10
「ジュリエル嬢が帰国するそうだ。彼もさぞ待ちわびただろうね、楽しみだよ」
手紙を読んでつい微笑むと従者が呆れたように「悪趣味ですね」とこぼす。笑みを深めた王太子は敬愛する師匠とのやりとりを思い出した。
王太子は努力する人が好きだ。特に、薬草学の教師を務めたポジート子爵の娘のジュリエルはお気に入りで、ひたむきに努力する彼女を温かく見守っていた。
そんなかわいいジュリエルが恋した相手に王太子は眉をひそめた。イザーク・ランゴ伯爵令息は恵まれた生まれにおごった口先だけの怠け者で、初心なジュリエルにつきまといまんまと口説き落としたらしい。
長年応援してきた少女をろくでなしに奪われたことに腹を立て一時は密かに処分してしまおうか考えたが。彼に恋をしているジュリエルが傷つくのを恐れて断念した。
ポジート子爵に相談すると彼は穏やかに笑った。
「そうですか。ジュリエルが信頼を寄せるということは、彼にも見どころがあるのでしょう。良いでしょう、娘が望むのならば婚約を認めます。変わった植物を育て直すのも楽しいものですからな」
ジュリエルが婚約を望んだことから、王太子はポジート子爵の手助けをすることにした。
イザークはその素行の悪さで婚約者や常識ある貴族たちからの信頼を失い、誠実なランゴ伯爵を悩ませている。王太子が多忙な伯爵に「いよいよ婚約者を捨てて、学園で見つけた令嬢と婚約し直すつもりだ」と密かに学園の噂を知らせると彼はやっと情を捨てて息子の廃嫡を決めた、そして、伯爵に恩を売る形でイザークを貰い受けると降ってわいた幸運に浮かれるイザークを適当に言いくるめてポジート家に婿入りさせた。
逃げ場を断つためにイザークのいとこクロードを後押しして元婚約者と婚約させた。クロードは生真面目で純朴な性格で、王太子はひょんなところで優秀な人材を得て喜んだ。
イザークはしばらくはポジート家で熱心に学びジュリエルと仲睦まじく過ごしていたが。次第にジュリエルを蔑んで令嬢たちと遊びまわるようになり「無知な次期子爵を支える自分こそが偉いのだ」というように傲慢な態度をとるようになった。
クロードを始め一部の貴族たちは「婿入りする身なのだから、その家と婚約者を大事にするように」と忠告したが長年凝り固まった思い込みは改善しなかった。
そして”王家が信頼するランゴ伯爵の優秀な嫡男”という価値を失い、”約束された将来よりも真実の愛を選んだ”誠実さも偽りだったと知った周りの貴族たちはイザークに失望して離れていった。
身に付けた実力も信念もなく、周りから与えられていた好意を糧に膨れ上がったイザークの虚栄心は少しの衝撃で泡のように弾けた。
元婚約者といとこに思い込みを否定され、ジュリエルをかわいがる本物の実力者に周りから見た自分の評価を突きつけられたイザークはあっけなく心を折られた。そして、助けの手を差し伸べたポジート子爵とジュリエルに感謝し、心を入れ替えて自分を信じているジュリエルを支えるために熱心にポジート子爵の元で学んでいる。
その必死に努力する姿は本心からのもので、イザークを嫌っている貴族たちも「ジュリエル嬢の真の愛がろくでもない男を生まれ変わらせた」と皮肉をこめて口にするぐらいだ。
――それは本当にそうなのだろうか。
イザークは昔、元婚約者に「本物の恋とは出会った瞬間にわかり、まるで世界に2人しかいなくなってしまったかのようにお互いに夢中になるものなんだ」と語り、実際にジュリエルこそが本物の恋の相手なのだと喜んでいたらしい。そして、今回の一件で見放されて自分のよりどころを失った彼は唯一自分を愛してくれるジュリエルに完全に”おちた”。
しかし、才能に恵まれ熱意もあるジュリエルはイザークよりもずっと先を歩みつづけるだろう。
今まで好意を寄せる他人がすり寄ってきたのが自分が追いかける立場になったことで、甘やかされていた彼は変わることができるのだろうか。
「オドルという植物はとても繁殖力が強くてね。他の植物と一緒に植えるとその養分を奪って最終的にはその土地に根付いてしまう。その分、上手く育てれば丈夫で立派になるし、失敗しても土の肥やしになる。
彼もそういう人間なのかもしれないね。上手くいけばジュリエルのためになるし、もしそうではなかったらそれなりの使い方をする。とりあえず様子見だね」
――彼が恋に落ちたジュリエルのためにこのまま努力して彼女の隣に立てるのか。それともこのままジュリエルから与えられる好意に堕ちてせっかく得た自由を捨てて囲われるだけの人生を歩むのか。
努力する者が好きな王太子はイザークに期待している。目にかけている少女がこのまま不幸を知らずに幸せになれることを祈って。




