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決闘に代理人が立てられることは決して珍しくない。代理は認めない旨は、ユリウスの決め事にも含まれていなかった。
だからといって、ジゼルの発言が易々と通るかと言えば、それも違う。真っ先にロルフが反対した。その場にいた全員が呆気にとられて絶句する中で、彼の反応だけが早かった。
「馬…鹿、じゃねぇの…!?」
ああコイツの頭は良くなかったな、とロルフは心の中で続けた。
対決方法が射的ならジゼルが勝っただろう。だが正式な決闘には通常、剣か槍が用いられる。ユリウスが剣で戦うなら、ジゼルもそれに倣うことになるのだ。そうなれば二人の差は歴然。剣でジゼルが彼に敵う道理は無い。技術もそうだが、剣で戦ってきた経験の数が違う。ロルフの施した特訓など、付け焼き刃もいいところだ。
「…無謀すぎる。やめ、とけ…っ、アンタがやる意味は、ないだろ…!」
彼の喉が正常に機能していたら、怒鳴っていたに違いない。だがジゼルも退かない。彼が必死に説得しているのは分かるだろうに、「わたしがやる」と頑なだった。
「万に一つの、勝ち目もねぇ、ぞ…!」
あえて厳しい言葉を選んでも、ジゼルは負けじと言い返してくる。
「今のロルフに言われたくないわ」
ぐうの音も出ない正論である。自分の足で立つこともできないロルフでは、勝負にすらならない。まだジゼルが戦う方が、決闘の体裁くらいは保てる。とはいえ、それが精々だろう。
ロルフは再び説得を試みようとしたのだが、今にも泣いてしまいそうな彼女の瞳を見たら、自ずと声が引っ込んでしまった。
「勝率はお互いに二分の一で互角よ。だって勝つか負けるかの、二つに一つだもの」
更には彼女の口からこんな暴論が飛び出す始末で、ロルフは目眩を覚えるほど愕然とした。
すると今度はユリウスが、無謀な彼女を止めにかかった。
「…ジゼル。この件の落ち度は私にある。彼の回復を待ってから、改めて決闘の場を設けよう」
今までの彼女ならば、素直に「わかりました」と頷いていたかもしれない。しかしジゼルは従わなかった。それどころか、ユリウスへ挑むような視線をぶつけてくる。
「日時の変更は無しだと仰ったのは、ユリウス殿下ですよ。それを破るのでしたら、ロルフの不戦勝ということで宜しいですか」
ユリウスは彼女の面持ちに悲憤を見つけ、たじろいだ。屈辱的な扱いにさえ不満や不平を言わなかったジゼルが、感情を剥き出しにしている。
「それは……」
戦わずして負けることを、ユリウスもそう簡単には認められなかった。だが負けられないからと言って、愛する人に剣を向けるのか。
究極とも思える二択を突きつけられ、ユリウスは返答に窮した。その僅かな間に、ジゼルは見切りをつけてしまう。何をやっても遅い彼女とは思えぬ、素早い決断だった。
「定刻が迫っていますので、わたしは支度をしてまいります」
人集りの隙間を颯爽と歩いていくジゼルを、彼らはただ目で追うことしかできなかった。
「た…大変なことに、なってしまいましたね…先輩…」
「うむ…いやしかし、まずはロルフ殿の治療をしなければ。私が彼に付き添うから、君は決闘の行方を見届けてこい」
ジャスパーが返事をする前に、ロルフが会話に割り込んだ。
「…オレも、連れてけ」
「気持ちはわかるが、手遅れになったらまずいだろう」
「…治療、なんか…転がってりゃ、できる…」
ロルフの表情は苦悶の一言に尽きる。今すぐに適切な治療を受けなければならないと、ジャスパーは思った。だが今回に限ってはポールがロルフの味方をした。
「そうだな。ジャスパー、軍医を呼んできてくれ。我々は先に決闘の場に行っている」
そう言いながら、ポールは動けないロルフを背負う。背中から「恩に着る」と、生意気な彼らしくない台詞が聞こえてきて、ポールは笑ってしまった。
「なに。同じ盾兵のよしみだ」
苛立ちの気配は感じていたものの、ポールはまるで気にしなかった。
「どんな結果になろうとも、私とジャスパーは君達の味方だからな」
背負われている男は終始無言だったが、苛立ちは霧散したらしかった。
ユリウスが定めた時刻まであと少し。
見物人である兵士達には、微妙な空気が漂っていた。一人の女を賭けて王太子と野生児みたいな盾兵が戦う、劇的な決闘を見られるかと思いきや。まさか王太子妃にと請われている想い人が戦うことになろうとは。
兵士達はユリウスが勝つと信じて疑わない。だが、さすがに相手が可哀想な気がしてくるのだ。彼女の弓に救われた事がある兵士達は特にである。命の恩人が成す術なく負ける様は、哀れで見ていられないと思った。
さて、急遽代理として戦うことを決めたジゼルは、準備を済ませて決闘の場へと戻っていた。彼女は地面に寝転がっているロルフを見つけるとすぐ、近付いてくるのだった。
「…具合はどう?」
何も言わずに睨んでくるだけの彼に代わり、軍医が答えた。
「ニック補佐官から混入した毒の成分表をいただきましたが、命に関わるものではありませんでした。ただ、毒が抜け切るまでには数日かかるでしょう」
とりあえず、死に至るような事態にはならなくて一安心だ。ジゼルはほっと胸を撫で下ろすが、ロルフはひどい顰めっ面のままである。彼は戦うといって聞かない彼女にも、戦うことができない自分にも、むかついて仕方がなかったのだ。
ジゼルは黙り込む彼の前にかがみ込む。名を呼べば、視線だけは寄越してくれた。
「ロルフ」
「……」
「わたしは、あなたみたいに強くないわ」
勝負に絶対は無いとはいえ、ジゼルが圧倒的に不利であることは事実。女が腕力で男に勝てないのも同様だ。しかも知力でも彼女はユリウスに劣る。
「でもわたし、絶対に諦めない。それしか約束できないけれど……それだけは信じて、ロルフ」
正直言って、ジゼルにも勝つ自信などなかった。もちろん、負けるつもりで戦うことはしないが、勝利を確約することもできない。彼のように何の心配もするなとは、とても言えない。
だけどジゼルのためにロルフばかりが傷付くのはもう御免だ。剣は強くないジゼルだけれど、彼のために頑張ることなら際限なくできる。
「だから、その…頑張れって、応援してもらえないかしら…」
ロルフは溜息のような、長い息を静かに吐く。
全幅の信頼を預けてもらえる事。その心地良さと高揚を彼に教えてくれたのはジゼルだった。目には見えない絆が時として、無限の力の源になる事をロルフはよく知っている。
戦えない自分にできるのは、ジゼルを鼓舞することだけ。ならば、言葉の力を借りるしかない。ロルフは眉間の皺を解き、口の端を持ち上げた。
「…頑張る、なんて生温ぃわ……どんな手を、使っても勝て。アンタを、信じてやる、から…絶対に、負けんなよ」
ジゼルは目を見開き、そして、ゆっくりと笑みを溢れさせる。
「わかったわ」
いつもの簡潔な返事であったものの、いつになく嬉しそうな響きを伴っていたのだった。




