表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/62

42

 ロルフは落馬の件以降、ジゼルに対して一言も言葉を発しなかった。怖い顔をするだけで、何も言わなかったのだ。そして野営地に戻るや否や、傷の手当てをするために去っていってしまった。


「我々も戻りましょう」


 ユリウスとの会話が終わったのを見計らい、アレックスがそう促してくる。ジゼルは小さく頷くのが精一杯だった。


(……わたしのせいで…)


 とぼとぼ歩くジゼルは、激しい自責の念に駆られていた。


(わたしがいつも通り戦えていたら、ロルフが代わりに戦うことはなかった…怪我をすることもなかった…っ!)


 ロルフの馬に矢が刺さり、彼が倒れていく様子は不気味なくらいにゆっくり見えた。敵兵の中に転げ落ちた彼を見た瞬間は、すべてのものが凍りついた。体も、心音も、時間の流れも、何もかもが止まったように感じた。彼が何か叫んでいるのは分かったけれど、ジゼルの耳はそれを言葉ではなく、単なる音として拾うだけだった。


(わたしがロルフを傷つけているようなものだわ…)


 盾兵と弓使いは、守り守られる関係にある。でも今日の彼の怪我は違う。まともに戦えない足手纏いを守ったために、ロルフは怪我をしたのだ。

 彼だけではない。制止を振り切って逆走したジゼルを守るために、ポールとジャスパーも傷を負うことになった。

 敵陣を抜けるまでは無我夢中だったが、抜けた後でジゼルが見たのは、血だらけの仲間達であった。彼らをそんな姿にしたのは自分だと遅れて理解したジゼルは、顔を覆いたくなった。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。


 憂いに沈みながらもジゼルの足は、負傷兵のいる天幕へと向いていた。ポールとジャスパーの姿はすぐに見つかった。


「ポール…ジャスパー…本当にごめんなさい。わたしの勝手な行動でひどい怪我を…」

「おおジゼル殿。我々は五体満足、元気いっぱいですよ。それに、時には感情に任せて動くのも悪くない。なあ?ジャスパー」

「ええ。このくらいの怪我はよくある事です。気にしないでください」

「訓練兵時代のほうが無茶をして大怪我をこさえたものですよ」

「それは先輩だけですけどね」

「えっ。ここで裏切るのか?君…」


 冗談混じりに喋ってみるものの、ジゼルは肩を縮めたままである。しかし彼女は不意に顔を上げた。


「あっ…」


 彼女の視線を辿れば、手当てを終えたロルフが天幕から出てくるところだった。

 彼は包帯を巻いてない箇所のほうが少ない様相であった。顔も内出血を起こして腫れてきている。服の下はもっと酷いことになっているだろう。

 とにかく謝ろうと思っていたはずなのに、いざぼろぼろのロルフを前にすると、ジゼルは声が出なくなってしまった。


「勲章が増えたな、ロルフ殿」

「うるせぇな。大袈裟なんだよ。こんなにグルグル巻きやがって…」

「戦えそうか?」

「当たり前だ。ただの打撲だぞ」


 彼女が話しあぐねていたら、ロルフがじろりと睨んできた。見たことのない目つきだった。


「アンタはこんな所にいないで帰れよ」


 萎縮していたジゼルの肩が小さく跳ねる。


「怪我のことならどうでもいい。これはオレの自己責任だからな。オレが言いたいのは、盾兵は弓使いを守るのであって、お姫サマのおもりをする護衛じゃねぇって事だ」

「っ……」


 彼の意見はもっともで、ジゼルは返す言葉もない。たとえ声を出すことができたとしても、反論の余地はなかっただろう。


「戦えないヤツに兵士を名乗る資格は無い。ましてや指示も聞けねぇヤツはお荷物だ」


 これ以上なくはっきりとした拒絶にジゼルは項垂れてしまう。淡々と説かれるより、思い切り怒鳴ってくれたほうがましだったかもしれない。挽回の機会も要らぬと、完全に見限られたも同然に思えた。

 しかしロルフもまた、心の中がぐちゃぐちゃになっていた。他の男のことで悩むあまり、ジゼルが実力を発揮できなかった事に苛々した。ロルフの声に怯える姿を見るのが途方もなく苦しかった。ロルフの指示を無視して引き返してきた彼女に心底腹が立った。でも、ユリウスの援護は遂行できなくなっていたのに、ロルフの危機にはいち早く復活して助けに来た事に、どうしようもない歓喜を覚えてしまった。

 お互いにこんな状態ではまともに戦えないだろう。だが、せめてジゼルだけでも戦場から遠ざかってくれれば、ロルフの心も多少は平静を取り戻すはずだ。


「…戦力にならないなら、戦場になんか来るんじゃねぇよ」


 突き放すことが互いのためになる、ロルフはそう考えた。俯いて小さくなる彼女に良心が痛むが、あえて無視して立ち去ろうとした。ところが、そこへ待ったをかけた人物がいたのである。


「待ちたまえ、ロルフ殿」

「あ゛?酔っ払いは引っ込め」


 それは、四人の中で一番年長のポールだった。


「今の私は素面だぞ」

「知るか。テメェは部外者だろ」

「それも違うな。我々は戦場を共にする仲間。同胞であり、戦友だ」


 最高に機嫌の悪いロルフがまた何か言う前に、ポールは「いいから聞くんだ」と先手を打つ。


「まずロルフ殿は主観を押し通すべきでないし、ジゼル殿に帰還を命令する権限も無い。それからジゼル殿は、もっと自身の意見を述べるべきだ。もしも不調を抱えているのなら、彼の言う通り退くことも検討しなければならない」

「オッサンが偉そうに…」

「オッサンという事は、君たちより経験豊富だという事でもある」


 仲裁を見ているだけだったジャスパーは、先輩の後ろで苦笑していた。悪酔いすると面倒極まりないオッサンに成り下がるが、ひとたび先輩の顔になったポールは頼りになる。その事を後輩はちゃんと知っているのだ。


「二人とも納得いくまで話し合いなさい。ロルフ殿もジゼル殿も、相手の話に真剣に耳を傾けることができる人間のはずだ」

「……」


 ポールは知らなかったが彼の諭し方は、ロルフの恩人でもあるフランシスに通ずるものがあった。ロルフの人生において、懇々と諦めずに指導してくれる人間に出会うことは稀で、だからこそ彼はそういう相手にちょっと弱かった。


「おおそうだ。話し合いを拒むなら、ロルフ殿の晩飯は無しにしよう」

「…はあ!?飯抜きとかふざけんな!」


 なけなしの抵抗とばかりに憎まれ口を叩いたロルフは、許可も取らずにジゼルの手首を掴んだ。しかし雑な仕草に反して握る力は優しく、無理に引っ張ることもなかった。やはり彼は自分の心境がどうであれ、ジゼルを乱暴に扱うことができないのだ。

 暗い草薮へと消えていく二人を見送ったポールは「若いって素晴らしいなぁ」と頷く。


「先輩もまだまだお若いでしょうに」

「君、ロルフ殿に便乗してオッサンと言っていなかったか?」

「さあ?忘れました」

「まったく…仕様のない後輩だな」

「可愛げのある後輩達、でしょう?」

「こいつめ」


 ポールは後輩の肩を叩きながら夕食を貰いに向かう。戻ってきた二人の分も、確保しておかなくてはいけない。「量が少ないと怒られるだろうな」とポールがぼやけば、ジャスパーから「怒られるのは先輩の役目ですからね」と返ってきたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ