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 ジゼルがバルビール家に足を踏み入れるのは、親友との再会よりも久しい。

 アリシアが号泣したために順序が逆になったが、腰を落ち着けて話す席が設けられた。二組の夫婦が向かい合って座ると、ようやく泣き止んだアリシアは親友の隣にいる男に興味深々の様子だった。


「アリシア。手紙にも書いたけれど、彼が結婚相手のロルフよ」

「初めまして。ロルフ様。アリシア・バルビールと申します」


 アリシアが名乗れば「ロルフ・スクードだ」と愛想の欠片も無い返答があった。


「そんなに畏まらなくていいのよ、アリシア。ロルフも普段と同じように喋って大丈夫だから」

「じゃ、そうさせてもらうぜ。悪いな、親友サン」

「…君の口の悪さは変わっていないな」

「そう言う隊長サンは老けたんじゃねぇの」


 許可を得た途端に口調を崩し、姿勢も崩し、遠慮なく茶菓子を頬張り始めたロルフに、アリシアは目を瞬かせた。

 結婚したことは事前に手紙で知らされたし、フィンレーにも質問攻めにして情報を仕入れていたが、実際に会ってみると新鮮な衝撃がある。


「もう隊長ではない」

「今さら呼び方を変えるのも面倒くせぇよ」

「仮にも貴族になったんだろう。少しは態度を改めろ」

「これでも外面は良くなったぜ?」

「どこがだ」


 バルビール隊時代に戻ったようなやりとりに、ジゼルはくすくすと笑う。

 何となく彼らの雰囲気を掴んだアリシアは、気を取り直して親友と向き合った。


「ねぇ、ジゼル。あなた子爵になったんですって?」

「そうなの。畏れ多いことだけど」


 戦争での功績が認められ、スクード家は男爵から子爵へと格上げされた。国王は伯爵の位を授けようとしていたのだが、ジゼルが全力で断ったのだ。

 アリシアはもっと話を聞かせてほしいとせがむ。


「積もる話もあるだろうから、僕達は席を外すよ」


 気を利かせたフィンレーが、ロルフを連れて退室していった。

 そこからはもうアリシアの独壇場だった。自分の知らない八年分の思い出を、根掘り葉掘り聞き出そうと燃えていたのだ。彼女の勢いに慣れているジゼルは、自分の記憶を辿りながらのんびり喋る。と言っても、話題はロルフのことに偏っていた。


 一方、妻を残して出てきた夫達は、別の部屋でくつろいでいた。否、自分の屋敷のようにくつろいでいるのはロルフだけだ。


「何が悲しくて隊長サンと二人きりなんだよ」

「それは僕も同意したい…ところだが、丁度よかった。君に感謝を伝えられる」

「あ?」

「君だけがジゼルを追いかけてくれた。彼女の助けになってくれて、感謝しているんだ」

「オレが望んでやった事だ。誰のためでもねぇよ」

「それでも元隊長として礼を言う」

「そりゃどーも」


 ロルフの非礼な言動にフィンレーは度々苛立ったものだが、今は少しも怒りが湧かない。何故なら粗雑な態度とは裏腹に、ジゼルへの愛情は計り知れないほど大きいことを思い知ったからだ。


「お前も国境廃止の件に、一枚噛んでたらしいな」

「ああ…僕にできるのはそれくらいしかなかったからね」


 ニフタ国と最後まで揉めたのはアザン国だった。

 北と東はユリウスの軍が平定、南とは話し合いが済んでおり、残すところはあと一国となった際、アザン国は抵抗した。不可侵条約を持ちかけておきながら領土を侵すのかと、ニフタ国を痛烈に批判したのである。

 一言でも言葉を間違えば戦争が勃発する、そんな一触即発の時期がしばらく続いた。その時にアザン国側で奔走したのは、文官としての地位を築いていたフィンレーだったのだ。

 戦争になってしまったら、アザン国籍ではなくなったジゼルの立場が非常に危うくなる。だからこそ、何としても戦争になることだけは回避しなければならなかった。

 同じ事をユリウスも考えて、死に物狂いになっていた。彼はジゼルを自軍に加入させる条件として「再びアザン国と戦う時が来たら殺す」ことをのんでいたからだ。頼もしい部下であり、大切な民である彼女を、失う訳にはいかなかった。

 各国の代表者は会合を幾度も重ね、譲歩できる境界線を探り合った。全てが円満に運んだとは言えないが、真の平和を願う者達の決死の努力が実を結び、今日に至るのである。


「ま、こっちと戦争になってたら、離反して親友サンのために戦ったんだが」

「離反なんかすれば彼女はどちらの国からも非難されるだろう」

「んな事を今更怖がるかよ。アイツは守るものを見失ったりしねぇよ」

「…フッ、君に夫が務まるかと不安だったが、杞憂で良かった」


 フィンレーの微笑みに対し、ロルフは照れ隠しの舌打ちを返すのだった。




 場所を戻してアリシアの私室では、ひとまずロルフの話題が落ち着き、リドガー家の名が出たところであった。


「ジゼル…リドガー家にはもう行ったの?」

「ええ。挨拶は大事だもの」

「……色々言われたでしょう?」

「仕方がないわ」


 引き取ってもらった恩を忘れていないジゼルは、先に養父母の屋敷へ立ち寄っていた。屋敷の外観は昔とあまり変わっていないように感じたが、出てきた伯母は随分と老けこんでおり、ジゼルを驚かせた。

 伯父や兄弟達の姿は見えず、伯母が一人で対応した。ジゼルが突然音信不通になったことを詫びても「なんてことをしてくれたの。こちらではあなたのこと、侵略者に自分を売った売国奴って言われているのよ?」などと返された。伯母は上辺を取り繕うことさえ、やめたらしかった。

 ロルフを紹介した時も「従者じゃなかったのね…」なんて、露骨に嫌そうな顔をしてきた。


「昔より悪化してるじゃない!」


 かいつまんだ説明を聞いただけで、アリシアは怒りが込み上げてくる。もともとリドガー家が大嫌いだったが、ここまで酷いと殺意を覚える。面と向かって言われたはずのジゼルがアリシアを宥めるので、それもまた腹が立った。


「どうして言い返さなかったの!口で言えないなら、その鍛えた腕で叩いてやれば良かったのに!」

「ロルフが怒ってくれたから、わたしの出る幕はなかったのよ」


 たとえ思い遣りのない扱いだったとしても、ジゼルを養子にして引き取ってくれたのは事実だ。子供を養うのは簡単なことではない。だからジゼルは感謝の意を、最も分かりやすい金品に換えて渡したのである。

 大金を差し出された伯母は、すぐに目の色を変えた。早く帰ってくれと言わんばかりの態度から、「少し足を休めていく?」と声を和らげる変わりようだった。

 これに激憤したのがロルフであった。


 ───オレ達は売国奴なんだろ?二度と面は見せないから安心しろよ。その金は手切れ金だと思え。


 彼にしてはよく耐えた方だ。ジゼルの養母と知り、自分にとっても義理の家族にあたることをロルフは理解して、殴りかかるのは踏みとどまったのである。ただし一度でも敵と認識してしまえば、殺気が溢れるのは止められなかった。彼の凶悪な顔つきに伯母は震え上がり、逃げるように扉を閉めてしまった。視線だけで人を殺せる、というのはああいう人相のことを差すに違いない。

 顛末を知ったアリシアは、彼の行動に賞賛の拍手を送るのだった。


「どんな殿方かしらって思ったけれど、あなたのことを本当に大切にしてるのね」

「そうね。出会ったその日から守られて…救われてきたわ」


 はにかみつつも笑顔で肯定するジゼルを、何故かアリシアは凝視していた。


「…?わたしの顔に何かついてる?」

「いいえ。変わったなぁって思ったの」

「やっぱりわたしも少し老けたかしら」

「もう!違うわよ。あなたは相変わらず美人よ!自信を持ちなさい!」

「ありがとう…?」


 怒られながら褒められてジゼルは困惑する。


「そうじゃなくて…笑い方が前と違うのよ。そんな風に笑えるんだって、知らなかったもの」


 幼少期からジゼルの笑い方は控えめだった。静かに笑うのが癖になっていたのか、成長してからも変わらず、アリシアはずっとこのままだろうと思っていたのだ。しかし再会したジゼルは、笑顔が格段に増えていた。笑い声を立てることにも遠慮しなくなっていた。


「…ロルフに言われて、大声で笑うよう心掛けていたからかしら?」

「なによそれ詳しく!」


 ジゼルを変えたのは、間違いなくあの彼だ。喜ばしい変化だけど、親友としてはちょっとだけ悔しい気持ちもある。だけど最後に残るのは結局、彼への感謝であった。

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