31
ポールとジャスパーは、初日の戦いをこのように報告した。
「ジゼル殿の実力は知っていたつもりでした。しかし我々の認識はまだ甘かったようです」
「ユリウス殿下もご覧になればきっと、お分かりになると思います」
そんな風に言われたら、見に行かずにはおれまい。翌日、ユリウスはニックも連れて、左軍が戦っている場所へ足を向けた。
そこは乱戦となっていた。騎馬兵と歩兵が入り乱れ、激しい斬り合いが続いている。しかし見ていると、しばしば土埃を裂くような光が走る。その光こそ、ジゼルの放った矢の煌めきであった。
「二時、長槍の男」
「左側押され始めた」
「しゃがめ!いったん下がるぞ」
「正面。騎兵の馬を狙って崩せ」
「あと三本射ったら移動だ。隣の隊が危うい」
指示を飛ばすのはロルフで、ジゼルはひたすら矢を射るだけだ。相変わらずの正確無比な弓矢である。しかし以前にユリウスが感じた「精彩に欠ける」という印象は、憎たらしいほど見事に払拭された。
矢の命中率は変わらない。けれども彼女の集中力がまるで違うのだ。
ジゼルは同時にたくさんのことを行うのが苦手である。ポール達が盾兵をしていた時、彼女の仕事は矢を射るだけではなかった。標的を定める事、敵の攻撃を見切ってやり過ごす事も、並行して行わなければいけなかったのだ。
今はどうか。それらの判断すべてをロルフが肩代わりしている。敵味方の配置を把握し、戦況を分析。そこから効率的な撃破の順番を指示する。おかげでジゼルは矢を射るという一点に集中できていた。ロルフの声だけ聞いていれば良いのだから、ジゼルがやる事はとても簡潔だった。だからこそ、彼女の矢はますます恐ろしいものになっているのだ。
(…頼りきっている、なんてものではないぞ)
ユリウスは薄っすらと汗が滲む。敵の攻撃を一つでも読み違えれば命に関わるのに、ジゼルは身を屈める頃合いすらロルフに委ねていた。他人に自分の命を握られたら、普通は恐怖心が湧くものだろう。
しかもここは戦場。騙し合いなど常套手段だ。敵はおろか味方でさえも、騙し騙される。たった一度でも手酷い裏切りを経験しようものなら、不信感を拭うことはできなくなる。ユリウスもそうだ。物心つく前から政敵のあらゆる謀略に晒されてきた彼は、信用している部下は多くても、なかなか信じ切るには至れない。
だがジゼルとロルフは違った。ジゼルは躊躇いなく命を預け、ロルフは預かった命を息をするように守り抜く。二人だけは醜悪な戦場でも燦々としていたのである。
ジゼルから聞いた話では、互いに顔を合わせて二年ほどだという。その事がますますユリウスを当惑させた。二人が一緒に戦った期間は二年より少なかろう。
(これほどの連携を見せながら『ただの弓兵と盾兵』は無いだろう)
ユリウスは呆れ半分、妬み半分といった眼差しでジゼルを眺める。友情や恋を飛び越えたような絆を、ただの兵士が二年足らずで構築できるはずがないのだ。
日暮れ時になり、夜営の支度が始まる頃、ジゼル達には新たな任務が与えられた。「明日はユリウス殿下が左軍の司令官を討ち取りに行くゆえ、後方からの援護を任せる」というものだった。
「大将自ら突撃か。そりゃ死なれたら困るわな。で?まさか今日みたいに徒歩で着いてこいとは言わねぇよな?」
軍議に呼ばれたのはジゼルだが、何食わぬ顔でロルフも同席している。その時点でニックは苛立っていた。
「ユリウス殿下を軽々しく扱うなと何度言えばわかる」
「そっちこそ、何度言っても無駄だって悟れよ」
「だいたい貴様は呼ばれていないだろう」
「コイツの鈍い頭に小難しい作戦は入らねぇよ。覚える頃には日が暮れてらぁ」
半笑いと共に指をさされたジゼルはというと、同意するように頷くのだった。
しかし主人のみならず、ジゼルまで小馬鹿にする態度はニックをますます不快にさせただけだ。
「ニック、抑えろ。話が進まない」
「……申し訳ありません。殿下」
「君の言う通り、私が返り討ちに遭えば敗戦となる。そうならぬよう、私の背中を任せたい。ちゃんと馬も貸す」
ジゼルは彼の頼みを「わかりました」の一言で引き受ける。一人の対象を守護するのは、彼女の最も得意とするところであった。
夜営になるとロルフはさっさと夕食へありつきに消えていった。ジゼルもついていこうとしたのだが、ユリウスに引き止められた。ヴィッキーが食事を持ってくるから待っているよう言われたのだ。
「まだ二日しか終わっていないのに、貴女の戦績は誰よりも優秀だ。貴女のおかげで大勢の部下を失わずに済んだ。礼を言う」
「お礼を言っていただくようなことは何も…」
面と向かって称賛されるのは、少々居た堪れない。ジゼルとしては言われた通りに矢を放ち、敵の命を奪っているだけで、褒められる事は大してやっていない感覚である。
「いや、貴女の援護で救われた命が確かにある。感謝するのは当然だ」
所在なげにする彼女を、ユリウスは目を細めながら見つめていた。
そのうち軽やかな足音が聞こえてくる。ヴィッキーがやって来たのだ。彼女はてきぱきと食事を並べていく。
「食べ終わった食器は置いたままで良いですから」
「片付けくらいするわ」
「大丈夫ですよ!お気持ちだけで!」
食い気味に断られてしまい、ジゼルはちょっと寂しかった。
ユリウスと二人の食事はとても静かだった。静かなので、離れた所の音や声まで聞こえてくる。兵士の誰かが「人の飯をくすねるな!」と怒る声がした時、ジゼルはぱっと顔を上げた。大方、食べ足りないロルフが盗み食いしたのだ。バルビール隊では何人もの仲間が彼の被害に遭っていた。
「……彼か?」
ユリウスも目星がついたらしい。そもそも盗み食いする人間なんて、彼の部下にはいないだろう。
「恐らく…そうです」
「彼は貴女の食事も奪ったのか?」
ジゼルは首を横に振る。彼女の食事が狙われた事は無かった。
ロルフは怒る仲間から逃げおおせると、ジゼルの後ろへ隠れて戦利品にありつくのが常であった。
「…そうだろうな」
聞かなくても分かっていた、そんな含みを持たせてユリウスはふっと笑うのだった。




