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「ご両人とも、準備は宜しいですか」
審判役を任されたアレックスが、向かい合う二人に問う。これに頷けば、いよいよ決闘が始まるのだ。
「ああ」
「はい」
ユリウスとジゼルは同時に剣を抜いた。
「それでは……始め!!」
アレックスの号令は、定刻通りに発せられた。
しかし二人はすぐに斬り合うことをしなかった。ユリウスが口火を切るのが先であった。
「貴女を傷つけたくはないのだが、真剣勝負で容赦はできない」
「わたしだって兵士の一人です。相手の手加減を期待して、戦場に立つことはしません」
「そうか。模範的な心がけだ。ならば遠慮なくいくぞ」
その言葉に違わず、ユリウスは全力で向かってきた。瞬きの間に距離を詰められたジゼルだが、冷静に対処する。
(攻撃は躱わす。それができない時は、受け流す)
敵に勝つため、ロルフが教えてくれたことは忘れていない。落ち着いて、ちゃんと相手の動きを見ていればできるはずだ。
「おお…!あのユリウス殿下の攻撃を避けているぞ!」
「ジゼル殿はあんな速い剣筋を見切っているのか?」
ポールはロルフを支えながら、興奮気味に叫んでいた。横で手を貸すジャスパーも、信じられないといった様子だった。
王太子の圧勝だとばかり思っていた兵士達も同様らしい。猛攻をひらりと躱わす華麗な姿に、喝采が送られる。
しかしながら、ロルフだけは渋面を作っていた。
(……いや。躱わすだけでもギリギリだ)
ロルフの指摘は当たっている。ジゼルは攻撃を食らわないようにするので精一杯だったのだ。相手の動作を注視し、避けることだけに専念するあまり、攻撃に転じる余裕が無い。逃げ回っていては勝てないことくらい、彼女もわかっているだろうが、それしかさせてもらえないのである。
時折、ユリウスは間合いに入れそうな隙をわざと作っていた。でも勘の鋭いジゼルは、その誘いに乗らなかった。踏み込んだが最後、重たい一撃が来ることを感じとっているのだ。
ユリウスは彼女の鋭敏さに舌を巻いた。また、彼女がここまで剣を扱えることも知らなかったので、驚くばかりである。
「…これほど私の意表を突いてきた相手は、貴女しかいない」
彼は一旦、猛攻の手を止めて、ジゼルに語りかけた。けれどもジゼルは呼吸を整えるのに必死で、言葉を返すことができない。
攻撃する側より、防御する側のほうが体力を削られるのだ。元々ジゼルには長期戦に持ちこめるほどの体力は無い。このままユリウスの攻撃を防ぎ続ければ、十五分ともたないだろう。
「貴女だけなんだ」
ユリウスの攻撃が再開される。
「こんな狂おしい感情が自分に存在しているとは…貴女に出会わなければ、知り得なかった」
ジゼルは懸命に逃げていたが、少しずつ足が重たくなってきている。剣で受け流さなければならない回数も増えていた。まともに受けた訳ではないが、ユリウスの剣がぶつかるたびに、手や腕がじんと痛む。
剣と剣がぶつかる音は、兵士ならば聞き慣れたもの。しかしながら皆、今は手に汗握りながら、食い入るように決闘を見つめていた。
「恋も愛も依然知らない、純真無垢な貴女には伝わらないかもしれないがな」
強烈な一撃が、ジゼルの脇腹に入った……かのように見えたが、実際は寸でのところで彼の刃は届いていなかった。見守っていた兵士達は、無意識につめていた息を吐く。
けれども、咄嗟に攻撃を受け止めたジゼルの右腕は、嫌な痛みを訴えていた。その痛みを堪え、顔を歪める彼女を見て、ポール達は唇を噛み締めたのだった。
開始から防戦一方、反撃の手立ても見出せないまま、剣を持つ手を痛めてしまった。それでもジゼルの瞳に、諦めの色は無い。彼女は肩で息をしながら、ユリウスに短い言葉を返した。
「いいえ。わたしは、知っています」
愛とは献身。
その人のためならば苦難と苦悩と苦痛の全てに、耐えることをいとわない。そして耐え抜いた先に見返りがなくとも───それが、心から愛するということである。ロルフの献身が、ジゼルに愛の何たるかを知らせてくれたのだ。
ロルフがしてくれたのと同じ事が、ジゼルにもできる。
だってジゼルも、同じ想いを抱いているから。
刹那、二人の繋がりを両断するかのような一太刀が来る。痛めた腕では受けられないと判断したジゼルは、姿勢を低くし地面を転がって回避した。だが、息つく間もなく次の攻撃が迫る。彼女は考えるよりも先に無我夢中で、手足を使ってその場から飛び退いた。今しがた転がっていたところに彼の剣が刺さっており、ジゼルは皮膚が粟立つ感覚を覚えた。
一度、距離を取って立て直そうとするジゼルだったが、ユリウスはそれを許さなかった。まともに呼吸もさせてもらえない。彼女はもうほとんど直感だけで足を動かし、体を捻って攻撃を躱していた。
しかし、とうとうジゼルに攻撃が届いてしまう。繰り出された薙ぎ払いへの回避が間に合わず、咄嗟に剣で受けたものの、力の入らない腕では止めることができない。ユリウスの刃が彼女の頬を抉る。あとほんの少し、切先がずれていたら眼球を斬られていた。或いは、辛うじて顔を横に逸らしていなければ、骨まで見えていただろう。
ジゼルの右の頬はぱっくりと裂け、血が吹き出していた。生温かいものが滴る感じはあったが、傷の程度を確認している場合ではなかった。
「まだ続けるのか?」
女の顔を傷付けたにも関わらず、ユリウスは眉の一つも動かさなかった。その冷徹な態度に、身の毛がよだったのは見物していた兵士達である。悲鳴を漏らさないために、口元を押さえる者も少なからずいた。
彼らの知る王太子ユリウスは、敵味方を問わず弱者に優しい男だった。間違っても、無表情で女の顔を斬る人間ではなかった。容赦を捨てた王太子の変貌に、彼らは目を疑うばかりであった。
「当然です」
しかし彼らの目を最も引いたのは、ジゼルの振る舞いである。美しかった顔を血の赤で染め、苦戦を強いられているのに、微塵も絶望していない姿に皆が釘付けになる。
強情な彼女に対し、ユリウスは密かに溜息をついた。彼だってジゼルを大切にしたいのだ。
(決闘で彼に勝利できたら、最後の思い出として貴女と一曲踊りたいと思っていたのだが……最早それも難しいな)
大人しく大切にされてくれないジゼルに、ほとほと困ってしまう。とはいえユリウスも、ここまで来たら後には引けなかった。わざと負けては、双方にわだかまりを残すことになる。謝罪はユリウスが勝った後になるだろう。彼女に許してもらえるか、怪しい限りだが。
一方的な決闘を、ニックは茫然自失になって眺めていた。
事態が忙しなく動いたため、まだ彼に罰は与えられていなかったが、時間の問題だ。しかし自分の処遇など頭の片隅にも無かった。今のニックにあるのは大きな悔恨のみだ。
服従を誓った主人の幸せを願っていた気持ちに嘘偽りはない。ジゼルには主人と共に、国の統合を目指してほしいという期待を寄せていた。そしてニックの理想にロルフは邪魔者でしかなかった。
だけどいったい何が、ニックに最後の一線を踏み越えさせたのだろう。
ただ単に邪魔者を排除したかっただけなのか。主人の勝利を約束されたものにしたかったのか。
それとも、親友を奪われた憎しみが再燃し、ジゼルを困らせようという邪悪な考えに囚われたのか。
はたまた、自分も彼女を好いた男の一人だったのか。どうせ叶わぬ恋情ならば、いっそ全部台無しにしてやるつもりだったのか。
もしかしたら、それら全部の感情が絡み合い、ニックを狂わせたのかもしれない。
誰も自分を許さないでくれと、ニックは心の中で嘆願する。自分が愚かな事をしでかしたために、主人は愛する女性と戦わなければならなくなり。ジゼルは美しい顔に傷を負わされ。ロルフへ最低の屈辱を与え。皆を不幸にする結果をもたらしてしまった。ニックはこの場に立っている事さえ、罪に思えてくるのだった。




