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アリシアに「泊まっていかないと怒って暴れる」と脅されたため、二人はバルビール家でしばらく厄介になることが決まった。アリシアの子供達にも会わせてもらい、遊び相手にもなった。フィンレーはロルフの素行が、我が子に悪影響を及ぼさないかと案じていたみたいだが、意外にも穏やかに子守りをする彼の姿があった。
「…こいつらは大人しいからマシだ」
現在、スクード家の屋敷はヴィッキーとディーンが切り盛りしている。姉弟は念願を叶えて、戦災者の支援のために忙しく働いているのだが、当然そこはジゼルとロルフの住居でもある。滞在中は姉弟に手を貸しており、ロルフの役目はもっぱら戦災孤児の世話だった。ジゼルは事務処理を手伝うので、必然的にロルフへ体力仕事が回ってくる。おかげで未経験だったはずの子守り役が板についてしまったのだ。普段は悪戯っ子に手を焼いているため「貴族のお坊ちゃんなら屁でもない」と語った彼は、確かに手慣れていた。
八年の年月はジゼルとロルフを変えたが、彼の方が驚くべき変化を遂げていたらしい。
フィンレーがそれを痛感したのは彼の父、フランシスが登場した夕食の席でのことだった。
フランシスが穏やかに「久しいな、二人とも」と声をかけた直後、ロルフはすっと立ち上がった。
「貴殿に恩義がありながら、今日まで参上できなかった不義理をお許しください。大変遅くなりましたが、改めて感謝を申し上げます」
綺麗に腰を折るこの男は本当にロルフかと、フィンレーは目を疑った。続けてジゼルも挨拶していたのだが、彼女の声は一つも耳に入ってこなかった。ロルフの不行儀を知るフィンレーには、衝撃が大きすぎたのである。
「はっはっは!なんとまあ立派な青年になったな。見違えたよ。兵糧を頬に詰め込んで暴れていたのが嘘のようだ」
顎が外れそうになっているフィンレーとは違って、鷹揚に笑い飛ばすあたり、フランシスはさすがだ。つむじ曲がりのロルフが素直に従う訳である。
その後、フランシスも交えて夕食が始まったが、ここでもフィンレーは驚かされた。何と言ってもあのロルフが。生焼けの肉に齧り付き、仲間の食事にまで手を出していた、あのロルフが。ナイフとフォークをきちんと使って上品に食事をしている。フィンレーは目玉が落ちそうになるくらい、目を見開くほかなかった。
彼と初対面のアリシアは別として、ジゼルが普通にしていることから、ロルフの変化は今に始まったことではないらしい。これは「外面は良くなった」と豪語していたのを、認めなければいけない。
劇的な成長を遂げた彼を見ているうちに、フィンレーは別の未来が思い浮かんだ。もしも、ロルフの周りにまともな教育を施し、鍛えてくれる大人がいたなら。彼は今頃、ジゼルよりも名を馳せる男になっていたかもしれない。
しかしフィンレーは浮かんだ考えを打ち消すように、軽く首を振るのだった。
だって目の前のロルフは一笑に付すに違いないのだ。「アイツに会えない人生なら、こっちから願い下げだ」と。
広いバルビール家には充分な客間があり、夫婦二人で過ごすには勿体ないくらいだった。しかし今夜だけはジゼルと一緒に過ごしたいと、アリシアは頭を下げた。ロルフは嫌な顔もせず、二人の自由にしたらいい、そう返して一人で客間に入っていった。
「アリシアと二人で眠るなんて、いつ以来かしら」
「小さい頃は毛布を頭からかぶって、内緒話をしたわね」
「ダンスの先生の鬘が、前後逆だったのよね?」
「嫌だわジゼル。なんでそんなこと覚えてるのよ!」
ジゼルとアリシアは昔に戻ったような気分になり、声を弾ませる。話している間にもどんどん思い出が蘇ってくる。二人とも少女みたいに瞳をきらきらさせていた。
時間も忘れて喋っていたが、笑い疲れた頃に一瞬、会話が途切れる。ややあって、アリシアが口火を切るのだった。
「私、あなたに謝りたいってずっと思ってたの」
「えっ…謝る…?」
「今度の戦争から帰ってきたら言おうって、そう決めて見送ったのに…」
八年前と同じ涙がアリシアの目尻に滲む。彼女は心に絡みついていた罪悪感を、ようやっと親友に懺悔した。自分の中に根付いた汚い感情を、包み隠さず明かした。
ジゼルは真剣に耳を傾けていた。アリシアの懺悔を最後まで聞き、「もう一度、親友をやり直したい」という懇願には、力強く即答するのだった。
「何があっても、アリシアは一番の親友よ」
「ジゼル…」
「鈍くてごめんなさい。アリシアが苦しい思いをしていたこと、ちっとも気が付かなかった…」
「あなたはそのままでいい!苦しい思いなんて、ジゼルのほうがよっぽど……っ」
アリシアは快適な屋敷で幸せな結婚生活を送り、可愛い子供達にも恵まれていたのに、同じ時期にジゼルは戦場の只中にいたのだ。
貴族の家に生まれた令嬢だったのは同じなのに、辿った運命はまったく違ってしまった。ジゼルだって兵士にならなければ、今頃どこかの貴族に嫁いで、我が子を腕に抱いていたかもしれない。
ジゼルはおよそ貴族の令嬢らしからぬ日々を送ってきた。しかし彼女は悲観などしていなかった。
「わたしは戦場から帰る人を待つより、一緒に帰ってくるほうが性に合っていたのよ。もちろん戦争は嫌だけど…ロルフに出会って、一緒にいられたから。わたしはどこにいても幸せだったわ」
花が綻ぶような微笑が、真実を雄弁に語っていた。世間が言う、普通の幸せからはズレているのかもしれない。でもそれは即ち、特別の幸せだとジゼルは思うのだ。
「…忘れてたけど、あなたって意外に逞しかったわね」
アリシアの唇がわななく。目尻に溜まった涙を拭い、彼女も微笑むのだった。




