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 進軍から三日目にして、ユリウスは大胆な行動に出る。彼が先陣を切り、左軍の敵将を討つと宣言したのだ。

 至極当然のことであるが、王太子が最前線に姿を現したと敵が知れば守りを固めてくる。そして格好の的とばかりに、狙いを王太子に絞るだろう。敵の攻撃を一手に引き受けることになるユリウスを、ジゼル達は守り抜かねばならないのだ。これは厳しい任務になる。


「ったく。生真面目な隊長サンはともかく、王太子サマも出たがりかよ」


 ユリウスの突撃部隊に加わったロルフは、馬の上で独り言ちる。横には同じように騎乗するジゼルがいた。


「フィンレーって出たがりだったのかしら?」

「気にするところはそこか?」


 軍の指揮官というものは大抵、後方でどっしり構えているものだ。しかし中には血気盛んな男もいて、自身が軍の先頭を走っていく場合もある。ユリウスは状況によって使い分けているらしい。突撃の好機と判断した時のみ、剣を抜いて前へ出る。


「んな事よりアンタ、もう馬の上には立つなよ。盾が届かねぇだろ」

「わかったわ。もうしない」

「ん」


 こう言っておけば彼女は約束を守る。ロルフは次に、後ろを振り向いた。


「そこのポーとパー」

「……もしやと思うが我々のことか?」


 人の名前をまともに呼ばないロルフであるが、あんまりな呼称にポールとジャスパーは開いた口が塞がらない。


「テメェら以外に誰がいるんだ」

「……」

「……」

「遅れずついて来いよ。離れたら置いてくぜ」


 二人は非常に渋い顔つきで「…承知した」と返事をするのだった。


 しかし、戦いが始まってしまえば、ふざけた呼称を気にしているどころではなくなる。何せ王太子が戦っているのだ。万一があってはならない。そして彼の守護を担うジゼルも、戦えなくなるような事があってはいけなかった。


「構えが甘ぇんだよ!パー!」

「す、すまないっ」

「おいポー!遅れんなっつっただろ!」

「も、申し訳ないっ」


 ポールとジャスパーは勘違いをしていた。援護と言ってもいつものように、移動と停留を繰り返すものだとばかり思っていたのである。

 ところがジゼルは馬を走らせながら矢を放ち始め、止まることがなかった。跳ねる馬の上で地上と変わらぬ腕を見せる彼女は、圧巻の一言に尽きる。

 だがしかし盾を持って彼女に並走するのは容易ではない。彼女の馬と衝突するのは論外、かといって離れ過ぎても守りに穴があく。そちらに気を取られると、盾の構えが疎かになる。全てをいっぺんに行うのは困難であった。


(だというのに何故、ロルフ殿は"いつも通り"の動きができるのだ!?)

(ジゼル殿も凄まじいが、ロルフ殿も底が見えない…!)


 ポールもジャスパーも持てる力を出し切って、どうにか置いていかれないようにする。それが彼らの精一杯だった。


 ジゼル達の前方を駆けるユリウスは順調に、いや想定以上の進撃をしていた。何故なら、敵がユリウスを止めようと囲んでも、飛来する矢によって包囲網が崩されるからだ。時々、敵の中から「弓使いを狙え!」と怒号が飛ぶものの、ジゼルの矢が止む気配は無い。


「…ジゼル殿は大丈夫でしょうか」


 ユリウスの左隣を走っているニックは、不穏な言葉が耳を掠めるたびに後ろが気になるようだった。一方のユリウスは前へ進む事に集中していた。


「彼が守っている以上、心配はないだろう」

「……殿下は随分とあの男を買っておられるのですね」


 敵を難なく斬り伏せながらユリウスは言った。


「そういう君は随分と彼を嫌っているな」

「礼節を弁えない人間は、総じて疎まれるものです。あの男は殿下のご厚意で命拾いしたというのに、感謝の欠片も無い」


 ニックは苦虫を噛み潰したような顔をする。無礼な態度に加え、元は卑しい盗人だったと小耳に挟み、ロルフに対する印象は最悪になっていた。


「君の言い分は分かる。しかし才能のある者を埋もれさせるのも勿体ない」

「…はい。殿下のお考えは承知しております」

「それに彼の手綱はしっかり握られているからな。暴走することはないだろう」

「やはりジゼル殿はあの男のことを…」

「さて、敵将が見えてきたぞ。無駄話は終わりだ」


 言い終わるや否や、ユリウスの顔つきが変わる。これから敵を討ち取り、速やかに撤退するまで一切の気が抜けない。将を失えば、配下達が仇をとらんと血眼になって襲いかかってくる。どちらかといえば敵将を倒すより、無事に退くほうが難しいのだ。


「私はユリウス・ニフタ=カートライトである!悪いが貴殿の命、貰い受けるぞ!」


 ユリウスが口上を述べるのを、ジゼルは聞いていた。それに加えて、四方から敵が走り出してユリウスを狙うのも見えていた。


「左はあの堅物に任せとけ。アンタは右。三時から飛び出してくる」


 返事の代わりに、彼女は矢を放つ。その矢はロルフが指し示した敵の急所へ、吸い込まれていくのであった。




 ユリウスが敵将を倒したことにより、左軍の戦いは決着したも同然だった。けれども戦争が終わった訳ではない。中央と右軍の戦いは続いているのだ。それらを撃破し、炭鉱山を奪取しなければ戦いに勝ったとは言えなかった。ただ、大きく一歩前進したのは確かである。兵士の中には早くも「今夜は祝杯だ」と浮かれる者までいた程だ。

 ユリウスの勝利に貢献したジゼル達は、まだ日が沈まない時刻から休息をとっていた。小さな褒美として、早めの休息が与えられたのである。ロルフは夕食までひと眠りして時間を潰そうかと思っていたが、ジゼルに呼び止められた。


「ロルフ、頼みたい事があるのだけど…」

「あ?なんだよ」


 彼は顔を顰めていたが、それは面倒に思ったからではなく、単に意外だっただけである。


「わたしに剣の特訓をつけてくれないかしら」

「なんでまた剣なんか…」


 彼女の頼み事はますます意外であった。第一、剣を振り回している時に怪我でもしたら洒落にならない。弓を扱うのに支障が出てしまう。

 しかしながらジゼルの瞳には並々ならぬ強い意思が漲っていた。


「いざという時、何もできないのは嫌だから」

「……」


 彼女の言う「いざ」がいつの事を指しているのか。ロルフはすぐに分かった。二人が離れ離れになるきっかけとなった夜戦の日を、彼女はずっと後悔として引きずっているのだ。


「訓練所で練習はしたけれど、実戦で使えなければ意味がないわ」


 考えてみれば、弓が使えない場面などいくらでもある。そうなった時に、守られるだけの人間に甘んじるのが、ジゼルはすごく嫌だった。いや、守ってもらうだけならまだしも、ロルフの足を引っ張り、負傷させた自分の弱さがどうしても許せない。


「…ま、いいぜ。戦う手段が多いのに越したことはねぇ」


 ロルフ自身は怪我をした事なんて何とも思っていない。正直、とっくに忘れていたが、彼女が気に病んでしまうのは本意ではない。それに彼女から頼りにされて悪い気はしなかった。


「本当?疲れていたら、遠慮しないで断ってね?」

「はあ?オレを舐めんなよ。余裕で動けるわ」

「じゃあ…よろしくお願いします」

「やるからには厳しくいくぜ?」


 厳しくだなんて言葉だけなのだが、額面通りに受け取ったジゼルは、表情を引き締めるのだった。




 ジゼルとロルフの剣の特訓は、強風が吹き付けて矢が射てない日や、夕食前の僅かな時間など、二人になれる時を見つけてはこっそり行われた。他の人間、特にユリウスやニックに見つかると説明が面倒であったため、ロルフは秘密裏にこだわった。


「正面で受けんな。アンタの細腕じゃ一撃で手が痺れて、剣が握れなくなる」

「避ければいいの?」

「理想はな。できなきゃ受け流すのもありだ。オレがやり方を見せてやるから、斬り込んでこい」

「わかったわ」


 普段の態度は不真面目なロルフであるが、特訓には同じ人物とは思えぬほど真剣に臨んでいた。ジゼルの頼みであるし、彼女が強くなればそれだけ安心材料が増えるからだ。

 そしてロルフは、彼女の得手不得手をよく理解していた。言葉であれこれ説明するより、やってみせたほうがジゼルは吸収が早い。


「こうやって、攻撃の向きをズラす。そうすっと…」

「わっ…!」


 言われた通りロルフに斬りかかったジゼルだったが、剣先をさばかれた拍子に、つんのめってしまう。寸でのところで彼が手を伸ばして支えてくれたので、みっともなく転ぶことはなかった。


「ものの見事に引っかかってどうすんだ」

「ご、ごめんなさい…」

「受け流された時は、すぐに体勢を戻さねぇと背中が丸出しになっちまうぞ」

「気をつけるわ。ありがとう、ロルフ」

「いいから続けるぞ。今度はアンタの番」


 ジゼルは手先が不器用であるものの、不思議なことに運動神経は抜群だった。動体視力だって常人の比ではない。これらの素質が備わっているからロルフの動きを見てすぐ、完璧に真似するなんて芸当が可能なのだ。あとは基礎体力がもう少し上がれば文句無しである。


(しかしこれはこれで悪くねぇな)


 一生懸命な彼女には悪いが、ロルフはこの状況を楽しんでいた。誰にも邪魔されない二人の時間、そして彼女の双眼はロルフにのみ集中している。


「ほら、全部躱すつもりでやれよ」


 色気も甘さも情緒の欠片も無いけれど、このくらいの幸せは貰ってもバチは当たらないだろう。ロルフは隠れてほくそ笑みながら、ジゼルと対峙するのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ロルフーーーーー!!!好きだーーーーーーー 愛おしすぎです。 ユリウスは嫉妬というかこれは入り込めないなという感じでしょうか。
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