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戦地に送り込まれたロルフは、一月足らずで戻ってきた。しかも文句のつけようがないほどの活躍ぶりだったようだ。歩兵の分際で中将を倒し、軍師まで斬ったのだと、軍の中でも話題になっていた。彼はそれだけ張り切っていたのである。大きな手柄を立てれば円滑にジゼルの盾兵に戻れるし、彼女から新品の剣まで貰ったのだ。やる気を出さないほうが難しかった。
そうして、かつてないほど暴れ回ってきたロルフは、何食わぬ顔でジゼルの元へ帰ったのである。しかしユリウスの屋敷で世話になる事は強く拒み、召集がかかったら出て来ると言い残して、すぐに立ち去ってしまった。「こんなお上品な屋敷にいたら湿疹が出る」とはロルフの弁だ。
「ニフタ国でも、行きつけの酒場ができるといいわね」
いかにも彼らしい台詞を聞いた際、ジゼルはそう言って微笑んでいた。
「アンタの頭でよく覚えてたな、そんなこと」
その返しの台詞も、実にロルフらしい皮肉であった。
それから更に半月が過ぎると、二人ともに召集がかけられた。此度の戦場となるのは、東の国ギデルとの国境線だ。軍の指揮を執るのは引き続きユリウスである。
「四十万とかすげぇ規模だな」
ロルフが後ろに続く大軍を眺めて、ぼやくのも無理はなかった。今回の戦いの目的はギデル国への侵略。他国の領土を奪いに行くのだ。敵国の三十万を上回る兵力を集めなければ、死に物狂いで守りを固める相手に対し、優位に立つことはできない。
「ここまで大掛かりな戦いは初めてか?」
「最大でも十五万ってとこだった。それに国境守備ばっかで、侵攻する側にまわるのも初めてだぜ」
ジゼルがユリウスの近くで移動する都合上、ロルフもちゃっかり引っ付いてきている。それをよく思わないのは、ニックだった。
「いい加減、そのふざけた態度を改めないか」
「オレは誰に対しても平等なんだよ」
「殿下と馴れ馴れしく会話するな!」
「チッ…どこの国でも堅物クソ真面目ってのはいやがる」
「なんだと貴様っ…」
「そのくらいにしておけ、ニック。これしきの事で短気をおこす必要もない」
項垂れるニックに対し、そうだそうだと言わんばかりのロルフ。衝突は続きそうに思われたが、ジゼルの一言が終止符となった。
「ロルフ、前と同じようにはいかないわ」
ここは、フランシスが事情を全て把握し、諸々を寛大に許容してくれていたバルビール隊ではない。問題児の後始末をしてくれる隊長はいないし、文句を言いながら支えてくれる仲間もいないのだ。
ロルフもそれは理解しており、なおかつ彼女から諭された事で、突っ掛かるのをやめた。
(野獣と、それを飼い慣らす猛獣使いだな)
途端に大人しくなった男を眺めていたユリウスは、そんな感想を抱くのだった。
東の国ギデルは、五国の中で最も大きな領土を持つ。それゆえに一度の侵攻では攻め落とすことができない。少しずつ侵攻していくしか、攻略の手立てが無いのである。ユリウスが軍を率いてギデル国と戦うのは今回が初めてだが、侵攻は既に幾度も実行されている。
「しかし、まだ都市を三つ奪ったのみ。陥落までは程遠い。今回の遠征の狙いは目の前に見えている、あの山だ。炭鉱が採掘できる場所があって、東国において重要な資源場になっている」
山といっても登山して戦う必要はなく、採掘場を含む一帯を占拠するのが目標だった。ただし敵も厳重に守っていることが想定されるので、激しい野戦となりそうだ。
ジゼルは頷きながら静かに説明を聞いていた。遠慮なく割り込んでくるのはロルフである。
「こっちに四十万も集中させて、南の方からブスッと刺されたりしねぇのかよ」
「そちらは父上が交渉を重ねている。南の王は腹の底が知れぬ食わせ者らしいので、一筋縄ではいかないだろうがな」
「ガラ空きの背中を攻められるのは勘弁だぜ?」
「君に言われるまでもない」
ジゼルは左軍の援護を担当する事になった。彼女と戦場を共にするのはロルフだけでなく、前回盾兵を引き受けてくれたポールとジャスパーも支援役として同行する。知った顔を見つけ、ジゼルは表情を和らげていた。二人にも以前のようなよそよそしさは無い。しかしロルフだけは大層不満げだった。
「流れ矢も防げねぇような能無しはいらねぇよ。テメェらの盾は飾りか?」
「ロルフ、そんな言い方…」
「うるせぇ。アンタは黙ってろ」
後遺症を残さず治ったから良いものの、彼女の怪我についてロルフは未だに業腹である。ポールとジャスパーは自分達に非があると反省しているのか、口汚く責め立てられても黙っていた。
「オレは他人の尻拭いさせられるのが大っ嫌いだ。テメェらのドジで、こっちが割を食うのだけは御免だぜ」
ロルフの台詞を意訳するとこうなる。「オレは他人の失敗で、アイツが傷つくのは許さない」。ロルフは自分の体を盾にすることさえ厭わないから、同じくらいの覚悟の無い人間は、いても邪魔なのだ。
するとここまで口を閉ざしていたポールが、初めて言い返すのだった。
「我々がどう弁明しようとも信用されないだろうが、これだけは伝えておく。殿下からはロルフ殿の指示に従えと命令を受けており、我々も異論は無い」
「…チッ!デカい口叩いて遅れたらブン殴るぞ」
ロルフはまだ言い足りなかったが、揉め事を大きくしてもジゼルが困るだけだ。そう思って、この場を収めることを選んだのであった。
やがて整列を命じる合図がきた。隊列の後方に加わるため、ジゼル達は歩き出す。
「わたしが戦う理由は、もう聞かなくていいの?」
歩きながらジゼルはロルフに尋ねた。彼は前を向いたまま、素っ気なく答える。
「アンタに限って人殺しの快楽に目覚めるって事はあるまいし。どうせこっちでも、守りたいものができたんだろ」
彼のどうでもよさげな声色が、ジゼルをとても懐かしい気持ちにさせた。
「だからおんなじように、アンタは何の心配もせず守られてろよ」
「わかったわ」
互いの目線が交わることはなかったが、二人とも清々しい微笑を口元にたたえていたのであった。




