表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/62

39

 頭で思い描くだけだった目標が一気に現実味を帯びたことで、ヴィッキーとディーンの熱意はかつてなく燃え上がった。とはいえ二人はまだまだ子供。大人の力添えは必須であるため、ユリウスはあらゆる方面の専門家を呼び集めて姉弟の、ひいてはジゼルの希望が叶えられるようにした。


「打ち合わせの席に貴女も加わっているらしいな」


 今日は職人達が派遣されてくるのではなく、ユリウスが直々に連れてきたのだ。打ち合わせは当事者達に任せ、彼はジゼルを誘って二人で庭に出ていた。


「発言もせず椅子に座ってるだけですが…」

「貴族の婦人が同席することに意味がある」


 ユリウスが推挙した専門家であるため、腕が立つのは勿論のこと、人当たりも良い人材が揃っている。しかしながら、話し合いの相手が年端もいかぬ少年少女では、見下してくる大人が出てくるかもしれない。それを心配して、ジゼルは打ち合わせに顔を出すようにしていた。巧みに喋ることができなくても、彼女が静かに見守っているだけで、大人達は監視されているような気分になるだろう。


「今日は殿下がいらっしゃるので安心ですね」


 王太子に連れられてやって来たのに、好き好んで問題を起こす馬鹿はいない。彼の存在自体が抑止力になっているのだ。


「これでようやく、あの二人を戦場から離してやれる。義理堅いのは素晴らしいが、頑固なのはいただけない」

「それだけヴィッキー達の感謝の気持ちは深いという事ですよ」

「もう充分だと再三伝えたのだが…私より貴女の言葉のほうが、効果的だったな」


 二人の声音はとても穏やかだった。ぽつぽつと会話をしながら、庭をゆっくり歩いて回る。豪華な庭園は手入れが行き届いており、絵のように美しかった。


「…今後の戦いは激化する一方だろう」


 不意にユリウスが足を止めて、そう告げてきた。ジゼルも立ち止まって彼を見上げる。


「あと何年、戦争の時代が続くか分からない」


 前を見つめていた彼が、体の向きを変えてジゼルを見下ろす。そうかと思えば、おもむろに跪くのだった。

 何の前触れもなく相手の目線が低くなったことに、ジゼルは大層驚いて動きを止めてしまう。


「貴女には多くの苦労をかけることになる。今回のように情けない姿も見せるだろう。それでも私は、貴女と共に生きたいと願ってやまない」


 ジゼルの両手が彼の手に包まれる。温かいかと思いきや、ユリウスの指先は冷えていた。


「ジゼル。私は貴女に結婚を申し込む」


 思いがけず求婚されたジゼルは激しく動揺した。でも、揺れ動く胸中とは裏腹に、体はまったく言うことをきかなくて微動だにできない。


「貴女を心から愛している」


 ジゼルにとっては青天の霹靂だったが、ユリウスは違う。もうずっと、彼女に心惹かれていた。霧の戦場で矢を受けたあの瞬間から、ユリウスの恋は始まっていたのだ。

 最初は、姿かたちも分からぬ敵だった。名を知り、声を聞き、敵から味方へと変わった。それからは少しずつ彼女の内面を探る日々だった。彼女の心を知りたいという好奇心が、彼女の心を得たいという願望に変わった時。ユリウスは彼女への愛情をはっきり認めた。

 弓を引いて戦う姿も、不器用な一面も、素直で飾り気のないところも、彼女の何もかもを愛おしく感じた。国王の救出に向かう颯爽とした背中は、ユリウスの目に焼き付いて離れない。決断に苦しむユリウスがあの時どれほど救われたことか。


「どうか『はい』と頷いてほしい。貴女の心を、私に貰えないだろうか」


 ジゼルを王太子妃にするだけなら、そう難しいことではない。ユリウスが妃になれと命令し、国王がそれを許諾すれば良いのだ。けれども彼は命令することを避けた。愛したからには強制ではなく、彼女自身に選んでもらいたかった。


「近々、再び遠征が始まる。次の戦いが終わった時、貴女の返事を聞かせてくれ」


 ユリウスは立ち上がるとジゼルを抱き寄せた。ほんの数秒足らずの、至極優しい抱擁だった。彼女は体も表情も強張っており、されるがままであった。


 その後、いつユリウスがいなくなったのか、自分がどうやって部屋まで戻ったのか。ジゼルに記憶は無い。




 次の召集がかかるまでの間隔は短かった。しかし事情が事情であった。東のギデル国が奪われた鉱山を取り戻そうと強襲してきたのだ。守備に当たっていた兵士から至急の応援要請が届き、ジゼル達は召集された次第である。


「ジゼルさん、絶対に無事に帰ってきてくださいね!」

「姉さんと待ってますから!」

「ありがとう」


 ジゼルは見送ってくれる姉弟へ、小さく微笑んだ。その様子はいつもと変わらないように見えた。愛用の弓を背負い、銀の髪を束ねて馬に跨るジゼルは、頼れる兵士そのものである。ヴィッキーとディーンは微塵の不安も抱くことなく、手を振っていた。


 指定された集合地点は王都を出て、もう少し進んだ平野だった。ジゼルは馬を急がせて来たのだが、それでもロルフのほうが早かったようだ。彼の姿を見つけると、ジゼルはごく自然に隣に並んだ。

 しかしロルフは横目で彼女を見るなり、眉根を寄せたのである。


「……アンタ、具合でも悪いのか?」

「えっ?」


 そんな指摘を受けたジゼルはというと、心臓に氷でも当てられたような感覚に陥っていた。

 あれからユリウスとは会っておらず、ジゼルは普段通りの暮らしをしていたつもりだ。彼との間で何があったか、誰にも話していないし、誰からも不審に思われることもなかった。上手く隠し通せていたはずだった。それなのにロルフにだけは、ほんの僅かな機微を気取られてしまった。

 背中に冷や汗を滲ませながら、ジゼルはやんわりとはぐらかすのだった。


「自分では分からなかったけれど…顔色、悪いかしら?」

「顔色っつーか…雰囲気?」


 ロルフも具体的なことは言えず、首を捻っていた。詳細まで悟られた訳ではないらしい。隠しきれなくなる前に、ジゼルは徹底的にとぼけてみせる。


「雰囲気なんて、ますます自分じゃ分からないわ」

「…まあそうだよな」


 確信の無いロルフはそれ以上の追及ができなかった。丁度そこへポール達も合流し、話題がすり替わったのもジゼルにとっては救いだった。彼女はロルフの追及から逃れられた試しが無いのだ。


 ジゼルが誰にも明かさなかった一方で、ユリウスはニックにのみ求婚した事を話してあった。ニックは少しだけ目を見開いた後、ゆっくり微笑んで「殿下の幸せを祈っています」と激励の言葉をかけたのだった。

 現在、行軍の先頭を行く二人は、周囲に聞こえない声量で会話をしていた。


「色よい返事は貰えそうですか」

「さあ…どうだかな。彼女をとられまいと、急ぎすぎた自覚がある」

「何事も堂々となさっている殿下がずいぶん自信無さげですね」

「それは嫌味か?ニック」

「とんでもない。俺は発破をかけているんですよ」

「そういう事にしておくか。競争相手はかなり手強いからな」


 軽い調子で言うユリウスであったが、ニックはあからさまに表情を曇らせた。


「それは……ロルフ殿のことですか」


 ユリウスは肯定も否定もせず、前だけを見ている。


「あのような下郎とユリウス殿下では、比較にもなりません。ジゼル殿に相応しいのは殿下だけです」

「嬉しいことを言ってくれる。だが、それを選ぶのは彼女だ」

「……」

「ニック。君はジゼルのことはすんなり認めたのに、彼に対してはいつまでも刺々しいな」


 今度はニックが黙り込む番だった。実のところニック自身も、何故ここまで頑なにロルフを拒絶するのか、明確な理由を突き止められずにいた。王太子へ斬りかかったために、強い不信感が生まれたのは仕方がない。人を食ったような言動を繰り返すロルフにも問題はある。だが、その後のロルフの働きは、賞賛されるべきものだっただろう。しかしながらニックの胸には、重たく淀んだ思いが溜まっていくだけなのだ。




 どれだけ物思いに耽っていようと進み続ける限り、目的地はやって来る。ひとたび戦場に踏み入れば、迷いも憂いも思考の外に放り出さなければならない。

 今回もユリウス本人が動くまでは、ジゼル達の独断で行動して良いとの指示が下った。と言っても、方針を決めるのは彼女ではなくロルフだが。


「片っ端から強ぇ奴を倒して、王太子サマの出番を無くしてやろうぜ」


 そんな風に声をかけられたジゼルは、微かに笑って「そうね」と返す。

 緩く細められた彼女の瞳を見て、ロルフはまたしても胸が騒つくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ