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 さて、左軍を早々に撃破したユリウス軍は、他の戦場でも着々と勝利を積み重ねていた。優位を保ったまま、戦況が進んでいくと誰もが確信していたのである。ユリウスが指揮する戦いは大抵そうだったからだ。

 ところが事態は急転する。それもユリウスにとってかなり悪い方へである。


「ユリウス殿下!大変です!たった今、急報が入りました!!」

「何事だ」

「南の国ヨトバが、東国に加勢!その数およそ二十万です!!」


 ユリウスは目を見開く。彼の隣ではニックが「ギデル国とヨトバ国の連合軍だと…!?」と呟き、顔色を絶望に染める。

 ギデル国の三十万の軍勢に対し、ユリウスは四十万の兵を集めた。しかしここへきて敵に二十万の加勢となれば、数の優位は覆される。しかもユリウス達は連日の戦いで兵士を減らしているため、尚のこと不利だ。


「…父上は交渉に失敗したのか……」


 ヨトバ国の王は一筋縄ではいかぬ、それは承知の上であったが、交渉決裂どころか完全なる敵対となってしまった。さぞかし無念であろうと、ユリウスは父の心境に思いを馳せる。

 けれど感傷に浸っている暇は無い。十万を超える兵力差は、すぐさま戦況に影響を及ぼす。総崩れだけは回避しなければ、今度はニフタ国が危うくなる。

 ユリウス達は侵略する側から、される側になったのだ。対処を一つでも誤ったら最後、国民が危険に晒される。


「至急、援軍要請を出せ!それから全軍に、連合軍が来ることを伝えよ!迎撃の準備を急げ!」

「了解いたしました!」

「ニック、緊急の作戦会議をひらく。将官達を集めろ」

「はっ!急ぎ召集いたします!」


 ジゼルとロルフが軍議に加えられることはなかったが、二人にも連合軍の報せは届いていた。


「十万は厄介だぞ」

「そうね…」

「南から刺されるのは勘弁だっつったのに」


 今回の東への遠征は、南のヨトバ国をユリウスの父が抑える事を前提としていたのだ。それが覆されては元も子もない。愚痴を吐くロルフの表情も強張っていた。


 だが悪い事は重なる。更なる凶報がユリウス達に舞い込むのであった。


「急報!急報でありますっ!!」

「今度は何だ!」


 緊急の軍議を開いていたところへ、遣いの兵が息を切らせてやって来た。切羽詰まっていたニックは鋭い声を飛ばす。平常時なら他者を怯えさせるほどの剣幕だった。しかし既に大量の汗を流している兵士は、真っ青な顔で負けじと声を張り上げる。


「エグモント公の謀反により、国王陛下が退去を余儀なくされたとの情報が入りました!!」


 ユリウスの顔から一切の表情が消えた。

 エグモント公。王家に次ぐ勢力を従えている、公爵家の当主だ。国王に仕える大臣の一人でもあり、野心の強い男だった。

 エグモント公の眼が欲望を孕んでいることに、ユリウスはもちろん、彼の父であるルシウスも気が付いていた。だが、なまじ権力を持っているだけに、大臣の座から引き摺り下ろすことはできなかった。国王はエグモント公に忠誠心が無いのは承知で、登用するしかなかったのだ。その代わり、常日頃から警戒は怠らなかったはずだった。


(よりにもよってこんな時に……いや、こんな時だからか)


 口では調子よく王を讃えながら、エグモント公は自身が王冠を被ることを望んでいた。彼の裏の顔は知っていたつもりだが、本当に嫌な時を狙ってくる。


「父上は今どこにおられるのだ」

「王城を出たとだけ……も、申し訳ございません!」


 城からの脱出は、用意していた対応策のうちの最終手段だった。そうせざるを得なかったという事は、ユリウスの父はかなり追い詰められているようだ。


「ユリウス殿下…どう、なさいますか…?」


 敵の連合軍は目と鼻の先まで迫っている。背後の王都では国王の危機。だがユリウスの体は一つしかない。戦力の差が大きいこの戦いでは、経験と実力のある将官達を各所に配置しなければならず、父の救出に向かわせる人材の余裕は無かった。

 ユリウスは得意の即断即決ができずに押し黙る。


「ここの指揮は俺達が引き受けますから、殿下はルシウス陛下の救出へ向かって…」


 判断に迷い、苦しむユリウスをこれ以上見ていられず、ニックはそう進言しかけた。しかし彼の言葉はロルフの登場によって遮られたのである。


「オイオイ、そりゃねぇだろ。悪手以外の何物でもねぇよ」

「貴様!ここは上位の将官のみが集える場だぞ!しかも事情を知らないくせに、適当に悪手などと!」

「そんなデケェ声で話してたら、天幕の外まで聞こえるっつーの」


 太々しいロルフの後ろには、ジゼルが静かに佇んでいた。


「大将が消えたら全軍の指揮に関わる。そもそも十万の差があるんだ。賢い王太子サマ抜きで、援軍がくるまで持ち堪えられるのかよ?」

「それは……っ」

「ついでに言うと大将不在が敵にバレたら『大将がいなくなる程の異変が起きた』って思われるだろうが。そんで、あちこちから攻め込まれたら本当に終わりだぞ」

「…だったらどうすると言うんだ!!」


 滔々と正論を説かれたニックは、逆上して机を殴った。けれどもロルフは相変わらず人を食ったような笑い方をするのだった。


「百騎…いや、五十騎でいいから貸せ。オレとコイツで国王サマの救出に向かってやる」


 ロルフはジゼルを指差して、いとも簡単に言ってのける。当然、ニックの神経は逆撫でされた。


「なっ…!?そんな事、許可できるはずがないだろう!?誰が貴様なんかに…!」

「言っとくが、先に言い出したのはコイツだぞ」

「ジゼル殿が…?」

「王太子サマの父親なら、頭の切れる国王サマなんだろ?謀反を起こされて、あっさり負けるとは思えねぇ。きっかけさえ作れば、玉座の奪還くらいできるだろ。それで負けるようなら、王の器じゃなかっただけだ」

「ロルフ」


 ジゼルが名を呼べば、彼は軽口をやめた。


「ユリウス殿下も、将官の方々も前線を離れることは難しいでしょう。なので宜しければわたし達が行って、国王陛下にお力添えをしてきます」


 黙ったロルフに代わり、彼女が進み出て跪く。


「出過ぎた真似であることは承知の上です。お叱りは、わたしが受けます」

「……何故、貴女がそこまでしてくれるのか」


 頭を垂れるジゼルが見ることはなかったが、ユリウスは珍しく弱った表情を覗かせていたのである。


「お困りの様子でしたから」


 その飾らない返答は、ユリウスの胸を打った。あたたかな優しさが体の中に溶けこんでいくようだった。仰々しい大義でもなく、厚い忠義でもなく、何か力になりたい。彼女にあるのはそういう純粋な気持ちだけなのだ。戦略を考慮に入れないのは、兵士として落第なのだろう。けれど時間の猶予が無く、殺伐となっているこの状況において、彼女の素朴な気遣いはユリウスが一番欲しているものであった。

 弓隊に所属せず、率いる隊も持たないジゼルなら身軽に動ける。指示された場所へ赴いて戦うことに慣れた彼女は、命令があれば直ちに遂行してくれる。裏表のないジゼルの行動が、ユリウスに信頼の気持ちを思い起こさせた。

 彼は安堵を包んだ声になって請うのだった。


「…ありがとう。父上を、どうか頼む」

「はい」


 苦言を呈する者は誰もいなかった。皆、知っているからだ。先だっての作戦で彼女が、ユリウスを一度も窮地に陥らせることもなく守り通した事を。味方を援護することにかけて、ジゼルの右に出る者はいない。


「ユリウス殿下、俺もジゼル殿に同行しても宜しいでしょうか」


 同行を希望するニックだったが、すぐさまロルフから「馬鹿か」とあしらわれる。


「テメェは王太子サマの手足だろうが。一大事に側を離れんじゃねぇよ。つーか、とっとと五十寄越せ。なるべく優秀なヤツな」


 ロルフの横柄な態度に、将官達は閉口していた。しかし、ひとりの若い将軍が「私の隊から十騎出そう。部下を助けてくれた礼だ」と言い出した。彼は左軍で戦っていた将官の一人だった。彼を皮切りに、他の将軍も続々と名乗りを上げる。


「俺はとびきりの駿馬を貸す」

「ワシは十五出してやる!心配せずともワシの部下は全員優秀だ!」

「では残りはこちらで都合をつける」


 五十の兵士と馬を借り受けたジゼルとロルフは、すぐに出発した。先導するのはアレックスという男であった。彼はニックと同等とまではいかないものの、ユリウスからの信用を得ており、一時は国王に仕えていたこともある。大臣の見分けがつかないジゼル達には、ありがたい先導役だ。


「特訓がさっそく生きるかもしれないわ」

「いや…とりあえずアンタは弓を使っとけ」


 ジゼルは大真面目に言ったのだが、どうやらロルフには間抜けな台詞に聞こえたらしかった。

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