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野心家のエグモント公が謀反を起こすのは予期できたことである。ゆえにルシウス王は最悪の事態にも備えていたのだ。此度はその「最悪」が起きてしまったが予期していただけ、さして焦りは無かった。謀反よりも南の国との交渉が失敗に終わった事のほうが、ルシウスにとっては痛手だった。
とはいえ、ルシウスに危機が迫っているのも間違いない。息子に援軍を送り、周辺の守りが手薄になったところを狙われ、王城からの逃走を余儀なくされた。反乱軍の勢力は、数に物を言わせるだけでそれほど強くないが、こちらの兵力が散っている分、押し返すのが厳しくなっているのだ。
「ルシウス陛下!まもなく敵が迫って来ます。陛下だけでもひと足先に退避を」
近衛兵は国王を守ることに必死だった。想定していたよりも敵の数が多い。逃げ道を塞がれる前に一旦、王都の外まで出た方が得策かもしれない。だが国王ルシウスは断固として動かなかった。
「ならぬ。ここで迎え撃つ」
ルシウスと近衛兵がいるのは、古びた小さな城だ。避難先の候補になっていた城には、いつ戦いになっても大丈夫なように万全の用意がしてある。
「しかし陛下!御身に敵の刃が届くような事があれば、我がニフタ国は…」
「私が倒れてもユリウスがいる限り、国は倒れぬ。希望が途絶えることはない」
その時、物見の兵士が声を上げた。
「陛下!東の方角より、騎馬が来ます!」
「なに…?東から…」
「十…二十……およそ五十騎です!」
近衛兵達は窓から身を乗り出して眼下を眺める。
確かにもの凄い速さで、反乱軍の背中に迫ろうとする騎馬兵が見えた。先導を走るのは大盾を構えた兵士と……
「女……?」
「女の弓使いだ…!」
風になびく銀髪は、遠くの場所からでも光り輝いて見える。馬に跨り、速度を落とさぬまま、弓使いは敵の背を攻撃していく。
反乱軍が蹴散らされていくのは、あっという間の出来事であった。ジゼルがこじ開けた風穴に、選りすぐりの精鋭が突進してきたのだ。五十騎でしかいなくても、不意を突いたことで相当な威力に換わったことだろう。騎馬兵が突撃した後も、ジゼルは走り続けて敵の背後を狙った。振り向きざまに敵を射抜く神業は、助けられた味方でさえも身震いするほどだった。
「ルシウス陛下。ご無事で何よりでございます。お助けするのが遅くなり、申し訳ございません」
古城を包囲しようとしていた反乱軍を退けたジゼル達は、ルシウス王の前で低頭していた。彼らを代表して言葉を発したのはアレックスだ。
「アレックスではないか!そうか、そなたが来てくれたのか」
「はい。ユリウス殿下のご指示を受け、馳せ参じました」
ロルフも大人しく頭を垂れている。到着するまでの間に、アレックスとジゼルから言い含められていたのだ。「君は口を開かないほうが賢明だ」「わたしが跪いたら、同じようにすればいいのよ」等々、絶対に失礼がないよう注意された。いかに彼とて、国王が一番偉い人間だという認識くらいは持っている。でもジゼルでさえ控えめに釘を刺してくるとあって、ロルフも思う所があったらしい。粗忽さは消せないものの、無言でジゼルの真似をしていた。
「礼を言うぞ、アレックス」
「もったいないお言葉です。しかし恐れながら、御礼はこちらの者に」
「ん…?そなたは…」
アレックスはジゼルを指し示した。急に注目を浴びた彼女は、低頭したまま固まる。さすがに国王陛下の視界に入るのは緊張してしまい、心臓が忙しなく動く。
「そなた、名をなんと言う」
「…ジゼル・リドガーと申します」
「リドガー…?もしや、ユリウスが連れてきた弓使いか!いやはや得心がいった。惚れ惚れするほど見事な腕前であったぞ」
「恐縮にございます」
ルシウスは納得したように頷いてから、配下達を見渡した。
「皆もよく駆けつけてくれた。王城を奪還するまでもうしばし、力を貸しておくれ」
「我々一同、喜んでお供いたします」
窮地は脱したものの、不届者へ制裁を加えるには至っていない。王の座を狙った罪は、謀反人の命をもって償わせるのだ。これより王城へ向かい、決着をつけるための戦いをしなければならない。
ジゼルとロルフも参戦することに異論は無かった。そうと決まれば、ひと息つくのは全て片付いてからだ。
国内で起こった混乱が、国外へ知られることだけは避けなければならない。それが謀反の鎮圧を急ぐ最大の理由でもある。
しかしながらルシウスの近衛兵とジゼル達では、わずかに心許ない。やむなく王都を守る駐屯兵に応援を依頼し、戦力を増強して王城へと戻った。
ここでもジゼルの弓矢が冴え渡った。城門を突破し、敵で溢れる城内に入ると、前衛の味方が進みやすいように道を拓いていく。一矢で葬る彼女の才覚を初めて目にした者達は、やはり一様に驚嘆していた。
手持ちの矢が尽きる頃、ジゼル達は城の奥深くに入っていた。どのみち、ここからは剣での戦いになる。ジゼルは弓を背中にかけて剣を握った。構えると同時に過去のしくじりが思い出され、掌に不安の汗が滲む。
彼女の恐れを取り払ったのは、ロルフがかけた言葉だった。
「アンタは前の敵にだけ集中してろ」
「ロルフ…?」
「いいな。あとはオレがやる」
「わかったわ」
ジゼルは迷わず頷いた。彼がそう言うのなら、ジゼルは前しか見ない。右も左も後ろも気にすることはない。
彼女が背中を向けた後で、ロルフは口元だけで笑うのだった。
特訓の成果か、ジゼルは武器を持ち変えてもそこそこ善戦できていた。だがしかし真に凄いのはロルフである。守りに専念する彼を見慣れている分、盾を捨てて攻撃に特化した姿はジゼルの眼に鮮烈に映った。
ロルフの剣は我流だった。型に嵌まらないどころか拳も足も出る、行儀の悪い戦い方である。でも滅法強い。盾兵にしておくのが惜しいくらいに強かった。比喩ではなく、敵を薙ぎ倒しているのだ。
ジゼルはロルフを模倣しながら戦った。強者の剣捌きを真似すれば、彼女も強者に近付くことができる。けれど、慣れない動きは体力を減らすのも早い。ロルフが無茶な動きを多用するから余計にである。
「仰け反れ!」
「!」
体を捻って敵の斬撃を躱そうとしていたジゼルは、咄嗟に上体を大きく後ろへ反らす。彼の声に、体が勝手に反応していたと言って良い。
彼女の体の上をロルフの剣が滑り、敵を斬った。ロルフの指示、ジゼルの反応、どちらかが遅れていたら大惨事になっていた。
「どいつが犯人なんだよ!?下っ端ばっか斬ってても終わらねぇよ!」
返り血を大量に浴びたロルフが苛立ちを露わにする。彼も息が上がっているが、限界が来ていたのはジゼルのほうだった。碌な休息も無しに王都まで駆け戻り、そのまま戦い続けていたのだ。彼女にはもう、立っているだけの体力しか残っていない。
「そう騒ぐでない。愚か者と煙は高い所を好むと言うであろう」
いつの間にか、国王であるルシウスまで剣を握っていた。しかもかなりの腕前だ。今の年齢でこの強さなら、若い頃はもっと強かったであろう。
王様なんて豪華な椅子に座っているだけかと思っていたロルフは、その認識を改めざるをえなかった。
謀反人であるエグモント公は、ロルフが想像する金持ち像そのままだった。玉座でふんぞり返り、酒をあおって、王様の真似事をしていた。自身の勝利を確信して疑わなかったのだろう。
悦に入るエグモント公であったが、ルシウスの姿を見つけた途端、滑稽なほど狼狽え始めた。最後に何か喚いていたものの、酩酊して羅列が回っていなかった。
「そこはまだ私の席だ。退いてもらうぞ、エグモントよ」
配下の野心に気付いていながら、謀反を許してしまったのはルシウスの落ち度だ。ならばせめて国を混乱に陥れようとした罪を、国王として清算しなければならない。
ルシウスは強く握り締めた剣で、エグモント公に死を与えたのだった。




