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ジゼル達が参戦から四日が過ぎても、戦況に大きな変化は訪れなかった。両軍が睨み合いをしているうちに日が暮れる、といった具合である。激しく火花を散らすような戦いには至っていないため、隊員達の酒盛りは日に日に陽気さを増していた。
「すごく盛り上がっているな」
「おお!フィンレー隊長!お疲れ様です!」
「相変わらず隊長は良い男ですねぇ!」
「そう言えば隊長もそろそも許婚殿と結婚ですか?こいつもこの間、求婚して上手くいったらしいですよ」
「それは良かったな。おめでとう」
「ありがとうございます!隊長に祝っていただけるなんて光栄です!この戦いから無事に帰れたら結婚します!」
「また言ってるよ」
「不吉だからやめろって」
フィンレーは隊員達の赤らんだ顔を見て苦笑する。明日に響くような深酒は困るが、戦場には馬鹿騒ぎも必要だ。息抜きの重要性を理解しているフィンレーは、水を刺すような真似はしなかった。
「良い酒が手に入ったから、皆で味わってくれ」
むしろ差し入れまで持参する太っ腹な隊長に、派手な拍手が送られる。
フィンレーは持ってきた酒を輪の中心に置いた。あとは自由に手を伸ばしてくれという意味だった。「隊長も一杯どうですか」と勧められたが、彼は断っていた。届け物は酒だけではなかったからだ。
フィンレーは人の輪から少し離れて座る、幼馴染のところへ歩いていった。
「君はお酒を飲まないだろう。だからこれを」
小さな包みを幼馴染の手に乗せてから、彼も隣に腰を下ろす。
「ありがとう。これってお菓子?」
手渡された包みを開いたジゼルは目を瞬かせた。
何でも手に入る貴族街とは違い、戦場では何かしら物資が不足している。菓子なんてもっての外だし、そもそも調理できる設備が無い。ジゼル達がいつも口にしているのは、お世辞にも美味とは言えない兵糧である。しかしごくたまに、近隣の街や村から労いの差し入れが届くことがあった。この焼き菓子は、そういった経路で手に入ったのだろう。
ジゼルはまずフィンレーに食べてもらおうと差し出したが、首を横に振られてしまう。
「僕はもう頂いたから要らないよ。あとは君が食べるといい」
「んじゃ、オレも貰うわ」
横からひょいと伸びてきた手が、焼き菓子を一つ攫っていった。犯人はロルフである。
「上官より先に手をつけるな。しかも無断で持っていくとは盗みと同じだぞ」
フィンレーは鋭い口調でロルフを叱った。けれどもロルフに反省の色は皆無だった。彼は立ち止まったままの姿勢で菓子を口に放り込む。
「隊長サンがいらねって言ったから、代わりに貰ってやったんだよ」
小馬鹿にしたような物言いと、咀嚼しながら話す行儀の悪さがフィンレーの癪に触った。しかし直後にジゼルが「美味しかった?」だなんて、間の抜けた質問を投げかけたので、フィンレーはそれ以上の口出しができなかった。
「甘過ぎて好みじゃねぇ」
「紅茶のおともにぴったりね」
「お上品な飲み物も好かねぇよ」
言いたい放題なロルフは、ご馳走様も告げることなく去っていった。大方、口直しに干し肉でも齧りに行ったのだろう。
フィンレーは苦々しい気持ちになりながら幼馴染を見下ろしたが、彼女は貴重な甘味に舌鼓を打っているだけだった。
「……今まで聞きそびれていたが君、よく門前払いされず合格まで漕ぎ着けたな」
「訓練所のこと?」
アザン国で兵士になるには二つの方法がある。一つは縁故での採用、もう一つは正規の手順を踏む方法だ。指揮官級の人間は半数以上が、権力者の縁故によって立場を得ている。後ろ盾のない民間人などは手続きを行い、指定の訓練所にて扱かれてから、下っ端の新兵として配置されるのだ。
ジゼルもフィンレーも貴族の人間だが、立場を利用することなく己の実力で兵士となっている。しかし女のジゼルには、より過酷な道のりであった。
「いいえ、危なかったわ。初日から教官に帰るよう勧められたもの」
申請書を持って訓練所に足を運んだジゼルは、事情も聞かれず追い返されそうになった。それはそうだろう。見るからにお嬢様といった風体の少女が門の前に立っていたら、何かの間違いか悪戯だと考えるのが妥当だ。佇むジゼルを見つけた教官もそう考えた。だが彼女は頑として帰ろうとしなかった。
「それから『とても鍛えているように見えぬ貴女では訓練を耐え抜くことはできない』とも言われたわね」
「それは、まあ……真っ当な意見だと思うよ」
「そうね。だからわたし『泣き言はこぼさないし弱音も吐きませんから戦い方を教えてください』ってお願いしたのよ」
教官はジゼルが半日も持たずに音を上げると予想したのだろう。訓練は男でも脱落するくらい厳しい。細身の令嬢が耐えられる代物ではなかった。事実、ジゼルは課せられた訓練のうち、十分の一も完遂させられなかった。
けれどもジゼルは誓った通り、泣き言も弱音も一切吐かなかったのである。同期の訓練兵に全く追いつけなくても、訓練を投げ出さなかった。体力が無くて倒れてしまっても、必ず立ち上がった。どれだけ周りから遅れようとも、決して諦めなかったのだ。
その懸命な姿勢は教官に感化を与えた。教官は彼女に合わせた特別な訓練を組んでくれたのだ。そしてジゼルに弓の才能があることを見抜いたのもまた、教官であった。
体力作りは基礎中の基礎、兵士たるもの戦えなくては意味が無い。しかし武器なんて使ったこともなければ、触ったこともないジゼルに、いきなり剣の対人訓練は無理だった。
そこで教官はとりあえず、弓を引かせてみることにした。口頭で説明しながら実演してくれるのを、ジゼルはじっと観察していた。やってみろと言われた彼女は教官の動きを真似した。初めて射った矢が的の中心に当たることはなかった。その矢は教官が放ったものとほぼ同じ位置に刺さっていたのだ。驚いた教官からもう一度やってみろと言われて従えば、やはり矢は同じ様な場所に刺さった。
「成程。それで許可が下りたのか…」
「教官はかつて弓の名手だった方まで呼んでくださったのよ」
常人に成せる業では無いと感じた教官の判断によって、ジゼルは弓の猛特訓を受けた。何でも素直に飲み込む純粋な彼女は、他人の模倣が非常に上手だった。見取り稽古がとても性に合っていたのだ。腕の立つ者に教えられ、間近で繰り返し動作を見せてもらう事により、ジゼルは驚異的な成長を遂げた。
「でも体力は無かったし、弓以外の武器の扱い方も覚えないといけなかったから、他の人より時間がかかってしまったわ」
「いや。一年半でよく頑張ったよ。尊敬する」
激しく動き回ることはなくとも、弓を引くには相応の力が要る。弓が破損して使えなくなった場合に備えて、剣や素手での応戦もできなくてはならない。そういった諸々の理由により、普通は半年から一年で終える訓練を、ジゼルは延長して続けたのである。
「オレはアンタに弓を引ける腕力があったことに驚きだぜ」
低い声は彼女の背後から聞こえてきた。ジゼルが反射的に振り向くと同時に、ロルフがどかりと座り込んだ。例の如く、食べながら喋る彼が握っていたのは干し肉だった。
「それは多分、よくぶら下がっていたからかしら」
「は?意味わかんねぇよ」
「……すまない、僕もよくわからなかった」
両隣に座る青年達から怪訝な表情を寄越されたジゼルだが、彼女はのんびりと返答するのであった。
「お姉様からお下がりのドレスを貰ったのだけど、わたしには少し大きくて。それで早く背を伸ばそうとして毎晩、高いところからぶら下がっていたの。あとは、裾で足元を隠しながら背伸びし続けたりとか、色々試したわね」
「……馬鹿だとは思ってたが、本物の馬鹿だなアンタ」
ロルフには面と向かって馬鹿と言われ、フィンレーでさえ擁護の言葉を探しあぐねる始末だ。これにはさすがのジゼルも少し俯いた。どうやら馬鹿げた方法だという自覚はあったらしい。
「んな事しても背が伸びるわけねぇだろ」
「当時は真剣だったのよ」
「夜中に真剣な顔して棚からぶら下がるお嬢サマなんて、オレは聞いたことがないね」
ロルフは心底呆れたとでも言いたげに、盛大な溜息を吐く。
「しかしそれで腕力がついたのなら、無駄ではなかったのだろう……多分」
「そうでしょう、フィンレー。身長はちょっと分からないけど、鍛えられたことは間違いないわ」
最後は笑って済ませてしまう彼女のおおらかさに、ロルフは馬鹿馬鹿しくなってきた。「アホくさ……」と呟いたきり、無言で食事を再開するのだった。




