り返って見てみれば。
変わらずニヤついたまま、コクコクと頭でリズムを刻む黒ローブの男。
フードを目深に被って浅黒い肌に白い歯を浮かべて――そっと蹴り足を地面に戻す。
「おいお前……! ギャングだか何だか知らないけど、元は同じ門弟だろ! 襲ってくるとか何考えてんだよ!?」
「あーん? 別に。つーかもう離れちまってんだから……情け容赦はいらねーだろ?」
じりり、と間合いを取る俺からの問いに、黒ローブの男の笑みが深くなる。
……なるほど、やはり無駄だったか。
少しは残っているかもと、良心に訴えかけようと思ったが……。
世界は違えど、人は違えど、一度ダークサイドに落ちたヤツは――。
「それによー」
と、その時。
再び構え直す俺達、いや“俺だけを見据えて”。
黒ローブの男は一瞬だけ、口元の笑みを止めた真顔で、
「唯一無二の『オリジナル技』の使い手。んなヤツを前に手なんか抜けっかよ」
「……えっ?」
かけられた予想外な言葉に固まる俺。
……何でコイツがそれを知っているんだよ。
破門された元門弟の集団にまで……俺の情報がいっているってのか?
「驚いてやがっな。けど、別に以外でもねーだろに。『完全オリジナル』ってのはそーいうもんだろ」
言って、黒ローブの男はまた笑みを浮かべる。
そして構えではなく、無造作に両手を上げたと思ったら。
「けどよー。なら、もうちっと驚かせてやるよ」
「「なッ!?」」
直後、また予想外な事態が起きた。
黒ローブの男が胸まで上げた両手。それがゆっくり握られていくと同時。
魔力が込められたその浅黒い肌の拳に、あるはずのない“赤”と“熱”が生み出される。
――すなわち、『炎』。
幻ではなく現実に、ゆらゆらと燃える炎が――“熱を宿す拳”が目の前に現れた。
◇
これがいわゆる【火魔法】なのか。
同じ魔力を使う『魔体流』でも、魔法を使う魔道士とは別物だと聞いていたが……。
「え、『属性付与』……」
戸惑う俺の隣で、イサクが毛を逆立てた状態でそう呟いた。
――『属性付与』。また初めて聞くワードだぞ。
『魔体流』の【秘境七十二手】の名称だけは把握しているから……その中にはないものだ。
つまり技ではない。
ならやはり、『属性付与』という“魔法の一種”と考えるべきか。
「ご名答だ狐人族君。んじゃ俺っちの代わりに、よく分かってねー相棒君に説明よろしく」
黒ローブの男は拳に炎を宿したまま、イサクの方に首を振る。
その動作を受けて、イサクは警戒しつつも、俺に教えてくれた。
いわく、『属性付与』とは。
魔法ではなく、己の中の属性を“呼び覚ました”もの。
無から生み出す魔法とは似て非なるもので、“特定の魔物を狩り続ける”ことで属性を獲得。
体一つに属性一つが宿り、稽古をすれば全身に纏うことも可能となるらしい。
「そして、それに必要な強力な魔物は秘境の奥の奥……『拳聖の庭』にしかいないんだ。つまり、僕達の前にいる男は――」
『銀帯』か『銅帯』の選ばれし高弟。
それか全“百三十五名”いる『黒帯』のうち、特別に入ることを許された『黒帯筆頭』だけ。
「……り、リアルガチかよ。高弟か一番強い黒帯とか……」
「元、な。つーわけで、説明も終わったから……いくぞ?」
炎の正体を理解してすぐ、その炎の拳が襲いくる。
予備動作が一切ない、ノーモーションの左右の【雷鳥】。
相手の鋭い踏み込みに反応した時には――乾いた音が二発鳴って腹を打たれていた。
「ぐおッ!?」
喰らってから分かる正確な威力。
発動した【軟弱防御】をもってしても、ダメージが体の中まで響いてくる。
そこに加えて、炎の熱さと“重さ”。
技自体の威力とは別に、もう一つ余計な何かが積み重なってきた。
「うはっ! これを耐えっのか。属性ダメージも散らすとは……いいねーその防御技!」
痛みで体が“く”の字に曲がった俺に、黒ローブの男が追撃をかけようとする。
「――させないよ!」
だが、ギリギリで間に合ったイサクの蹴り。
人体に風穴を空ける威力を誇る【前蹴り】を、黒ローブを纏う背中に蹴り込んだ。
ガキィイン……ッ!
鈍い音が響き、ほんのわずかに黒ローブの男の小さな体が衝撃で揺れる。
……ただ、それだけだ。
音を聞いても分かる通り、体を硬化させる技で完全に防がれてしまう。
「痛ぅ!?」
「おーおい、逆に足を痛めんのかよ。ただの【鉄己】で……鍛え方が全っ然、足りねーぞ狐人族君」
そこへ容赦なく襲いかかった【海蛇】。
まだ痛みが続く俺は、その高速カウンターの変則蹴りが、イサクの側頭部に入るのを見届けるしかなかった。
ゴドンッ。
鈍い音が鳴り、道着を着たイサクのモフモフな体が崩れ落ちる。
何とか【岩己】は間に合ったものの、いつの間にか“足にも纏った”炎の存在もあり――防御を上回る一撃に耐えきれない。
「! イサク……!」
ここでやっと腹の痛みが引く。
遅えよバカ野郎! と自分の体に悪態をつき、渾身の一撃を相手に見舞う。
今度は【風圧拳】だ。
相手が遥か格上で勝てないと分かった今、弾き飛ばしてその隙に――。
「っと! おーおー、こっちの技も噂通り面白いねえ!」
だが、結果は残念無念。
わずかな隙を突いて背中を打ったのに、動かせたのはたった“二メートル”。
当然、こんな距離では仲間を起こして逃走などできない。
技の性質からダメージもなく、ただ立ち位置をズラしただけ。
「(ちくしょう! 俺も皆もこれからだってのに……!)」
やっと生活にも慣れて覚悟も生まれたのに、その矢先にこのバッドイベントかよ。
序盤でエンカウントしてしまった絶対に勝てない敵――ゲームではなく現実に起きるとは。
「ふざ、けんなァア!」
「うはっ! いいねえ、その気迫! 俺っちも昔を思い出すな」
もう全てを賭けてやるしかない。
そんな俺のガードを捨てた怒涛の攻めを、茶化すように受ける黒ローブの男。
ナメているのか回避行動は取ってこない。
【空爆拳】のラッシュはことごとく腕で叩き落とされ、鼓膜をつんざく轟音は生まれず。
逆に相手の炎の拳は的確にヒットする。
顔に胸に腹に。
俺に合わせてか全ての攻撃が突き技の【雷鳥】で、一発もらうたびに痛みが走り、魔力も急速に消費させられていく。
「(冗談、だろ……! こんなもんどうやったって――!)」
レバーに一発、完璧な炎のカウンターをもらった俺は膝から崩れ落ちてしまう。
もう勝負あり、それは俺も分かっている。
まだ一月と経たずとも、真面目に稽古に取り組んで実力差くらいは掴めるからな。
だからこのまま、宣言通りに命を奪われるのだろうが――その前に一発、やり返さないと気が済まない。
「――――、」
なぜか俺の脳裏に浮かんだのは、大嫌いな小太り上司と幽鬼みたいな先輩。
目の前の敵というより、憎いそいつらを殴るつもりで、俺はダウン状態からカエル跳びで跳躍した。
「!?」
そして打つ。残る全ての魔力を込めて。
突然の動作に面食らった様子の黒ローブの男に、半分体当たり気味に最後の【空爆拳】を打った。
ドパァアアン――!
最後の最後で届いた渾身の一撃。
かつてない手応えが右の拳に返ってくるも、左肩を打たれた黒ローブの男は動じない。
「お見事。やるじゃねーか、お前」
一転、その穏やかな一言を耳元で聞きながら。
みぞおちを襲った重すぎる熱と衝撃を受けて――俺の意識は狩り取られた。




