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昨夜あれだけたくさん話したにも関わらず、ジゼルは次の日、思いがけない告白を聞かされる。
「アリシア、結婚式をしていないの!?」
ジゼルが素っ頓狂な声を出すのも無理はないことだった。
なんとアリシア達は結婚誓約書を提出しただけで、挙式も披露宴も行わなかったらしい。
「ええ。してないわ」
「どうして……」
「どうしてって、ジゼルに見てもらえないんだもの」
アリシアは毅然として言った。
「一番楽しみにしてくれた、あなたがいない結婚式なんて意味が無いわ。私だってジゼルに披露するのを、一番楽しみにしていたのよ」
口癖のように「楽しみ」だと話してくれた親友が帰って来ず、悲嘆に暮れたアリシアは、花嫁衣装を着ることを拒んだ。そしてフィンレーは、親族や友人から反対されることになっても、婚約者の気持ちを優先させたのである。
それを聞いて、ジゼルはひどく落胆してしまった。
「そんな……わたし、アリシアのことも考えずに、自分だけ花嫁衣装を着て……あなたへの裏切りだわ」
肩を窄める親友へ、アリシアがかけたのは「馬鹿ね」という容赦のない言葉だった。
「何が裏切りよ。明日の命も分からない場所にいたんだから、あなたは着れる時に着ておくべきだわ!」
「でも……」
何を言っても悲しげなジゼルに痺れを切らし、アリシアは叫んだ。
「ああもう!私達の結婚式はね!ジゼルが帰って来たらしようって決めてたの!だから、これからやるわよ!」
理解が追いつかなくなったジゼルは声も無くし、ぽかんと口を開けるだけであった。
とは言ったもののアリシアは身重で、長時間の式は無理だ。加えて、ジゼル達の滞在日数を考えると入念な準備も間に合わない。そういった事情を考慮して、結婚式はバルビール家の庭で行われることが決まった。参列するのもジゼルとロルフだけである。
しかしこれだけ簡略化しても、さすがに今日いきなりはできない。
「じゃあ明日ね。雨が降ったら延期すればいいわ」
張り切るアリシアの勢いに、誰も文句は言えなかった。
「私は準備があるから、ジゼルは適当にくつろいでいてね!」
そう言い残した彼女は夫を引っ張り、忙しなく出て行ってしまう。静かになった部屋では、ジゼルがまだ状況が飲み込めない様子で呆けていた。
「愉快な親友サンだ」
二人きりなのを良いことに、作法を放棄して軽食を頬張り始めたロルフは、隣人を我に返らせる。
「結婚式、見せてくれるんだとよ」
彼に改めて言われ、ジゼルは遅まきながら実感が湧いてきた。ジゼルが兵士を辞める時……それは親友の結婚式を見届けた後だと、決めていたはずだ。もう果たせまいと思い、初めに定めた辞め時は、いつしか忘れてしまっていた。
(わたしの戦いは、本当に終わったんだわ)
国境は無くなって一つの大きな国に戻っても、争いが無くなるわけではない。五つに分かれていた国の民を、言わば力づくで一つにまとめたのだから、不満が出るのは当たり前だ。憎しみを捨てられない民、不安に怯える民は依然として大勢いる。
しかしこれからの時代は、戦い以外の方法で解決策を探していかなければならないのだ。武器で戦うことしかできないジゼルの役目は無くなっていくことだろう。
「良かったじゃねぇか」
新しい時代に必要とされなくても、ジゼルは悲しくなかった。むしろ、彼女の心には平穏がある。
「夢が叶ってとっても嬉しいわ」
「明日、晴れるといいな」
「晴れるわ、きっと」
彼女が言い切ると、ロルフはにやりと口の端を持ち上げるのだった。
「アンタが言うなら間違いねぇ」
ロルフでさえも一目を置く彼女の勘は、やはり外れなかった。翌日は朝から素晴らしい快晴であった。
そわそわした気分で朝食を摂り、昼の結婚式に向けてジゼルも支度を始める。念のため正装用のドレスを持ってきて良かった。この淡い空色のドレスは、物欲の希薄なジゼルが珍しく即決で買ったものだった。
新築の屋敷から市場は、近い距離にある。ロルフは散策ついでに露店で飲み食いするのが好きだから、休暇中は一緒に市場へ行くのが習慣になっていた。空色のドレスを見つけたのも、散歩の帰り道だった。何の脈絡もなく、ロルフが「コレいいな」と呟いたのだ。ドレスの色合いが、青空を背に凛と弓を構えるジゼルの姿を彷彿とさせたらしい。
ロルフはジゼルの買う品に関してとやかく言ったりしない。というより、食べ物以外の関心が薄いので、服や飾りがどうかと尋ねられても分からないのだ。ヴィッキーから何だっていいが一番厄介だと注意を受けた時など、彼は怒ったような口調で「アイツがなに着たって『綺麗』としか思わねぇんだよ!」と言い逃げしたそうだ。ジゼルは後からこっそり教えてもらった。
そんな事を言っていたロルフが、良いと直感したドレスだったのだ。ジゼルが初めて衝動買いなるものをしたのだって頷けよう。
思い出に耽るのもそこそこに、彼女は眺めていたドレスに着替えて始める。このドレスを着ると必ず、顔が勝手に緩んでしまうので、できることなら一人で身支度したい。けれども結婚式に相応しい、華やかな髪型にするのは不器用な人間には難しく、バルビール家の使用人にお願いするしかなかった。
時間に余裕を持って身支度を終わらせたのだが、ロルフのほうが断然早かった。かつては正装を全力で拒んでいたというのに、何度も着せられるうちに慣れたみたいだ。今では舌打ちもせずに、きちんと襟元を締めるようになった。
「格好良いわ、ロルフ。素敵よ」
「『今日も』をつけろよ」
部屋の外で待っていた彼は、茶会したような口の利き方をする。だが、ジゼルは冗談だと受け取らず、律儀に言い直すのだった。
「ロルフは今日も格好良いわ」
「……おう。アンタも似合ってるぜ。綺麗だ」
「ありがとう」
淑女のエスコートだって、今のロルフならばお手のものだ。ぎこちなさの消えた仕草で差し伸べられた手を、ジゼルはそっと握り返すのだった。




