36
祝賀の式典は城内にある"大理石の間"と呼ばれる場所で、執り行われるのが慣わしだ。そこへ立ち入る許しを貰えることだけでも、一介の兵士にとっては大きな名誉。表彰を受けるとなれば、一生の誉れとなる。
しかしながら厳粛な場で、欠伸を噛み殺す男がひとり。名誉に微塵も興味が無いロルフには、ひたすら退屈な時間だった。
「…少しの間くらい我慢しないか」
お目付け役も兼ねてアレックスは隣に問題児を立たせているが、そのせいでハラハラし通しである。
「暇すぎるのが悪い。つーか足を踏むな」
「だったら姿勢を正せ」
ロルフは一瞬だけ背筋を伸ばしたものの、すぐにだらしない姿勢に戻ってしまう。ついでにまた欠伸が出た。だいたい、名前も顔も知らない野郎が称賛されるのを眺めて何が楽しいのか。欠伸の一つや二つ、出てくるというものだ。
式典の流れは単調である。名を呼ばれた者は一番奥にいる国王の前まで進み、お褒めの言葉と褒美を賜る。進行役は王太子で、口上を述べるのも彼の役目だった。
「最後の表彰者は、我が国の者ではない」
ユリウスが手元の書状を読み上げると、彼女を知らない大臣達がどよめく。対照的にロルフの背筋は自然と伸びていた。
「しかしながら我が国のために尽力し、その才覚を惜しみなく用いてくれた。ギデル国との戦争においては、私の守護を忠実に果たし、敵の将官を九人討ち倒した。そして国王陛下の危機に駆けつけて、謀反の鎮圧にも大きく貢献した。ジゼル・リドガー、前へ!」
「はい」
ジゼルは列から進み出る。真紅の絨毯の上を楚々と歩いていく様は、白百合がそよ風に揺れているようであった。どこからもとなく息を呑む音がした。そのうちの一つはロルフのものである。
衆目を一瞬で攫った張本人は、見られている事には気付いていたが、それが何故かまでは察していない。そもそもジゼルは失敗に対する不安で、他の事に考えを回す余裕をとっくに失っているのだ。
(呼ばれたら返事をして、陛下の前まで行って、跪いて……それから…)
お嬢様だったと言ってもジゼルは下級貴族の養子である。国王を肉眼で見る機会も一度あったかどうか、その程度の家柄だ。国王がお出ましになる式典への参加もそうだが、直々に表彰していただくのも人生初である。説明された作法を心の中で復唱すること以外に、平静を保つ方法が見当たらなかった。
「そなたの戦いぶりは実に素晴らしかった。又、アザン国との同盟の象徴となり、我がニフタ国に助力してくれたこと、心より感謝している。女子の身でありながら弓を極めたその努力、まことに感服した」
国王からありがたいお言葉を頂いているのは分かるのだが、緊張のあまり内容が頭に入ってこない。ジゼルは目を回しそうになりながら、身動きせずにただ跪いていた。
「我が国のために尽くしてくれた者を、国民と呼ばないではおれぬ。そこで、そなたには新たな家名と爵位を授け、私を支える大切な民の一人として、我が国に迎え入れることを決めた」
先程とは比べ物にならないどよめきが起きる。その騒がれ様は、高貴な慣習に馴染みのないロルフにも異質に感じたらしい。隣にいるアレックスを肘で突き「そんなにすげぇ事なのか?」と尋ねた。すると普段は冷静なアレックスが、やや興奮気味に教えてくれたのだった。
「すごいなんてものではない…!女子の身で家名と爵位を賜るなんて、今までにない事だ」
どこの国においても、女の立場は男より低い。女が手柄を立てても傲慢だと嫌な顔をされて終わり。地位や名声は、まず男のものである。男あっての女、この世界にはそういう価値観が蔓延っている。
だからこそルシウスが与えようとした褒美は、法外といっても差し支えないくらい、異例な内容であった。未だ首を捻るロルフと違い、ジゼルは事の重大さが分かっていた。大事すぎて、両手が震え出す。
「そなたの名をジゼル・スクードと改め、男爵の位を授ける」
本来ならばここで再度、敬礼の姿勢をとり「謹んで頂戴いたします」と言わなければならないのだが、ジゼルはお辞儀さえ忘れてしまった。
「…ほ、本当に…よろしいのですか…?」
おろおろする彼女へ、ルシウスはにこやかに頷く。それでもジゼルの躊躇いは強く、頂戴の意思表示ができなかった。
埒があかぬと踏んだのか、ルシウスはわざとらしく困った雰囲気を出すのだった。
「ふむ…やはり男爵では功績と釣り合わぬか。ユリウスよ、子爵に書き換えておきなさい」
「はい。ただちに修正いたします」
「っ!?」
ぎょっと目を見開いたジゼルは大急ぎで最敬礼し、舌を縺れさせながら決まり文句を述べた。焦りの汗を飛ばしているかのような素直すぎる反応に、ユリウスは笑いを堪えるのが大変であった。しかし噴き出すのを耐えているはずなのだが、銀色のつむじを見つめる彼の顔は、甘やかで優しかった。
式典の後は大広間でパーティーが予定されている。こちらは貴族と少尉以上の軍人であれば誰でも参加可能だ。相応の身分が無いロルフは参加できないが、ようやく堅苦しい正装を脱ぐことができるのだから、むしろ助かったと言えよう。
歩きながら襟元を緩め、支度部屋に戻るなり服を脱ぎ捨て、泥棒のように城から出て行こうとしたロルフの腕を、唐突に二人の男が掴んだ。
「私達もパーティーには参加できないのでな、これから酒場に行こうと話していたんだ」
「ロルフ殿もどうだい?」
声をかけてきたのはポールとジャスパーだった。
「はあ?なんでオレが」
「同じ盾兵として交流を深めるのも悪くないだろう」
「交流なんか深めたくねぇよ、そこをどけ。パー」
「私はポーのほうだ!」
「先輩はその呼ばれ方で良いんですか?」
「酒場に行きたきゃ、テメェらで勝手に行ってろ。そもそもオレは酒を飲まない」
兵士になるまでロルフはずっと独りで生きてきた。その生い立ちゆえか、彼は仲間とつるむ事に抵抗があった。人付き合いを嫌っているのではなく、ただ単に慣れていなくて、むず痒いのだ。
ついでに言うと酒を飲まないのは、水分で腹が膨れるのがもったいないからである。酔っ払うと咄嗟に動けなくなるのも嫌なので、特に戦場では一口も飲まないようにしていた。
ところがポールが放った次の台詞で、ロルフは手のひらを返すことになる。
「別に酒は飲まなくていい。食事代なら出すぞ」
「それを早く言え。オレはタダ飯って言葉が一番好きなんだよ」
食いしん坊の単純さに呆れつつも、ポールとジャスパーは「何かあったら食べ物で釣ろう」と学習するのだった。
一方でジゼルの姿は大広間にあった。彼女の参加は決定事項だった。他国の女が戦場で手柄をあげ、国王の口からニフタ国の民とする旨の宣言があったのだ。おまけに美人とくれば、貴族達がこぞって彼女を一目見たがった。
しかし彼女は社交の場が昔からあまり好きではなかった。理由は、貴族同士の交流が得意ではないからだ。小気味よく交わされる会話についていく事さえ怪しかった。言葉の裏にある意味は察せられないし、発言の内容を考えている間に話題は別のものに変わっている、なんて事はしょっちゅうである。
あとはダンスにも自信が無かった。ジゼルは運動ならできるので、教えてもらえたら上手に踊れたに違いない。でも養父母は彼女に講師をつけることはなかった。辛うじて踊れるのはアリシアが手本を見せてくれたからで、それがなければ大恥をかいていただろう。
世間話を交えた意見交換、歓談しながらのダンス、それらが苦手であるため、ジゼルはパーティーが始まる前から不安を感じていた。
「ジゼル」
アザン国にいた頃は、親友のアリシアが付き添ってくれた事もある。けれども今夜、ジゼルの隣にいるのはユリウスだった。
「こちらへ」
「…はい」
手を差し出され、ジゼルは躊躇いがちに自身の右手を伸ばす。よく分からないが、王太子が来いと言うのだから従わなければいけないと思った。
二人が会場に一歩入っただけで、参加者が一斉に振り向く。
(あの娘が凄腕の弓使いなのか?俄には信じられん)
(アザン国の人間が、我がもの顔でうろつくのは気に入らんな)
(ユリウス殿下がエスコートを…?)
(嫌だわ。どうやって殿下を誑かしたのかしら)
(ここには殿下の婚約者候補の方々もいらっしゃるのに…図々しいこと)
(でもあれだけの美貌なら…)
ジゼルに向けられる視線の大半が批判的なものだった。貴族達はにこやかな微笑を貼り付けているものの、歓迎はしていなかった。ジゼルは貴族達の胸の内は分からなくとも、刺すような視線は感知していており、居心地が悪い思いをしていた。
「臆することはない。貴女らしくないな」
ジゼルが肩身を狭くしていたら、隣から優しい声が降ってきた。
「少し踊ろうか。ダンスは苦手か?」
「…どちらかと言えば苦手です」
「それは意外だった。ではゆっくり踊ろう。貴女と踊ってみたかったんだ」
踊らないという選択肢は無いらしい。ジゼルは優しく手を引かれるまま、中央へと歩いていく。
ユリウスは彼女に合わせ、ゆっくりとステップを踏み始めた。この速さなら、ジゼルでも何とか取り繕える。それに彼のリードが巧みで踊りやすかった。まごつくことなく踊れるなんて、初めてかもしれない。
「今回の件、本当に感謝している」
しばらく無言で踊っていたのだが、不意にユリウスが口を開いた。
「父上を助けてくれたのも勿論だが、あの時…貴女が名乗りを上げてくれた事が何より嬉しかった。礼を伝えるのが遅くなってしまったな」
「いえ、そんな…わたしは出しゃばっただけです」
ニック達を説得したのはロルフだし、アレックスの先導が無ければ城に辿り着くことさえできなかった。あの時ジゼルがした事と言えば「わたし達が行くのは駄目かしら」とロルフに尋ねたくらいだ。後の戦闘も彼の指示を聞いて動いただけで、ジゼルが称賛されるなら共に戦った者たちも称賛されるべきだと思う。
「でも貴女が言い出さなければ、彼は動かなかっただろう?私は貴女の気遣いが嬉しかったのだ。彼には『気色悪い』と一蹴されてしまったが、貴女なら感謝の言葉を受け取ってくれるな?」
至近距離からの熱視線に、さすがのジゼルも頬を赤らめた。
「ありがとう、ジゼル。貴女だから父上を託すことができた」
彼女が恥じらう様子に心が浮き立ち、ユリウスは相好を崩すのだった。




