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あの最悪のパーティーの後からパーティーに参加していた友人たちとは気まずい雰囲気になり、やがて付き合いがなくなった。他の友人たちも「いつまでも遊んでいるわけにはいかないから」と忙しそうにしていて、イザークは寂しさと退屈な日々に心がすり減っていった。
ジュリエルだけは変わらず一緒にいるが。イザークが令嬢たちと喋っているとすぐにやきもちを焼くのにうんざりし「君も次期子爵として友人付きあいをして社交を学ぶべきだ。いつまでも私を頼られても困る」と厳しく突き放した。それからはほぼ口を出さなくなり、自分の友人たちと過ごすようになった。
ジュリエルもいなくなっていよいよ暇を持て余したイザークはポジート子爵家に通って家の人々の信頼を得た。子爵もイザークの熱意と優秀さがわかったのか少しずつ仕事を任せられるようになったが、それでも何か物足りずまるで父の言いなりになっていた時のように心が膿んでいった。
そんなある日、ジュリエルが隣国から留学してきている令嬢と話し込んでいるのを見かけた。最近のジュリエルは友人たちに教わっているのかマナーがぐんと良くなり、秀才と名高い彼女とも楽し気に喋っている。
興味を惹かれたイザークが声をかけると美しいが気の強そうな留学生は口を閉ざしてイザークを見やった。珍しい動物を見るような不躾な視線は不快だったが、相手は女性でありながら侯爵家を継ぐ権力者だ。黙って愛想笑いを浮かべていると令嬢が良く通る声で話しかけてきた。
「貴殿がジュリエルに婿入りする婚約者か。貴殿もまた調薬に携わる家の出だと聞いたが、何が得意なんだ? ポジート家では何をしている? 良ければ作った物を見せてくれないか」
「エリーシャ、落ちついて。そんなにいっぺんに聞かれても答えられないわ」
「ふぅん、サミアはこれぐらいのこと、すぐに答えたがな」
「サミア様はランゴ伯爵様が信頼するお弟子様だもの。イザークは書類の作成が得意でお父様も助かっているのよ。調薬に関しては私と一緒にお父様たちの下で修業しているところなの」
言葉に詰まったイザークをジュリエルがフォローすると留学生は露骨に失望した顔をした。憎いいとこと比べられてイザークはかっとなったが、高慢な留学生はイザークをつまらなそうに一瞥してジュリエルに微笑みかけた。
「ふふ、ジュリは優しいな。君が我が家に来るのが待ち遠しいよ」
「私も楽しみよ。時間が許す限り、エリーが教えてくれたところを回りたいわ」
「……そちらのご令嬢の家に行く? どういうことなんだ?」
イザークが口を挟むと留学生は呆れたような表情を浮かべ、ジュリエルもはたと気づいたように言った、
「あ、ごめんなさいイザーク。まだ話していなかったけれど、私、エリーの国に留学することにしたの。お父様にエリーに先生になってもらっていろいろ教えてもらっているって話したら、良い機会だから留学して見聞を広めて来なさい、って。言うのが遅くなってごめんね」
突然ジュリエルが自分から離れていくと聞いてイザークは頭が真っ白になった。
思えばジュリエルはあのパーティーの後からこの留学生を始め友人たちからいろんなことを学んで成長したらしく、今イザークから見ても魅力的な令嬢になった。
何より、自分の力で夢を叶えようとするその誇らしげな顔は、まるであのパーティーの時に見せつけられた幸せを掴んだいとこたちのように輝いていて。イザークは知らない間に美しく成長したジュリエルが自分を置いて遠く離れていってしまうように感じて、猛烈な焦りと自分勝手な彼女への恨みを感じた。
しかし、ジュリエルとじっくりと話そうにもこちらをじっと見つめる留学生の目がある。イザークは気を惹くように寂しげな笑みを浮かべた。
「そうか、それはおめでとう。私も君の夢が叶ってうれしいよ。しかし、なぜわざわざ留学するんだい? この国でも学ぶことはたくさんあるだろうに」
イザークが暗に「寂しい」と訴えるとジュリエルは恥ずかしそうに笑った。
「私、今まで好きなことばかりやっていたから。あのパーティーではわからないことばかりでとても恥ずかしかった。でも、この間。イザークが『もっと社交をするべきだ』って言ってくれたおかげで、これからでも学べばいいんだってとても勇気づけられたんだ」
そうしてふわりと笑ったジュリエルは心からの喜びと自分への感謝に満ち溢れていて。イザークはその笑顔にジュリエルの自分への深い愛を感じて、彼女に恋した時のように心が甘くとろけていくのを感じた。
――ああ、そうだ。ジュリエルはずっと幼い頃からの夢を追っている。私はそんな一生懸命な彼女に恋をしたんだ。
自分の幸せはジュリエルと一緒にいることだ。それに気づいたイザークは湧き上がってきたジュリエルへの愛おしさで久しぶりに心が満たされ、幸せそうに笑う彼女と離れると想像しただけで引き裂かれるような苦痛を感じた。イザークは嵐のように吹き荒れる喜びと切なさに翻弄されながらジュリエルに願った。
「……ジュリエル、どうか私も君の旅に連れて行って欲しい。君と一緒に君の語る夢を追いたいんだ」
ジュリエルは驚いたように目を丸くしたが、残酷な程美しい笑顔で別れを告げた。
「ふふっ、イザークったら心配性ね、ありがとう。でも、エリーがいるから大丈夫よ。私、エリーの元でがんばって勉強して、イザークがびっくりするぐらい立派になって帰ってくるね。それまでポジート家をお願いします」
「だ、そうだ。信頼されていて良かったな、婿殿」
いつもは優しく笑ってうなずくはずのジュリエルのまさかの拒絶の言葉にイザークは呆然とした。しかし、ジュリエルはイザークに気づかずに「あ、ごめんなさい。用事があるんだった。エリー、また後でね!」と留学生に声をかけて足早に立ち去る。
その背中が遠く感じて慌てて呼びとめようとすると留学生が割りこむ。思わずにらみつけると彼女は冷え切った目でイザークを見返した。
「ジュリエルのために1度だけ忠告してやる。おまえのことはこの国に来たばかりの私でも聞いている。ジュリエルの優しさに甘えているオドルのような婿だとな。誇れる実力も信念もないのならば、せめて家と当主に誠実に尽くすんだな」
「なっ、ジュリエルの友人とはいえ失礼だぞ!!」
オドルは立派な見た目で繁殖力も強い香りづけに使われるハーブだが、使える部分が少なく肝心の香りもすぐに加工しないと消えてしまう手間のかかる植物だ。言外に”見かけだおしの厄介者”だと蔑まれてイザークは屈辱に震えたが、留学生は口の端を歪めて酷薄な笑みを浮かべた。
「私は”この国で聞いた話”をそっくりそのままおまえに伝えてやっただけだ。私もその話に同感だ。この先もジュリエルの隣りに立ちたいのならば、帰って来るまでの間せいぜい励むんだな。ポジート次期子爵の婿殿」
留学生は蔑むように言い捨てると風のように立ち去った。イザークはその背中をにらみつけながらも心の中に深いもやが立ち込めていった。
――自分はジュリエルに愛されていてきちんとポジート家に貢献している。留学生はきっと自分をやっかむ貴族たちの噂に騙されているんだ。
――しかし、それならば。
――なぜ、クロードもヴィオラも親しくしていた友人たちも自分から離れていったのだろうか。なぜ、ジュリエルは自分がいないのにあんなに幸せそうなのだろうか。
――なぜ、自分は幸せになれないのだろうか。
イザークは急に自分の足元が崩れていくような気がして、しばらくその場に立ち尽くした。
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オドルは架空の植物です。




