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 アリシアは帰り際に、明日出掛けようと誘ってきた。年頃の令嬢らしくアリシアはお買い物が好きだ。一人で街を巡るより、気心の知れた女同士で行くほうが何倍も楽しい。


「馬車は私が手配するから、忘れないで待っていてね?ジゼル」

「明日の約束を忘れるほうが難しいわ」

「分からないわよ。ジゼルってちょっと抜けてるもの」


 ジゼルは確かに抜けているところがあるが、約束を忘れたことも、反故にしたことも一度だって無い。それはアリシアがよく知っていることだった。


「でも安心していいわよ。ジゼルが忘れても、ずっと待っててあげるから」


 アリシアの悪戯っぽい表情に、ジゼルは小さく笑う。仮にジゼルが寝坊しても、着替え終わるまで待っていてくれるのだろう。アリシアは昔から世話焼きな気質だった。何事も遅れがちなジゼルに呆れず構い続けてくれるのが、成長した今でも嬉しい。


 親友を見送ったジゼルが室内に戻ると、伯母が待っていた。


「見送りは終わった?」

「はい。明日、出掛ける約束をしました」

「そう。良かったわね」

「伯母様。何かわたしにご用でしたか?」

「大事な話があるの」


 伯母についていったジゼルは、居間の長椅子に座るよう言われる。伯母は少しばかり言いにくそうに話を切り出した。


「…あなたの気持ちは知っているつもりよ。でも…あなたは年頃の娘だもの。仇討ちより、結婚について前向きに検討したほうが幸せだと思うの」


 実のところ、ジゼルが戦場に行く理由について、正確な理由を知っている者はごくごく僅かだった。そして伯母は、その数に含まれていない。伯母だけでなく、リドガー家の人間は誰も知らないのだ。伯母達や周囲の人々には「戦死した婚約者の仇を討ちたい」と説明してあった。

 女兵士が戦場にいるのは極めて異例な事で、仇討ちという美談でも無ければ今よりも白い目で見られてしまう。ジゼルひとりが変人扱いされるのは構わなくても、育ての親が悪く言われるのは困る。

 もう一つの理由として、女に守られているなどと広まれば、フィンレーの評判を大きく損ねてしまうからだった。男の沽券に関わる事でもあるため、ジゼルは周囲に本心を語らぬまま、戦場に向かっているのである。


「……はい」

「やっぱりそう思うわよね!あなたのために良い縁談を探したのよ。優しげな方でね、身の上も申し分ないわ」

「わたしのためにありがとうございます」

「いいのよ。これも我が子の花嫁姿を見る事なく、亡くなった妹のためだから」


 伯母の厚意を無碍にはできない。しかしジゼルには、一つだけ譲れないことがあった。


「…我儘を言って申し訳ないのですが、アリシアの付添人をしたいので、わたしの結婚はそれからでも良いでしょうか」


 アザン国式の婚礼では、花嫁の世話役として付添人がつく。付添人は親族や友人から選ばれ、殆どの場合、未婚の女性が担う慣わしだ。

 ジゼルはアリシアの結婚式で付添人になることを約束した。お互いに言葉の意味を半分も理解していない時分の話である。けれども約束は約束だ。アリシアが覚えているかどうか知らないが、ジゼルの中で親友の付添人になることは、もはや使命に近かった。


「あなた達は昔から仲が良いわね。心配せずとも、こちらの縁談はまだ何も決まっていないから、向こうが先に挙式すると思うわ」

「それなら安心しました」

「前向きな返事が聞けて良かったわ。さっそく、お受けする方向で話を進めておくから、あなたもそのつもりでいてね」


 元より、長いこと兵士を務める予定は無かった。フィンレーとアリシアの結婚式が区切りになるであろうと、何となく思っていた。ただ、ジゼルは自分の結婚にまで考えが及んでいなくて、少し面食らった。いち貴族の娘として、いずれ嫁がなければならない責任は理解していたはずなのに、すっかり頭から抜け落ちていた。

 本来ならば弓の腕を磨いている場合ではなく、淑女に求められる嗜みを身につけなければいけないのだ。いや、ジゼルは既にそういった点でも遅れている。刺繍も下手なまま、社交の場では上手く口が回らないし、流行にだって疎い。思考の片隅に追いやったままだった危機感が、じわじわとジゼルを侵食していく。

 武器を置いたらやらねばならない事、その膨大さを考えただけでジゼルは疲れを感じた。このまま戦い続ける方が容易い気がする。でもそれは、誰にも望まれていない生き方である。皆がジゼルに望んでいるのは、他の令嬢と同じような人生を歩む事なのだ。


「…承知しました。伯母様に頼りきりでご迷惑をおかけします」

「何を言ってるの。こう言うことは年寄りの仕事だから」


 最初の婚約者を紹介された時、ジゼルはとりたてて感慨に耽ることもなかった。そういうものだと疑問も抱かず受け入れた。

 しかしどうしてか今、ジゼルは了承の返事を絞り出さねばならなかった。頷くのを躊躇したのである。躊躇った理由を一晩考えたものの、ジゼルは解明することができなかった。




 眠りはしたが熟睡はできなかったため、翌日のジゼルはいつも以上にぼんやりしていた。当然、親友を自負するアリシアはすぐに気がつく。


「昨日、何かあったんでしょう」


 貴族街の公園に連れて来られたジゼルは、問答無用でベンチに座らされ、追及を受ける羽目になった。親友に隠し事をする、なんて考えすら浮かばないジゼルは、問われるままに話した。


「伯母様に縁談を勧められたの」

「お相手は誰?いつ会うの?」

「さあ…?詳しいことは何も聞いてないわ」

「ジゼルったら…自分のことでしょう!ちゃんとしなきゃ駄目よ。釣書は見せてもらってないの?」

「まだ見てないわ」


 あまりに無頓着な親友に、アリシアはかんかんだった。目が怖い。彼女の剣幕に気圧されるジゼルの上体は、少し後ずさっていた。


「…まあいいわ。正式に婚約したら、さすがに兵士は引退するのよね?」


 その台詞に、ジゼルはどきりとした。


「…どうしたの?何か気になることがある?」

「上手く言えないのだけど…」

「安心なさい。めちゃくちゃな文章でも私なら汲み取れるわ」


 アリシアは大人しいジゼルから言葉を引き出すのが上手だった。言葉をまとめるのが遅いジゼルには、辛抱強く待ってくれる相手が必要であった。


「…友達とは違う、仲間ができて。居場所ができた気分だったから。いざ引退ってなると、寂しくなってしまったのかもしれないわ」


 しばらく考え込んだ後、ジゼルは自分の心境をそう説明した。兵士になる道に困難は多かったが、今となってはバルビール隊の一員として充足を感じている。引退するという事は、バルビール隊の皆を戦場に置き去りにして、ジゼルだけが帰るという事だ。そんな当たり前の事実に、どうしても後ろ髪を引かれる思いがするのだった。


「そう…戦場なんて不便な場所で、どうしてるか心配してたのよ。ジゼルに大事な拠り所ができたなら、それは良い事だと思うわ」


 アリシアは親友の顔を覗き込み、にっと歯を見せて笑った。


「でもジゼルなら、結婚してもちゃんと居場所を見つけられるわ。意外に逞しいみたいだもの」

「アリシアが保証してくれるなら、きっと大丈夫ね」

「そうそう。そういう楽観的なところよ」


 自覚がないらしいジゼルは目を瞬かせていた。あどけない間抜け面を見て、アリシアは更に笑う。


「今度会う時までにあなたの婚約者のこと、しっかり調べておきなさいね。根掘り葉掘り聞き出すから」

「わかったわ」


 ジゼルに控えめな微笑が戻ってきたのを確認し、アリシアは話題を変えた。流行の服の型について演説が始まると、ジゼルは聞き役に徹することになるのだった。


 しかし結局、アリシアに婚約者のことを根掘り葉掘り聞かれることはなかった。「今度会う」約束を果たすより先に、緊急召集がかかったからである。ジゼルは再び戦場へ向かわなければならなかった。

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