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炭鉱山の防衛戦は、ギデル国の第二陣を危なげなく押し返したところで作戦終了となった。一カ月とかからなかったのは、まずまずであろう。再び狙われることは予想されるが、ひとまずの脅威は去った。援軍として来たユリウスの軍はあと一日だけ前線に滞在し、その後は守備隊を残して帰還する予定だ。
「…というわけで。今夜は飲んで騒ぐぞぉー!!」
至る所で同じような叫び声が上がり、続々と明るい笑い声が響く。浮かれ騒ぐあまり、どこで誰が何を喋っているか、さっぱりわからない。勝利の後は祝杯を挙げて余韻に酔うまでが兵士の務め、なんて断言する者もいて、夜の野営地はとにかく盛況だった。
もちろん、ジゼル達も馬鹿騒ぎに巻き込まれている。拒否権はなかった。こうなってはもう、ポールが雰囲気にのまれて酒を煽らないことを祈るばかりだ。
「ったく…それしかやる事がねぇのかよ」
酒を飲んで騒ぐ連中を、ロルフは冷めた目で眺めている。彼の隣に腰を下ろすジゼルだけは独り言を聞いており、懐かしさに目を細めた。陽気に笑う仲間達を尻目にロルフはひたすら食い散らかして……ジゼルはいつもその隣で楽しい気分に浸っていたものだ。
「皆、楽しそうで嬉しいわ」
「そうかよ」
思い返すとジゼルのそばには、決まって彼がいた。周囲がわいわい騒ぐ中、二人の間だけは静かな時間が流れているのがジゼルは好きだったのだと、今になってようやく知った。
「ロルフはいつにもまして、たくさん食べるのね」
「言っとくが、くすねたんじゃねぇぞ。オレが他人の分まで食うって、パーの奴が料理番に告げ口しやがったんだ」
特別山盛りの食事が用意され、嬉々として飛びついておきながら、ジャスパーを悪者にする言い草にジゼルは笑いが込み上げる。それと同時に、彼がジゼルの食事には決して手を伸ばさなかったことを、ふと寂しく感じた。欲しがってくれたら幾らでも差し出したのに、とジゼルは思ったのである。
「……」
「…アンタのそれ、まさか酒じゃねぇよな」
「違うわ。ただの水よ?」
「顔を真っ赤にしてるから、酒でも飲んだのかと思った」
赤面を指摘され、ジゼルはますます顔が熱くなった。焚き火の赤を言い訳にしようと口を開きかけたが結局、彼女は黙ってしまう。焚き火が原因ではないことくらい、本人もいい加減わかっていた。
ロルフの隣は安心するのだけれど、今夜はちょっと落ち着かない。でも傍を離れたくはない。とても説明し難い感情だ。
「……なあ」
程なくして、ロルフが話しかけてきた。彼は食事の手を止め、膝に頬杖をつきながらジゼルをじっと見つめている。ジゼルは面映い心地になったものの、ここで目を逸らすのは勿体ない気がした。
「願い事は決まったのか?」
「願いごと…」
「オイオイ…忘れたのかよ」
「覚えているわ」
「ならいいけどよ。アンタの戦いぶりは及第点ってとこだが、合格は合格だ。約束通り、願いを聞いてやる」
答えを待っている彼を前に、ジゼルは口元をもごもごさせるばかりだ。
「なんだ。まだ考えてなかったのか」
「そうじゃないけれど…」
考えていなかった訳ではない。むしろ、戦っていない間はずっとその事を考えいたのだ。そうやって考えに考えた末、ジゼルの頭はこんがらがってしまった。だって彼女は、昔から欲しいものが分からなかった。欲しいものをねだるのは、聞き分けの良い子供ではないから。
「…有効期限はあるのかしら?」
恐る恐るといった感じで尋ねれば、ロルフは吹き出すのだった。
「食い物じゃねぇんだから、んなモンあるわけないだろ」
「良かったわ」
「アンタらしくゆっくり考えればいいんじゃねぇの」
どことなく優しい響きの声に誘われ、ジゼルも微笑を浮かべようとした。しかし丁度その時、周囲の空気が変わるのを感じたのだった。兵士達の騒ぎ声がよりいっそう大きく、歓声じみたものになったのである。
「皆ー!ユリウス殿下がいらっしゃったぞ!」
「我々を労うためにわざわざ…!」
酒が入っている兵士達は、王太子の姿を見ただけで感涙にむせぶ始末だ。彼らと真逆の反応をするのはロルフである。彼は今にも舌打ちでもしそうな顰め面になっていた。戦場ならまだしも、食事中に拝みたい顔ではないのだろう。
その一方でジゼルは何とも言えない心境であった。実はロルフにだけ、ユリウスの求婚に応えなかった事を打ち明けていた。彼は「あっそ」と言ったきり詳しいことは聞かず、話を蒸し返すこともなかった。しかし、いざ経緯を知っている者が同じ場所に集うと、居た堪れなくなる。
そんな彼女の胸中を知ってか知らずか。ユリウスはどんどん近付いてきた。
話しかけられるだろうか、という懸念は杞憂に終わる。彼はジゼルの近くには来たものの、彼女を見遣ることはなかった。その態度にジゼルの心臓は早鐘を打った。
「盛り上がっているところ悪いが、皆に聞いてもらいたい事がある」
王太子の一声で、兵士達はすぐさま浮かれた口を閉ざす。大勢の注目を浴びながら、ユリウスは美しく微笑んだ。
「私はジゼル・スクードを、妃に迎えることをここに宣言する」




