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 諸々の祝賀が終わった晩のこと。ユリウスは酒を持って父の部屋を訪れた。親子水入らずで、祝いの酒を飲み交わそうと誘ったのだ。ルシウスは二つ返事で了承した。


「久しぶりだな。お前と酒を飲むのは」

「父上に感謝をお伝えしたかったので」

「ほう?何の礼かな」


 ルシウスは訳知り顔でとぼけてみせた。彼はこういうお茶目なところがあった。


「彼女に爵位を与えた事です。あれは私の気持ちをご存知だったからなのでしょう?」


 ルシウスは息子がジゼルに懸想している事を見てとった。というより、敵国から連れてきた女兵士がいると聞いた時点で、あらかた察していた。そして、彼女を見つめる息子の眼差しが決め手となり、ルシウスの予感を確信に変えたのである。

 しかし二人が結ばれるには障害が山積みであった。最大の障害は彼女の身分である。敵国が相手でも王族同士の婚姻ならば有り得るが、低い階級の娘とではまず許されない。だからルシウスは、ジゼルに新しい国籍だけでなく爵位まで与えたのだ。ニフタ国に籍さえあれば、功績に応じて階級を上げることも可能である。それこそユリウスが望むなら、王太子妃に相応しい爵位を授けることだってできた。


「我が子の幸せを願わぬ親はいなかろう。だが私はほんの少しの後押ししかせぬぞ?」


 惚れた相手は自分で口説けという事か。ユリウスは小さく笑ってから「充分ですよ」と返す。


「一つ忠告しておくとすれば…彼女は素直すぎる。妃として執政の場に立たせるのは酷やもしれぬ」

「…承知しております。それでも、気持ちを抑えることができないのです」


 するとルシウスは嬉しそうな笑い声を立てるのだった。


「そうかそうか。お前も言うようになったなぁ。一人前の男の顔つきをしておる」

「揶揄わないでください。父上」

「息子の成長が嬉しいのだ。全て承知の上なら、何も言うまい。お前の望むようにやってみなさい」

「はい。ありがとうございます」




 同時刻。街中の酒場でも、彼女の話題が出たところであった。


「私はユリウス殿下を尊敬しているが、同じ盾兵のよしみで君のことも応援したい!君はジゼル殿とどうなりたいんだ!?」


 タダ飯に釣られて、のこのこついてきたロルフは激しく後悔していた。最初は良かったのだ。他人の金で好きなだけ注文して、山盛りのご馳走にかぶりつくだけだった。面倒な事になったのは、ポールが一杯目の酒を飲み干してからである。


「君、ジゼル殿のことが好きだろう!?」


 面倒くさいことこの上なく、ロルフは盛大に顔を顰めた。無視して肉を齧っていたら、ポールが隣に移動してくる。邪魔でしかない。場所を変えたいが、目の前のご馳走はさっき来たばかりだ。食い意地のほうが勝ってしまう。

 酔っ払いに何を言っても無駄なので、ロルフは後輩の方に文句を言った。


「下戸に飲ませんじゃねぇよ」

「すまない。いつもは止めるんだが…今日は勝利の杯だと思って勘弁してもらえないか」


 ジャスパーも酒が入った先輩の絡みに難儀した経験があるらしく、申し訳なさそうにしていた。


「ロルフ殿は色々とアレなところもあるが、すごい男だ」

「褒めてんのか?」

「だからこそ不毛な恋をしているのが、可哀想でならない!」

「毛が無いのはテメェだろ」

「私はまだハゲていない!そうだろう!?パー!」

「……」

「なぜ目を逸らす!?パー!」

「あの、パーって呼ぶのやめてください」

「とにかくだ!叶わぬ恋をしている君を、私は応援したい!」

「うるせぇ黙れハゲ」


 我慢の限界がきたロルフは、ポールの頭を掴んでテーブルに叩きつけるのだった。これでも手加減はした。同じ盾兵のよしみというやつだ。


「おい!やりすぎだぞ!」

「別に死にはしねぇよ」


 ジャスパーが見ると、先輩兵士は安らかな寝息を立てていた。薄情なことは百も承知で、しばらく眠っていてほしいと思ってしまう。


「やっと静かに食えるぜ」

「……ロルフ殿は、辛くないのか」

「あ?テメェまで何だよ。気絶させてやろうか」

「そ、それは遠慮しておく。先輩ほどではないが、気になってな。ジゼル殿は…その……ユリウス殿下の情婦だろう?」

「…そういや、そんな事になってな」


 ジゼル本人から誤解だと聞いて以降、ロルフはその設定を忘れかけていた。彼女が特に困っていなかったからだ。


「違うのか?」

「そう言いふらしたほうが都合が良いんだとよ。まあ王太子サマは本気だろうな」

「…君は良いのかい?」

「貴族のお嬢サマと関われただけで儲けモンだろうが。オレは元泥棒だぞ」


 ポールもジャスパーも、戦場を共にしたから分かるのだ。ロルフがどれだけ本気で、ジゼルを大切に想っているか。自分の全てを懸けて守り、身を削って戦う姿を目の当たりにして、胸が熱くなったこともある。あれほどの献身が愛でなかったなら、いったい何を愛と呼ぶのか。


「俺は…君といる時の方が、ジゼル殿は楽しそうにしている気がする」

「そりゃどーも」


 彼女のことをよく理解しているロルフでも、実のところ、彼女の胸の内までは分からなかった。

 ジゼルは感覚で捉えた事を、頭で理解するのに時間がかかるのだ。言葉に変換するにはもっと時間が必要である。つまり心と頭ではズレがあり、本人でさえよく分かっていない事が多々あるのだ。馬鹿と天才は紙一重、とは言い得て妙である。本人が分からない事を、他人が的確に当てるのは至難の業だ。


「想いを伝えたらどうだ」

「オレからは絶対に言わねぇ」

「なぜだ。伝えるだけなら誰にでも権利がある」

「アイツの気持ちに構わず、一方的に気持ちを押し付けるのは嫌だ」


 一生懸命な彼女のことだから、告白をされたら真正面から受け止めるだろう。承諾か拒否か、どちらにしても真剣に悩むはずだ。そうなれば彼女は他の事が疎かになる。不器用だから一つのことにしか集中できないのだ。まだ戦争は続いているのに、そんな危ない橋は渡らせられない。たとえ戦争が終わった後でも、ロルフが彼女の悩みの種になる気はさらさら無かった。


「……本当に愛してるんだな、ジゼル殿のこと…」

「うるせぇ!もういいだろ。飯を食わせろ」

「良くないぞ!!」

「うっわ復活しやがったこのオッサン…」


 突然、ポールが身を起こしたかと思えば、手に持っていた杯を一気にあおった。ジャスパーの制止など、耳に届いてやしない。


「さあ思いの丈を語るんだ!私が受け止めてやる!」

「パー。もういっぺん失神させとけ。オレは食うので忙しい」

「これでも先輩なんだ。そんな真似はできない」

「心配はいらん!私は義理堅く、口も硬い!君の告白は私の胸の中にしまっておこう!」

「余計なお世話だ。一生寝てろ」

「話さないなら私と妻の馴れ初めを語る!」

「新手の脅しかよ。オッサンの恋愛話なんか聞きたかねぇよ。耳が腐る」

「私はまだ三十六だ!そうあれはまだ私が二十歳になる前…」

「ロ、ロルフ殿っ、諦めて白状してくれっ。俺は同じ話をもう十三回は聞いてるんだ…!本当に耳が腐ってしまうぞ!?」


 ジャスパーが必死の形相で懇願してくる。三十六歳の恋愛はかなり胸焼けしそうな内容らしい。

 オッサン相手に告白するか、耳を腐らせるか。最悪の二択を迫られたロルフは、自分が折れることを選んだ。次に酔っ払いの相手をさせられたら脳天をかち割ると誓いながら。


「……あんなゴミみてぇな人生、いつ終わろうが、どんな終わり方をしようが興味も無かったんだけどな」


 ロルフは前置きを述べてから、齧りかけの肉を皿の上に置いた。


「未練っつーの?死にたくない理由があるのは幸福な事だって、アイツに出会ってから知ったんだ。ゴミ溜めを這ってでも、生きてて良かったぜ。今は心底そう思える」

「……」

「……」

「オレにもちゃんと生まれた意味ってのがあるって、教わったからには実践しねぇと……って、オイ。なにを泣いてやがる」

「すまない…実を言うと俺は泣き上戸なんだ…酒が入るとどうも涙もろくなって…」

「私はレモンを触った手で目元に触れてしまった…」

「やっぱり一生寝てろハゲ!!」


 各テーブルを回っていた店員は、その席を見てぎょっとした。一人は仏頂面で料理を口に詰め込み続け、一人は泣きべそをかきながら酒を飲み、最後の一人はテーブルにめり込む勢いで突っ伏している。男三人の異様な雰囲気に店員は恐れをなし、近寄ることができなかった。

 ロルフが食べ散らかした皿で四つの山が完成する頃、ようやく男三人は退店していった。会計は全て、ほとんど食べていないポール持ちだったのは言うまでもない。

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