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 アザン国南東にて、ニフタ国の侵攻あり。


 至急と記された召集令状を受け取ったジゼルは、その日のうちに行軍へと加わった。いつでも出立できるよう準備はしてあったが、まさかこんなに早く召集がかかるとは予想外だった。恐らくフィンレーはひと足先に街を出ただろう。

 別れの挨拶もそこそこに屋敷を出たジゼルは、彼に追いつこうと馬を走らせた。しかし驚いたことに街の出口には、アリシアが先回りして待っていた。先に発ったフィンレーから、緊急召集の話を聞いたのかもしれない。


「アリシア、見送りに来てくれたの?」

「愚問じゃなくて?それにしても随分と急な出発ね」

「仕方ないわ。いつ攻撃されるか、わたし達には分からないもの」

「…そうね。そういうものよね、戦争って」


 馬に跨る親友を見上げるアリシアは、切なげな面持ちをしていた。


「無茶したら駄目よ。死体になって帰ってきたら絶交だから」

「死んでいたらフィンレーを助けられないわ。大丈夫。わたしが何とかして二人の幸せを守るから」

「私はジゼルにも死んでほしくないの!」

「分かってるわ。ありがとう、アリシア」


 ジゼルはそっと微笑んだ。


「それじゃあ行くわね」

「私にちゃんと『お帰りなさい』って言わせなさいよ…!武運を祈っているわ」


 もう一度「ありがとう」と伝えてから、ジゼルは手綱を打った。銀色の髪が陽光を反射して輝く。その背に負う弓は、アリシアが特注して作らせたものである。世界に二つとない弓だ。戦えぬ自分に代わり、親友の力になってほしい。そんな切願が込められた逸品であった。




 戦線に辿り着くまでに、二か所の野営地を経由することになっていた。最初の野営地でロルフを含めたバルビール隊の仲間数名と落ち合い、次の場所でようやくフィンレーに追いつくことができた。彼はジゼルを見つけると地図から顔を上げ、険しい表情を解いた。


「やあ、ジゼル。ちょうど良かった。君にも地図を渡しておかないといけなかったから」


 アザン国の南東部は三年と少し前に、ニフタ国から猛攻を受けた。国境の一部が突破され、あわや敵兵が雪崩れ込んでくる寸前であったところを、ぎりぎりで持ち堪えたのだ。激戦の後、南東部の防御壁は一新されており、以前の地図は使えなくなっていた。因みに、ジゼルの婚約者が戦死したのはこの時である。


「後で目を通しておいてくれ」

「皆と一緒に見ておくわ」


 ジゼルは地図を覚えるのが不得手だった。反面、変なところで勘が鋭いので、迷子になるような失態は犯さずに済んでいる。


「それにしても奇妙だな。今更、南東部へ侵攻してくるとは…」


 フィンレーの呟きの意味は、ジゼルにも察せられた。上述した通り、南東部は以前に深いところまで侵攻されている。その教訓として、自然の地形を生かした要塞化を進めたため、陥落は難しくなっているはずだ。敵がわざわざそこを狙う利点は無い。実際、この三年で戦場は中央部から北東部へと、だんだん北上していた。


「敵の策略ということ?」

「うん。もしかしたら南東部の侵攻は単なる陽動で、真の狙いは別のところにあるのかもしれない。だとしても、我々は指示された陣地で戦うだけだ」


 フィンレーの言葉にジゼルは頷く。頭の回転も速くないジゼルがいくら考えたところで、敵の思惑など読めるわけもない。彼女の指針はとても簡潔だ。激しい戦場だろうと、敵が強大であろうと、フィンレーを死なせない。最初からそれだけしか目標に掲げていなかった。


「明日から戦闘が始まる。今回も君に背中を預けるよ、ジゼル」

「信頼に応えられるよう頑張るわ」


 幼馴染に固く約束してから、ジゼルは地図を片手に隊員達のところへ戻っていくのだった。




 次の日は早朝に起床し、前線まで走らされた。気合い充分で臨んだ一日目であったが、拍子抜けするくらい一つも苦戦しなかった。犠牲者は出てしまったものの少数で済んだ。痛手が少ないのに越した事はないのだが、ジゼルには何となく釈然としない気持ちが残った。


「ずっとこんな調子ならいいのになぁ」

「軟弱な奴らめ。これだから若いのは」

「だよな。俺は物足りないね」

「いやいや…危なげなく勝てる方が良いじゃないですか」


 焚き火を囲む隊員達は、思い思いに語り合っている。唐突に「副隊長はどう思いますか」と話を振られたジゼルは、いっとき呆けていた。


「…ごめんなさい。ちゃんと聞いていなかったわ」

「いや、さすがです」

「むしろ安心します」


 話を聞いているようで、実は何にも聞いていない。同じ物を見ていると思えば、全然違うところを見ている。ジゼルと共に戦う隊員達にとって、そんな事は慣れっこだった。


「考え事ですか?」

「そうなるのかしら…?」

「どうして疑問形なんです」

「…婚約者だった方がここで亡くなっているから、思うところがあるのかも?」


 喋りながらジゼルは婚約者の死に顔を偲ぶ。胸部に深い傷を負ったと人伝に聞いたが、顔には傷もなくて綺麗だった。彼の方が亡くなっていなければ、今ここにジゼルがいることもなかったかもしれない。

 神妙な思いに浸るジゼルをよそに、隊員達は目を丸々とさせていた。


「……え、ちょっと待ってください。初耳なんですが?」

「副隊長の婚約者って、三年前の戦争で亡くなったんですか!?」

「どうしてもっと早く教えてくれなかったんです!?」


 例に漏れず隊員達にも、ジゼルが戦う理由は仇討ちだと説明してある。細身の令嬢が独り、戦場に来るなんて余程の無念があってのことだろうと、隊員達は敢えて深掘りしないよう気を遣っていた。それなのに、本人からさらりと明かされてしまったので、彼らが身を乗り出すのも無理はなかった。


「どうしてって…何故?」

「また疑問を疑問で…そういうところが可愛…ンンッ!何でもありません!」

「副隊長にとって今回の戦いは、弔い合戦って事じゃないですか!」

「俺たちにも手伝わせてくださいよ。水臭いなぁ」

「ロルフも同じ思いだよな?」


 会話に加わることなく、焼いた肉を無心で齧っていたロルフは、つまらなそうな顔をして答える。


「知らね。勝手にやってろ」


 にべもない言い草に対し、隊員達は真っ赤になって怒り出すのであった。


「お前!今日という今日は許さないぞ!」

「人の心を知らないのか!」

「俺が礼儀作法ってものを叩き込んでやる!そこになおれ!」

「断る。飯の邪魔すんな」


 あれよあれよと乱闘騒ぎへに発展する様を、当事者であるはずのジゼルはきょとんとしながら眺めているだけだった。

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